「ジークはまだかなぁ」
予選を颯爽と制したアルベルトが、鼻歌まじりのご機嫌な様子で末の弟を待っていた。
「叔父上もわかっているよな。ジークを迎えに寄こしてくれるなんて粋なこと、最高だ!」
ぐっと拳を握り、誰もいない空間に向けてガッツポーズをする。
はたから見れば、予選の勝利を噛み締めているような動きだが、その顔はだらしなく緩んでいた。
「アル兄さん、カッコイイなんて言われるかな。えっへへ」
奇妙な笑い声と妄想で鼻の下を伸ばしきったアルベルトの姿に、健闘を称えようとした他の選手たちが一線を引いた。
選手控え室が、なんとも居心地の悪い場所となった瞬間だった。
そんな空気が漂う中、本日の予選で一番の激戦だった組の敗者、帝国の少年に敗れたオリヴァーが、アルベルトに声をかける。
「アルベルト殿、我々は殿下の元に戻ります」
「えへ。んっほん。殿下には、あとで合流すると伝えてくれ」
「はい」
緩んだ顔を引き締め、凛とした表情で答えるアルベルトに、オリヴァーの頬が引きつった。
彼を迎えにきた魔術団の面々もその変わり様に、なんとも言えない表情となる。
誰の本音か『これが我が国の代表騎士だなんて……』とのつぶやきが、さらなる微妙な空気へと覆う。
アルベルトの意外な一面に、魔術団員の心が少し折れた。
「ん? どうした? まさかお前たち、俺とジークの逢瀬を邪魔しようとしているのか!」
さすがのアルベルトもこの微妙な空気を察したようではあったが、その見当違いな発言に『誰が邪魔をするか! このブラコンめ!』と、魔術団員たちの心が一致した。
並々ならぬ殺気を飛ばすアルベルトに「では、我々はこれで」と、オリヴァーが冷静に告げると、魔術団員たちも複雑な表情であとに続く。
その様子を見たアルベルトが「変なやつらだな」とつぶやくと、魔術団員たちが一斉に顔をアルベルトに向け『お前がなっ!』と、心で突っ込む。
彼らの不躾な視線をアルベルトは気にすることもなく、選手控え室の入口まで見送る。
「同じ魔術団員でも、叔父上の部下とは違い、にぎやかな奴らだ。ん?」
魔術団員たちを総評して踵を返そうとしたアルベルトの視界に、柱の陰から選手控え室をうかがう気配を消した人物を捕えた。
瞬時にアルベルトの纏う雰囲気が変わり、毅然とした態度で不審人物を注視する。
『陰の者にしては、隠蔽に隙が……』
アルベルトが思考を巡らしているそばで、不審人物が動きだした。
周囲を警戒しながら、徐々にアルベルトに近づいてくる。
『俺に用が?』
隠蔽を解除することもせず、不自然な動きを見せる不審人物に、アルベルトの眉間に皺が寄る。
その動きから『手練れではなさそうだ』と、アルベルトは結論づけ、不審人物の全容を把握する。
全身を包むマント。それ自体が魔道具のようだ。
「なるほど」
アルベルトの声が聞こえたのか、マントの人物の肩が僅かに揺れ、その歩みを速めた。
『隠蔽』を看破できる他国の人物との接触が目的のようだ。
テオバルトたちの極秘任務と関連がありそうだと、アルベルト自身もマントの人物に歩みよろうと体の向きを変えた。
すると、なぜかマントの人物が後ずさり、焦った様子で逃げだした。
人は突然逃げられると追いたくなる。アルベルトも然り、マントの人物を追った。
「見失ったか……」
競技場内の奥、入り組んだ場所でアルベルトは足を止めた。
常であれば身体強化の魔法を使用して相手を捕獲するが、他国で強行するには無理がある。
状況証拠と証言だけでは足元を見られる。それを逆手に同様のことを他国にされても言い訳ができない。
アルベルトはひとつ息を吐き、外遊の責任者であるヴィリバルトにだけ報告することとした。
来た道を引き返していると、令嬢と魔術師の奇妙な組合せを目撃する。
『こんなところで、逢引きか?』
アルベルトの位置からは、彼らの表情は見えない。
しかし遠目からでも令嬢が高貴な身分であることがわかる。
彼女が着用しているドレスは、下級貴族では手が出せない逸品であった。
魔術師もそのロープから、高位の役職、または貴族であると見受けられた。
お忍びの逢引きにしては目立つその衣装に、アルベルトは頭を傾げる。
アルベルトがふたりに注視していると、魔術師の手元から禍々しい魔道具が現れた。
「なにをしている!」
危険を感じて思わず駆け寄るアルベルトを目にした魔術師は、令嬢を置き去りにして『移動魔法』で転移した。
その技量と判断力に、アルベルトは、彼を手慣れの間者あるいは暗殺者だと予想する。
残された令嬢は真っ青な顔で震えてはいるが、姿勢を正した状態で上品にカーテシーをする。
「危ないところをありがとうございました。私は」
アルベルトの手が令嬢の前に伸びその言葉を遮る。
「正式な挨拶は、お互いの立場がありますので」
アルベルトは、詮索をするつもりがないことを暗に伝えた。
「お気遣いありがとうございます」
令嬢が凛とした佇まいで、頭を軽く下げる。
未だ恐怖心が残っていることは、その顔色から見受けられた。
『さすが王族。ディアーナ嬢にはあまり似ていないが、瞳の色は同じだな』
アルベルトが弟の婚約者を思い浮かべ、前にいる令嬢と重ねていると、彼女が儚く微笑んだ。
「私はユリアーナと申します」
「アルベルトです」
突然の名乗りに、アルベルトは動揺するもユリアーナにそれを悟られることなく無難に返した。
アルベルトの装いから、マンジェスタ王国の騎士で出場選手であるとの予測をユリアーナはできただろう。
詮索ができる隙をユリアーナ自らアルベルトに与えている。
なぜ王女が護衛もつけず、この場にいたのか。
逃げた魔術師とはどのような関係なのか。
疑問はあるが、他国の事柄に関与する時間も労力もアルベルトにはない。
彼女は家名を名乗っていない。
あえて逃げ道を作り、アルベルトの動向を見ている。
「ユリアーナ嬢、ご家族が心配なさるのでは?」
アルベルトの問いかけに、ユリアーナの長いまつ毛が影を落とす。
「そうですね……」
「私が、近くまでお送りしましょう」
「はい。あの、アルベルト様……」
すがるような視線を向けたユリアーナに、すっと腕を差し出し無表情に前を向くアルベルト。
無言の圧がその場を支配する。
しばらくして、ユリアーナはあきらめた表情でアルベルトの腕をとった。
『陰がどこに潜んでいるかわからない』
ユリアーナは咄嗟にアルベルトの顔を見上げた。
彼は難しい顔して口を閉じ、ユリアーナをエスコートしている。
アルベルトの口は動いていないが、彼の声がユリアーナには聞こえる。
高性能な魔道具の存在にめを見張るユリアーナを尻目に、アルベルトは厄介事に首を突っ込んだと自責する。
だがしかし、ブラコン愛の強いアルベルトは、彼女のSOSを無視するこはできなかった。
彼女がジークベルトの婚約者の姉であるという一点だけで行動したのだ。
『事情はあとで』
ユリアーナの金色の瞳が揺らいだ。