『状況は?』
『はっ。バルシュミーデ伯爵家から膨大な魔力を感知しました』
『『移動石』がうまく働いたようだな。やつらはしばらく動けないだろう。次の作戦に移行する』
『はっ』

 マントの男が指示を出すと、周囲から人の気配が消える。
 ひとり残った男が妖しく微笑む。

『はやく会いたいよ『赤の魔術師』』

 狂気じみたその声は暗闇の中に消えた。


 ***


 目を開けると、深い森の中にいた。
 夢だったとかのオチではない。また巻き込まれたようだ。
『苦労人』仕事しすぎじゃないか。まぁ今回は、巻き込まれてよかったと思う。
 ヨハンひとりでは、この森からの脱出は難しいだろう。
 現在地を確認するため、『地図』を起動し、ここが『はじまりの森』であること、エスタニアの王都からだいぶ離れた場所であることを把握する。
 そして、予め登録していたヨハンの位置情報が近くにあり安堵した。
 前回の転移事件とは違い、体の接触がない状況での強制移動だったため、俺とヨハンの座標がずれたようだ。
 これで全然違う場所に飛ばされていたらしゃれにならない。
 一歩間違えれば、死につながる世界なのだ。
 ほんと近くでよかったよ。
 魔物の気配がないため、のほほんと構えていると、「うわぁーー」と、ヨハンの叫び声が聞こえた。
 瞬時に『倍速』で、ヨハンの場所まで移動すると、ヨハンは紫の煙に包まれていた。
 これは、あまりよろしくない展開だ。
 少し油断してしまった。反省。
『微風』で、ヨハンの周囲を包んでいる紫の煙を一掃する。
 そのままヨハンを引っ張り、紫の煙のもとから遠ざけた。
 この紫の煙は、感覚器官を麻痺させる作用がある。だいぶ煙を吸い込んだ様子のヨハンに『正常』をかけ、声をかけた。

「大丈夫かい?」
「うっ……うーん」

 まだ混沌としているようだ。
 ステータス異常は見受けられないので、あとは本人の意識がはっきりするのを待つとしよう。
 その間に、紫の煙のもとを確認する。
 いまだ紫の煙を周囲にまいているそれは有毒植物に分類され、別名『幻影死草』と呼ばれる。
 木々に寄生する幻影死草は、獲物を捕獲するまではその姿を現さない。
 だが今回は、ヨハンを捕獲するために本体が出ていた。幹の間から紫色の触手のような物が伸びており、その本体はラフレシアの形に似ていた。
 これ植物なのか?
 クネクネと動く触手に、不気味さが増す。
 捕まえた獲物の感覚器官を麻痺して咀嚼する肉食なのだ。
 知能も高いが、魔物に分類されない。
 ヘルプ機能いわく、有毒植物は、魔石がないので魔物ではないとのこと。
 魔物や魔獣は、体内に魔石があるそうだ。
 なぜ伝聞なのか。
 その事実を今さっき俺が知ったからだ。
 普段から魔物の解体は全部、テオ兄さんたちが処理してくれた。
 俺個人がレベルアップのために仕留めた魔物は『収納』にほぼ放置している。
 いやだってさ、今の年齢で売りに行けば目立つし、テオ兄さんたちに頼むと、抜け出しているのがばれるだろう。
 まぁバレてはいるけどさ。
 見て見ぬふりをしてくれているのに、そこで仕留めた魔物をお願いするのは、筋違いだろう。
 それに俺の『収納』は、時間停止機能があるので、仕留めた魔物をそのまま維持できる。
 冒険者になってから売る予定なのだ。
 ちなみにダンジョンや迷宮では、魔物はドロップ品に変わるため、魔石は出ない。
 まさに異世界ファンタジー。
 話がかなり脱線している間に、触手が増え、ウニョウニョと活発に動いていた。
 うわぁー気持ち悪い。近づきたくない。
 おそらく獲物であるヨハンが射程圏内からはずれ、逃げたことで辺りを警戒しているのだろう。
 視覚はなく嗅覚で動いているとしてもすごいな。
 さて本体も確認できたし、排除しますか。
 寄生している木を燃やさないよう制御して『灯火』を使うと、それは跡形もなく消えた。
 任務完了!
 あとは『地図』で、有毒植物の分布を確認する。この森全体に点在しているようだ。
 ヨハンもいるし、面倒だけど接触しないで動くとするか。
 今日の寝床候補も確認して『地図』に印をつける。そのまま視界の隅に『地図』を配置して、意識がはっきりした様子のヨハンのもとへ戻る。

「ヨハン君、気づいたんだね」
「ジーク、ベルト……なんで?」
「これ何本に見える?」

 有無を言わせずヨハンの前に指を突き立てる。

「えっ、二本」
「じゃ、これは?」
「四本」
「うん。後遺症はないようだね。よかった」
「助けてくれたのか、ありがとう。ジークベルト」

 モジモジと頬を赤くさせ、うつむきながらも感謝するヨハンに『これがデレか! ツンはどこだ!? そもそもツンデレとはなんだーー』と、心で絶叫する俺がいた。
 ヨハンの純粋な感謝にテンションが上がり『デレだ。デレがきた!』と思ったが、実はツンデレが、よくわからない。だが、この状態はデレのはずだと、俺ルールを決めた。
 ディアーナに憧れて、俺に突っかかってきた時も、かわいかったが、このモジモジ加減もいい!
 やはり小さい子は、かわいいな。
 俺が心の中で、世間的に誤解を招く表現をガッツリしていると、ヨハンは、赤かった頬を徐々に青くさせ、心なしか震えた声で俺に問うた。

「それで、どうしておれたちは森にいるんだ。とうさまは… …? おじいさまは…… ?」
「僕たちは、『はじまりの森』に転移したようなんだ」
「『はじまりの森』? どうして? てんいするんだ?」

 ヨハンは、なぜここに転移したのか理由が思いつかないようで、至極困惑した様子で俺に投げかける。
 不安なのか、しっかりと俺のマントを握っている。

「ヨハン君が握っていた石。あれは『移動石』だったんだ」
「いどうせき? えっ? だってあれは、お守りだって……」
「誰にいつもらったのかな?」
「……っ」

 ヨハンの言葉が詰まる。
 これは、聞かれたくない理由があるようだ。
 誰かをかばっているのか?
 いや違うな。おそらくもらった状況を言いたくないのだ。
 察するに移動石は、屋敷の外でもらったのだろう。
 しかも無断で抜け出していたのだろう。
 抜け出していた事実が判明すれば、今後の抜け出しは容易ではない。
 だがこれは重要な情報なため、ごまかしを見逃すわけにはいかない。
 ごめん、ヨハン。
 心の中で謝罪しつつ、諭すようなゆっくりとした口調で、だけど拒否させない断定した言い方をする。

「ヨハン君、とても大事なことなんだ。今回の転移は、たまたま俺が巻き込まれたので難を逃れたけど、もしひとりで転移したら幻影死草の餌食になっていたんだ。とても危険なことだとわかっているね。あの石はどこで誰にいつもらったんだい?」
「ゲンエイシソウ……。きょう、ダンたちと、遊んでいた、時に、おじさんが、くれったんだ……」
「おじさん? 知っている人かい?」
「しらないおじさんっ、おれっ、たちが、遊んでたら、いいもの、あげるって……。おっ、おれ、あぶないものだとは、おもわなかった。きっ、きれいだし、キラキラしてて、お守りだって……」

 ヨハンは唇を噛みしめながらうつむいた。
 危険な物を安易にもらってしまった後悔があるのだろう。
『移動石』の実物を見たことがなければ、綺麗なガラス玉だもんな。
 お守りだと言われれば納得してしまうサイズでもある。
 だけど、ヨハンは貴族だ。
 外敵から身を守る手段を習っているはずだ……。
 あれ? もしかして、まだ習う年齢ではないのか? 
 俺は三歳の時に他者から物をもらう時の断り方を習っている。
 貴族は命を狙われることもあるので、屋敷外での直接の受け取りは原則しない。
 それを知らない民などからの品はいったん侍女が預かり、安全性を確認した後、手もとに届くのだ。
 もちろん侍女たちが近くにいない場合は、相手を傷つけないように遠回しなお断りをするか、屋敷へ持っていくよう言葉巧みにお願いする。
 なによりも贈答品は直接触らない。
 これ鉄則です。
 俺がアンナ監修の教育を思い出していると──。

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 ご主人様、一般的な貴族は、五歳から教育が始まります。

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 ヘルプ機能から遠慮がちに報告が入る。
 うん。そんなことだろうとわかっていたさ……。

「ほかの子も、もらったのかい?」
「うん……ジークベルト、どうしようっ!」

 小さな声でうなずくと、なにかを察したヨハンが涙を浮かべ俺を見上げながら訴える。

「ダンたちも、森の中にとぶのか? 助けないとっ! あのけむりをすうと、なにも見えなくて、音も聞こえなくて、からだも動かなくなった。だから、助けないと!」
「ダンたちは、平民なのかな?」
「ダンたちは、平民だけど、いい奴なんだ! 守るのは、おれたちきぞくのやくめだから、助けて、ジークベルト!」
「あっ、言葉のチョイスを間違えた。ごめん、ヨハン君。ダンたちが、平民なら、移動石を発動させるほどの魔力はないはずだから、大丈夫だよ」
「だいじょうぶなのか。よかった」

 ヨハンの頬から一筋の涙が流れた。
 純粋できれいな涙だ。
 ヨハンがその涙に気づき、ゴシゴシと手で目をこする。
 あー、そんなにこすると、後で赤くなるぞ。
 いらぬ心配をする俺。
 もう心情は、お兄さん状態である。
 現世では末っ子だけど、前世ではお兄さんだったからね。
 さてと、これで叔父さんに報告する内容は、集まったな。まずは石を確認してもらおう。
 おそらく、ヨハン以外の子供たちの石は、ただの石の可能性が高いが、万が一ってこともある。
 で、問題は、誰を狙っての行動だったかだ。
 ディアーナが、バルシュミーデ伯爵の屋敷に滞在していることは、周知の事実だ。
 ただ、ディアーナを狙うにしても、ひと目で『移動石』だとわかる石をヨハンに渡したところで、警戒されることは目に見えている。
 まさか……、ヨハンの魔力暴走も計画の内だった?
 だとすれば、予知スキルがあるのか!?
 ヘルプ機能、調べてほしい。

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 固有スキルの中に、予知スキルなるものがあります。
 所持者の多くが、教会で修行した高位な僧や尼ですね

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 うわぁー。ここにきて、宗教が絡んできたよ。
 宗教は、否定しないが、絡みだすとファンタジーでは、だいたいよくない展開になるんだよね。
 なにもなければいいけどさ……。
 あぁー。すごく嫌な予感がビシバシとする。
 とりあえず『報告』だ。
 すべての内容が届く距離ではないので、緊急事態である旨と念話で状況を説明することを伝える。
『報告』は距離や魔力によって伝えられる文字数に制限がかかる。
 近距離では、長文を伝えることができるが、長距離になると途端に文字数が少なくなる。
 あまり魔力も使いたくないので、現状を伝え、彼らに伝言役となってもらおう。
『報告』が終わり、夜に念話することで話がついた。
 それまでに、今夜の野営地への移動と、彼らへの説明も必要だ。
 二度目の失踪だけど、今回は『報告』『移動』などの魔法が使用できる状況なので、そう大事にはならないだろうと、思っている。
 前回は、情報がなく屋敷内が騒然として大変だったと聞いた。
 ほんと、愛されてるよね。
 今回は、他国での失踪だが、背景が背景なだけに、本国には連絡が入らないはず。
 ユリウス王太子殿下は、そのへんの判断ができる人だ。あの殿下とは違うのだ。
 さてと、まずは移動かな。
 涙が止まったヨハンを促し、『地図』に登録した寝床候補へ俺たちは足を進めた。