「さて兄さん、彼と契約書を交わす前に、妹さんに会いに行きましょう」
「待てっ、今妹は顔の腫れがひどい。魔草を数日連続して飲めば、ある程度腫れが引く。それまでは外には出せない」
ヴィリバルトの発言をニコライが慌てた様子で止める。
その慌てように、ヴィリバルトは首をかしげると、諭すように話しだした。
「君が心配している顔の腫れについてだが、私は顔を見ないでも『鑑定眼』を使用できる。顔を隠す服を用意しよう。屋敷までは『移動魔法』を使うので、誰かに見られる心配はない」
「……そうだなっ。早く原因がわかったほうが、セラのためになる。頼む」
「我々より、女性同士のほうがいいだろう。ヴィリバルト、マリアンネを呼んでくれ」
「了解。『報告』」
ギルベルトの指示にヴィリバルトが魔法を使うと、魔力が応接室の外に流れていく。
ヴィリバルトがニコライに質問する。
「さて、マリーが来るまでに確認したいんだけど、君は今、第三市内の一般区に部屋を借りているね」
「調査済みかよ。あぁそうだ。バーデン家の屋敷は魔草の費用のために売り払った。だから今は借家に妹とふたりでいる」
「年配の夫婦も一緒ではないのかい?」
「彼らは元バーデン家の家人だ。俺たちが屋敷を手放した際、ほかの使用人たちは他家へ再雇用の手配をしたが、彼らだけは断固として他家への雇用を嫌がった。結果、俺たちの隣に部屋を借りて、厚意で妹を見てくれている」
「では、君の家族はその家人も含め、三名だね」
「そうだなぁ。彼らはもう家族だ」
「調査通りでよかったよ。用意していたものが無駄になるところだった。あぁ君は専属の条件をまだ確認していないから知らないとは思うけど、家族も含め、アーベル家に住んでもらうよ」
「はぁーーっ?」
「なにを驚いているんだい? 君はアーベル家の半永久的な専属になるんだ。住まいも移してもらうよ。ちなみに住む場所はここではなく、私の屋敷だけどね」
ニコライの「なぜ、お前の屋敷なんだ」と反抗する声に「トントン」とノックする音が重なった。
その扉が静かに開くと、茶色の髪を束ねたマリアンネが、大きな黒い瞳を瞬かせ、一瞬戸惑った表情を見せながらも入室する。
部屋をサッと見回すと、ギルベルトのほう方へ歩きだした。
ピンッと背筋が伸び歩く姿は上品だが、かなり気の強そうな女だとニコライは思った。
「お父様、お呼びとのことですが」
「マリアンネ、急に呼び出してすまない」
「大丈夫です」
「早速だが、ヴィリバルトと一緒に、ニコライ殿の妹さんに会いに行ってほしい。そして身支度を整えて屋敷に連れてきてほしいのだ」
「わかりました。身支度を整えるにしても失礼があってはいけません。どれぐらいのお年の方でしょうか」
「十一歳のはずだよ。あとマリー、彼女は長い間床に臥せており、現状病気が悪化しているようだ。『移動魔法』を使用するけど、顔まで覆えるようなフード付きのローブを用意してあげてほしい」
ヴィリバルトの珍しい気遣いに、マリアンネはその大きな目を瞬かせる。
「わかりました。どちらに滞在なさるのでしょうか」
「病気が完治するまでは、こちらで滞在してもらう。完治後は、ヴィリバルトの屋敷に住むことになる」
「ヴィリー叔父様の婚約者候補ですか?」
「ふざけるなっ」
ニコライの怒声が、応接室に響き渡る。
俺の大切な妹が一瞬でも赤の魔術師の婚約者候補だと勘違いされただけでも不愉快だ。
セラは……ないとは思うが、万が一、赤の魔術師に好意を抱いても絶対に、俺は反対だ。
「マリー、いくら私でも許容範囲ってものがあるよ」
「申し訳ございません」
「あっ、そうだ。紹介するね。彼はニコライ・フォン・バーデン。ジークたちの専属護衛として雇うことになった。彼とは長い付き合いになる」
「ジークの専属護衛ですか?」
マリアンネが、ニコライに品定めするような視線を向ける。
そのぶしつけな視線にニコライは眉をひそめるが、感情を抑えて挨拶をした。
「これから世話になる。ニコライ・フォン・バーデンだ」
「私はマリアンネ・フォン・アーベルです。あなた、貴族なの。それにしては品がないわ」
「もう貴族じゃねぇよ、没落済みだ。あんたはもう少ししとやかさを学んだほうがいいんじゃねぇか」
「まぁ失礼な方ね。ヴィリー叔父様、ジークの教育によくない影響を与えそうです。私は反対ですわ」
「マリアンネ、彼はジークたちの護衛になってもらう。これはアーベル家での決定事項だ」
「わかりました。お父様。私はこの屋敷の管理を任されています。屋敷内でなにかあれば報告してください。あなたはジークの護衛になるとのことですが、ジークと接する時は上品にお願いします」
「悪いがそれはもう無理だ」
「マリアンネ、彼はテオバルトの友人でもある。ジークベルトとはすでに面識はある」
「なんてことなの。最近、一人称が、僕ではなく俺と話す時があるんです。あれはこの人の影響のせいね! 私のかわいいジークが──」
そう言って、マリアンネは自分の世界に入ってしまった。こうなると、ギルベルトかジークベルトの声しか聞こえなくなる。
とても厄介な状態だが、本人が折り合いをつけて現実に戻ってくるまで、今回は時間がかからないとギルベルトは判断し、ここは放置することにした。
「悪いね、妹は極度のブラコンなんだ。悪気があるわけではないんだ」
「いや、前にテオから聞いていたが、聞くと見るでは大違いだなぁ」
「あれでもだいぶマシなんだ」
「あれでマシなのか。ジークベルトは苦労してるな」
「はははっ、そうだね。兄としてはなんとかしてあげたいが、こればっかりは無理だ」
アルベルトは、乾いた笑いをして、あきらかに落胆する。
ニコライは身を乗り出すと、落胆したアルベルトの肩を叩き「お互い、がんばろうぜ」と、励ました。
長男同志の小さな友情が、芽生えたのだった。