金髪の長身ニコライが、不機嫌そうに近づくと、前方に指をさし訴える。

「おいっチビ。あれはなんだ。戦闘もくそもねぇじゃねぇか」
「本人は至って真面目なんです。決してやる気をなくすことは言わないでください」
「しかしなぁ、指導しているテオがかなりまいっているぞ、ありゃー持たねぇよ」
「だっ大丈夫です。テオ兄さんは不屈の精神を持っています。こっ、こんなことぐらいで投げ出したりは決してしないはずです」
「おいおい、お前もやべぇーなと思ってるじゃねぇかっ」
「ではニコライ様が代わりに指導していただけますか」
「どうして、そこで俺に振る」
「これでもだいぶマシになったんです。僕が戦闘の指導をできるにも限界があります。魔法なら多少自身はありますが、短剣は論外です」
「お前っ、短剣スキル所持しているだろう。その時の経験をだなぁ……。そうかお前っ、天才肌だったな……くそっ、だから才能がある奴はこれだからっ。ちッ。そもそも鍛える必要あるのかっ。あれは才能うんぬんのレベルではないぞ」

 ニコライは、しばらく自問自答をすると、俺に向けて正論を言い放った。
 それを受けた俺は、平然と事実を答える。

「それは説明しましたよ。ニコライ様も迷宮でのレベル上げに同意してくれましたよね。それに父上とも契約しましたよね」
「ちッ、早まったな。ずいぶんおいしい仕事だと思ったが、こんな裏があったとは」
「契約破棄はできませんからね。すればアーベル家を敵に回すと思ってください」
「次は脅しかよ。ちッ、俺は契約の護衛以外は手助けしねぇからなっ」
「はい。それで十分です」

 俺が満面の笑みで返答すると、ニコライはフンッと踵を返し、俺のそばから離れていった。
 ニコライの視線の先には、何度もスライムの上に転びながら対峙しているエマと、短剣の指導をするテオ兄さんがいる。
 その横でハクとディアーナが懸命に応援している。
 たしかにテオ兄さんの顔から表情が抜け落ちている。
 これは想像よりもはるかにまずい。
 さてどうしよう──。

 俺たちは現在、数年前に発見されたアン・フェンガーの迷宮にいる。
 迷宮はダンジョンと違い、最下層にボスはいない。その代わり最下層に到達すると『到達ボーナス』がもらえる。
 その中身はさまざまだが、迷宮の難易度が高ければ高いほど、いい品がもらえるらしい。
 噂では『スキル玉』や『ステータス玉』といった品もあるようだ。
 今回の表面上の目的は、踏破。
 本来の目的は、エマの強化だ。
 コアン下級ダンジョンでのレベル上げは、順調そのものだ。
 武道大会まで残り一ヶ月、目標であるLv10に全員が到達した。
 エマのステータスは相変わらずの低数値だが、よくがんばったと思う。
 ただ、技術面はなかなか上がらず、ハクの『氷結』に頼ってばかりだ。
 ディアーナは『疾風』が使用できるようになり、短剣の扱いもうまく、もう少しすれば短剣スキルを所持できるのではないかと、俺の勘が伝えている。

 戦闘を終えた後、テオ兄さんが一心不乱にハクをモフっていた。
 これは相当こたえている。ハクを派遣して正解だった。
 ハクは気持ちいいのか、尻尾をパタンパタンと、リズミカルに動かしている。
 ほかの皆は小休憩を終え、次の戦闘への準備を始めている。
 あとはテオ兄さんの復活待ちだ。
 当初の予定では五階層まで一気に下りるはずだったが、いまだ二階層。想像以上のエマのポンコツぶりに、テオ兄さんの精神が悲鳴をあげ、たびたび小休憩を挟んでいる。
 まぁ、精神がまいるのもわかる。
 例えば、スライムに短剣で攻撃を仕掛けるも、その直前で転ぶと、なぜかスライムの真上にダイブする。そのままスライムにもてあそばれ、助けようとしたテオ兄さんを巻き込み、あられもない姿にさせてしまった。
 それを繰り返すこと、五回。この短時間にだ。
 ほかにもいろいろあったが、たぶん一番こたえたのが直前の戦闘だったと思う。
 エマの行動パターンを把握したテオ兄さんは、攻撃方法を変えるよう指示。短剣を投げるという絶対に選んではいけない攻撃手段を選択した。
 この時点でテオ兄さんの判断能力は、だいぶ低下していたんだと思う。
 エマが投げた短剣は、なぜかスライムとは反対方向に飛んでいく。根気よくテオ兄さんは指導するが、短剣は一度もスライムに命中することはなかった。
 いや、とどめを刺したのは、エマの短剣だ。
 意図せずスポッと手から離れた短剣は、スライムの核に命中し、ドロップ品に変わったのだ。
 テオ兄さんはその様子を見て、唖然としていた。
 そこにニコライが現れ、テオ兄さんを慰めていた。
 その姿を見て俺は、エマの面倒を見させて本当に申し訳ないと思った。でも、俺がすがることのできる相手は、もうテオ兄さんしかいないのだ。許してほしい。
 当事者のエマは、動く魔物の討伐に大興奮していた。
 瀕死状態や氷結状態の魔物を刺すだけだったから、とても新鮮なのだろう。
 エマ、本当にレベルを上げていてよかったね。じゃないと瞬殺だよ。

 もう少しテオ兄さんには、癒しの時間が必要だと悟った俺は、新作の『クレープ』を出して時間を稼ぐことにする。
 もちろんクレープは大好評である。

「セラ様も、ご一緒できればよかったですね」

 口の端に生クリームをつけながら、クレープを賞賛していたエマが、ふと思い出したかのように切り出した。

「セラは基礎体力をつければ、動けるようになるが、時間がかかる。悪いなっ」

 ニコライがうれしそうに、エマに答えると、話題の中心がセラの話となった。

 セラは、先日よりアーベル家本屋敷で、治療のため滞在している。
 専属契約の条件の中にセラの治療がある。理由はニコライが仕事に集中するためだそうだ。
 病床生活が長いセラは、体に筋力がなく、歩くにも補助が必要な状態だ。
 その治療だが、俺が極秘に『吸収』と『低下』をしている。
 あの日、コアンの下級ダンジョンから帰宅した後、叔父ヴィリバルトに呼び出されたのだった──。


 ***


「久しぶりだね、ジーク」
「授与式以来ですね」
「そうか、授与式で会っているんだ。ダンジョン踏破で毎日一緒だったから、一日顔を見ないだけでも、ずっと会ってないような気になる。もう感覚が麻痺しているね」
「そうですね」

 俺が同意するようにうなずけば、叔父の目が獲物を捕らえるような鋭さに変わっていた。
 背筋に嫌な汗が流れる。

「それで今日は、折り入ってお願いがあるんだ」

 ゴクっと思わず咽喉を鳴らしてしまう。

「そんなに緊張しなくても簡単なことだよ。ニコライの妹セラの治療に『吸収』と『低下』が必要でね。それをジークに使用してほしいんだ」
「その魔法は、呪属性ですよね。残念ながら僕には適性がありません」
「そうだね。適性はないけど、使用はできるよね」
「……っ」

 核心を突かれ、俺は言葉をなくす。
 やはりバレている。
 どうする。どうするべきだ。落ち着け。

「エスタニア王国の騎士を助ける際、適性のない『癒し』を使用したね。今は理由を問わない」

 やはりあの時、気づかれていたようだ。叔父が見逃すはずがない。
 全属性をなんらかの方法で、俺が使用できるとの結論に至ったのだろう。
 とりあえず俺は、それに乗るしかないようだ。

「今は問わないんですね。わかりました。試してみます。『吸収』と『低下』は、本でしか確認したことがありません。実用までに時間がかかる可能性があります」
「できれば明日には、彼女に使用してほしい」
「努力します」

 叔父の真剣な表情に、病が相当悪化しているのだと察した。
 俺の魔法で治療ができるなら、助けてあげたい。
 ただ呪魔法は一度試しただけで、それ以降まったく使用していない。
 明日までになんとか『吸収』と『低下』を使えるようにがんばろう。

「治療内容は、極秘だから安心していいよ。ジークが、秘密を打ち明けてくれるまで待つよ。兄さんにも内緒だ。まぁ、ほぼほぼ症例がない魔力飽和だから、治療方法を調査するにもできないんだけどね」
「魔力飽和ですか」
「そう魔力飽和だよ。最初は体のいろんなところに小さな気泡ができるんだ──」と、叔父が魔力飽和の説明を始めた。
「本好きのジークも知らない症例だろ。それに知ってるかい。魔力飽和の最近の症例は約二百五十年前のもので、病にかかったのが、勇者と共に召喚された異世界人だったってことだ。バーデン家の血筋をたどれば、もしかするともしかするかもね」

 叔父が興味深そうに話す。その声は弾んでおり、次の研究対象としてニコライが選ばれたのだと察する。
 超紳士な叔父が、妹セラを研究対象にするはずはない。女性や子供にはとても優しいのだ。
 その場でニコライに合掌する。
 耐えろニコライ。きっとひと皮むけ、能力が格段に上がるはずだ。