俺とディアーナは、一行から離れ、王城の奥にあるこぢんまりした部屋へ案内された。
その部屋は、内側に魔法陣が張り巡らされ、おびただしい魔力が充満していた。
しかも、外側から魔力感知されない仕様となっている。
これはすごい。
術者の技術もさることながら、この部屋自体になにかありそうだ。
俺が感心して部屋の中を見ていると、扉が開く音がした。
颯爽と現れた殿下は、脇目も振らずディアーナを抱擁し、頬に口づけを落とした。
その行動を目撃した俺は、殿下からアル兄さんと同じ匂いを感じた。
「待たせたね」
「マティアスお兄様、お久し振りです」
「ディ、元気にしてたかい? 母上も会いたがっていたが、許可が下りなくてね。すまないね」
「いえ、わかっております。一時でも反乱の汚名がかかった者が、王妃に会うことはできません。お母様には、わたくしは元気に楽しく過ごしておりますと、お伝えください」
「元気に楽しくか……。ディ、今幸せかい?」
「はい。ジークベルト様の婚約者となり、わたくしは幸せです。お兄様、わたくしの婚約にご尽力いただき、ありがとうございます」
「かわいい妹のお願いだったからね。それにディを守るには婚約しかなかった。なんの力もない兄で申し訳ないね」
「いいえ、いいえ、お兄様……」
その謝罪に、ディアーナは首を何度も横に振り、殿下の服をギュッと握った。
殿下は、彼女を強く抱きしめなおすと、その頭を優しくなで、そっと放した。
そして、ジークベルトのほうへ体を向けて、一歩距離を詰めた。
俺は、予想よりもはるかに早い殿下の行動に、大きく目を開く。
あれ? もういいの? あっさりすぎない?
アル兄さんなら、抱擁したまま数十分は放してくれないよ。
その間にじっくり部屋を観察する予定だったのに……。
俺が読み違えるとは……。
はっ! うわぁー。俺、過保護兄姉に染まりつつある。
そんなはずは……ないと信じたい。
自己嫌悪に陥って落胆している俺に、殿下は訝しげな表情を見せるがすぐに改めると、俺に向かって手を差し出してきた。
「挨拶が遅れてすまない。ディアーナの兄のマティアスだ」
「ジークベルト・フォン・アーベルです」
殿下にならい簡易的な挨拶をした俺はその手に自分の手を重ねる。
非公式であっても本来なら最上級の敬意で挨拶をするのが礼儀だが、殿下の気持ちをくみ取った。
俺の対応に、殿下は満足そうにうなずいた。
「ジークベルト殿、どうか妹を頼む」
殿下はそう言ったあと俺の返答を聞く間もなく、緊迫した雰囲気を醸しだし、真顔で俺を見る。
「ジークベルト殿、もう察しがついていると思うが、近々この国は荒れる」
「お兄様!」
「ディ、心配するな。この部屋の防犯は、陛下の寝室並だ。事前に信を置いている者に手配し強化もしてある。盗聴の恐れはない。だから心配無用だ。あまり時間がない。ジークベルト殿に頼みがある」
殿下の力強く真剣な眼差しを受けて、俺は緊張からゴクリと喉を鳴らす。
目を閉じ、気持ちを落ち着かせてから、彼の目を見る。
「はい。なんでしょう」
「この国を捨て置いてほしい」
「っ、私にはそのような権限はありません」
「貴殿は『アーベル家の至宝』だ。貴殿が望めば、アーベル家が動く。世界もそれに準ずる」
「殿下のおっしゃっている意味がわかりません」
「今はそれでいい。貴殿がエスタニア王国を捨て置きさえすれば、この国は自然と滅亡へ進んでいくだろう。私はこの国の王太子だが、成人していない。後見人筆頭であったバルシュミーデ伯爵は、こたびの反乱で責を取らされた」
彼は一旦言葉を切ると覚悟を決めた顔で告げる。
「陛下が逝去すれば、兄上たちと王位を争うことになる。今は宰相が、トビアス兄上を抑えてはいるが、時間の問題だ。背後のビーガー侯爵も動きだしている。ディアーナは、婚約はしたが、降嫁したわけではない。王位継承権がまだある。反乱の首謀者は、いまだ不明だ。ディアーナを旗にする者も出てくるだろう。君たちを巻き込みたくはない。武道大会終了後、すぐに自国へ戻ってほしい」
一方的な言い分に、俺は唖然としてうまい言葉が出てこない。
すると、それまで静観していたディアーナが、怒りに体を震わせ、殿下に詰め寄った。
「お兄様……民を、民をお捨てになるのですか!」
「ディアーナ、私はこの国の膿を出しきる。王家の腐敗は、もう手遅れだ。重鎮たちもほぼ染まっている。民を捨てるつもりはない。だが、新しい国として生まれ変わるには、多少の犠牲はやむをえない。私には今力がない。兄上に王位が移っても、他国の支援がなければ長くはない。長い戦いとなるがその覚悟はある」
殿下はディアーナの怒りを表面上受け入れながら、なだめるように話すが、その方針は変わらないと暗に伝える。
その話に『それは偽善だ』と、俺は心で叫ぶが、彼に伝えることはしなかった。
殿下はまだ代々王にのみ引き継がれる古の契約、『王家の真実』を知らないのだ。
これは困ったことになった。
陛下の状態は、思っている以上にとても悪いのだろう。
古の契約が破棄されることはない。ただ宿い主を間違えれば、国が消えてしまう。
あぁ、本当に厄介なことになったかもしれない。
俺は純粋に武道大会を楽しみたいだけだったのにぃ……。
俺が苦渋に思案している中でも、殿下の話は続いていた。
「ディアーナ、トビアス兄上もそうだが、エリーアス兄上には、くれぐれも注意するんだ。エリーアス兄上は、表には出てこないが、着実に支持者を集めている。有力者がうしろ盾についたとの情報もある」
「お兄様……」
「ディ、そのように訴えてもダメだ。私の意志は変わらない。ジークベルト殿、ディアーナを頼みましたよ」
殿下はそう言って一方的に会話を終了すると、足早に部屋から出ていった。
俺とふたり、去る背中を無言で見つめる。
ディアーナは、その手のひらに爪が食い込むほど強く、拳を握っていた。
その手を労わるように、俺が拳に手を重ねると、彼女が泣きそうな顔して、俺を見上げた。
金の瞳が、さまようように揺れている。
性質は違うが、殿下とトビアスは兄弟だ。
ある意味、同じ帝王学を学んだのだとわかる。
王位継承権のあるディアーナが、臣下たちに軽視されている理由は、彼ら兄弟が原因であることがわかる。
いくら男尊女卑思想が根強くても、彼女の意見も聞かないで、一方的に話を決めるなんて横暴すぎる。
普段から彼女が意見を述べる機会はなかったのだろうと確信した。
殿下は、無意識の己の行いが、妹を苦しめているなんて思ってもいないだろう。
あぁー、一番面倒なタイプだ。
いっときでもアル兄さんと同じだと思った自分が情けない。
アル兄さんは、極度のブラコンだけど、俺を精神的に追いつめたりはしない。
適度な距離を保ちつつも、常に俺の最善を考えて行動してくれる。
超絶に甘いのだ。
たまーに、暴走するけどね。
ディアーナは何度も口を開こうとするが、そのたびに言葉をのみ込んでいる。
その仕草に彼女の心の葛藤が見える。
俺はただ彼女の答えを待った。
「……ジークベルト様、ここでのお話、マティアス王太子殿下との会話は忘れてください」
「わかった」
俺の返事に、つないだ手が震えた。
うつむきながら耐える姿はとても悲壮で、思わず手を貸したくなるが思いとどまった。
ディアーナは殿下を兄とは呼ばず、王太子殿下と呼んだことで、彼女が国の方針を受け入れたことがわかった。
だけど……きっと、俺の答えにかすかな希望を見ていたのだと思う。
ごめん。
俺は君の求める答えは返せない。
俺にその覚悟はない。
しばらくして、ディアーナがうつむいた顔を上げ、痛々しげに笑った。
理不尽な痛みに耐え、笑ったその顔を生涯忘れないと、心に刻んだ。
今俺にできるのは、屈託のないディアーナの笑顔を守ることだけだ。
「ディア、俺は、どんなことがあっても、君のそばにいる」
その頬に手をあて、浮かべた涙をすくい取る。
「ジークベルト様っ」と、胸に飛び込んできた彼女を抱きとめた。
本当は『助けて』と、叫びたいだろう。
それを彼女が口にすることは決してない。
この小さな体は、どれほどの重圧をかかえ、苦しんでいるのか。
想像に難くない。
痛みを分け合うように、俺たちは強く抱きしめ合った。
***
翌日。俺は今後のエスタニア王国について考えていた。
内戦の回避は難しい。だけど最小限の被害に抑えることはできるかもしれない。
だいぶ曖昧な答えだが、今はこうとしか言えない。
たくさんの人の命がかかっている以上、慎重にことを進める必要があるし、失敗はできない。
俺の受け皿は小さいが、目の前の大切な人の愁いを少しでも晴らすように努力はできる。
まずは、事前準備と協力者の確保が必須だ。
この短期間でエスタニア王国の協力者を見極めること、最難関ではある。
協力者が見つからなければ、この話は頓挫する。
協力者として最適だった伯爵は、権力の中枢から離れてしまった。
エトムント殿も、その影響で下手に動けないだろう。
そうなると、外部の人間となる。まだ会えぬ人なのか、もう会った人のなのか。これは俺の幸運にかけるしかない。
あと……。これとは別件で、ディアーナに伝えることもある。
俺は彼女の知りたい答えを持っている。今それを伝えれば、彼女は必ず行動に移すだろう。
内乱を止めるために、矢面に立つ彼女が想像できる。
時期尚早。冷静に考えれば、浅はかな行動だと気づくが、今の彼女にその余裕はない。
ディアーナには、王の器がある。
生まれながらにして所持しているそれに、彼女も誰も気づいてはいない。
そもそも『覚醒』していないから、ステータスに表示されない状況ではある。
現状、俺の『鑑定眼』だけが、見える内容だ。
うーん……。話すタイミング逃したよなぁ。