『──ではそのように』

 最新機能を保持した『魔通信』を切り、闇に埋もれたマントをかぶった男は、口元に三日月のような笑みを浮かべた。

『くっくっく、マティアス殿下も浅慮』

 感情を失くした人形のような女は、男の言葉にわずかな反応を示す。

『まだ反応をするか。面白い。投薬を続けろ』
『しかし、これ以上の投薬は、ひぃっ』

 マントの男が素早い様子で、口答えした者の首筋に鋭利な刃物をあてる。
 その首からは薄く血が流れはじめた。

『聞こえなかったのか。投薬を続けろ』
『……御意』


 ***


 森の奥に複数の人影が見えた。
 それに気づいたヨハンが、勢いよく駈け出した。

「とうさま!」

 小さな体に不釣合いなほどの大声で叫ぶその姿に、寂しさを我慢していたのだと悟る。
 子供独特の小高い声に、あちらも気づき、背の高い人物が走り寄ってきた。
 俺の目で確認することはできなかったが、感動の親子の再会は……きっとできたはずだ。
 ヨハンのとても嬉しそうな声が、地面の上からでもしっかり聞こえる。
 今俺は、地面に寝転んでいます。
 好き好んで寝転びたくはないけど、今回は致し方ない。自業自得だ。
 感動の親子の再会の数十秒前に、白と青のコンビが空気を読まず、二人の間を駆け抜け、後方で油断していた俺に、飛び込んできたからだ。

『ジークベルト!』
『主!』

 二匹の愛が物理的に痛い。
 全身、特に腰が……とても痛い。
 あれ? まだ少年のはずの俺が、この痛みを感じるのは、早すぎる……。
 二十年は先のはずだが……この歳で腰を痛めるのは、やばすぎる。
 魔力の無駄遣いだとは理解しているが、重点的に腰回りを意識して『聖水』を何度もかけたのは、内緒だ。
 若干一名、俺の行動を生暖かい目で見ている人がいるが、気にしないことにした。
 満足した二匹が、俺の上からおりる様子を見計らって、叔父の繊細な手が俺を抱き起した。
 いつものように俺の頭を数度なでると、すかさず『洗浄』をかけてくれる手際の良さは、さすがである。

「無事で何よりだよ。それにしても熱烈な歓迎をうけたね」
「ご心配をお掛けしました」
「うん。無事でよかったよ。そこのお嬢さんが説明にあった人物かな?」

 ハクたちの行動を微笑ましい様子で見ていた叔父から笑顔が消え、鋭い視線を俺のうしろに向けていた。
 その視線を受けたシルビアが腰を引きながらも、青白い顔して俺のマントを握っていた。
 俺は叔父の視線を遮るように、シルビアを囲う。
 いつのまに、うしろにいたんだ。
 シルビアの不可解な行動に戸惑いつつ、叔父に返事をする。


「はい。念話で伝えしましたが、記憶が曖昧なようで……」
「半魔とは、またすごいのを連れてくるね」

 叔父の視線がシルビアから俺に戻る。
 背後のシルビアから「ふぅ」との安堵したようなため息が聞こえる。

「アーベル家で保護はできますか?」
「あぁ、兄さんには報告済みだよ。純粋な魔族ではないので、国の保護の対象外だ。安心していいと、ジークに伝えてくれとのことだよ」
「それはよかった。よかったね、シルビア」

 叔父の言葉を聞き、背後のシルビアに声をかける。
 コクコクと頷いているが、顔は青白いままだ。
 俺たちを静観していた叔父から、もっともな指摘が入る。

「その子は、話せないのかい?」
「いいえ。普段はよく話します。だけど、突然、無言になるんです。度々そのような状況があったので、ヨハン君にも気にしないようにと伝えていました。それに、しばらく放置すれば元に戻っていますし、個性だと思っています」

 俺の説明に背後から強烈な訴えを感じたが、無視した。
 めずらしくヴィリー叔父さんが、戸惑っている。

「それは……なかなかの解釈だね」
「そうですか? 本人の自覚はないようですが、記憶をなくしたショックなのか、途中で奇声のような声も上げます」
「!?」

 抗議なのかマントを引っ張る力が強い気がする。

「記憶は、どこまであるのかな?」
「それが……、半魔であった頃の記憶は欠落しているようです。ただ知識は豊富です」
「残念だな。魔族の生態について当事者の体験を聞けるいい機会だと思ったんだけどね。非常に残念だよ」
「そうですね。シルビアにあるのは、おそらく本の知識ぐらいです。本人は半魔であることすら忘れているようですので」

 無難に叔父との会話を進めていく。
 ここまでは、予定通りだ。叔父が、シルビアに興味をなくしてくれれば、それでいい。
 叔父たちとの合流前に、シルビアの素性についてどうするか話合った。
 俺もシルビアも、ありのままを伝えることで、一致したが、ヘルプ機能から待ったがかかった。

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 ご主人様、お話中に失礼します。
 あくまでも、私の意見ですが、駄犬が、神獣であることは伏せておくほうが懸命かと存じます。

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『誰が駄犬じゃ! ぐふぅ!?』

 シルビアの顔面を俺は手で抑える。
 本人の今後についての話のため、念話は切らないが、直接的な圧は加える。
 ヨハンは、魔テントで昼寝中のため、教育的な悪影響はない。
 ヘルプ機能、どうして神獣を隠す必要があるんだ?

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 駄犬の性格はともかく、神獣はこの世界では、神に等しいものである認識です。
 その神獣を従えたとなれば、ご主人様は、神格化されます。

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 それはいやだ。
 たしかに、ヘルプ機能の言うことは、一理ある。
 だけど、アーベル家だけで情報規制すれば、外に漏れる心配はないと思う。
 俺の考えが甘いのか……。
 ハクが聖獣であることは、まだ父上たちには、ばれてはいない。
 例外はあるけど『隠蔽』が、いい働きをしているのだ。
 看破されることはないと信じているが、ハクが成長するれば、主に能力面で聖獣であることが、ばれる可能性が高い。
 その前に、父上たちには、打ち明けないといけない。
 その時には、俺の生まれ持った特性も報告するつもりでもある。
 これが一番の解決法だと思っている。
 今さらだが、秘密を多く抱えるのは、あまりよろしくないのだ。
 綻びはいずれ起きる。
 それが早いか遅いか……。
 だけど、今ではないのは確かだ。
 俺の直感がそう言っている。

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 私からの提案ですが、駄犬は、小人族と魔族の半魔であるとの説明が妥当かと思われます。
 駄犬の身体的特徴と年齢、ステータス状況を考えれば、代替え案としては最適かと存じます。

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 魔族ねぇ……。
 シルビアを見ると満更ではない顔をしている。
 この世界の魔族は、絶滅危惧種に該当する。
 世界各国で保護の対象であり、手厚い対応が受けられる。
 魔族は、美貌、教養、能力を備えられた優秀な種族の筆頭なのだ。
 日本で定番の勇者が魔王を倒すなどといった一般的な魔族のイメージとは違う。
 この世界では重宝される種族なのである。
 一時期、迫害を受けて、その数を減らしてしまったのだが、それは別の話しだ。

『半魔とは、ちと気に食わんが、妾の今の姿からすれば致しかない。妾はそれでいいぞ』

 シルビアからも、了承がでる。
 うーん……。
 まだ時期ではないことを考えれば、神格化より、隠蔽を選ぶべきだ。
 また一つ、秘密が増えるが、それも暴露するまでの間だけだ。
 ここは仲間の助言を素直に受け入れよう。
 ヘルプ機能、半魔の情報を詳しく教えて欲しい。
 あと、ヴィリー叔父さんが、興味を示すと思うので、その対策を考えよう。

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 承知しました。
 半魔の情報は、後ほど要点をまとめて報告いたします。
 ヴィリバルトの興味を逸らすには、駄犬が、一部記憶喪失であることが有効であるかと存じます。
 駄犬は、知識だけはございますので、そのままで、半魔で体験した出来事や過去の記憶だけが、抜け落ちている記憶障害と致しましょう。

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『じゃから、妾は駄け、ぐふぅ』

 それでいこう。
 シルビア自身、演技ができるとは、思えない。
 このあと、ヘルプ機能と、想定される会話を何度も練習する。
 違和感なく、叔父の興味を逸らさせる。
 今回はそれでいい。
 そして、この作戦は功を奏した。
 俺との会話が続く中で、シルビアが半魔の記憶を持たないことを確信したのか、すーっと、興味をなくしたようにシルビアを見つめた叔父は、話題を変えた。
 叔父、とてもわかり易くて有難い。
 他の時もこんな感じでわかり易ければ苦労しないんだが……。

 最低限必要な情報をその場で交換し、一息をついたところで、大きな影が俺たちに近づいてきた。
 ニコライだ。
 エスタニア王国で、俺たちの専用護衛、主に俺の護衛をしてくれていた彼に、一番迷惑をかけた。
 謝罪をするため、一歩、彼に近づくと、神妙な顔付きのニコライと目が合い、彼の足が地面についた。

「ジークベルト、すまない」
「ニコライ様!? 頭を上げてください!」

 突然の彼の行動に、俺が慌てふためく。

「護衛として、失格だ」
「ニコライ様が、頭を下げる必要なんてありません。事前にぼくの巻き込まれ体質は、お伝えしましたよね。むしろ、ぼくの方が皆さんに謝罪しなければなりません。自分自身の影響を顧みず、勝手に行動した結果、多大なるご迷惑をお掛けしました。自己の甘さが招いた結果です。ご迷惑をお掛けして、誠に申し訳ございません」

 慌てて俺も頭を下げるが、ニコライからの返答がない。
 そっと様子を窺うと、頭を下げたまま、微動だにしないニコライの姿があった。
 ニコライ、なにがあった!?
 普段と違うニコライの行動に戸惑い、頭を上げるタイミングを逃してしまう。
 うわぁー。どうするよ。
 このまま二人してこの状況は、非常にまずい。
 周囲の心象を考えれば、頭を上げるべきだが、俺から先に上げるのは、今はしてはいけない気がする。
 どうする?
 どうするよー。
 俺の心の葛藤が聞こえたのか、お互い譲らない状況に、叔父が機転を利かす。

「はいはい。護衛の君もジークベルトも、頭を上げる。永遠にそうしているつもりかい?」

 その声に、俺は安堵して頭を上げる。
 ニコライは、渋々頭を上げるが、不貞腐れたような納得していない顔している。
 そして無言だ。
 まじで、どうした!?
 ニコライ、何があったの?
 俺が心で動揺していると、叔父が冷淡な声で、ニコライに話しかける。

「以前にも忠告したけれど、今後もそばに控えるつもりなら、周りの状況を見て行動するべきだね。主の意向に反する行動は、主の首を絞める。君の感情なんて関係ないんだよ。君はもう少し勉強するべきだ」

 叔父の言葉を受け、ニコライが一度俺を見たあとうなずくと、視線を叔父に戻した。

「少し頭を冷やします」
「そうだね。それがいい。護衛対象者から離れるのは、あまり褒められたものではないが、雇用者として、それを許可しよう。ただし、伯爵家に戻るまでには、頭を整理して、護衛に戻るように」
「ありがとうございます」

 ニコライは、軽く会釈して、その場を後にした。
 その姿になにかが、この数日で変わったんだと察しがつく。
 それが良いことなのか、悪いことなのか、俺には判断がつかない。
 だけど、俺の軽はずみな行動で、ニコライが責任を取らさせられるのは、理不尽だ。

「ヴィリー叔父さん」
「ジークには、関係のない話だ。彼とアーベル家の雇用契約の問題だからね。口出しは無用だよ」
「はい、わかっています。ですが、ぼくもアーベル家の者です。今回の件について、ニコライ様の護衛に問題はありませんでした」

 俺の真剣な訴えに、叔父は眉尻を下げて諭すように話す。

「それはわかっているよ。ジークの巻き込まれ体質は、事前に報告を受けているからね。だけど、これとそれは別問題だ。エスタニア王国での君たちの護衛は、私が兄さんに託されている。ここは大人同士の話し合いが必要なんだ。わかるね」
「はい。わかります。だけど、ぼく自身の影響に顧みず、行動したぼくにも責任はあります」

 叔父は俺の意見を肯定しつつ、その行動に釘をさした。

「そうだね。今回の件で、ジークも自身の影響力の範囲を把握できたね」
「大きすぎます。一貴族の子息に王族が気にかけるなんて、聞いたことがありません」
「ジークは『アーベル家の至宝』だからね」

 叔父がその表現を口にするのはめずらしい。

「ぼくが望んだものではありません」
「そうだね」
「それに、至宝の意味を教えてもらっていません」

 俺の皮肉めいた言葉を受け取った叔父は頭を横に振り、優しく俺の頭をなでた。

「まだ早い。もう少し大人になってからだね」

 やはりその答えを、返してくれない。
 ただ単に、叔父たちが、俺を溺愛して称した言葉ではないことはとうにわかっている。
 ヘルプ機能を使って調査を試みたが、その能力が全く機能しなかった。
 それだけではなく、数日間、ヘルプ機能が使用できなくなった。
 俺の力が及ばない大きな力に阻まれているようだ。
『アーベル家の至宝』それが意味する詳細は不明だ。