俺とディアーナは、一行から離れ、王城の奥にあるこぢんまりした部屋へ案内された。
 その部屋は、内側に魔法陣が張り巡らされ、おびただしい魔力が充満していた。
 しかも、外側から魔力感知されない仕様となっている。
 これはすごい。
 術者の技術もさることながら、この部屋自体になにかありそうだ。
 俺が感心して部屋の中を見ていると、扉が開く音がした。
 颯爽と現れた殿下は、脇目も振らずディアーナを抱擁し、頬に口づけを落とした。
 その行動を目撃した俺は、殿下からアル兄さんと同じ匂いを感じた。

「待たせたね」
「マティアスお兄様、お久し振りです」
「ディ、元気にしてたかい? 母上も会いたがっていたが、許可が下りなくてね。すまないね」
「いえ、わかっております。一時でも反乱の汚名がかかった者が、王妃に会うことはできません。お母様には、わたくしは元気に楽しく過ごしておりますと、お伝えください」
「元気に楽しくか……。ディ、今幸せかい?」
「はい。ジークベルト様の婚約者となり、わたくしは幸せです。お兄様、わたくしの婚約にご尽力いただき、ありがとうございます」
「かわいい妹のお願いだったからね。それにディを守るには婚約しかなかった。なんの力もない兄で申し訳ないね」
「いいえ、いいえ、お兄様……」

 その謝罪に、ディアーナは首を何度も横に振り、殿下の服をギュッと握った。
 殿下は、彼女を強く抱きしめなおすと、その頭を優しくなで、そっと放した。
 そして、ジークベルトのほうへ体を向けて、一歩距離を詰めた。
 俺は、予想よりもはるかに早い殿下の行動に、大きく目を開く。
 あれ? もういいの? あっさりすぎない?
 アル兄さんなら、抱擁したまま数十分は放してくれないよ。
 その間にじっくり部屋を観察する予定だったのに……。
 俺が読み違えるとは……。
 はっ! うわぁー。俺、過保護兄姉に染まりつつある。
 そんなはずは……ないと信じたい。
 自己嫌悪に陥って落胆している俺に、殿下は訝しげな表情を見せるがすぐに改めると、俺に向かって手を差し出してきた。

「挨拶が遅れてすまない。ディアーナの兄のマティアスだ」
「ジークベルト・フォン・アーベルです」

 殿下にならい簡易的な挨拶をした俺はその手に自分の手を重ねる。
 非公式であっても本来なら最上級の敬意で挨拶をするのが礼儀だが、殿下の気持ちをくみ取った。
 俺の対応に、殿下は満足そうにうなずいた。

「ジークベルト殿、どうか妹を頼む」

 殿下はそう言ったあと俺の返答を聞く間もなく、緊迫した雰囲気を醸しだし、真顔で俺を見る。

「ジークベルト殿、もう察しがついていると思うが、近々この国は荒れる」
「お兄様!」
「ディ、心配するな。この部屋の防犯は、陛下の寝室並だ。事前に信を置いている者に手配し強化もしてある。盗聴の恐れはない。だから心配無用だ。あまり時間がない。ジークベルト殿に頼みがある」

 殿下の力強く真剣な眼差しを受けて、俺は緊張からゴクリと喉を鳴らす。
 目を閉じ、気持ちを落ち着かせてから、彼の目を見る。

「はい。なんでしょう」
「この国を捨て置いてほしい」
「っ、私にはそのような権限はありません」
「貴殿は『アーベル家の至宝』だ。貴殿が望めば、アーベル家が動く。世界もそれに準ずる」
「殿下のおっしゃっている意味がわかりません」
「今はそれでいい。貴殿がエスタニア王国を捨て置きさえすれば、この国は自然と滅亡へ進んでいくだろう。私はこの国の王太子だが、成人していない。後見人筆頭であったバルシュミーデ伯爵は、こたびの反乱で責を取らされた」

 彼は一旦言葉を切ると覚悟を決めた顔で告げる。

「陛下が逝去すれば、兄上たちと王位を争うことになる。今は宰相が、トビアス兄上を抑えてはいるが、時間の問題だ。背後のビーガー侯爵も動きだしている。ディアーナは、婚約はしたが、降嫁したわけではない。王位継承権がまだある。反乱の首謀者は、いまだ不明だ。ディアーナを旗にする者も出てくるだろう。君たちを巻き込みたくはない。武道大会終了後、すぐに自国へ戻ってほしい」

 一方的な言い分に、俺は唖然としてうまい言葉が出てこない。
 すると、それまで静観していたディアーナが、怒りに体を震わせ、殿下に詰め寄った。

「お兄様……民を、民をお捨てになるのですか!」
「ディアーナ、私はこの国の膿を出しきる。王家の腐敗は、もう手遅れだ。重鎮たちもほぼ染まっている。民を捨てるつもりはない。だが、新しい国として生まれ変わるには、多少の犠牲はやむをえない。私には今力がない。兄上に王位が移っても、他国の支援がなければ長くはない。長い戦いとなるがその覚悟はある」

 殿下はディアーナの怒りを表面上受け入れながら、なだめるように話すが、その方針は変わらないと暗に伝える。
 その話に『それは偽善だ』と、俺は心で叫ぶが、彼に伝えることはしなかった。
 殿下はまだ代々王にのみ引き継がれる古の契約、『王家の真実』を知らないのだ。
 これは困ったことになった。
 陛下の状態は、思っている以上にとても悪いのだろう。
 古の契約が破棄されることはない。ただ宿い主を間違えれば、国が消えてしまう。
 あぁ、本当に厄介なことになったかもしれない。
 俺は純粋に武道大会を楽しみたいだけだったのにぃ……。
 俺が苦渋に思案している中でも、殿下の話は続いていた。

「ディアーナ、トビアス兄上もそうだが、エリーアス兄上には、くれぐれも注意するんだ。エリーアス兄上は、表には出てこないが、着実に支持者を集めている。有力者がうしろ盾についたとの情報もある」
「お兄様……」
「ディ、そのように訴えてもダメだ。私の意志は変わらない。ジークベルト殿、ディアーナを頼みましたよ」

 殿下はそう言って一方的に会話を終了すると、足早に部屋から出ていった。
 俺とふたり、去る背中を無言で見つめる。
 ディアーナは、その手のひらに爪が食い込むほど強く、拳を握っていた。
 その手を労わるように、俺が拳に手を重ねると、彼女が泣きそうな顔して、俺を見上げた。
 金の瞳が、さまようように揺れている。

 性質は違うが、殿下とトビアスは兄弟だ。
 ある意味、同じ帝王学を学んだのだとわかる。
 王位継承権のあるディアーナが、臣下たちに軽視されている理由は、彼ら兄弟が原因であることがわかる。
 いくら男尊女卑思想が根強くても、彼女の意見も聞かないで、一方的に話を決めるなんて横暴すぎる。
 普段から彼女が意見を述べる機会はなかったのだろうと確信した。
 殿下は、無意識の己の行いが、妹を苦しめているなんて思ってもいないだろう。
 あぁー、一番面倒なタイプだ。
 いっときでもアル兄さんと同じだと思った自分が情けない。
 アル兄さんは、極度のブラコンだけど、俺を精神的に追いつめたりはしない。
 適度な距離を保ちつつも、常に俺の最善を考えて行動してくれる。
 超絶に甘いのだ。
 たまーに、暴走するけどね。
 ディアーナは何度も口を開こうとするが、そのたびに言葉をのみ込んでいる。
 その仕草に彼女の心の葛藤が見える。
 俺はただ彼女の答えを待った。

「……ジークベルト様、ここでのお話、マティアス王太子殿下との会話は忘れてください」
「わかった」

 俺の返事に、つないだ手が震えた。
 うつむきながら耐える姿はとても悲壮で、思わず手を貸したくなるが思いとどまった。
 ディアーナは殿下を兄とは呼ばず、王太子殿下と呼んだことで、彼女が国の方針を受け入れたことがわかった。
 だけど……きっと、俺の答えにかすかな希望を見ていたのだと思う。
 ごめん。
 俺は君の求める答えは返せない。
 俺にその覚悟はない。
 しばらくして、ディアーナがうつむいた顔を上げ、痛々しげに笑った。
 理不尽な痛みに耐え、笑ったその顔を生涯忘れないと、心に刻んだ。
 今俺にできるのは、屈託のないディアーナの笑顔を守ることだけだ。

「ディア、俺は、どんなことがあっても、君のそばにいる」

 その頬に手をあて、浮かべた涙をすくい取る。
「ジークベルト様っ」と、胸に飛び込んできた彼女を抱きとめた。
 本当は『助けて』と、叫びたいだろう。
 それを彼女が口にすることは決してない。
 この小さな体は、どれほどの重圧をかかえ、苦しんでいるのか。
 想像に難くない。
 痛みを分け合うように、俺たちは強く抱きしめ合った。


 ***


 翌日。俺は今後のエスタニア王国について考えていた。
 内戦の回避は難しい。だけど最小限の被害に抑えることはできるかもしれない。
 だいぶ曖昧な答えだが、今はこうとしか言えない。
 たくさんの人の命がかかっている以上、慎重にことを進める必要があるし、失敗はできない。
 俺の受け皿は小さいが、目の前の大切な人の愁いを少しでも晴らすように努力はできる。
 まずは、事前準備と協力者の確保が必須だ。
 この短期間でエスタニア王国の協力者を見極めること、最難関ではある。
 協力者が見つからなければ、この話は頓挫する。
 協力者として最適だった伯爵は、権力の中枢から離れてしまった。
 エトムント殿も、その影響で下手に動けないだろう。
 そうなると、外部の人間となる。まだ会えぬ人なのか、もう会った人のなのか。これは俺の幸運にかけるしかない。
 あと……。これとは別件で、ディアーナに伝えることもある。
 俺は彼女の知りたい答えを持っている。今それを伝えれば、彼女は必ず行動に移すだろう。
 内乱を止めるために、矢面に立つ彼女が想像できる。
 時期尚早。冷静に考えれば、浅はかな行動だと気づくが、今の彼女にその余裕はない。
 ディアーナには、王の器がある。
 生まれながらにして所持しているそれに、彼女も誰も気づいてはいない。
 そもそも『覚醒』していないから、ステータスに表示されない状況ではある。
 現状、俺の『鑑定眼』だけが、見える内容だ。
 うーん……。話すタイミング逃したよなぁ。



『──伯の倅に渡しました』
『そのまま次の作戦を遂行しろ』
『御意』

 マントを目深に被った男は、深く敬礼してその場から消える。
 残された者のその手には、真黒く濁った石が握られていた。


 ***


 談話室では、昨日の王城の謁見話から、話に花が咲いていた。
 いつの間に途中参加したのか、ヴィリー叔父さんの姿もあった。

「閣下」
「アーベル伯、私は姫様の護衛を依頼されたただの冒険者パルです」
「あっ、そういった設定ですか。ではパル殿。そのマントは、なかなかのものですね」

 叔父はあっさりその設定をのみ込むと、パルの羽織っているマントに注目した。
 えー、ヴィリー叔父さん。そこは突っ込もうよ。
 護衛が姫様呼びは馴れ馴れしいのではとか、他にも色々あるでしょ。
 話を膨らます気が、そもそも興味がないんですね。

「これは姫様からお借りしているもので、裏迷宮の到達ボーナスでしたかな」
「えぇ、そうです。ジークベルト様たちと踏破したアン・フェンガーの迷宮の裏迷宮の到達ボーナスです」

 パルの問いかけに、ディアーナがうなずき、補足すると、叔父が興味深そうに目を見開く。

「へぇー。裏迷宮の到達ボーナスですか。これはまた興味を引く品ですね。認識阻害と解除。両方を持ち合わせているのは、素晴らしい。ますますエスタニア王国の迷宮に行くのが楽しみですね」
「我が国の迷宮に行かれるのか。はてあそこは、古い迷宮ではありますが、冒険者が寄りつかない、実りがほぼない迷宮と聞いてますがな」
「えぇ、表ではなく裏へね、行く予定なんですよ。ねぇ、ジーク」

 話題を振られ「はい」と、渋々答える。
 エスタニア王国入りする前に、俺は叔父とある約束を交わしたのだ。
 テオ兄さんから裏迷宮の報告を受けた叔父は、すぐにでも迷宮に潜ろうとした。
 しかし周りがそれを許さなかった。
 目前に迫ったエスタニア王国入りには、どうしても叔父の『移動魔法』が必要だったからだ。
 そこで打開策として提案されたのが、エスタニア王国の迷宮だった。
 アル兄さんがどこからか調べてきたのか『我が国の迷宮はいつでも潜れますが、他国の迷宮に潜る機会はそうそうないのでは? エスタニア王国の迷宮はとても古いとのことですし、調べるには古い迷宮のほうが、なにかヒントがあるかもしれませんよ』と、説得し、叔父はそれを条件付きで受け入れた。
 その条件が、俺の同行だ。
 初めは関わりたくなくて、拒否した。
 しかし叔父が俺の耳もとで『聖獣』と、ささやいたことに戦慄を覚えた。
 あのおしゃべり精霊め!
 あれほど内緒だと言ったのに!
 当分プリンはなしだ!
 叔父と取引をした結果、俺たちの秘密を漏らさない代わりに、泣く泣く同行を受け入れたのだった。

「ほぉー。それはぜひとも参加したいですな」
「残念ですが、パル殿は、ディアーナ様の護衛。ディアーナ様は、今回の迷宮には、参加しません」
「むぅ。そうなのですか……。それは残念ですな」

 パルはそう言って、何度もディアーナを窺い見るが、ディアーナはその度に頭を横に振る。
 諦め悪いよパル。
 ディアーナは、裏迷宮の話が出た際に、同行を拒否している。なにか思うところがあるようだ。
 それに加えて、昨日の殿下の警告もあるし、そうそうに国を出ると思う。
 隣に座るディアーナを見ると、困ったような表情を浮かべていた。
 やはり元気がないようだが、昨日の空元気よりは幾分ましだ。

「姫さまからはなれろ! ジークベルト!」

 突然、頭上から幼い声が聞こえると、ソファの上に小さな体が落ちてくる。
 やんちゃなこの少年は、エトムント殿の息子ヨハン君、四歳だ。
 俺とディアーナの間に収まったヨハンは、グイグイと俺を押す。少しでもディアーナから俺を遠ざけたいようだ。
 ふっ、無駄なあがきである。

「ヨハン! お行儀が悪い。姫様、ジークベルト殿、申し訳ございません」
「とうさまっ……」

 エトムント殿が、ヨハンを叱咤して、その行動に頭を下げる。そんな父親の姿を見たヨハンが悲壮感漂う顔で、こんなはずではなかったと体を縮めた。
 微妙な空気が流れる。
 それを変えるように叔父が、笑いながら話題を振った。

「元気があっていいね。アルの昔を見ているようだ」
「ほぉ、あのアルベルト殿がですか、今の姿では考えられませんな。では、ヨハンも大物になる可能性はあるということですな。はははっ」
「そうですね。将来が楽しみですね。パル殿」
「父上、ヨハンの行動を正す発言はやめてください。アーベル伯も父上に乗らないでください」

 エトムント殿に、怒られた大人たちは、肩をすくめながらも反省はしていない。
 とても生真面目な人だ。
 本当にパルの息子?
 パルの行動に一番気苦労しているのは、この人なんだろうなと思い、心の中で合掌する。
 大人たちの会話を聞いて、縮こまった体が息を吹き返す。ヨハンが、俺を睨みながら本来の目的を遂行する。

「ぼくは、お前が姫さまの婚約者だなんて認めないぞ。姫さまは、ぼくがお嫁さんにもらうんだ」
「ほお、ヨハンは姫様を嫁にもらう気だったのか。それは愉快だな」
「おじいさまは、姫さまの騎士でしょ。なぜこんな奴を婚約者にしたのですか」

 ピシッと指をさされ、俺は苦笑いをする。
 初対面から俺をライバルと認識したヨハンは、お客様扱いではなく、対等だと思ったようだ。顔を合わすたびに「認めないぞ」と、突っかかってくる。
 本人は至って本気なのだが、はたから見ると、かわいいだけなんだよね。
 ヨハンの態度に、エトムント殿が注意しようと動くが、それをパルが遮る。

「それは強者だからだな」
「こんな女みたいな奴が、強いはずがない。おじいさまはだまされているんだ」
「残念だがヨハン。姫様も、わしも、ジークベルト殿に命を救ってもらった。それにジークベルト殿は、エトムントより強いぞ」
「うっ、うそだ! とうさまより、強いはずがない! おじいさま、うそはダメなんだぞ」

 ヨハンは、衝撃を受けた様子で動揺する。
 そんなヨハンを見てパルがおもしろそうに笑い、エトムント殿に同意を求めた。

「嘘ではないぞ。なぁエトムント」
「父上、ヨハンで遊ぶのは、控えてください。後々大変なんですから……」
「とうさま! とうさまがジークベルトより弱いなんてないよね! ねっ!」
「ヨハン。父上の戦闘能力の評価に嘘はない。総合的に考えてジークベルト殿のほうが、戦闘能力が上なのだろう。だが私も武人だ。自分で力量を把握していない相手より下だと評価されれば、納得いかない」

 エトムント殿、温和に見えて実は熱血さんでしたか。やはり血は争えませんね。
 はっはは。雲行きが大変怪しくなってきた。
 逃げ道を探ろうと考えていると、エトムント殿と目が合った。
 あっ、やばい!

「ジークベルト殿、よければ軽く一戦交えませんか」
「バルシュミーデ伯、ありがたい申し──」
「よし! そうとなれば早速裏庭にまいりましょう!」

 どんだけ短気!? 俺の言葉を途中で遮って、勝手に了承を得たと思ってるし、いや断る予定なんですが……。
 えっ、もう部屋を出ている。
 あっ、いつの間にかヨハン君もいない。
 常識人だと思っていたけど、素早い動きに開いた口が塞がらない。

「ジーク、おもしろいことになったね」
「ヴィリー叔父さん、代わりに一戦してください」
「それは無理な話だよ。ねぇパル殿」
「そうですぞ。ジークベルト殿、あぁなったエトムントは、わしでも止められません」
「パル、わざと煽りましたね」
「ん? なんのことですかな?」

 俺のジト目にパルは顔を横に傾ける。
 ツルピカの強面おっさんがとぼけても、まったくもってかわいくない。気色悪いだけだから!
 まじでありえない……。
 心の中で悪態をついていると、隣から笑い声が漏れる。

「うふふ。ジークベルト様、エトは、あぁ見えて、一度言い出したら、納得するまであきらめないんです。お付き合いしてあげてください」
「ディアの頼みなら、しかたないなぁ」

 ディアーナが自然と笑っていた。
 その笑顔に、俺は重い腰を上げるのだった。



 裏庭に全員が集まると、ヴィリー叔父さんが発言する。

「ジーク、この一戦での攻撃魔法はなしだ。バルシュミーデ伯もいいですね」
「いえ、攻撃魔法ありの全力でお願いしたい」
「エトムント、アーベル伯の提案を受け入れろ」
「父上しかし──」

 エトムント殿の反論する声を遮って、パルが真顔で言い放つ。

「瞬殺だぞ。ジークベルト殿に攻撃魔法を使用されてみろ、それこそ剣を合わせる前に終了だ」
「……そこまでなのですか」
「お前、ヨハンにわしの戦闘能力の評価は間違いないと言ったな。ここで断言してやろう。総合力だけで言えば、この場で一番の強者は、アーベル伯、次点でジークベルト殿だ。わしやお前など、足もとにも及ばんわ」
「……っ」
「おっ、おじいさま?」

 その言葉に絶句するエトムント殿。ヨハンは、信じられないものを見る目で、祖父を凝視している。
 そのふたりの表情を見て、パルがニヤリと笑う。

「だが、攻撃魔法なしで、補助魔法のみであれば、お前にも勝機はある」

 うわぁー。息子を煽ってるよ。この親父。
 それに俺の評価、高すぎるでしょ。
 プレッシャー半端ないんですが……、期待された分はかえさないと。
 たしかに、攻撃魔法を中心に戦えば、負けない自信はある。
 純粋に剣だけの手合せなら、体格差や経験値、熟練度を考えると、エトムント殿が圧勝するだろう。
 だけど、身体能力を上げる補助魔法を使用すれば、互角、いや俺が勝てる可能性が高い。
 パルは存外に、補助魔法のみでも勝てないが、隙をつくれば勝てると言っているのだ。
 それにしても、息子に発破をかける親って、どうなのだろう。
 この場合、有効なのか?
 はて?
 ん? 俺相当やばくない?
 しばらくして、エトムント殿の俺を見る顔つきが変わる。
 鋭く俺を見据えると「攻撃魔法はなしの全力で、お願いしたい」と、頭を下げる。
 その思ってもいない行動に、俺が慌てた。

「バルシュミーデ伯、頭を上げてください。軽く一戦を交えるだけですよね」
「軽くではなく、攻撃魔法なしのジークベルト殿の本気をお願いしたい」

 エトムント殿は、そう言って再び頭を下げる。
 その様子に、ヨハンが「とうさま」と、困惑を隠せないでいた。
 ヨハン、その気持ちわかるぞ。俺もだよ。
 エトムント殿もわざわざ頭を下げる必要ないでしょ。
 生真面目すぎるんですよ。
 そこは、お互い攻撃魔法なしで、最善を尽くしましょう。とか、言いようがあるでしょうよ。
 この微妙な空気どうするの。
 俺が対応に困っていると、叔父から助け舟が入る。

「バルシュミーデ伯、ジークが困っているので、頭を上げてください」
「しかし、私は、ジークベルト殿のことを侮っていました。誠意を見せるのは、あたり前のことです」
「大丈夫ですよ。そのあたりジークは、きちんとわきまえていますので、安心してください。さぁ親善試合を始めましょう」
「親善試合ですか」
「えぇ、親善試合です。ジークベルトもいいね」
「はい」

 軽く一戦が、非公式での国の親善試合になったよ。
 今回の叔父の肩書は、マンジェスタ王国の副代表だ。
 叔父の発言には、効力がある。
 たぶん、エトムント殿を納得させるための発言なので、気にはしない。
 もともと本気で戦うつもりだったし、手加減なんて大それた考えは毛頭ない。
 なにより剣を交えれば、相手が加減しているかどうかなどすぐにわかるのだ。
 なんだかんだ言って、俺も環境に染まってしまった。
 剣を交えるのを楽しみにしている自分に笑ってしまう。

「ではこれより、ジークベルトとバルシュミーデ伯の親善試合を行う。ルールは簡単。攻撃魔法なしの一本勝負。どちらかが降参、戦意喪失をした時点で、勝敗は決する。ただし、私が危険だと判断すれば、途中で試合を止める。両者いいね」
「「はい」」
「それでは、始め!」

 叔父の号令と同時に、俺は『倍速』『守り』『強化』を展開する。
 素早くエトムント殿との距離を縮め、まずは小手試しのひと振り。キンッと、小高い金属音が響く。
 くっ、さすが、剣が重い。
 ……まっ、まずい……つっ。
 エトムント殿が、すかさず身長差を生かし、剣を合わせたまま体重をかけてくる。
 圧がハンパない。
 くっ、このままだと、押し負ける。
 どうする。いったん引いて、体勢を立てなおすしかないが、この優位な状況でエトムント殿が、やすやすと引いてくれるはずはない。
 だが、剣を押しつつ、うしろに引くしかない。
 そうだ!

『沈下』
「!」

 ふー。焦った。
 危ない、危ない。
 序盤だからと油断した。

 状況を説明すると、エトムント殿の足もとにある土を沈め、慌てたエトムント殿が、剣を引き後退した。
 これは攻撃魔法ではないから、ルール上、問題はない。
 んー。フィールドを変更してみるか。
『沈下』『隆起』を使い、数十秒で裏庭を高低差のあるフィールドへ変える。
 俺のこの奇妙な行動に、エトムント殿は動けないでいた。
 魔法能力の高さと、一刀目で把握した剣の技量を踏まえ、警戒している。だが、勝機が見えていたはずだ。
 先ほど剣を合わせた結果、このまま戦えば、ジリ貧で俺の負けが確定してしまうからだ。
 魔法で『強化』したにもかかわらず、五分どころか押し負けていた。パッシブスキルの身体強化も効いているのにだ。
 過信していた。
 魔法で強化できても、もとが発展途上の子供の体なのだ。
 強化にも限度があるのだ。
 そこで思いついたのが、速さと身を隠せるフィルードだ。
 小さな体を生かし、奇襲をかける。体力は消耗するが、エトムント殿の精神負荷は、相当なものだ。
 もちろん気配察知されないよう、うまく『隠蔽』を使用する。
 これでどこから攻撃されるかわからない状況だ。
 なかなかの作戦だと思う。
 何度目かの奇襲で、相手の懐に入る隙が生まれた。だが、あと数センチのところでかわされる。
 俺はザッーと、うしろに下がり、エトムント殿の動向をうかがう。

「なかなかやりますね。気配が掴めない。これでは私がもたない」
「負けを認めますか」
「まさか! このような機会はそうそうない! 己を高める絶好のチャンスだ! これで私もまた成長できる!」

 あっ、変なスイッチ押したかも……。
 エトムント殿の目が大きく見開かれ、口から「フフフフフ……」との声が漏れる。
 精神が削られる現状をあきらかに喜んでいる。
 うわぁー。エトムント殿って、マゾか。この表情、教育的にもヨハンに見せていい表情なのか。
 いやダメなやつだと思う……。
 ハッと、ヨハンたちの位置を確認して、安堵する。
 ヨハンたちからは、エトムント殿の背中しか見えない。
 高低差のあるフィールドへ変更した際、叔父が気を利かして観覧席をフィールドよりも高くしたため、全体が見渡せるのだ。
 この表情を子供に特に父親を尊敬しているヨハンに見せないでよかったと油断していると、すぐ横から剣圧が飛んできた。
「あぶなっ」と、ギリギリのところで回避する。
 いらぬ心配をした隙に、攻撃を受けた。
 俺の代わりに剣圧を受けた土壁は、斜め横に切断され、ズッズッズと、上が落ちた。
 えっ、あれ、まともに受けたら死にますが……。
 ぶるっと身震いし、攻撃したエトムント殿を確認するが、そこにはいない。
「しまった! 上かっ」と、声をあげた時には、剣が俺の頭上めがけて振り下ろされていた。
 間一髪、『倍速』で避ける。
 ドスンと、先ほどまで俺がいた場所は、直径一メートルほどの穴があいていた。
 えっ、あれ、デジャブ?
 死ぬよ俺!
 これ親善試合だよね。

「これも避けるか……フフフ。なかなかしぶとい。さていつまで避けれるか」

 その宣言から始まった剣圧の嵐。
 せっかくつくった高低差のフィールドが跡形もない。怒濤の攻撃で、ふたりとも、息が荒い。
 ただやはり武人。攻撃力が回を増すごとに上がっている。
 そろそろ決着をつけないと、俺自身の身が危ない。
『守り』を展開しているので、攻撃は死守できているが、なんだかそれも、エトムント殿に突破されそうなのだ。
 ここで仕掛けないと、負ける。
 俺の直感がそう言っている。
 顔の横を剣圧が飛ぶ。
 考えている間にも攻撃の手はやまない。
 俺も慣れたもので、剣圧の動きに体が自然と反応し、軽々と避けるようになった。
 それに気づいたエトムント殿は、剣圧の速さと攻撃力を高めていく。それを俺が軽々と避ける。
 さらに──と、もう悪循環だ。もちろん俺が避けた先は、土壁だったものの残骸だ。
 俺が、あぁなった可能性はある。
 決着をつけよう。
 俺は魔力循環に集中する。
 黒い剣に、おびただしい量の魔力を注ぐ。
 まだいける。まだだ。
 黒い剣が、赤黒く光りだす。まだだ。まだお前の限界はそこじゃない。
 エトムント殿の息をのむ声が聞こえた。

「バルシュミーデ伯、決着をつけましょう」

 そう言った俺の手には、俺の全魔力を注いだ赤黒く光る黒い剣が、不気味に光っている。
「えぇ」と、エトムント殿は、受けの姿勢で構える。
 俺はひとつうなずき、今できる最大限で、エトムント殿に向かい剣を振る。
 それを全身で受けとめようと剣で支えるが、真っぷたつに剣が折れ、防御魔法の障壁も割れ、黒い剣がエトムント殿の体につく寸前で止めた。だが、勢いのついた剣圧は、エトムント殿の体を切り裂く……直前で、二重いや三重の『守り』が展開されていた。
 叔父の『守り』だ。

「そこまで! 勝者ジークベルト!!」

 叔父の声が響き渡る。
 終わった。
 勝てた。勝利を噛みしめる。

「最後の一刀は、手出しできない。完敗だ。ジークベルト殿は強い」
「いえ、今回はたまたまです。一時はどうなるかと……」

 健闘をたたえ合いながら、お互いに握手を交わす。
 そこに叔父たちが、近づいてくる。

「ジーク、最後の一刀はすさまじかったね。剣を折った上に、防御魔法を三枚壊した威力はすごいね」
「ヴィリー叔父さん『守り』ありがとうございました」
「親善試合で、怪我人が出る事態になれば、私の責任だからね。でも保険をかけておいてよかったよ。判断を誤れば取り返しのつかないことになったからね。で、あれは、剣にジークの魔力を注いだだけなんだね」
「はい。魔法剣は、攻撃魔法と判断しました。序盤で、バルシュミーデ伯との力量差がわかり、精神攻撃へ戦略を変えたのですが、あの通りの結果となったので、どうしたものかと考えていた時に思いついたんです。剣に魔力を注げば、体と同じく攻撃力が増すのではないかと」
「普通の剣なら、魔力に耐えきれず折れるだろうけど、その剣は特別だからね」

 俺の説明に叔父は納得したかのようにうなずく。
 横にいたパルも「試合中に思いつくとは、さすがジークベルト殿ですな」と称賛する。
 だけど、ヴィリー叔父さん、パル、俺は忘れませんからね。
 試合中、エトムント殿の殺気を間近で察した俺は、ふたりへ必死に合図していた。
 それにもかかわらず、無視しましたね。
 危険と判断したら止めるって言いましたよね。
 覚えていろよ。狸親父ども。

「お、おれは、みとめない! こんなの……。お前、ずるしたんだ!」

 ヨハンの叫び声が、裏庭に響く。
 ヨハンはひどく動揺しているようで、普段の呼称に変わり、その場で地団駄を踏むと、ブルブルと肩を震わせ、涙を浮かべて癇癪を起している姿が目に入る。
 尊敬する父親の負けを認めたくないのだろう。
 その姿に妙に納得する俺がいた。
 そうだよな。四歳児の反応ってこれがあたり前だよな。
 俺の周りは、ほぼ大人であり、子供であるはずのディアーナも、精神年齢が高い。
 俺はもともとアドバンテージがあるので除外だが、そうなると見た目と精神が合致するヨハンが、新鮮に見えるのはしかたがないことだ。
 俺がその様子を傍観していると、ヨハンから魔力があふれ出している。
 これは感情の起伏に、魔力が反応しているようだ。
 魔力制御が上手にできない子供には、たびたび起こる現象だ。
 それといって珍しいことではない。
 ヨハンは、ひと通り暴れるとらちが明かないと悟ったのか、荒くれた感情のまま屋敷に向かい走りだした。
『今彼をひとりにしてはまずい』と、頭の中で警戒音が鳴り響いた。俺は慌ててヨハンを追いかける。
 俺が追っていることに気づいたヨハンは立ち止まり、俺に指をさして警告する。

「ついてくるな! とうさまに勝てたのは、たまたまなんだからな。おれだって、大きくなれば、お前なんか倒せるんだっ!」

 その手には『移動石』が、握られていた。
 なぜここに、それが! まずい!
 ヨハンは感情が制御できず、魔力が暴走している。このままだと『移動石』が、発動されてしまう。

「ヨッ、ヨハン君、落ち着こう。うん、今回はたまたま俺が、勝ったんだ」
「うるさい! うるさいぞっ!! あたり前だ。とうさまが、お前なんかに負けるはずないんだ!」

 火に油を注ぐとは、こういった場面のことを表すのだろう。
 ヨハンは、さらに魔力を暴走させた。
『移動石』が発動する魔力の限界を超え、辺り一面、光に包まれた。



『状況は?』
『はっ。バルシュミーデ伯爵家から膨大な魔力を感知しました』
『『移動石』がうまく働いたようだな。やつらはしばらく動けないだろう。次の作戦に移行する』
『はっ』

 マントの男が指示を出すと、周囲から人の気配が消える。
 ひとり残った男が妖しく微笑む。

『はやく会いたいよ『赤の魔術師』』

 狂気じみたその声は暗闇の中に消えた。


 ***


 目を開けると、深い森の中にいた。
 夢だったとかのオチではない。また巻き込まれたようだ。
『苦労人』仕事しすぎじゃないか。まぁ今回は、巻き込まれてよかったと思う。
 ヨハンひとりでは、この森からの脱出は難しいだろう。
 現在地を確認するため、『地図』を起動し、ここが『はじまりの森』であること、エスタニアの王都からだいぶ離れた場所であることを把握する。
 そして、予め登録していたヨハンの位置情報が近くにあり安堵した。
 前回の転移事件とは違い、体の接触がない状況での強制移動だったため、俺とヨハンの座標がずれたようだ。
 これで全然違う場所に飛ばされていたらしゃれにならない。
 一歩間違えれば、死につながる世界なのだ。
 ほんと近くでよかったよ。
 魔物の気配がないため、のほほんと構えていると、「うわぁーー」と、ヨハンの叫び声が聞こえた。
 瞬時に『倍速』で、ヨハンの場所まで移動すると、ヨハンは紫の煙に包まれていた。
 これは、あまりよろしくない展開だ。
 少し油断してしまった。反省。
『微風』で、ヨハンの周囲を包んでいる紫の煙を一掃する。
 そのままヨハンを引っ張り、紫の煙のもとから遠ざけた。
 この紫の煙は、感覚器官を麻痺させる作用がある。だいぶ煙を吸い込んだ様子のヨハンに『正常』をかけ、声をかけた。

「大丈夫かい?」
「うっ……うーん」

 まだ混沌としているようだ。
 ステータス異常は見受けられないので、あとは本人の意識がはっきりするのを待つとしよう。
 その間に、紫の煙のもとを確認する。
 いまだ紫の煙を周囲にまいているそれは有毒植物に分類され、別名『幻影死草』と呼ばれる。
 木々に寄生する幻影死草は、獲物を捕獲するまではその姿を現さない。
 だが今回は、ヨハンを捕獲するために本体が出ていた。幹の間から紫色の触手のような物が伸びており、その本体はラフレシアの形に似ていた。
 これ植物なのか?
 クネクネと動く触手に、不気味さが増す。
 捕まえた獲物の感覚器官を麻痺して咀嚼する肉食なのだ。
 知能も高いが、魔物に分類されない。
 ヘルプ機能いわく、有毒植物は、魔石がないので魔物ではないとのこと。
 魔物や魔獣は、体内に魔石があるそうだ。
 なぜ伝聞なのか。
 その事実を今さっき俺が知ったからだ。
 普段から魔物の解体は全部、テオ兄さんたちが処理してくれた。
 俺個人がレベルアップのために仕留めた魔物は『収納』にほぼ放置している。
 いやだってさ、今の年齢で売りに行けば目立つし、テオ兄さんたちに頼むと、抜け出しているのがばれるだろう。
 まぁバレてはいるけどさ。
 見て見ぬふりをしてくれているのに、そこで仕留めた魔物をお願いするのは、筋違いだろう。
 それに俺の『収納』は、時間停止機能があるので、仕留めた魔物をそのまま維持できる。
 冒険者になってから売る予定なのだ。
 ちなみにダンジョンや迷宮では、魔物はドロップ品に変わるため、魔石は出ない。
 まさに異世界ファンタジー。
 話がかなり脱線している間に、触手が増え、ウニョウニョと活発に動いていた。
 うわぁー気持ち悪い。近づきたくない。
 おそらく獲物であるヨハンが射程圏内からはずれ、逃げたことで辺りを警戒しているのだろう。
 視覚はなく嗅覚で動いているとしてもすごいな。
 さて本体も確認できたし、排除しますか。
 寄生している木を燃やさないよう制御して『灯火』を使うと、それは跡形もなく消えた。
 任務完了!
 あとは『地図』で、有毒植物の分布を確認する。この森全体に点在しているようだ。
 ヨハンもいるし、面倒だけど接触しないで動くとするか。
 今日の寝床候補も確認して『地図』に印をつける。そのまま視界の隅に『地図』を配置して、意識がはっきりした様子のヨハンのもとへ戻る。

「ヨハン君、気づいたんだね」
「ジーク、ベルト……なんで?」
「これ何本に見える?」

 有無を言わせずヨハンの前に指を突き立てる。

「えっ、二本」
「じゃ、これは?」
「四本」
「うん。後遺症はないようだね。よかった」
「助けてくれたのか、ありがとう。ジークベルト」

 モジモジと頬を赤くさせ、うつむきながらも感謝するヨハンに『これがデレか! ツンはどこだ!? そもそもツンデレとはなんだーー』と、心で絶叫する俺がいた。
 ヨハンの純粋な感謝にテンションが上がり『デレだ。デレがきた!』と思ったが、実はツンデレが、よくわからない。だが、この状態はデレのはずだと、俺ルールを決めた。
 ディアーナに憧れて、俺に突っかかってきた時も、かわいかったが、このモジモジ加減もいい!
 やはり小さい子は、かわいいな。
 俺が心の中で、世間的に誤解を招く表現をガッツリしていると、ヨハンは、赤かった頬を徐々に青くさせ、心なしか震えた声で俺に問うた。

「それで、どうしておれたちは森にいるんだ。とうさまは… …? おじいさまは…… ?」
「僕たちは、『はじまりの森』に転移したようなんだ」
「『はじまりの森』? どうして? てんいするんだ?」

 ヨハンは、なぜここに転移したのか理由が思いつかないようで、至極困惑した様子で俺に投げかける。
 不安なのか、しっかりと俺のマントを握っている。

「ヨハン君が握っていた石。あれは『移動石』だったんだ」
「いどうせき? えっ? だってあれは、お守りだって……」
「誰にいつもらったのかな?」
「……っ」

 ヨハンの言葉が詰まる。
 これは、聞かれたくない理由があるようだ。
 誰かをかばっているのか?
 いや違うな。おそらくもらった状況を言いたくないのだ。
 察するに移動石は、屋敷の外でもらったのだろう。
 しかも無断で抜け出していたのだろう。
 抜け出していた事実が判明すれば、今後の抜け出しは容易ではない。
 だがこれは重要な情報なため、ごまかしを見逃すわけにはいかない。
 ごめん、ヨハン。
 心の中で謝罪しつつ、諭すようなゆっくりとした口調で、だけど拒否させない断定した言い方をする。

「ヨハン君、とても大事なことなんだ。今回の転移は、たまたま俺が巻き込まれたので難を逃れたけど、もしひとりで転移したら幻影死草の餌食になっていたんだ。とても危険なことだとわかっているね。あの石はどこで誰にいつもらったんだい?」
「ゲンエイシソウ……。きょう、ダンたちと、遊んでいた、時に、おじさんが、くれったんだ……」
「おじさん? 知っている人かい?」
「しらないおじさんっ、おれっ、たちが、遊んでたら、いいもの、あげるって……。おっ、おれ、あぶないものだとは、おもわなかった。きっ、きれいだし、キラキラしてて、お守りだって……」

 ヨハンは唇を噛みしめながらうつむいた。
 危険な物を安易にもらってしまった後悔があるのだろう。
『移動石』の実物を見たことがなければ、綺麗なガラス玉だもんな。
 お守りだと言われれば納得してしまうサイズでもある。
 だけど、ヨハンは貴族だ。
 外敵から身を守る手段を習っているはずだ……。
 あれ? もしかして、まだ習う年齢ではないのか? 
 俺は三歳の時に他者から物をもらう時の断り方を習っている。
 貴族は命を狙われることもあるので、屋敷外での直接の受け取りは原則しない。
 それを知らない民などからの品はいったん侍女が預かり、安全性を確認した後、手もとに届くのだ。
 もちろん侍女たちが近くにいない場合は、相手を傷つけないように遠回しなお断りをするか、屋敷へ持っていくよう言葉巧みにお願いする。
 なによりも贈答品は直接触らない。
 これ鉄則です。
 俺がアンナ監修の教育を思い出していると──。

 ***********************

 ご主人様、一般的な貴族は、五歳から教育が始まります。

 ***********************

 ヘルプ機能から遠慮がちに報告が入る。
 うん。そんなことだろうとわかっていたさ……。

「ほかの子も、もらったのかい?」
「うん……ジークベルト、どうしようっ!」

 小さな声でうなずくと、なにかを察したヨハンが涙を浮かべ俺を見上げながら訴える。

「ダンたちも、森の中にとぶのか? 助けないとっ! あのけむりをすうと、なにも見えなくて、音も聞こえなくて、からだも動かなくなった。だから、助けないと!」
「ダンたちは、平民なのかな?」
「ダンたちは、平民だけど、いい奴なんだ! 守るのは、おれたちきぞくのやくめだから、助けて、ジークベルト!」
「あっ、言葉のチョイスを間違えた。ごめん、ヨハン君。ダンたちが、平民なら、移動石を発動させるほどの魔力はないはずだから、大丈夫だよ」
「だいじょうぶなのか。よかった」

 ヨハンの頬から一筋の涙が流れた。
 純粋できれいな涙だ。
 ヨハンがその涙に気づき、ゴシゴシと手で目をこする。
 あー、そんなにこすると、後で赤くなるぞ。
 いらぬ心配をする俺。
 もう心情は、お兄さん状態である。
 現世では末っ子だけど、前世ではお兄さんだったからね。
 さてと、これで叔父さんに報告する内容は、集まったな。まずは石を確認してもらおう。
 おそらく、ヨハン以外の子供たちの石は、ただの石の可能性が高いが、万が一ってこともある。
 で、問題は、誰を狙っての行動だったかだ。
 ディアーナが、バルシュミーデ伯爵の屋敷に滞在していることは、周知の事実だ。
 ただ、ディアーナを狙うにしても、ひと目で『移動石』だとわかる石をヨハンに渡したところで、警戒されることは目に見えている。
 まさか……、ヨハンの魔力暴走も計画の内だった?
 だとすれば、予知スキルがあるのか!?
 ヘルプ機能、調べてほしい。

 ***********************

 固有スキルの中に、予知スキルなるものがあります。
 所持者の多くが、教会で修行した高位な僧や尼ですね

 ***********************

 うわぁー。ここにきて、宗教が絡んできたよ。
 宗教は、否定しないが、絡みだすとファンタジーでは、だいたいよくない展開になるんだよね。
 なにもなければいいけどさ……。
 あぁー。すごく嫌な予感がビシバシとする。
 とりあえず『報告』だ。
 すべての内容が届く距離ではないので、緊急事態である旨と念話で状況を説明することを伝える。
『報告』は距離や魔力によって伝えられる文字数に制限がかかる。
 近距離では、長文を伝えることができるが、長距離になると途端に文字数が少なくなる。
 あまり魔力も使いたくないので、現状を伝え、彼らに伝言役となってもらおう。
『報告』が終わり、夜に念話することで話がついた。
 それまでに、今夜の野営地への移動と、彼らへの説明も必要だ。
 二度目の失踪だけど、今回は『報告』『移動』などの魔法が使用できる状況なので、そう大事にはならないだろうと、思っている。
 前回は、情報がなく屋敷内が騒然として大変だったと聞いた。
 ほんと、愛されてるよね。
 今回は、他国での失踪だが、背景が背景なだけに、本国には連絡が入らないはず。
 ユリウス王太子殿下は、そのへんの判断ができる人だ。あの殿下とは違うのだ。
 さてと、まずは移動かな。
 涙が止まったヨハンを促し、『地図』に登録した寝床候補へ俺たちは足を進めた。



 湖の畔にある野営地に着いた俺たちは『魔テント』の中で、今後の行動についてヨハンに説明をした。

「早くて、二、三日……」

 今にも泣きそうなヨハンに俺が慌てて説明を補足する。

「ここは王都からだいぶ離れた場所なんだ。ヴィリー叔父さんの『移動魔法』を使用しても、早くて二、三日かな。遅くても武道大会が始まる前には迎えに来るよ。ここに生息する魔物であれば、僕が倒せるから、安心していいし、食料も十分ある。野外キャンプだと思って楽しもうね!」
「うん……わかった。おれ、がんばる!」

 空元気なのはわかっているが、ほんの少しヨハンの声に張りがでてきた。
 これは大丈夫そうだと安心する。
 ヨハンぐらいの年であれば、家に帰れない不安で、情緒不安定に陥り、意思疎通や行動ができない状態になってもおかしくはないだけに、空元気でも安心はする。
 まぁ不安はあるだろうけどね。
 そうヨハンに説明したが、すぐに助けがくるわけではない。
『移動魔法』は、術者が行った場所しか転移ができないという欠点がある。
 どの術者も最初は移動石で転移し、実績をつくるのだ。
 ヴィリー叔父さんも、エスタニア王国への訪問は初めてだったため、先に移動石で転移している。
 そこにきての『はじまりの森』だ。
 訪れたことがないことはわかる。
 今日の夜、念話で詳しく話し合いをするが、『はじまりの森』の近隣で、移動石の登録がある町を探すことから始まるだろう。
 移動石は、稀少でほぼ流通していない。
 ヨハンが『移動石』を『お守り』と勘違いしたのもうなずけるのだ。
 また移動石に登録のある町は、ほぼ主要都市である。
 ここから一番近い町、村の移動石を手に入れることは、困難だろう。
 そうなれば、ここから近く大きな都市が候補となる。 移動距離も考えれば、到着まで二、三日となる計算だ。
 まぁ俺が『移動魔法』を使用すれば、すぐに戻れる話なのだが、秘密にしているため、助けを待つしかない。
 いざとなれば使用するけどね。危険が迫っているわけでもないので、ここは待つの一択だ。

「ジークベルトは、いろんな魔道具をもっているんだな」
「うん?」
「これなんて、冷たくておいしい!」

 ヨハンが口にしているのは、冷えた果実のジュースだ。
 もちろん『魔冷機』が魔テントの中に備え付けてある。
 魔冷機は、魔コンロとは違い、ほぼ一般に流通していない代物だ。
 はっきり言えば、需要がないからだ。
 これには、この世界の食事情が大いに関係している。
 単調すぎる料理方法が原因なのだが、賽はすでに投げている。
 我が家の料理人たちが頑張るだろう。
 ふふふ。今後、魔冷機の需要は増えるはずだ。

「それに魔法袋も──」

 よほど嬉しかったのだろう。
 両手で大事そうに魔法袋を扱い、キラキラした目をするヨハンの姿に、俺のお兄ちゃんモードが発動する。
 あぁー。かわいい。
 いいな、弟ほしいな。
 滞在中は、俺がヨハンの兄にならないかな。
 なんでも世話するんだ。

「なぁ、ジークベルト」
「ん?」
「さっき約束した、その魔法袋から、俺が出していいか?」
「もちろん。使用者特定をしていないから、ヨハン君でも取り出せるよ。少し早いからクレープでも出してみる?」
「クレープ? わかった。出してみる!」

 ヨハンが嬉しそうに魔法袋に手を突っ込む。
 その光景を見ながら、世間一般では、魔法袋は大変貴重なものだったということを思い出していた。
 空間魔法の取得者が少なく、魔道具作製スキルもいるため、流通している物はごくわずか。
 貴族でも所持している人が少なく、容量も少ない。
 俺の周囲は、所持者が多いので忘れていた。
 ついつい俺基準で考えてしまった。
 そう俺は恵まれた環境にいるので、魔道具なども手に入れやすい。
 しかも前回転移されたコアンの町で、魔導職人のボフールを父上に紹介してもらった。
 今目の前にある魔テントは、ボフール作のものだ。
 オリジナル注文をしたので値は張ったが、巻き込まれた際の賠償金が入ったため、痛くもかゆくもなかった。
 賠償金。俺がその事実を知ったのは、注文した後だった。
 ボフールから値段を提示され、お金のことを考えていなかった俺は慌てふためいたが、『心配せんでも、ジークベルト殿の専用口座から引き落としておきますがな』と、肩をパンパン叩かれた。
『専用口座?』と、首をかしげた俺に『聞いてませんがな。ギルベルト殿の話では、大金貨五十枚までなら余裕があると聞きましたがな』とのボフールの言葉に、開いた口が塞がらなかった。
 あまりにも金額が大きすぎて、現実味がなかった。
 五千万だよ。子供に五千万、お小遣いで渡すなんて異常な話……あるはずはなかった。
 口座の中身は、ほぼ巻き込まれた際の賠償金、迷惑料だった。
 ヴィリー叔父さんが、相当な金額を提示したようで、謝罪に来た魔術省のお偉いさんが憔悴しきって項垂れていた裏には、そのような背景があったようだ。
 だけど叔父さん、あなたは、被害者でもあるが加害者でもあるんだよと思ったのは、俺だけではないはずだ。
 しかし叔父に抜け目はない。
 あたり前だが、賠償金は出ない。その代わりに長期の休暇をもぎ取ったと聞いた。
 さすが叔父である。
 叔父のおかげで多額の資金が手もとにあるため、ボフールには、魔テント以外の魔道具も数点依頼した。
 それを差し引いても賠償金には、まだまだ余裕がある。
 父上がそのまま渡してくれたのだ。
 賠償額は大金貨七十枚。
 魔術省内で儲けた資金の一部から支払われる。
 なぜ魔術省が賠償金を支払うのか、実験に提供された移動石が、魔術省から納品されたものだったからだ。
 魔術省は、国の機関だが、一部独立機関がある。
 その独立機関が、魔道具の販売や管理などの営利的な運用をしている。
 叔父いわく、運用利益のほぼ半分が、不透明な流れのため、遠慮する必要はないということだった。
 大人の話なので、これ以上の情報、首は突っ込まない。
 父上には、ボフールに魔道具を依頼したことを報告している。もちろん感謝も伝えた。

「──ジークベルト! 聞こえてないのか」
「あぁ、ごめん」
「クレープはこれでいいのか?」
「うん。そうだよ」

 ヨハンはそう言って、俺にクレープを渡してくる。
 不思議そうにクレープを見るヨハンに俺は見本をみせるように一口クレープを食した。
 見よう見まねでヨハンがクレープにかぶりつくと、口元に生クリームをつけて目を見開く。
 すごい勢いで食すヨハンに『あっ、そうとう歩いたからお腹が減っていたのか』と、気がきかない自分に少し落ち込む。

「ジークベルト、これおいしいな」
「それはよかったよ」
「?」

 満面の笑みで俺に告げるヨハンに少々気まずくなる。
 そんな様子の俺に、ヨハンが魔テントを見渡して興奮した様子で話し出した。

「この魔テントの中はすごいな! たくさんの魔道具があるし、魔テントがこんなに広いなんて知らなかったぞ!」
「あっ、ヨハン君。この魔テントは特別製で、普通の魔テントはベッドひとつ分ぐらいの大きさだよ。ここにある魔道具も特別に備えつけてもらったんだ。一般に流通しているものとは、仕様も少し違うんだ」

 なんていい子なんだ。
 そんなヨハンに現実を突きつける俺。

「そうなのか? おれも、とうさまたちのような騎士になれば、買えるか?」
「そっ、そうだね。騎士の給金がどれくらいか、わからないけど、たぶん、買えるかな」
「そうか! おれ、がんばるぞ!」

 勢い込むヨハンに、視線をそっとはずす。
 お金に物を言わせて作った我儘仕様の魔テントと魔道具だ。
 お値段もなんと大金貨十二枚。ちょっとした家が買える値段だ。
 魔テントの広さは、俺の空間魔法をガラス石に収納し作ってもらった特別製で、いわゆる俺専用で一般流通はできない。
 贅沢品だが、後悔はない。
 ほぼ家なのだ。その間取りは、1LDK、バス・トイレ別だ。
 特にこだわったのは、風呂だ。
 元日本人。やはり風呂にはうるさい。
 そのこだわりように、ボフールもあきれて物も言えない状態だったが、そこは一流の職人、要望通りの風呂をつくってくれた。

「ヨハン君、風呂に入ってしまおうか」
「ふろ?」
「森を歩いて泥だらけだしね。綺麗にさっぱりしよう」

 気分を上げるため、自慢の風呂へヨハンを誘導する。
 実は魔テントに入ってから、風呂に入りたくてしかたなかったのだ。
 魔テント内の風呂に入るのは、今日で二度目。
 魔テントが納品された時以来なのだ。
 鼻歌交じりで服を脱ぎ、魔洗機へ衣類を投げ込む。
 俺のまねをして、ヨハンも衣類を魔洗機へ投げ込むが、おそらく用途はわかっていないだろう。
 魔洗機の蓋を閉め、衣類乾燥まで設定して、動かす。

「ジークベルト、なんだこれ? すげぇー、服が回っているぞ!」

 突然、動きだした魔洗機にヨハンは驚き興奮しているが、簡単に用途を説明して、風呂の扉を開ける。
 ごめんヨハン。なによりも風呂だ。風呂なんだよ。
 開いた先には、俺たちを待ち構えていたかのように、風呂ができあがっていた。
 あたり前だ。かけ流し風呂なので、二十四時間いつでも入浴でき、自動お掃除機能付き、カビ対策もばっちりだ。

「おぉー。ひろーい!」
「あっ、ヨハン君。先に体を洗ってからだ。マナーだよ」
「うん。これなんだ?」
「それは体を洗う用の石鹸だよ」
「せっけん? せっけんはこんな物じゃないぞ。白くてかたいんだ」
「えっと、それは固い石鹸を液体にしたものだよ。そしてこれは頭を洗う石鹸だよ」
「えきたい?」
「まずは使ってみて、このタオルに石鹸をつけて、泡立てると……ほら!」
「おぉー。おれもする」

 ヨハンが一生懸命、泡立ているそれは、俺特製のボディーソープとリンスインシャンプーだ。
 アンナたち侍女と結束して、作製したそれは、アーベル家の事業のひとつとなっている。
 ご婦人たちには、とても好評で、種類を増やす方向だ。
 入浴剤、化粧水、乳液、美容液など、美容関連の知識も、前世の妹に付き合わされた関係上、一般男性よりはあるので、時間があれば着手する予定だ。
 その事業の利益の一部も、俺専用口座に毎月入金されている。
『発案者の権利だ』と、父上は言っていたが、もらいすぎのような気もする。
 まぁもらえるものはもらうけどね。

「この石鹸、すっげーいい匂いがするな! それにあわが簡単にできる! 楽しいぞ!」
「だろう。自慢の品なんだ。まだまだ改善の余地はあるけどね」
「かいぜん? ジークベルトは、難しいことばかり言うな。おれもジークベルトのとしになれば、そうなるのか?」
「うん? これは職業病というか、性格の問題だから、ヨハン君は、僕みたいにはならないと思うよ」
「そうか、よかった」

 ザッ、ザーー。
 体についた泡を流し、楽しそうにヨハンは浴槽へ向かっていく。
 あれ? なんだろう?
 この妙に傷ついた感じは……。
 いや、いいんだけどね。
 ヨハンの後に続き、体を洗い終えた俺は、お待ちかねの入浴タイムへ。
 はぁー。気持ちいい。
 やっぱ檜風呂はいい!
 かけ流しという点もいい!
 先に浴槽に浸かっていたヨハンは、頬を真っ赤にして、檜に頭をのせ、気持ちよさそうに浮いている。
 ヨハン、わかってるね。
 だけどこの風呂は、それだけではないんだ。
 ほれ、ポチッとな。
 ヴィ、ヴィヴィーーン。

「なっ、なんだ!?」

 ヨハンが慌てて立ち上がる。
 風呂が動きだし、檜風呂からジャグジー付きの風呂へと変わる。
 ふふふ、これこそ男のロマンを詰め込んだ。
 変形風呂だ。
 これぞ異世界ファンタジー。

「ジークベルト、この風呂すごいぞ! すげぇ、木の風呂から泡の風呂に変わったぞ! すげぇ、すげぇぞっ!」
「だろう。それだけではないんだよ。浴室もこんな感じに変化できるんだ」

 俺が再びボタンを押すと、浴室全体が暗くなり満点の星とこの世界の朱月、蒼月が、映し出される。
 露天風呂疑似体験だ。
 ほかにも何パターンか、用意してある。
 リアリティが大事なので、映し出されている映像は、生映像ではないが、実際にあった過去のものだ。
 もちろん、生映像も可能だ。

「きれいだな。外で風呂なんて、ぜいたくだな! 風呂が好きになるな!」
「わかってるね、ヨハン君!」

 ふたりで、風呂を満喫した。
 途中でヨハンがのぼせるハプニングもあったが、とても満足した時間だった。
 風呂に浮かれすぎていて、俺は、すっかり忘れていた。



『ハク、スラ、聞こえるかい?』
『ジークベルト!?』
『主?』
『ジークベルト!! 心配した! 何回もジークベルトの名前を呼んだ。心配した!』
『念話、たくさんした』
『えっ? 念話がつながらなかったのか?』
『そうだ。ジークベルトって何回も呼んだのに、ザーー。って、音がしてダメだった』
『砂嵐か』

 遠距離で念話が届かないとか?
 いまつながってるし……その考えはないか。
 そもそも念話は、魔契約の機能のひとつ。なんらかの理由で阻害されているってことか。
 現にハクたちの念話は阻害され、俺からの念話は通じている。
 俺発信の念話は、つながるってことか?

『すなあらし?』
『あっ、いや、こっちのことだ』
『主、今どこにいる?』
『はじまりの森だよ』
『はじまりの森? 外?』
『外だね』
『主、なぜ外にいる?』
『ちょっとした事故で、外に転移したんだ』
『じこ? じこすると外にいく?』
『えーと、スラ、事故すれば、外に行くではなくて、今回は、たまたま偶然が重なってかな』
『ぐうぜん、かさなる』

 スラが、納得する答えを俺は持ち合わせていないので、曖昧に言葉を濁す。

『近くにヴィリー叔父さんは、いるかな?』
『『いる』』
『ハクとスラにお願いがある。今、俺はヨハン君と、はじまりの森にいると、ヴィリー叔父さんに伝えてほしい。そして伝言役をお願いしたい』
『わかった!』

 ハクとの念話が切れる。
 ハクが状況を伝えに行ったようだ。

『主、伝言、スラできる』
『ん? スラが伝言役をしてくれるってこと?』
『できる。肉!』
『あははは。わかったよ。スラはぶれないね。肉了解!』
『準備する』

 スラとの念話が切れる。
 なにを準備するのだろうか。
 スラの突発的な行動は、エスタニア王国の留守番をするように伝えた際にもあった。
 セラの治療をした後の出来事だった──。


 ***


 ──セラの治療が終わり、留守番の時の懸念を話し合っていた。
 スラに俺がいない間のセラの魔力吸収をお願いした。
 しかしスラは留守番を拒否した。
 どうしても俺と一緒に行くと譲らなかったのだ。

『セラ、好き。でも、主と離れない』

 断固として譲らないスラのかわいい発言に、俺の口もとが緩む。
 はっ! ここでほだされてはダメだ。
 心を鬼にして、説得しないと負けてしまう。
 ハクにも加勢をお願いして、スラを説得するが、なかなかスラからは、いい返事がもらえない。
 その様子を見ていたセラが、困った感じで眉を八の字に下げ、口を挟む。

「ジークベルト様、私は大丈夫です。ですから、スラちゃんを連れていってください」
「それはダメだよ。やっと魔力飽和も改善して、体力づくりを始めたのに、もとに戻ってしまう。それにセラさんが、痛い思いをするのがわかっていて放置なんて、僕は嫌だよ」
「ジークベルト様……」

 俺は頭を振り、その考えを否定する。
 セラは、自分さえ我慢すればいいと思っている。
 その痛みに周りが、どれだけ心を痛めているか、自覚してもらう必要がある。
 みんな、セラがとても大事なのだ。
 エスタニア王国の訪問は、武道大会開催期間も含めて約一ヶ月。
 魔草で抑えたところで、セラの負担が減るわけではない。
 前世の経験から、セラの気持ちは痛いぐらいわかる。
 俺の不幸体質は、俺自身とは関係なく、周りを巻き込んだ。
 家族には数えきれないほど迷惑をかけたし、俺さえ我慢すればいいと思っていた時期もあった。
 だけど、それは違った。
 俺が自分を大切にしないで、周りが幸せになることはないのだ。
 セラ自身が、自分を大切にするその意識を高めてほしい。

「マリアンネ様も、私のためにお留守番を申し出て、いらっしゃいました」
「マリー姉様は、いろいろと考えがあってのことだよ。セラさんが、気にすることはないよ」

 そうなのだ。なんとマリー姉様が、自ら留守番を買って出たのだ。
 あれだけ俺とのエスタニア王国の訪問を楽しみにしていた姉様がだ。
 なにか裏があるのではないかと勘繰るのもしかたない。
 ただ単に光魔法を享受しているセラが、心配だったようだ。

「私にも考えるところがあります。お父様と一緒に家を守りますわ。だけど次は、セラさんと一緒にジークとお出かけしますからね」

 美人がすごむと迫力がある。
 その勢いに思わず、うんうんとうなずく俺。

「約束を破ったら……、わかっているわね、ジークベルト!」
「はい。マリー姉様。約束は必ず守ります」
「いい返事だわ。セラさんのことは、私に任せなさい。アーベル家にふさわしい淑女にしてみせるわ」
「ほどほどに、してくださいね」

 一応、釘を刺しておいた。
 マリー姉様は、セラの問題点を把握している。
 姉様に任せておけば、セラの自己犠牲癖は治るだろう。
 ただ、セラの儚げな感じは、残してほしい。
 マリー姉様は、気が強い系の美人だ。姉御肌ともいう。
 その人物に鍛えられれば、同じような感じになるのではないかと、若干の不安もあったりする。
 ちなみに、ディアーナは正統派。エマはかわいい系だ。

「そういえば、ジークは、どのような女性が好みなの?」
「えっ、俺の好みですか? 俺の好みは、黙秘、いえ、容姿など関係なく好きになった人です」
「模範解答。それで本当のところは?」
「マリー姉様、それ以上の追及は、お願いですからやめてください」

 俺が白旗を上げると、姉様は「ジークもまだまだね」と、満足したように笑った。
 こうしてマリー姉様は留守番組となった。
 結果的に、姉様は留守番組でよかったと思う。
 あの臣下たちのディアーナへの対応を見れば、火を見るよりも明らか。
 姉様の行動を想像しただけで、背筋に悪寒が走る。
 命拾いしたな、エスタニアの臣下たち……。
 俺が姉様との会話を回想している間に、俺とセラの会話をそばで聞いていたスラに変化が現れた。

『主、困る……。でも、離れたくない……。そうだ!!』

 スラは、体をブルブルと揺らし始めると、体を分裂させたのだ。

『これで大丈夫!』
「スラ!?」
「スラちゃん!?」

 俺とセラが目を丸くして、分裂したスラたちを見る。
 綺麗に半分となったスラは、片手で持ち運びができるぐらい小さくなってしまった。

『主、これで大丈夫!』
『いや、大丈夫って……。スラ自身は大丈夫なのかい?』
『スラは、大丈夫。わかれたスラは、セラといる』
『スラと同じことができるってこと?』
『できる。だけど、話せない』
『どういうこと?』

 スラいわく、分裂したスラは、スラ本体と同じ能力が使える。
 それを可能にするために、体を半分にしたが、話すことはできない。あくまでも、スラの分裂体であるので、セラの魔力吸収のためだけに存在するとのことだ。
 万が一、分裂体が攻撃を受け消滅しても、スラに影響はない。
 ただ体の大きさを戻すのに時間がかかるらしい。
 エスタニア王国から帰国すれば、スラ本体と合体して戻し、もとの大きさに戻るとのことだった。
 その話をスラに代わりセラへ説明する。
 セラはスラの本体と分裂したスラを抱き上げ『ありがとう』と、そのプルプルした体に口づけた。

『セラ、好き。気にするな』

 プルッと震え、スラが、それに答えた。
 そこまでされれば、スラを連れていかない選択肢はない。
 ハクとスラに、俺が常にそばにいることができないことを説明し、連れていく条件を何度も反復する。

 一、いつ何時も必ずマンジェスタ王国の関係者と一緒にいること
 二、知らない人には、ついていかないこと
 三、知らない人からもらった物を口にしないこと
 四、勝手に外に行かないこと
 五、許可なく攻撃や魔法を使わないこと

 この五つの条件を守ることを約束に、エスタニア王国への同伴を許可した。
 そして俺が、その条件四を破ってしまったのだ。
 ハクとスラへの条件であっても、俺自身も守るつもりだった。
 合流したら、素直に約束破ってごめんなさいをする。
 威厳? なにそれ?


 ***


 スラを連れてきた経緯を振り返っていると、念話からあり得ない人物の声がする。

『これでいいのかな? ジーク聞こえるかい?』
『えっ? ヴィリー叔父さん?』
『これは……すごい能力だね。ジーク、そうだ私だよ。今はスラの念話を介して話しているよ』
『スラの念話を介してですか?』
『そうだね、理解できない状況かもしれないけど、それは後だ。状況を説明してくれるかい?』
『はっ、はい。今僕は、ヨハン君と共に、エスタニア王国のはずれにあるはじまりの森にいます。現状は──』
『なるほど。子供たちの石の件は、すぐにでも調査をしよう。はじまりの森近辺の都市が登録されている移動石を早急に確保するよ。それにしてもジーク、連絡が遅すぎないかい』
『すみません。風呂に夢中になりまして……』
『ジークが異様にこだわった風呂だね』
『はい……。なにかありましたか?』
『なにかあったと言えば、あったのかな。アルとテオたちが、ハクたちを必死に説得する様子を殿下がおもしろがって見ていたぐらいかな』
『王太子殿下が、伯爵家に……』
『アーベル家の至宝が行方不明なんだから、状況を確認しには来るよね。王城でのんきに臣下からの情報待ちの対応をしたら、考えたね』

 なにを……とは、口が裂けても言わない。

『ご迷惑をおかけしました』
『そうだね。今回のことは致し方ないことだ。『報告』の連絡が早かったことは、評価できる。だけど、後の対応がまずかったね。念話がつながらないことも拍車をかけたけど、従魔となった魔物や魔獣は、契約者に依存する。それがいい意味でも悪い意味でもだ。ハクとスラは、特にその傾向が強いから、ちゃんとフォローするんだよ』
『はい』
『では、また明日、連絡するよ。念話がつながらない可能性もあるから時間帯を決めておこう。万が一つながらなければ『報告』を送るよ』
『はい』
『本当は念話がつながらない原因を特定したいところだけど、時間がないからね。では明日』

 叔父との念話が切れる。すぐにスラから念話が入る。

『主、スラ、がんばった』
『スラ、ありがとう。ハクも心配かけたね、ありがとう』
『ジークベルト、ハク、スラのように伝言できない』
『ハク、適材適所だよ』
『てきざいてきしょ?』
『そう。ハクができてスラができないこともあるだろう。お互いの能力に合った場面で力を発揮すればいいんだよ』
『わかる』
『これからのことを話すね。俺はヨハン君と、はじまりの森の一番近い町へ向かうから、ハクとスラは、ヴィリー叔父さんの言うことを聞いて行動してほしい。二、三日中には、会えるから我慢してね』
『『わかった』』
『うん。じゃまたね。ヴィリー叔父さんが、ご褒美をくれるから、行っておいで』
『肉!!』
『待ってる。ジークベルト』

 ハクたちとの念話が切れ、はぁーと、大きなため息をつく。
 風呂に夢中で、連絡をする時間が遅れに遅れた。はっきり言えば、忘れていた。
 寝る直前に思い出し、慌てて念話を送ったのだ。
 叔父は、曖昧に話していたが、ハクたちが、相当迷惑をかけたようだ。
 前回とは違い、外部との連絡手段があるという甘えがあり、すぐに行動をとらなかった。
 俺自身の存在がどれだけ周囲に影響力を及ぼすのかを考えれば、決して忘れてはならないことだった。
 帰宅したら、兄さんたちやディアたち含め、関係者に謝罪と感謝を伝えよう。
 今日の行動を反省し、静かに瞼を閉じたのだった。



『トビアス殿下の子飼いに動きがありました』
『ビーカの抑制もこれまでか、ふっ。面白い』
『作戦を変更なさいますか』
『よい。このまま遂行せよ』
『御意』

 黒い影は返事をすると、音もなく消えた。

『客人によい見世物ができる。さすがトビアス──』


 ***


 早朝から、近隣の町の方角へ歩いているが、一向に町との距離が縮まらない。
 まるでループしているようだ。というか、ループしているのだろう。
 地図の位置が、ほぼ変わらないのだ。
 なにか大きな力が、俺たちの行く手を阻んでいるみたいだが、そこに悪意が感じられない。
 んー。
 無視して、目に入れないようにしていたが、湖畔の先にある神殿へ行くべきなのだろうか。
 どう考えても、お膳立てされているよな……。
 んー。
 悶々と考えていても答えはでない。
 ここは叔父に相談をするか。
 あっ、そういえば、昨日の夜、ヨハンが気になる発言をしていたな。
 たしか……。

「ジークベルト、つかれた」
「うわぁ。えっ、あっ、そうだね。少し休憩にしようか」

 ヨハンに突然マントを引っ張られ、恥ずかしくも狼狽してしまった。
 その記憶をかき消すかのように、素早く魔テントを出し、中にヨハンを招く。
 心臓に悪いよ。
 まぁ、ちょうどよかったけどね。
 その前に、甘味で気分を上げよう。
 料理長、一押しのパンケーキを机に出す。
 疲れた時には、甘いものが一番だ。

「うぉー。なんだこれ? 果物とお花? この白いのはなんだ?」
「アーベル風パンケーキだよ。白いのは、アイスクリームという冷たくて甘いものなんだ。お花は飾りだから食べちゃダメだよ。このシロップをかけて食べてごらん。すっごくおいしいから」

 ヨハンに説明しながら、俺はお手本を示すように、パンケーキにシロップをかけ、ナイフとフォークでひと口サイズに切り、果物とアイスをのせ、口へ運ぶ。
 んー。うまい!
 癒される、最高だ!
 前世で食べたパンケーキよりも、うまいし、さすが料理長だな。
 再現越えしているよ。
 しかも、このシロップ。めちゃくちゃうまい!
 甘さがしつこくないので、いくらでも入る。
 やべぇー。フォークが止まらない。
 ヨハンも俺の所作をまねしながら、恐る恐る口へ運ぶ。
 昨日の夕食も同じだった。ヨハンは未知の料理に興味深津々だけど、口にするのを躊躇する感じだが、口に入れば、ほら笑顔だ。

「うまっ! すっげぇー、うまい!!」
「だろう。そうだろう」
「昨日のプリンもうまかったけど、おれ、パンケーキのほうが好きだ! このアイスもうまいし、ジークベルトの家は、うまいものばかりだな!」
「あっはは。ありがとう。料理長が喜ぶよ」

 パンケーキは大好評で、短時間で綺麗に食された。
 料理長にお願いして、パンケーキの種類を増やしてもらおうと決める。
 たしか、ココナッツやチョコレート、お茶なんかもあったな。
 あぁ、ベーコンやオムレツなどのおかず系もあったはずだ。
 材料が、この世界にあるかは別として、なければ代わりを探すか、作ればいいんだし、帰国後の楽しみができた。
 パンケーキに満足したので、本題に入ろうと、ヨハンをうかがうと、船を漕いでいた。
 早朝からの歩きでの疲れと、お腹がいっぱいになったことが、眠気を催したのだろう。
 そうだった。
 ヨハンは、普通の四歳児だった。
 起こすことは忍びないため『洗浄』をかけ『浮遊』で、ベッドまで運ぶ。
 その愛らしい寝顔を見て「聞きたいことがあったんだけどなぁ」とぼやく。
 まぁ、しかたがない。慣れない場所での不安で、早く体力が消耗したのだろう。

 ***********************

 ご主人様、失礼します。
 昨日のヨハンとの会話でしたら、私が記憶しております。
 どの会話でしょうか?

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 さすが、ヘルプ機能!
 ここが、誰かとの出会いの場だったって話してたよね。
 なにかの物語の。

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 はい。
 はじまりの森は、『白狼と少女の約束』に登場する白狼と少女が、出会った場所です。

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 その『白狼と少女の約束』の内容を聞きたい。
 けど、ヨハンとの会話は、 そこまで踏み込んでいないし、いくらヘルプ機能でも、それは無理だよね。

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 できます。

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 だよね。できないよね……。
 できるの?

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 はい。できます。
 私の検索内に『白狼と少女の約束』がございました。
 絵本の内容を簡単に、お伝えすることはできます。
 いかがいたしますか。

 ***********************

 お願いします。

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 承知しました。
 では、簡単にお伝えします。

 ***********************


 ***


 白狼は、いつもイタズラをして、神様を困らせていた。
 そんな日々が続いたある日、白狼は、神様の大切なものを壊してしまう。
 神様は激怒する。
 白狼は、神界から追放され、地上に降りることになる。
 降りた地上は、荒れ狂い、人々が戦い傷つけ合う場となっていた。
 白狼は、壊したものが、人々の善だったことに、気づく。
 壊したものを白狼の手で、修復するために、神様は、白狼を神界から追放したのだ。
 戦う人々の前に出て、人々に説得を続けるが、誰も白狼の言葉に心を傾けない。
 白狼は、人に絶望し、森の中へ消えていく。
 そして長い時が流れ、森にひとりの少女が、訪れる。
 少女は、兄を助けるため、戦いを終わらせたい。
 そのためには、力がいる。
 白狼は、問う。
 そなたの言う力とはなんだ。
 少女は、答える。
 希望だ。
 白狼は、それを否定する。
 否。希望は、力ではならず。
 少女は、笑う。
 希望こそが、力だ。
 人々には、希望がいる。
 それが兄だ。
 白狼は、少女の強い意志に光を感じる。
 我の力をそなたに授けよう。
 ただし、そなたの心が悪に満ちれば、その力は消える。
 少女は、白狼と約束する。
 私は、悪に染まらない。
 白狼の力を得た少女は、戦いを終わらせるため、力を使う。
 そして、平和が訪れる。
 白狼に力を返すため、少女は、再び森を訪れる。
 しかし、白狼は、力をそのまま少女の中に封印する。
 白狼は、少女と約束を交わす。
 この地に、再び戦いが起こる時、我はそなたを助けよう。
 それまで、そなたに、力を預ける。
 白狼は、少女へ祝福を与え、神界に戻っていった。
 その場所は、のちに、エスタニア王国となり、繁栄する。


 ***


 一般的な建国の神話を絵本にした内容だ。
 そうこれがただの神話だったら、いいんだけどね。
 この神話は、王家の秘密と密接に関係している。
 俺がヘルプ機能を介して調べた結果と、若干異なるところはあるが、おおむね同じだった。
 だけど、なぜこのタイミングなのだろうか。
 本人不在なんですが……。
 俺か、俺なのか?
 はぁー。
 ヘルプ機能、この森が神話の舞台なら、あの神殿は、白狼関係の神殿で間違いないね。

 ***********************

 はい。間違いございません。

 ***********************

 この阻害もおそらく、神殿に原因があるのだろう。
 チラッと、ベッドで眠るヨハンの様子をうかがい見る。
 規則正しい寝息に、深い眠りであることがわかる。
 ヨハンは、しばらく起きないと判断する。
 魔テント周囲の安全を確認し、半径一〇〇メートル以内に魔物が出現すれば、アラームが鳴るよう『地図』を設定する。
『周辺を見てくる。すぐに帰るので、外には出ないように。魔法袋の中にパンケーキがあるから食べてもいいよ』と、机の上にメモを残す。
 念のため、魔テントに『守り』をかけ、中からは開けられないよう『施錠』する。
 よし。これで万が一、ヨハンが目覚めても、勝手に外には出られない。
 では、神殿に行くとしますかね。
 厄介事に、自ら足を運ぶことになるとは……。
 ディアーナを婚約者として受け入れた時に覚悟はしていたけどね。
 さぁ、できる限り早く終わらせ、ヨハンが目覚める前に帰宅しよう。
 一緒にパンケーキを食べるんだ。



 湖畔の先にある神殿と伝えたが、訂正する。湖の上にある神殿だ。
 目的の神殿へ『飛行』で湖を横断中、それは突如現れた。

「ご招待ってことなんだろうな……」

 ご丁寧に神殿全体に施されていた隠蔽が解除された。
 地図上の神殿の位置もここに変わり、もともと神殿と表示されていた場所には、別の建物がある。
 フェイクまでつくり、神殿に人が来るのを阻止していたようだ。
 巧妙に隠されたそこに、いったいなにがあるのか……。
 このまま上空で、考えていてもしょうがない「行くか」と、声を出して自分を奮い立たせ、神殿の入り口付近に降り立つ。
 間近で見る神殿は神秘的で白で統一された建物に劣化は見受けられない。
 神殿全体に高度な状態保存の魔法が施されていたのがわかる。
 わずかだが 魔力がまだ感じられ、黄金色の魔法色が残っている。
 エスタニア王国の建国から考えると、約千年近くは経っているはず……。
 その間、魔法を維持するだけの魔力が注がれていたのだ。
 過去に膨大な魔力を所持していた術者がいたということだ。
 俺の今の魔力量では、それだけの期間を維持することは、不可能に近い。
『超越者』その言葉が頭をよぎり、興奮で身震いする。
 率直に会いたいと思ったが、千年前の人物に会うことはできないと、自嘲する。
 いや待てよ……。
 人知を超えた魔力量の多さから考えれば、長寿の種族、あるいは──。
 もしかすると、会えるかもしれない。
 淡い期待に胸を膨らませる。
 さあ、神殿の中にいる人物に会いに行こう。
 中の人物が、術者でないことは、魔法色から考えてもわかる。
 ほんの少し気持ちが落胆するも、ここに来た理由を思い出す。
 そうだ。まずは目の前のことを片づけよう。
 個人的な興味は、すべての事が終わってからだ。
 吉と出るか凶と出るか……。
 俺はそっと神殿の扉に手をかけた。

 …………
 …………
 …………

 パタンッ。
 俺は乱暴に扉を閉めた。
 さあ、帰ろう。
 ヨハンとパンケーキが、俺を待っている。

「ま、まてぃーー。何故、扉を閉めるのじゃ!」

 小高い声と同時に扉が自動で開くと、神殿の中へ俺の体が引っ張られた。
 抵抗するが、途中で無駄だと諦め、身をゆだねる。
 白で統一された神殿の中は、ステンドガラスから降り注ぐ光が反射し、幻想的な雰囲気を醸し出している。
 祭壇の手前で止まると、目の前に、黒のロリータ・ファションを着た銀髪の赤い目の美幼女(・・・)が、腕を組み、不機嫌な顔で立っていた。

「遅い。遅すぎるぞ! 妾がどれだけ待ったと思っておる。そもそも──」

 幼女が、ぶつぶつと小言を話しているが、そうじゃないんだよ。
 ここは、いかにも英雄とか、百戦錬磨の風格漂う戦士とか、威厳のある賢者とかあるでしょ。
 どうして、なぜ、ロリ幼女なのか!
 誰か説明をしてほしい! 説明を求む!
 責任者でてこい!
 俺が全体的にやる気をなくしているとは知らず、話し続ける幼女。
 まだ話し続ける幼女。まだまだ話し続ける幼女。まだまだまだ──。
 話しに夢中の幼女に気づかれないよう、抜き足、差し足、忍び足で、そーっと、扉の元まで後退する。
 まだ話し続けている幼女。
 よし! こちらの様子には気づいていない。

「んんっ!? おぬし、何故扉に近づき神殿から出ようとする!」

 俺が扉に手をかけたとろこで、大きな力にそれを阻まれた。

「ちっ」

 俺の舌打ちが、神殿の中に響く。

「なっ、なっ、おぬし舌打ちを、妾にむけて舌打ちをしたな!」
「なんのことです? 初対面の相手に舌打ちなんて常識はずれなこと、ぼくはしませんよ。失礼な人ですね」
「妾が、失礼じゃと! おぬしの方が、よっぽど失礼じゃ!」
「あぁ、癇に障りましたか。すみません。失礼なぼくは、ここから消えますので」

 再度、扉に手をかけるが、またもや大きな力で神殿内に再び引っ張られ、幼女のいる祭壇の手前で止まる。
「ちっ」と、わざと舌打ちする。

「また! また舌打ちしたな!」

 幼女の全身が震え、赤い瞳が怒りを表していた。
 俺はそれに気づかないふりをして、早々にその場を立ち去ろうとする。

「してないですよ。幻聴ですよ。早く病院に行って治療するべきですよ。では、さようなら」
「妾を病人扱いするな! 幻聴ではないことぐらいわかるぞ!」
「ちっ、舌打ちぐらい見逃せよ」

 俺の尊大な態度に幼女は、その場で地団駄を踏み叫ぶ。

「なっ、なっ、妾に、そのような尊大な態度! ありえん。ありえぬぞ!」
「はいはい。すみませんでした。俺は、ここに用がないので帰ります」
「待て、おぬし、妾と話をしなければ、この森を抜けることはできないのだぞ」
「いえ、それはもう結構です」

 その申し出を断り、幼女に背を向けると、慌てて幼女が尋ねてきた。

「なっ、どうするつもりじゃ」
「転移します。もういいですよね。では、さようなら」
「まっ、待て。おぬし、移動魔法を秘密にしておったじゃろ。何故、急に使用するのじゃ」
「関わりたくないから」

 俺の即断に、「ぐぬっ」と言葉にならない声を出して、狼狽する幼女。
 変な人と関わりたくないのは、人として当たり前の防衛本能だと思う。

「おぬし、性格が著しく変わっておるぞ! 何故、妾に冷たくする。妾は、神獣だぞ!」
「……」
「何故、無言なのじゃ! 妾は、妾は、この時を長い時間待っておったのじゃぞ」
「……」
「なにか話しをせぇー」
「……」
「む、無視はいやじゃー。わぁーーーーん」

 幼女、チョロ。
 精神、弱っ。
 自称神獣の幼女は、神話に出てきた白狼ではないようだ。
 俺の予想では、本人がいると思ったのにな。
 可能性の一つが消えた。
 となると、ここに呼ばれた理由はなんだ?
 幼女が落ち着いたところで、疑問を口にする。

「で、どんな用件?」
「おぬし、態度が……」
「幼気な子供たちをわざわざ巻き込んで、俺をここに連れて来た策士に愛想よくするほど、俺できてないから」
「なっ!? それはちがうぞ! 妾はそのようなことしておらん! おぬしが、妾の力が及ぶ範囲に転移してきたのじゃ。しかも待ちに待った適合者、神殿に来るよう仕掛けるのは、当たり前じゃろ!」
「……」
「そのようなジト目で見るな! 妾は本当に知らん!」

 幼女の態度から嘘をついているようにはみえない。
 俺は肩をすくめて、ほんの少し緊張を緩める。

「そのようだな。では誰が?」
「知らん」
「役に立たない神獣だな」
「おぬし、言動がきついぞ。妾は、神獣なのだぞ!?」
「だから?」
「むーー。この姿故、侮るのじゃな! これでどうじゃ!」

 幼女がそう叫ぶと『ポフン!』との音と共に、白い煙が幼女を包む。
 煙の中から、絶世の銀髪美人が、俺を見下ろしていた。

「頭が高いんじゃない?」
「なっ、何故、辛辣!」

 ポフン!
 再び音が鳴り、白い煙の中には、元の姿に戻った幼女がいた。
 若干、涙目である。
 何かを訴えるように俺を見るが、それは無理な注文である。
 残念精霊フラウで、すでにこの手の美女変化を経験しているので、驚きはしない。

「うぅ、なけなしの力を使って、成体に戻したのに……。ひどい、扱いがひどいのじゃ」
「ほぼ維持できてねぇじゃん」
「妾の本来の姿は、あれなのじゃ! 力がほぼ封印され、童の姿でしかおれん。うぅーー。あんまりじゃ」

 幼女は赤い瞳に涙を浮かべ、泣き叫ぶ。
 ほんの少し、同情してしまう。

「お前、なにしたの?」
「妾は悪くないのじゃ。主様が大切にしていた宝珠に、少しばかりひびを入れただけじゃ」
「いや、それはまんまお前が悪いだろう」
「うぅ、わかっとる。わかっておるが、故意ではないのじゃ。綺麗だったので少し触っただけで、ヒビが入ったのじゃ。兄上のように壊したのではない。じゃが、じゃが、主様が『兄妹そろって、手がかかる』と『この神殿に、反省するまでいなさい』との謹慎処分じゃ。妾一人では、神殿の外にも出れぬ。反省はたっぷりしたのじゃ」
「反省が足りないんじゃないか」
「うっ、ひどいのじゃ……。兄上は、壊したが地上で自由に動き回れたのじゃ。じゃが、じゃが、妾は、五百年の間、神殿の中での謹慎。ひびを入れただけなのにーー、あんまりじゃ」

 俺は思わず、額に手をあてる。
 幼女よ、お前……。
 話を聞く限り、全然反省してない。
 ひびを入れただけって、五百年の間、なにを反省していたのか。
 呆れて言葉も出ないわ。
 幼女の反省云々よりも、先に確認することがある。

「神話に出てくる白狼は、お前の兄か?」
「神話?」
「この地の神話で語り継がれている白狼のことだ。お前の兄か?」
「この国の祖じゃな。そうじゃ、我が兄じゃ。おぬし、先ほどから妾をお前呼びとは、親しき仲にも順序というものがあって……」

 幼女の態度が急に変わる。全身をクネクネと動かして、頬を赤らめ上目遣いで俺を見ている。
 えっ、気持ち悪い。
 あまりにも媚びた態度に、さすがに引くわ。

「いや、普通に君の名前知らないしね」
「何故、お前呼びをやめる!?」
「いや、何か意味がありそうだから」
「なっ、妾を弄んだのか! 何たる非道!」
「非道もなにも……。そもそも、俺関係なくない? 君が主様の宝珠にひびを入れた。その反省のため、この神殿に放置されている。それで間違いないよな」
「放置ではなく、謹慎じゃ! 他は間違いない。じゃが、妾を、妾を連れ出してたもう。もう一人でいるのは嫌じゃ。後生じゃ、妾を神殿から出してたもう」

 真顔で懇願してくる幼女。
 相当、神殿での生活は堪えたようだ。

「……。で、適合者って?」
「主様が定めた条件に合った者のことじゃ。一定以上の魔力があり、妾との相性が良いことじゃ」
「なんで条件の中に、相性があるんだ?」

 ギクッ!との効果音が出ているぐらい幼女が体を振るわせた。
 わかり易い反応をしてくれる。

「妾を神殿から出すには、契約が必要じゃ。妾が外界で悪さをせんよう監視する役目があり、妾の仮主になるのじゃ。そのため、妾との相性が良いことが前提となるのじゃ」
「……。他に何か条件があるんだな。その条件を言え」
「妾は知らん!」
「目を逸らすな。説得力がないんだよ。言え! 吐け!」
「うぅ、話たら、おぬし逃げないか……」
「話にもよる」
「………………を生すことじゃ」

 幼女が小声で話すが、俺には聞こえない。
「えっ?」と俺が聞き返すと、真っ赤な顔でやけくそになりながら幼女が叫んだ。

「連れ出した者との子を生すことじゃ!」
「はぁーー?」
「うぅ、妾がつけた条件ではないぞ。主様が、兄上を見て、妾も同じことをすれば改心するじゃろと……。妾を捨てないでたまおぉーー」

 幼女が素早い動きで俺の足にすがる。
 主様から、改心するよう言われてるじゃねぇか!
 このじゃじゃ馬!
 さっきからこいつは、自分の悪い条件を隠そうとしてるのが、丸わかりだ。
 このまま無視して、放置してもいいんだけどな。
 無理か、しつこそうだ。
 子を生す条件さえなけば、契約してもいいんだが……。
 足にすがる幼女をチラッと見る………。
 無理だ。絶対に無理だ。子を生すなんて無理!
 成体ならまだ考えられるが、幼女は何があっても無理だ。

「悪いけど、無理。他あたってくれ」
「なっ……。五百年…。五百年待って、やっと、やっと、現れた適合者じゃ。神界には、帰れんでもよい。子を生さんでもよい。じゃから、神殿から連れ出してたもう」

 俺の足にすがりながら、必死に訴える幼女。
 なんか、わざとらしいんだよね。

「……。で、本来の条件は?」
「! これ以上は、知らん。本当じゃ、妾が神界に帰還できる条件として、神殿から連れ出した者との間に子を生すことしか聞いておらん! そもそも適合者の条件も主様が決めたもの。妾は関与すらしておらん!」

 その問いかけに、幼女は俺の足から手を離し、身振り手振りで状況を説明する。
 ここに嘘はなさそうだ。 

「神界に帰還できなくなれば、君はどうするの?」
「生涯、おぬしのそばにいる。それだけじゃ」
「神殿から出す。その場で解散! これでよくない?」
「むむむ。しかし、おぬし、妾の力欲しくはないか?」
「いらない」

 俺の即答に赤い目が大きく見開く。

「なっ、即答! わかっておる。わかっておったが、あんまりなのじゃ……。うっ、」
「泣けば、即帰る」

 話しが進まなくなるので、泣きそうだった幼女をとめる。
 ヨハンがテントでひとり待っているんだ。
 厄介事ははやく片付けたい。

「……っ。泣いてなどおらん! 神殿を出る前に、適合者と契約するのじゃ。その条件の中に、契約者のそばにいるが入っておるから、妾は、おぬしのそばからは、離れん」
「うわぁ、面倒くせぇー」
「うっ、仕方ないのじゃ。四六時中、そばにいるわけではないのじゃ。仮主との関係性があれば、離れていても問題いらん。おぬしの屋敷においてくれればよい」
「契約の他の条件は?」
「他の条件は──」

 幼女から条件の概要を一通り聞きだし、面倒だが契約することにする。
 どう考えても契約しないと、この場から帰してもらえそうもない。
 神話の白狼の妹である点も、後々、有効活用できるかもしれないと判断した。
 契約は所謂、魔契約の神獣版だ。
 細々とした契約条件があるが、生活上では何の支障もない。
 契約の中には、仮主への『絶対忠誠』という項目もあったが、これは幼女の暴走を止めるものだそうだ。
 だが幼女は、力をほぼ封印されているため、暴走するほどの力はないとのことだ。
 契約条件の説明中、幼女がコソコソと何かしているようだったが、あえて見逃した。

「わかった。契約しよう。子を生すことは、諦めてくれ」
「おぬし! 感謝するぞ! 子を生さんでもよい! おぬしの気が変わらんうちに、契約じゃ!」

 ポフン!
 幼女から、白銀の狼に変わり、その白銀の毛が、徐々に光だす。
 幻想的な様に、心が奪われる。その光が一瞬弾け、俺に注がれた。

「くっくく、これで契約は妾に優位に成った」
「お前、本当に馬鹿。台無し。まじで台無し」
「何故!? おぬし、何故、妾に暴言を吐ける? ああぁーーーーーー! 妾が優位になるように記した条件が書き換われておる! おぬし、何をした!」

 こいつ、俺を嵌める気でいたな。
 予防線を張って、正解だった。
 契約は成されたようだが、それは致し方ない。
 幼女は気付いていないようだが、幼女とは比べ物にならない別の力が働いているようだったと、考えていると、ピラピラと一枚の紙が、天から落ちてきて、俺の手元に収まった。

『我の神獣(ペット)が迷惑をかける。迷惑料として、そなたに我の加護(小)を与えよう』

 紙が消えると、俺の身体を温かい光が包みこむ。
 幼女が慌てて、叫んでいる。

「あっ、主様!?  何故、そやつに加護をお与えになるのじゃ? はっ!? 妾の枷が、枷が増えておる! 五百年の謹慎で、枷を減らしたのに……。うぅ、この一瞬で倍に! 倍になっておる! 何故、何故じゃ……。うわぁーーーーん」

 当り前の罰だよな。
 幼女の自分勝手な振る舞いに、主様が、更なる反省を科したのだろう。
 というか、これ、連れて帰るのか……。
 加護じゃなくて、契約の取消しをしてよ。
 まじで………。
 ジトーー。

「おっ、おぬし、どうした」
「どう考えても、体の良い厄介払いをしたんだなぁと思ってさ」
「なっ、なっ……」
「普通に考えればさ、適合者の条件も契約内容も、お前を抑えるためだけのものだろ」
「妾が……厄介者……」

 みるからに肩を落とし、幼女が床に膝をつく。
 その姿に、少しは改心してくれればと願う。
 そして『俺が一番の被害者だよな』と、心の中で悪態をついた。



「──ということじゃ」

 幼女こと、シルビアの説明に、俺は「なるほど」と相槌をうち「面倒だな。ディアの覚醒にも色々と条件があるのか?」と、再確認も含めて尋ねた。
 シルビアは大きくうなずく。

「うむ。そのディアという小娘は、覚醒に値する器なのかえ?」
「器に値するから、能力が付与されたんだろう」

 シルビアが、人差し指を立て「チッチッチッ」と口を鳴らしながら指を左右に振る。

「おぬしは、単純じゃのう。特に先天的能力は、その者に合うか合わないかで付与されているわけではない。ぐふっ」

 その得意げな顔と態度に、なんとなく腹が立ったので、俺はシルビアの顔面を手で覆う。

「何をするのじゃ!」
「あっ、悪い。無性に腹が立ったので」
「おぬし! 妾は、身体は小さくなったが、神界でも指折りの絶世の美女なのじゃぞ! その顔になんたる非道!」
「美女? どこに?」

 俺がわざとらしく周囲を見渡す。
 シルビアが、奇声のような声を出して否定した。

「ぐふっ、ここにおるではないか!」

 その形相に、自称絶世の美女が聞いて呆れる。
 ぐふっとか言っている時点で、駄目だわ。
 ギャーギャー、ほざいているが、無視だ。無視。
 それにしても、こいつを連れ歩くのか……。
 一旦、屋敷に……。
 いや、マリー姉様たちに迷惑がかかる。却下だ。
 黙っていれば、何とかなるか?
 未だ騒いでいるシルビアを見て、黙ることは無理だと悟る。
 そこに『ご主人様、駄犬を黙らせる方法がありますが』とヘルプ機能から素晴らしい提案が入る。
 その内容に俺は『おー!』と、心の中で拍手をする。
 シルビアの元の飼い主、主様の加護がそれを可能としたらしい。 
 さて、対策はできたし、シルビアを連れて、神殿を出ることにする。
 ヨハンをひとりにして、二時間弱。
 昼寝から起床して、俺がいないことに不安になっているかもしれない。
 騒いでいたシルビアの首元を掴む。

「ぐふっ!?」

 これはシルビアの口癖かと、だったら慣れるしかないなぁと、考えながらシルビアを引っ張りながら、神殿の外に出た。
 シルビアにとって、五百年振りの外だ。
 いくらシルビアでも、感慨深いよねと様子を窺うが、その目は驚きに満ちていた。
 思ってもいないその反応に俺は「えっ?」と首を傾ける。
 シルビアは、俺の元から離れると、湖の脇まで走って行き、声を上げた。

「! みっ、みずーーーー! 何故!? 何故、水に囲まれているのじゃ!」
「湖だからね」

 俺のツッコミに、シルビアが興奮した状態で叫ぶ。

「なぬっ。湖だと!? 妾は知らん! 主様に内緒で地上に下りた時は、湖などなかったのじゃ!」
「五百年経ってるから、湖ぐらいできんじゃない」
「むぅ。そうか……。じゃとしても、ここからどうやってでるのじゃ。まっ、まさか! 泳ぐのかえ!? むっ、むりじゃ、妾は泳げん。泳ぐぐらいなら、神殿に戻る!」

 湖に背を向けたシルビアは、一目散に神殿の中に向かう。
 その姿を目で追いながら、俺は告げる。

「神殿に戻るのか。お好きにどうぞ」
「仮主のおぬしも一緒に戻るのじゃ。神殿は快適じゃぞ。誰もおらぬが、食事も風呂も自動で用意される。望めば主様が禁止した物以外なら何でも手に入るのじゃ。菓子や遊具、本や魔法書なども全てじゃ」
「おまえ、悠々自適な生活送ってたんだな……」

 ほんの少しでも同情した俺の気持ちを返して欲しい。
 俺の軽蔑した視線に気づいたシルビアが、言い訳するように口をひらく。

「うっ、じゃが、誰にも会えん。話し相手がおらんのじゃ。虚しく、寂しかったのじゃ……」

 言葉にしてその情景を思い出したのか、その小さな体を縮め、孤独を噛み締めた。
 その姿に、かわいそうだと思ってしまう。
 はぁー。
 俺は額をポリポリとかきながら、シルビアへ向けて手を差し出す。

「俺は、空を飛んで行くけど、どうする?」


***


「手を、手を放すのではないぞ」
「はいはい。手は放さないから、少し離れようか」
「!! 何故じゃ! 妾は、はじめてなのじゃ、優しく、優しくしてたまもう」
「優しくも何も、飛びにくいんだよ」
「むっ、無理じゃ! これ以上は、離れることはできん! おぬし、落ちたら水なのじゃぞ」

 俺が離れると思ったのか、シルビアは、先ほどよりも近く俺にしがみつく。
 動きづらいったらありゃしない。
 かれこれ数十分。このようなやりとりが続いている。
 本来であれば、陸に着いているはずだ。
 あの時のしおらしさは、どこにいったのだ。

「そんな目で見ても駄目じゃ! 妾はこれ以上の譲歩はせんぞ!」
「わーってる。ほら、もう陸が見えた。あと少しだ。頑張れ」
「きゅ、きゅうに優しくなるのは、卑怯じゃぞ」

 俺の言葉に、シルビアが顔を真っ赤すると、急に大人しくなる。
 おっ、動きやすくなった。
 好機だ。
 飛ぶスピードを一気に上げ、加速する。
 シルビアが驚いて、ワタワタと動いているが、加速すればこちらのものだ。
 一気に魔テントの上空までたどり着き、周囲に魔物がいないことを確認して、降り立つ。

「やっ、やっと、地に足がつく! ここまで長かった、長かったのじゃ……。うっ、う、うーー」

 ヘナヘナと、腰を下ろし、半泣き状態で、地面に手をつく幼女。
 初飛行で、下は苦手な水。極度の緊張状態だったのだろう。
 少しすれば立ち直るだろうと見越し、シルビアを放置して、魔テントにかけられた術を確認する。
 術は解けておらず、ヨハン自身が外に出ようとした形跡もなかったことに安心する。

「ただいま」
「ジークベルト、どこに行っていたんだ。遅いぞ! パンケーキを一緒に食べようと待ってたんだぞ!」

 魔テント内に入ると、ヨハンが勢いよく俺に飛びついてきた。
 言葉とは裏腹に、心配させたようだ。
 ギュッと力強く、俺の腰に腕を回しているが、その手は僅かに震えていた。
「心配かけて、ごめんね」と、頭を数度撫でると、ヨハンが上目遣いで「心配したぞ」と口にして、頭をぐりぐりと押し付ける。
 なにこの生き物。
 可愛すぎるだろ。弟、めっちゃ可愛い。
 俺がデレーッと、鼻を伸ばしていると、そこに邪魔が入った。

「おぬしら何をしておるのじゃ?」
「ん? おまえだれだ?」
「小童が、妾に……!?」

 口をハクハクさせたシルビアは、声が出ないことに驚いている。
 その様子にヨハンが、疑問を投げかける。

「ジークベルト、こいつどうしたんだ?」
「お腹の調子が悪いようで、恥ずかしがって声が出ないようなんだ」
「!?」
「そうなのか。トイレはあっちだぞ」

 シルビアが首を横に振り、猛烈に拒否するが、俺は満面の笑みでトイレを指して『命令』した。

「シルビア、いっておいで」
「!!」

 体が勝手に動くことに戸惑いを隠せないシルビアは、口をハクハクさせたままトイレに入っていく。
 これも主様の加護のおかげだ。
 一日に一回、絶対『命令』が発動できるのだ。
 ヘルプ機能、よく見つけてくれた。

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 ご主人様のお役に立て、嬉しいです。

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『どういうことじゃ!』
『シルビア、悪いが、ヨハンに説明するまでそこにいてくれ』
『そういうことではないのじゃ! 何故、妾の声がでんのじゃ!』
『あぁ、それ。主様の加護でついた『遠吠え禁止』機能だ。シルビアの声をオン・オフできるんだ。便利だろ』
『なっ、なっ! まっ、まさか、身体が勝手に動いたのも……』
『そう。それも主様の加護でついた便利機能』
『ひっ、酷いのじゃーー!』

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 駄犬が、ギャーギャーと五月蠅い。
 ご主人様の邪魔をするのではない。

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『なんじゃ、この頭に響く失礼な声は? 誰じゃ!』
『俺の鑑定眼のヘルプ機能だ。とても優秀なんだ』
『鑑定眼のヘルプ機能じゃと!? そんなはずあるはずないのじゃ!』

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 あるのだよ。
 駄犬には到底思いつかない。

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『なんじゃとぉ……この気配、まさか!?』

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 駄犬が無駄に知識を持っていると厄介ですね。
 ご主人様、申し訳ございません。
 勝手ながら、駄犬との念話を強制的に切らして頂きました。
 ご主人様、私めに駄犬の調教許可を頂きたいのですが、宜しいでしょうか。

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 いいけど、ほどほどにね。
 あと君の正体は、まだまだ先でいいので、その辺も考慮してくれると有難い。

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 承知しました。
 私も、まだご主人様にお伝えするわけにはいきませんので、大変有難い申し出でございます。
 では、少々お時間を頂きたいと存じます。
 駄犬にどちらが、格上か分からせます。

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 俺の魔力量が増えるにつれ、ヘルプ機能ができることも増えたようだ。
 すでに鑑定眼のヘルプ機能の能力を逸脱している。
 そこは俺だからで、もうほとんど突っ込まないことにしている。
 そろそろ、ヘルプ機能の名前も決めないとなぁ。
 その前に、ヨハンにシルビアの説明だ。
 最低でもあと二日は行動を共にするので、受け入れてもらわないと。
 ヘルプ機能の調教に期待しつつ、共に行動する理由と俺のそばにいても怪しまれない理由を考える。

「ジークベルト、あいつ大丈夫なのか?」
「あぁ、大丈夫だよ。森に迷い込んで、そこら辺の物を口にしたようなんだ」
「もしかして、おれたちと一緒か?」
「ん? あぁ、そうみたいだ。この国とは違うところから来たみたいだ」
「だから、ジークベルトが外に出ていったんだな」
「あぁ、そうだよ」
「ジークベルトは、すっげぇーな!」

 ヨハンがキラキラした目で俺を見ている。
 なんだか都合よく解釈してくれたようだ。
 その眼差しに、いたたまれない気持ちになるが、グッとそれを抑え、俺は踏み止まる。
 いいように勘違いしてくれたので、それに乗っかることにする。
 ヴィリー叔父さんたちには、他の理由……。
 いや正直に話すべきかもしれない。
 どこまで話すか、そこも合流するまでに考えよう。
 とりあえず、今日の報告に同行者が一人増えたことを伝えよう。
 モフッモフッと、口いっぱいにパンケーキを頬張っている可愛い弟分の幸せそうな顔に、トイレの奥で、調教を受けているだろう問題児のことを今は忘れることにした。