競技場の廊下で、俺は足を止めた。
 並んで歩いていたハクがそれに気づき、声をかける。

〈どうしたの?〉
「本当に喜ぶのかなってね」
〈アルベルトは、すごく喜ぶ!〉
「そうだよね」

 ブラコンである兄が、大喜びする姿を簡単に想像でき、俺は再び足を進める。
 ただ、胸騒ぎともよべるなにかが、俺の中で騒いでいた。
 選手控え室に近づくにつれ、それが一段と大きくなる。
 気持ち悪いな。
 なんだろう。この感覚。

〈ジークベルト!〉

 ハクの切迫した声で、その存在に気づいた。
 選手控え室の途中の廊下に、ひっそりと彼はいた。
 壁に寄りかかり、顔は青白く、息も絶え絶えで、今にも気を失いそう……。
 いや、すでに生気は失せ、死にかけていた。

「医療班は、なにをしているんだ!」

 このような目立つ場所で、一刻を争う事態の選手を放置しているなんて、信じられない!
 しかし、彼に近づこうとするも、なにかに阻まれた。

「魔道具?」

 即座にヘルプ機能へ指示し、魔道具の調査をしてもらう。
 その時間が、とても長く感じる。
 すぐそばで苦しんでいる彼に、なにもできないでいる自分。
 焦燥感を抑えながら、ヘルプ機能の調査結果を待った。

 俺たちと彼を阻む壁は、多様な魔法が施された高度な魔道具から造られた守りの壁であることがわかった。
 現在その魔道具は、『隠蔽』と『守り』、『癒し』が発動している。
 しかし、『癒し』の効果が、ほぼ彼に効いていないことが判明した。
 彼自身が受けた傷が、魔導具作成者の『癒し』より深いのだ。
 その上、高度な『隠蔽』と『守り』が、彼の体を覆っているため、常人には発見されないし、守りの壁で近づくこともできない。
 さらに彼自身が、魔道具を身に着けて使用しているため、本人の意志のもと解除する必要があった。
 厄介な状況に、俺は一度深く目を閉じた。

「君、大丈夫かい?」
「……っ」

 俺の呼びかけに、若干意識があった彼は目を見開く。
 俺の姿を凝視して、口を開こうとしたが、途中でやめてしまう。
 彼のその姿に、俺は決断する。

「魔道具を自力で解除するのは、難しそうだね。一刻の猶予もないし、命に関わることなので、大目にみてね」

 彼の返事はないが、一応許可は取ったと思うことにする。
 心配気に俺の行動を見ていたハクのそばで、魔力循環を高めていく。
 彼の胸にある『ひし形のペンダント』が魔道具だ。
 あれを壊す。
 魔道具を壊すのは簡単だが、問題は目の前の『守り』の強度がどれぐらいかだ。
 見誤ればペンダントどころか、彼ごと壊すことになる。
 嫌な汗が、ジワジワと額からわき出てくる。緊張で喉が渇く。
 魔力制御をもっと上げておけばよかったと、後悔した。
 帰国したら基礎を鍛え直そうと心に決める。

 ――数十分後。
 彼を囲んでいた『守り』が、音もなく消える。
 パッキン。
 ペンダントが粉々に割れた。
 俺がゼェゼェと、荒い息を整える間に、ハクが彼のそばに駆け寄る。
 彼のなにかが、ハクの琴線に触れたようだ。
 じっと、目で俺に訴える。
 俺は静かにうなずき、「大丈夫だよ」とハクの頭をなでた。
 その意味を読み取ったハクが、嬉しそうに尻尾を上げ、俺の手に頭を擦りつける。

 俺も、このまま医療班に任せるのは、難しいと感じていたのだ。
 躊躇なく聖魔法の『癒し』を無詠唱で施す。
 無詠唱であれば、魔力の痕跡がほぼ残らないらしい。特に癒し系の魔法は、当事者同士でしかわからないようだ。
 もちろん叔父クラスの魔術師であれば、無詠唱でもその場の魔力で、使用した魔法がわかるようだが、叔父クラスの魔術師がそうそういるとは、思えない。

「……!?」

 彼が、驚いた表情で、身体を確認する。
 俺の聖魔法は、レベルは低いが、効果は高いはずだ。
 さきほどまで、呼吸もままならなかったのだ。
 劇的な変化に驚くのもうなずける。

「他言無用でよろしく! ハク行くよ!」
「ガゥ!〈よかったな!〉」

 これ以上そばにいて、追究されたら厄介だと、すぐさま彼の前から立ち去る。
 彼が、何か言葉を発していたが、俺たちに届くことはなかった。


 ***


「ジーク、遅かったね」

 ギクッと、わかりやすいぐらいに肩を動かし、声のした方へ身体を動かす。

「アルたちは、もう帰ったよ。ジークの感想を聞けなかっと、アルが、ひどく落ち込んでいたけどね。それで、今日は何をしたのかな?」

 妖艶に微笑む貴公子な叔父に『あれ? これ? 結構お怒り?』と、内心冷や汗をかく。
 別に悪いことをしたわけではない。命を助けただけだと、伝えればいいのだ。
 だけど『いまは誤魔化すんだ』と、頭の中で警報が鳴り響く。

 俺たちは、彼を助けたあと、選手控え室へ急いだが、すでにアル兄さんの姿はなく、人の姿もまばらで、本日の最終試合も終了していた。
 これはやばい! と、焦った俺は、慌てて観戦席に戻ったが、あれだけ熱狂していた人々の姿も声もなくなっていた。
 魔道具の破壊に時間がかかり過ぎたのだ。
 唖然と突っ立ている俺に声をかけたのが、叔父だった。

 素直に話した方がいい。叔父に隠し事なんてできないんだから……。
 だけど、俺の直感は『いまは話すな、誤魔化せ』と、言っている。
 俺が、どうしようと悩んでいるそばで「ガウッ〈ヴィリバルト〉」と、隣にいたハクが、叔父に訴えだした。
 その内容は『ハクの我儘に付き合っていたら、アルベルトを迎えに行くのが遅れた』という、バレバレの嘘をついた。
 ハクの説明に叔父が「へぇー。ふーん」と、相槌を打ちながら、答えていた。
 我儘の部分で、叔父の片方の眉毛が上がったのを、俺は見逃さなかった。

「ハクの説明はわかった。我儘を言ったとの認識があるのなら、罰は受けないといけないね」
「ヴィリー叔父さん!」
「ジークは、黙っていなさい。これは私とハクの問題だ」
「ガウッ〈そうだ〉」

 叔父を肯定するようにハクが俺を見上げる。
 その瞳からハクの強い意志を感じた。
 ハクの頭に手を置き『ありがとう』と声にださない感謝をこめる。

「ですが、ぼくはハクの飼い主です」
「……。では、ジーク。当分の間、バルシュミーデ伯爵家で、謹慎をしなさい。もちろんハクも一緒にだ」
「謹慎?」
「そうだよ。当分とは言わず、期限を切ろう。この武道大会の予選が終わるまでの間にしよう」
「なぜですか?」
「遊びに来たのではないんだよ? マンジェスタ王国の副団長として、規律を乱す者は、厳しく対応しないとね」

 叔父のもっともらしい言葉に、俺を遠ざけたいなにかがあるのだと勘づくが「わかりました」と、ここは素直に返事をした。
 ハクの不安気な瞳が俺を見上げる。
 これでいいんだよと、ハクの頭をなで、俺たちは競技場をあとにした。



「ジークはまだかなぁ」

 予選を颯爽と制したアルベルトが、鼻歌まじりのご機嫌な様子で末の弟を待っていた。

「叔父上もわかっているよな。ジークを迎えに寄こしてくれるなんて粋なこと、最高だ!」

 ぐっと拳を握り、誰もいない空間に向けてガッツポーズをする。
 はたから見れば、予選の勝利を噛み締めているような動きだが、その顔はだらしなく緩んでいた。

「アル兄さん、カッコイイなんて言われるかな。えっへへ」

 奇妙な笑い声と妄想で鼻の下を伸ばしきったアルベルトの姿に、健闘を称えようとした他の選手たちが一線を引いた。
 選手控え室が、なんとも居心地の悪い場所となった瞬間だった。
 そんな空気が漂う中、本日の予選で一番の激戦だった組の敗者、帝国の少年に敗れたオリヴァーが、アルベルトに声をかける。

「アルベルト殿、我々は殿下の元に戻ります」
「えへ。んっほん。殿下には、あとで合流すると伝えてくれ」
「はい」

 緩んだ顔を引き締め、凛とした表情で答えるアルベルトに、オリヴァーの頬が引きつった。
 彼を迎えにきた魔術団の面々もその変わり様に、なんとも言えない表情となる。
 誰の本音か『これが我が国の代表騎士だなんて……』とのつぶやきが、さらなる微妙な空気へと覆う。
 アルベルトの意外な一面に、魔術団員の心が少し折れた。

「ん? どうした? まさかお前たち、俺とジークの逢瀬を邪魔しようとしているのか!」

 さすがのアルベルトもこの微妙な空気を察したようではあったが、その見当違いな発言に『誰が邪魔をするか! このブラコンめ!』と、魔術団員たちの心が一致した。
 並々ならぬ殺気を飛ばすアルベルトに「では、我々はこれで」と、オリヴァーが冷静に告げると、魔術団員たちも複雑な表情であとに続く。
 その様子を見たアルベルトが「変なやつらだな」とつぶやくと、魔術団員たちが一斉に顔をアルベルトに向け『お前がなっ!』と、心で突っ込む。
 彼らの不躾な視線をアルベルトは気にすることもなく、選手控え室の入口まで見送る。

「同じ魔術団員でも、叔父上の部下とは違い、にぎやかな奴らだ。ん?」

 魔術団員たちを総評して踵を返そうとしたアルベルトの視界に、柱の陰から選手控え室をうかがう気配を消した人物を捕えた。
 瞬時にアルベルトの纏う雰囲気が変わり、毅然とした態度で不審人物を注視する。

『陰の者にしては、隠蔽に隙が……』

 アルベルトが思考を巡らしているそばで、不審人物が動きだした。
 周囲を警戒しながら、徐々にアルベルトに近づいてくる。

『俺に用が?』

 隠蔽を解除することもせず、不自然な動きを見せる不審人物に、アルベルトの眉間に皺が寄る。
 その動きから『手練れではなさそうだ』と、アルベルトは結論づけ、不審人物の全容を把握する。
 全身を包むマント。それ自体が魔道具のようだ。

「なるほど」

 アルベルトの声が聞こえたのか、マントの人物の肩が僅かに揺れ、その歩みを速めた。
『隠蔽』を看破できる他国の人物との接触が目的のようだ。
 テオバルトたちの極秘任務と関連がありそうだと、アルベルト自身もマントの人物に歩みよろうと体の向きを変えた。
 すると、なぜかマントの人物が後ずさり、焦った様子で逃げだした。
 人は突然逃げられると追いたくなる。アルベルトも然り、マントの人物を追った。

「見失ったか……」

 競技場内の奥、入り組んだ場所でアルベルトは足を止めた。
 常であれば身体強化の魔法を使用して相手を捕獲するが、他国で強行するには無理がある。
 状況証拠と証言だけでは足元を見られる。それを逆手に同様のことを他国にされても言い訳ができない。
 アルベルトはひとつ息を吐き、外遊の責任者であるヴィリバルトにだけ報告することとした。
 来た道を引き返していると、令嬢と魔術師の奇妙な組合せを目撃する。

『こんなところで、逢引きか?』

 アルベルトの位置からは、彼らの表情は見えない。
 しかし遠目からでも令嬢が高貴な身分であることがわかる。
 彼女が着用しているドレスは、下級貴族では手が出せない逸品であった。
 魔術師もそのロープから、高位の役職、または貴族であると見受けられた。
 お忍びの逢引きにしては目立つその衣装に、アルベルトは頭を傾げる。
 アルベルトがふたりに注視していると、魔術師の手元から禍々しい魔道具が現れた。

「なにをしている!」

 危険を感じて思わず駆け寄るアルベルトを目にした魔術師は、令嬢を置き去りにして『移動魔法』で転移した。
 その技量と判断力に、アルベルトは、彼を手慣れの間者あるいは暗殺者だと予想する。
 残された令嬢は真っ青な顔で震えてはいるが、姿勢を正した状態で上品にカーテシーをする。

「危ないところをありがとうございました。私は」

 アルベルトの手が令嬢の前に伸びその言葉を遮る。

「正式な挨拶は、お互いの立場がありますので」

 アルベルトは、詮索をするつもりがないことを暗に伝えた。

「お気遣いありがとうございます」

 令嬢が凛とした佇まいで、頭を軽く下げる。
 未だ恐怖心が残っていることは、その顔色から見受けられた。

『さすが王族。ディアーナ嬢にはあまり似ていないが、瞳の色は同じだな』

 アルベルトが弟の婚約者を思い浮かべ、前にいる令嬢と重ねていると、彼女が儚く微笑んだ。

「私はユリアーナと申します」
「アルベルトです」

 突然の名乗りに、アルベルトは動揺するもユリアーナにそれを悟られることなく無難に返した。
 アルベルトの装いから、マンジェスタ王国の騎士で出場選手であるとの予測をユリアーナはできただろう。
 詮索ができる隙をユリアーナ自らアルベルトに与えている。
 なぜ王女が護衛もつけず、この場にいたのか。
 逃げた魔術師とはどのような関係なのか。
 疑問はあるが、他国の事柄に関与する時間も労力もアルベルトにはない。
 彼女は家名を名乗っていない。
 あえて逃げ道を作り、アルベルトの動向を見ている。

「ユリアーナ嬢、ご家族が心配なさるのでは?」

 アルベルトの問いかけに、ユリアーナの長いまつ毛が影を落とす。

「そうですね……」
「私が、近くまでお送りしましょう」
「はい。あの、アルベルト様……」

 すがるような視線を向けたユリアーナに、すっと腕を差し出し無表情に前を向くアルベルト。
 無言の圧がその場を支配する。
 しばらくして、ユリアーナはあきらめた表情でアルベルトの腕をとった。

『陰がどこに潜んでいるかわからない』

 ユリアーナは咄嗟にアルベルトの顔を見上げた。
 彼は難しい顔して口を閉じ、ユリアーナをエスコートしている。
 アルベルトの口は動いていないが、彼の声がユリアーナには聞こえる。
 高性能な魔道具の存在にめを見張るユリアーナを尻目に、アルベルトは厄介事に首を突っ込んだと自責する。
 だがしかし、ブラコン愛の強いアルベルトは、彼女のSOSを無視するこはできなかった。
 彼女がジークベルト(・・・・・・)の婚約者の姉であるという一点だけで行動したのだ。

『事情はあとで』

 ユリアーナの金色の瞳が揺らいだ。


 一方その頃、アルベルトが見失った不審者マントの人物は、ならず者と騎士が入り混じったいびつな集団に囲われ、退路を断たれていた。

「おらっ、死ねよ」
「ぐっ、なぜっ」

 集団の中でもひときわ体格のいい、左目の上から右頬にかけて大きな傷がある男が、マントの人物に一方的な攻撃をしていた。
 マントの人物は、その攻撃を耐え忍んでいたが、傷の男の拳が数度みぞおちに入り、苦しげな声をマントの中からもらすと、とうとう地面に片膝をついた。

「なぜってか、冥土の土産に教えてやるよっ。おらっ」
「ぐっ」

 傷の男がマントの人物の顔面に容赦なく蹴りを喰らわせると、マントが宙を舞い、砂埃とともに体が地面を跳ね上がった。
 傷の男がマントに手をかけ、フードを掴む。
 その顔を近づけると、ニタッと馬鹿にしたような表情で告げる。

「中途半端な『隠蔽』と『願望』が仇と成したなあ。『願望』に正と導くを込めたのになあ」
「なぜ、それを、うっ」
「なぜだろうなぁ、おらっ」
「ぐっ」

 傷の男は、フードから手を離すと、地面に横たわったマントの人物の腹を蹴り続ける。
 止まらない攻撃。それでもマントの人物は、足掻くように立ち上がろうとする。
 その姿に傷の男の口角が上がる。

「しぶといねぇ」
「おい、いい加減にしろ」

 これからという時に、ひとりの騎士が水を差し、傷の男の肩を引く。
 傷の男が、イラついた表情で騎士の手を振り払った。

「うっせぇんだよ。てめぇ、俺に指図するきか」
「お前たちと違い、我々は弱っている者をいたぶる趣味はない。さっさと処分しろ」
「けっ、よく言うぜ。お偉い騎士様は自分の手を汚したくねぇだけだろう。そうだ、お前。こっちにこいよ」

 傷の男が、水を差した騎士のうしろにいる若い騎士に声をかける。

「ぼっ、ぼくですか」
「そうだ。お前だよ。せっかくだから、手柄を譲ってやるよ」
「えっ」

 新人と思われる若い騎士に、傷の男は自身の短剣を差し出す。
 若い騎士は、躊躇しながらも短剣を受け取ると、マントの人物の前に立たされた。

「おらっ、殺せよ」
「殺せ、殺せ」

 ならず者たちが、若い騎士を煽る。
 異様な空気が包む中、他の騎士たちは、ならず者たちの野次を止めることもなく静観している。
 若い騎士の短剣を持つ手が震え、身動きができないでいると、地面から真っ白な煙が湧き出て、一瞬で辺りを覆った。
 白い煙が、彼らの視界を隠し、傷の男の怒号が響く。

「ちっ、やつはどこだ!」
 
 男たちの混乱は白い煙が消えるまで、しばらく続いたのだった。


 ***


 男が目を開けると、見慣れない天井が広がっていた。
 男の記憶は白い煙で途切れてはいたが、助かったのだと自覚する。
 残虐性の高い傷の男が、このような小奇麗な場所に自身を確保するはずはない。
 死を覚悟した傷も手当てされ、手厚い看護を受けている状況を把握した男は安堵したのか、ほっと息を吐く。

「おいっ、大丈夫か?」

 男の目覚めに気づいた金髪の青年が、心配げな表情で男を見ていた。
 それに応えようと男が体を起こそうとすると、体の痛みを感じたのか顔を顰める。

「ここは? くっ」
「動かないほうがいいよ。僕の『聖水』は、折れた骨を完治できるほどの精度はないからね」

 別の方向から物腰の柔らかい赤い髪の青年が、男に声をかけた。
 男は青年たちを見つめ、一呼吸置く。

「貴方がたは?」
「名乗ったほうがいいかい」

 赤い青年の問いかけに、その意図に気づいた男は口を噤むと、視線が中空を漂う。
 沈黙が部屋を支配する中、男の視線が、椅子の上にあるマントに止まった。
 驚いた表情でマントを見た男は、すぐに自身の体を見て、再びマントに目をやる。
 そして、期待と不安が入り交じった目を向け、青年たちに頭を下げた。

「命を助けて頂きありがとうございます。私はエリーアス殿下にお仕えするルートヴィヒ・フォン・ベンケンと申します。ルイスとお呼び下さい」

 ルイスはそう名乗ると、懐からエスタニア王家の家紋が入った懐中時計を見せ、その身分を示した。
 その覚悟を前に、赤い青年が口を開いた。

「私は、テオバルト・フォン・アーベル。彼は護衛のニコライだ」
「アーベル家の方! 私はなんて運がいい」

 ルイスは目に涙を浮かべ、口元を手で覆った。
 そんな彼の様子に、テオバルトとニコライは視線を交え、厄介事に首を突っ込んだと苦笑いした。


 ***


「『願望』とは面白い魔法だね」
「無属性の魔法です。術者の魔力と熟練度で効力は変わります」

 ルイスの事情と説明を受けたテオバルトたちは、ルイスがすぐに身元を示した理由に納得をする。
 いまルイスの手元にあるマントは魔道具で、『隠蔽』と『願望』が施されている。
 ルイス曰く、マントの『願望』に一致した人物には『隠蔽』が効かない。
 またマントを羽織っている本人、もしくは『願望』と一致した人物でしか、マントを脱がすことができないのだという。
 すなわち、テオバルトたちは、ルイスたちのお眼鏡に叶った人物となる。

「すげぇ魔道具だな。あれだけ争ってもフードがとれないわけだ」
「エリーアス殿下、渾身の魔道具ですから」

 ニコライの感想に、ルイスが誇らしげな顔をして、嬉しそうに答える。

「そうだとしたら、なぜ彼らにルイス殿の正体がバレたのかな」
「おそらく『隠蔽』を看破する魔道具を所持していたのだと」
「そりゃすげぇな。末端の騎士に与える代物じゃねぇぞ。どうするテオ」
「そうだね。僕たちだけでは大事過ぎる。叔父様に相談しよう」

 ふたりの気兼ねないやりとりを見たルイスが、羨望の眼差しをニコライに向ける。

「ニコライ殿は主に対して、随分と大柄な態度ですね」
「ルイスは真面目だな。俺とテオは昔馴染みで気安い仲だから許されてるんだ」
「そうなのですか。私はエリーアス殿下の幼少期からお側にいますが、一度たりともそのような砕けた会話をしたことがございません」
「おいおい。俺とお前では仕える主の身分が違うだろうよ」
「そうなのですが、おふたりの関係が私にはとても眩しく見えます」

 ルイスの素直な言葉に、テオバルトとニコライはお互いの顔を見合わせる。

「だそうですよ。テオバルト様?」
「冗談がきついよニコライ。それに気持ちが悪いよ」
「ひっでえ、言いようだな」

 テオバルトが、とても不愉快そうに表情を歪めると、ニコライが笑いながらその肩を叩いていた。
 その様子に、ルイスだけが戸惑っていた。



「──ということです」
「はあー、君たち兄弟は、本当に面倒ごとを拾ってくる」

 アルベルトの報告を聞いたヴィリバルトが、額に手をあてながら顔を横に振った。
 愚痴に近い内容でも、アルベルトはすぐさま反応した。

「ジークかテオに、なにかあったのですか!」
「ないよない。まだない」

 ヴィリバルトが呆れた顔で手を横に振って否定するが、興奮したアルベルトはそれを無視して詰め寄った。

「まだとは、それは、近い将来危険があるということですか!」

 鬼気迫った顔をするアルベルトに、ヴィリバルトが窘める。

「アル、危険があるのは承知のうえで、同行を許したのだろう」
「それは、そうですか」

 指摘を受けたアルベルトは、勢いを失くしたかのように身を縮めていく。
 その姿が主人にかまってもらえない忠犬に見え、ヴィルバルトの頬が緩む。
 アルベルトがヴィリバルトのかわいい甥であることに変わりはない。
 昔のように頭をなでて慰めようと手を伸ばそうとした時、アルベルトが突如顔を上げ、瞳に強い意志を宿して言った。

「弟たちに危険が迫っていると聞いて、はいそうですか。で、終われません!」
「はあー、本当に君はブラコンだね」

 やれやれといった表情で、アルベルトとの距離をとるヴィリバルト。
 なにを勘違いしたのか、アルベルトが満面の笑みでヴィルバルトを見た。

「ありがとうございます」
「褒めてないよ」

 ヴィリバルトが一刀両断した。
 それでも笑顔を絶やさないアルベルト。

「アルベルト、ひとつ質問がしたい」
「はい」

 アルベルトは、背筋を伸ばす。
 ヴィリバルトが愛称で呼ばない時は、怒っているか、呆れ果てた時だけだ。

「かの令嬢を助けようとしたのは、単純にジークベルトかな」

 その問いかけに、アルベルトの眉間に皺が寄る。

『叔父上は、俺を試しているのか』

 アルベルトにとっては、至極当然のこと。それを質問されれば困惑もする。
 考えれば考えるほど、ヴィリバルトの考えが読めない。裏を読むにも、考えが至らない。
 アルベルトの困惑している姿を見て、ヴィリバルトは『また余計なことを考えている』と推測した。

「もう、わかったからいいよ」

 大きなため息のあと、ヴィリバルトが手で制すると、アルベルトに退出を指示する。
 その指示に、アルベルトが反論する。

「叔父上、まだ危険が迫っている話しがまだです」
「しつこいね。わかったよ。迫りそうになったら連絡するよ」

 ヴィリバルトの譲歩に、アルベルトは渋々ながらうなずいた。
 そして、部屋の扉が閉ざされた。


 ***


 ひとりになったヴィリバルトは、ソファに深く腰をかけると瞑想をはじめた。
 一時間ほどして、精神世界から戻ったヴィリバルトは、友人に念話を送った。

『フラウ聞こえるかい?』
『なに? ヴィリバルト?』
『少しお願いがあるんだよ』
『ヴィリバルトが、私にお願い! もちろんよ!』
『実は──お願いできるかい』
『むぅ。あの子に頼るのは、嫌だけど、ヴィリバルトのお願いだから、聞いてあげるわ。だけど、あの子が嫌だと言ったら、ダメよ』
『ありがとう。助かるよ。できれば早めにお願いするよ』
『わかったわ。大急ぎで、あの子を捕まえてみせるわ!』

 威勢の良い声で、フラウが念話を切った。
 フラウのやる気満々の姿が目に浮かび、なぜかヴィリバルトは不安になった。
 やる気が空回りして交渉に失敗し、ヴィリバルトに泣きつくフラウが想像できたからだ。
 ヴィリバルトは、思う。
 人選を見誤ったかもしれないと。



『できそこないが生き延びた?』
『はい。残念ながら、魔道具は壊れたようです』
『魔道具が壊れた? 彼のものに、そのような力は残ってはいない。誰が介入した? 赤か?』
『いいえ。『赤の魔術師』との接触はございません』
『エスタニアの馬鹿どもか?』
『いえ、動きは掴んでおりますが』
『となれば『至宝』が動いたか……。されど、赤が接触を許すとは思えん。まあよい。我々の手駒が、無傷で戻ってきた。糧となれど負にはならん。実験を続けろ』
『御意』
『やつとの連絡は取れたか?』
『それが……不甲斐なく』
『まあよい。やつは赤にしか興味を持たん。放置でよかろう。この内乱をかき乱せば、よき余興となろう』
『御意』
神は(・・)我が帝国に味方した──。帝国の繁栄すなわち世界の統一』


***


 謹慎中の俺は、伯爵家の客室で魔術書を読み漁っていた。
 その横でつまらなそうな顔をしたシルビアが、ハクのふわふわの毛をなでていた。
 なでる手つきの甘さに思わず指導が入る。

「シルビア、ここは優しく、そこから先は強くするんだ」
「うるさいのぅ。別にどう触ろうと妾の勝手じゃ」
「なでられるハクの気持ちも考えて! お互い気持ちよくないとだめ」

 俺の指摘にシルビアは口を尖らせるも、俺の指示通りに手を動かす。
 ハクの尻尾がゆらゆらとリズムよく揺れだした。

〈気持ちいい〉
「ふふん。妾とてやればできるのじゃ」

 自慢げな顔して胸を張るシルビアを尻目に、ふとした疑問を俺は口にする。

「そういえば、ディアたちとのお出掛けはよかったの?」
「むぅ。小遣いがなくなったのじゃ。小娘に借りを作るのは癪じゃ」
「賭け事もほどほどにしないと」
「ぬぅー。あれさえ当たっていれば、損失を取り戻せたのじゃ」
「その考え方はだめだよ。自業自得だね」
「むぅー。しかし、あやつの予想では、絶対じゃと」
「世の中に絶対はないよ」

 俺の呆れ口調にシルビアが拗ね、ハクの毛に頭を埋めた。

「妾だってわかっておるのじゃ」

 ハクの毛に顔を埋めたまま、シルビアはくぐもった声でぶつぶつと不満を漏らす。
 そんなシルビアをハク自身は嫌がっておらず〈ハクがなぐさめる!〉と、よくわからない使命感を抱いていた。
 俺とシルビアは物理的に100キロ離れると、シルビアが俺の元に強制転移する。
 本人もそのような制約があるとはつゆ知らず、叔父が俺をアーベル家へ連れ立って強制転移した時に、はじめて知ったのだ。
 ヘルプ機能が、色々と調べてくれているが、解決策は未だ見つかっていない。
 現状、不便はないが、今後のことを考えると課題である。

「ジークベルト」

 俺を呼ぶ声に顔を上げると、木刀を持ったヨハンが、はにかんだ笑顔で俺を見ていた。

「手習いしよう」
「ヨハン君は、予選を観戦しなくていいの?」
「うん。この前、ヴィリバルト様に頭を見てもらったら、剣の才能があると言われたんだ」

 ヨハンが胸を張って伝えるそばで『知っているよ』と、俺は数日前の出来事を思い出した──。


 ***


 緊迫した室内で、ベッドに横たわるヨハンがいた。
 深い眠りに落ちているようで、人が近づいても反応がない。
 胸が上下しているので、息をしていることに安堵する。

「視終わったのですか」

 ベッドの前で腰をかけている叔父に近づく。

「あぁ、核心部分はね」

 叔父が気怠そうな顔で俺を見る。
 その色気にあてられ、背筋からいいようもない何かが走った。
 俺の顔が真っ赤になる。
 無意識にでるものこそ本物なのだ。
 頭を抱えたくなる状況だが、叔父にしては余念のない準備と警備体制、人払いの意味に納得した。
 ああ、ヴィリー叔父さん、俺が来たことに安堵して、無防備な表情で微笑んでるよ。
 これ人害、公害レベルなんですけど。絶対に身内以外近づけてはいけないよね、これ。
 俺はハッとして、部屋の扉に目をやり、外の気配を窺う。
 誰もいないことを確認して、再び叔父に目をやる。
 それにしても、今の叔父は無防備すぎる。
 ほぼ枯渇に近い、相当量の魔力を使用したのだろうと予測できた。
 人の記憶を視る魔法は禁忌に近い。
 魔法の技術や魔力、それに加え精神力が影響するのだろう。
 おそらく使用できるのは、世界でも数人だと理解する。

「僕たちは今から何をすればいいのですか」
「もう一度、彼を視る。その時に土魔法で人物を作って欲しい」

 叔父らしくない断片的な説明に俺は頭を傾げる。
 すぐにいくつかの疑問を叔父になげた。

「もう一度って、魔力は大丈夫なのですか。それに土魔法を使用するのはいいですが、僕に視ることはできません。どうするんですか」
「彼とはまだ切れていないからね。核心部分の記憶の箇所はわかっているので、その部分だけを視せるよ」
「視せるとはどのようにして?」

 叔父が俺の肩にいるスラを指さした。

「スラできるよね」

 叔父の端的な説明にスラが「ピッ!〈肉!〉」と、俺の肩から下り、叔父の膝の上で交渉し始めた。

「オークキングの肉でどうかな」
「ピッ!〈もう一声!〉」
「追加でオークの肉を五」
「ピッ!〈もう一声!〉」
「わかったよ。難しいことをお願いしているからね。オークキングの肉とオークの肉二十。これ以上はさすがにだめだよ」
「ピッ!〈のった!〉」

 叔父との交渉を終えたスラはぷるんっと誇らしげに体を揺らし、定位置である俺の肩に戻った。

「安請け合いして、大丈夫なのスラ?」
「ピッ〈なんとかする〉」
「なんとかできるものなの」

 心配する俺をよそに、スラは見事に期待に応えた。
 叔父の頭部をスラが包み込むと、念話を介して俺に情報を伝え視せる。
 脳に直接送られる情景に、最初俺は戸惑いを隠せず狼狽したが、すぐに気を取り戻すと、その情景を基に土魔法の『形成』を使って再現した。
 精巧に作られたそれは、子供たちの記憶を消した人物を鮮明な形で作り出せた。

「ピッ〈がんばった〉」

 叔父の頭部からスラの声が聞こえる。
 そのまぬけた姿に、不謹慎ながら笑いを耐えるのに苦労した。
 あんな姿の叔父を拝めることは滅多にないので、いい経験だ。
 叔父が俺の作製した像を見て、ひとつ頷いたのだった──。



「ジークベルト様にはこちらを」
「あっ、ありがとう」

 ディアーナから渡されたお土産に、俺は表情をこわばせながら受け取った。
「お揃いでつけましょう」と、期待を込めた視線を送られ、断ることはできずにうなずく。
 俺の手のひらに収まる美しい紫糸のリボン。ひも状の織物。されどリボンには変わりない。
 リボンの扱いに困っている俺のそばで、ハクはチョーカー風に首へ着けてもらい、ご機嫌だ。
 ディアーナたちの護衛に指名されたスラも紫糸のリボンをつけ、ご褒美のオークの肉を頬張っていた。

「小娘、妾だけなぜ色が違うのじゃ!」
「シルビア様は、私と同じ色がよかったのですか?」

 シルビアが金糸のリボンを片手に、ディアーナに詰め寄っていた。

「ぬぅ、違う! わかっておろう! エマは銀糸じゃ」
「はい。私とエマは銀糸。シルビア様は金糸にしましたが」

 ディアーナがとぼけた様子で首をかしげた。
 それを見たシルビアが涙を浮かべ、半泣きで叫ぶ。

「わざとじゃな。ひどいのじゃ」

 シルビアの狼狽に、ディアーナが困った表情を見せる。
 瞼を忙しげに動かしたあと、手元にある銀糸のリボンをシルビアの方へ動かす仕草をした。
 するとその横から大きな手が伸び、ディアーナの手元に別の銀糸のリボンを渡した。

「姫さん、セラ用のこれ」
「ですが」
「あとで、俺が同じ店で購入しておく。わざとじゃねぇんだろ」

 言い淀むディアーナに、ニコライが優しい目をして諭す。
 その発言に本格的に泣きだしたシルビアが静止し、ディアーナの答弁をまつ。

「はい。紫糸と銀糸は三本しかなくて、シルビア様の髪の色から金糸の方が映えるかと、些か考えが足りませんでした。申し訳ございません」

 ディアーナが、ニコライにそう説明すると、シルビアに向かって頭を下げた。

「なんじゃ、わざとじゃないならそう言え!」

 ごしごしと乱暴に涙の痕を拭い、シルビアが金糸を大事そうに懐に入れると、ディアーナの手にある銀糸を手にする。
 そしてニコライに目を向け「ニコライ、妾は紫糸を所望する」と、言い放った。

「なぜ俺が」
「同じ店で購入するのじゃろ。であれば妾は紫糸も所望する」
「おまえ、ちゃっかり二本手にしただろ」
「むぅ。金糸は小娘が妾に似合うと購入したものじゃ。銀糸は小娘たちとお揃いじゃ」
「あのなぁ、このリボンは質がいいんだ。ほいほい買えるものじゃねぇ」
「ケチじゃのう」

 シルビアが不服そうな顔をするとニコライの眉が上がる。
 ふたりの言い合いがはじまると、そばにいたエマがあたふたする姿が見え、ディアーナが涼しげな顔でソファに腰をかけた。
 俺は少し離れた場所にいたテオ兄さんの横を陣取り、謹慎中の疑問を口にした。

「ここ最近、兄さんたちは忙しそうですね」

 俺の含んだ言い方に、テオ兄さんが「そうだね」と遠い目をした。
 あっ、この質問はよくなかったと、テオ兄さんの反応を見て察したが、一度口にした質問を取り消すことは難しく、沈黙が流れる。
 ディアーナたちが帰宅する一時間前に、テオ兄さんたちは帰宅したが、叔父がアル兄さんと客室にいると聞くと、難しい顔をしてふたりの会談が終わるのを待っていた。
 そう、アル兄さんが単独で叔父を訪ねてきたのだ。
 ヨハンとの手習いを終え、屋敷内に入ったところで、アル兄さんと出くわした。

「俺のかわいいジーク!」

 いつもと同じ調子で、感極まったアル兄さんは俺を抱き上げた。
 隣にいたヨハンが唖然とその様子を見て「ジークベルトも大変なんだな」と一言。
 四歳児にして達観した発言に、伯爵家の執事が誇らしげにうなずくと「ヨハン様、歴史の先生がいらしています」と、その場から遠ざけた。
 叔父の準備ができたとの執事の案内を受けるまで、俺はアル兄さんのされるがままに可愛がられた。
 その間、伯爵家に仕える者たちからは生暖かい眼差しを受け続けた。
 テオ兄さんと同じく遠い目をして、数時間前の出来事を思い出していると、アル兄さんが疲れた様子で、俺たちのいる応接室に入ってきた。
 そして俺を見つけると物言いたげに何度か口をつぐみ、視線を外して「叔父上が呼んでいる」と告げた。
 挙動がおかしいアル兄さんを不審に思いながら、俺はみんなの輪から外れた。
 俺の横にハク、肩にはスラを連れて、叔父のいる客室に入った。

 客室に入るとすぐに叔父が「ジークにお願いがあるんだ」と、茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。
 警戒しながらも、それに答える。

「なんでしょうか」
「じつは──」


 ***


「アルベルトが、護衛を離れる?」
「はい、殿下。アーベル伯より、さきほど連絡を受けました」
「ふーん。アルベルトが不在の間の護衛に支障は?」
「それがその。アーベル伯より、アルベルト殿の代わりに、この魔物をお側に置くようにとの指示がございました」

 近衛騎士が、戸惑った様子で自身の手のひらを見せる。そこには、ぷるんと揺れる水色の物体がいた。

「ピッ〈よろしく〉」
「これは、面白いことになりそうだ。くっくく」

 ユリウスは目を見開くと腹に手を乗せ、大笑いする。
 水色の魔獣の首には、紫糸のリボンが揺れていた。



「アルベルト様、こちらです」

 建物の物陰から、可憐な女性の声が聞こえた。
 アルベルトが、そちらに視線を向けると、お忍び用のドレスを着たユリアーナが、落ち着いた様子で立っていた。
 周囲の気配を窺いながら、アルベルトはユリアーナに近づく。

「ユリアーナ嬢」
「このような場所にお呼び出しして、申し訳ございません。城内ではお話ができませんので」

 儚げな印象は初対面の時と変わらないが、王族独特の凛とした芯の強さを感じる。
『ずいぶんと雰囲気がちがう。やはり、護衛はつけていない』と、アルベルトは思った。

 あの日は、彼女の事情を聴くことはできなかった──。
 ユリアーナをエスコートしていたアルベルトは、貴賓室に近づくにつれ、騒然としたエスタニア王国の侍女と騎士の動きに事情を聴ける様子ではないと判断した。彼女もそう感じたのだろうアルベルトの腕に置いた手に力が入り、大変困った様子でアルベルトを見上げた。
 その仕草にアルベルトは疑問を感じた。『護衛をつけず消えれば、どうなるか予想できる状況である』と、『ユリアーナ王女は、そういった判断ができない浅慮な人なのか』と、アルベルトにはそう強く印象づける仕草だったのだ。
 ユリアーナを見つけた騎士が、すごい形相でこちらへ近づいてくる。
 アルベルトは、素早く彼女に連絡用の使い捨ての魔道具を渡した。使い方を簡単に説明し、騎士に問い詰められる前に、ユリアーナの前を辞した。
 あとは彼女が上手く説明をすると、先ほど浅慮だと感じたのにそう思った。ちぐはぐな己の判断に、アルベルトは強い不信感を持った。
 その後すぐに、ヴィリバルトへ報告したアルベルトだったが、やはり己への不快感が残っていた。
 そしてすぐにその答えがわかる。

「かの令嬢には、高度な『守り』が展開されている」
「彼女の地位であれば、高性能な魔道具を入手することは容易いのでは?」

 アルベルトの回答に、ヴィリバルトが怪しげに微笑むと、自身の目を指す。

「私のこれでも視れなかった」
「なっ」

 ヴィリバルトが所持している『鑑定眼』は『鑑定』の上位スキルである。
 人物の『鑑定』ができないことは多々ある。その主な理由は、高度な『守り』の魔道具が術者のスキルより上のものであったり、単純に術者のレベルが低かったりする。
 しかし、そのどちらにも当てはまることがないであろう『赤の魔術師』ヴィリバルトの『鑑定眼』が、視ることができないとは、アルベルトの背筋に寒気が走った。
 言葉を失ったアルベルトに、ヴィルバルトが追従する。

「可能性があるとしたら、古代魔道具。もしくは、精霊か、──が関わっている」
「叔父上、申し訳ありません。精霊のあとが聞き取れませんでした」
「ん? 精霊が関わっている可能性があると言ったんだよ。古代魔道具は我々魔術団が所持する『移動門』もあるし、エスタニア王国が何らかの古代魔道具を所持している可能性もある。だけど、かの令嬢だけなんだよね」

 ヴィリバルトは言葉を切ると微笑みながら「視れないの」と、再び目を指した。
 アルベルトが息をのみ、自身が大変面倒なことに首を突っ込んでしまった事実を確認した。

「まぁ、しかたないさ。いずれにしても関わることだったのだろう。ジークの件もあるし、うやむやにはできない」
「叔父上、ジークを危険なめには」
「あわせないよ。予選が終わるまでには決着をつけよう。その分アルには存分に働いてもらうよ」

 アルベルトが「はい」と了承の旨を伝えると、ヴィリバルトは満足そうにうなずき「アル、君には──」と、いくつかの指示と彼女に接触する際の注意点などをうけた。
 その注意点の中に、アルベルトの不快感の答えはあった。
『ユリアーナ王女は、『魅了』を所持している可能性が高い』とのヴィリバルトの指摘だった──。

 ユリアーナの案内で、建物中に足を踏み入れるアルベルト。
 アルベルトは気合を入れるように己の片腕を叩く。
 その腕には赤いリボンが揺れていた。



「テオバルト殿、ニコライ殿、こちらです」

 腕を大きく振り、破顔した表情でテオバルトたちを呼ぶルイス。
 大変目立つ行動に、テオバルトたちは、顔を見合わせ、あきらめにも似たため息を出す。
 少しでも注目される時間を減らしたい彼らは、素早くルイスのそばに詰めた。

「ルイス殿」
「おふたりとも、動きに隙がない。さすがですね」

 テオバルトの咎めた物言いを前にしても、ルイスには効果がないようだ。
 関心した様子で、ふたりを褒める。そのルイスの案内で、城の外れの庭園、王族たちのプライベート空間にふたりは足を踏み入れた。
 テオバルトの眉間に皺が寄る。
 ヴィリバルトに相談した結果、エリーアスの思惑を探るよう指示された。
 表向きは友好的に彼らに協力する姿勢を見せなければならない。しかし、彼らの隠しもしない堂々とした対応に、早まったかもしれないとテオバルトは思った。

「ようこそ。アーベル侯爵のご子息テオバルト殿。ニコライ殿」

 庭園の中央で、黒髪に眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の男が、テオバルトたちに声をかけた。
 そのたたずまいから、エリーアス殿下であることを瞬時に判断したテオバルトたちは、頭を深く下げ、失礼がない挨拶を交わす。

「お初にお目にかかります。私はテオバルト・フォン・アーベル」
「ニコライ・フォン・バーデンです」
「エリーアス・フォン・エスタニアだよ。エリーとでも呼んでくれ」

 エリーアスが、その場の空気を和ませるかのように冗談めいた口調でそう言った。
 テオバルトが顔を上げると、眼鏡の奥にある深い緑の瞳と視線が合う。なぜか不思議な違和感をテオバルトは感じた。

「堅苦しい挨拶はその辺で、ついて来てくれ」

 エリーアスはそう言って、足早に庭園の奥に入っていく。
 テオバルトたちもその後に続いた──。


 ***


 エリーアスの私的空間である部屋の中で、テオバルトの感嘆とした声が響く。

「素晴らしい作品の数々ですね」
「テオバルト殿は、わかる人だね」
「えぇ、僭越ながら、とても興味を注がれます」
「理解してくれる人がいて嬉しいよ。残念なことにルイスは、この点についての理解は乏しいんだ」
「殿下の趣味は高尚ですので、凡人の私には理解ができず、申し訳ございません」
「ルイスは、堅苦しすぎる」
「申し訳ございません」

 ルイスの一連の動きを冷めた目で見ていたエリーアスは大きく溜息を吐くと、テオバルトに別の作品を勧めた。
 ルイスの視線がすがる様にエリーアスを追っている。
 見かねたニコライが、ルイスの肩に手を置き、小声で問いかける。

「なぁ、ルイス」
「なんでしょう。ニコライ殿」
「殿下はお前が望んでいるような……テオが見ているのってただの流木だよな」

 ルイスのあまりにも悲観した諦めの表情を見て、ニコライは途中で話題を変えた。
 何年も積み重ねてきた関係を、とってでの者が指摘したところで、その関係性を変えることは難しい。
 行動を起こせるほどの意志が当人にあるか。それに、それぞれの事情がある。『俺とアーベル家のように』とニコライは思った。

「そうですよね! ただの流木にしか見えませんよね!」

 ニコライの言葉に、ルイスが嬉しそうに同意する。
 その目には、同士をえた喜びに満ちており、ニコライは『それでよく従者を務めれるな』と、表情豊かなルイスに目を細めた。
 ルイスの相手をニコライがしているのを横目で確認したテオバルトは、流木の魅力を伝えるエリーアスに確信をつく。

「殿下は、なにをお求めで」

 テオバルトの問いに、流木から視線をテオバルトに向けたエリーアスは、少し困った表情を浮かべた。

「そんなに警戒しないでくれ。私は味方だよ。ディア、いや、ディアーナのね」

 テオバルトが、エリーアスの『味方』発言の意味を思惑していると、エリーアスが緊張した面持ちで発した。

「エスタニアの闇を取り除く手伝いをしてくれないかい」

 空気が一瞬のうちに固まった。
 エリーアスの発言は、聞く人が聞けば内乱を匂わせるものだ。テオバルトの眉間に皺が寄る。
 その表情を見て、エリーアスは一度己を落ち着かせるように瞳を閉じると、強い眼差しをテオバルトに向けた。

「他国の者に願うことではないのは、承知だよ。しかし、我々では、もうどうにもならない。マティ、うおふぉん、マティアスが動いてはいるが、所詮子供の知恵。大人たちの思惑に太刀打ちはできない」

 エリーアスの顔に影が差す。

「私は継承権を放棄するつもりだった。しかし、運命は動いてしまった──」

 エリーアスの決意に、テオバルトはどう答えればいいか判断に迷う。
 テオバルトの首元にある赤いリボンは揺れず、ただ時間だけが流れていった。



「スラ。ジークがとても心配していたよ」
「ピッ!<主がうれしい!>」

 ユリウスの肩の上で飛び跳ねるスラを横目にヴィリバルトは、にやけた表情を隠すこともなくユリウスに伝える。

「殿下。とてもお似合いですよ」
「ヴィリバルト。思うことは多々あるが、これが思いのほか役に立つ」
「ピッ<がんばった>」

 スラがユリウスの肩から離れ、ヴィリバルトの腕に飛び乗ると催促するように鳴く。ヴィリバルトが腰にある『魔法袋』から出来立てのオークの肉柚子胡椒和えを取り出した。
 スラがそれに飛びつく。
 室内は柚子胡椒のいい香りに包まれ、緊迫した空気を和らげる。

「それで、いつまでこの状況が続く」
「決勝トーナメントまでには、状況を把握するつもりですが」
「つもりとは」
「ひとつ、厄介なことがあります。私の勘が確かなら、精霊を敵に回す可能性があります」
「それは、なんとも恐ろしい勘だな」
「万に一つの可能性です。ただいまアルベルトが、その調査を始めています」
「…………我々マンジェスタ王国は、他国の内乱に首を突っ込む気はない。アーベル侯爵家の独断で動くのであれば、関与はしない」
「ありがとうございます」

 ユリウスの英断に、ヴィリバルトが胸に手をあて頭を下げた。


 ***


 ユリウスの私室から、ヴィリバルトが退室するのを待って、近衛騎士が室内に入ってきた。
 ヴィリバルトが人払いをしたのだ。
 近衛騎士のひとりが、バルコニーに立つユリウスに声をかけた。

「殿下」
「武道大会終了後、直ちにマンジェスタ王国に戻る。いかなる事があっても、この決定に変更はない。ただし、アーベル侯爵家はその範囲ではない」

 ユリウスの決定に、近衛騎士のひとりが室内から消えた。
 マンジェスタ王国の者たちに決定を伝えに行ったのだ。

「内乱か。無関係な民が苦しむな」

 ユリウスの呟きが静かな部屋に響く。
 発言を許されない近衛騎士たちは、その重苦しい雰囲気に、息を呑む。
 アーベル侯爵家が除外された意味を彼らは熟知している。

「おまえはどう思う」

 ふいにユリウスが肩にいるスラに問いかけた。

「ピッ<主がなんとかする>」
「ふっ。おまえたちのジークベルトへの信頼の高さはすごいものだな。しかし、事は簡単ではない」
「ピッ!<主をみくびるな!>」
「では、お手並みを拝見するか」
「ピッ!<まかせろ!>」

 力強いスラの返事に、ユリウスは思う。
『アーベル家の至宝であるジークベルトなら、被害を最小限にとどめるのではないか』と、そんな淡い期待を胸に宿したことを、自嘲気味に笑った。