「ガルゥー!〈やったぞー!〉」

 勝利の雄叫びをあげているハクの横で、ドロップ品を素早く回収している俺。
 ただいまコアン下級ダンジョンで、ハクのレベル上げの真っ最中である。

「ハク様、見事な討伐でした」
「あの動きは私には無理です。姫様どうしましょう」

 ディアーナが拍手をしてハクの討伐を褒める横で、青白い顔をしたエマが両手を頬にあて叫ぶ。
 エマ、大丈夫だ。君に戦闘能力は望んでいない。最低限の身を守る技術があればいいのだ。

「ハク、魔物を弱らせてくれるかい。エマが一撃で倒せるぐらいに弱らせてほしいんだけど」
「ガウ!〈わかった!〉」
「ありがとう。ハク」

 俺の意図を正確に読み取ったハクは、尻尾を大きく振り同意してくれた。
 俺がハクの頭をなでていると、エマが遠慮がちに恐縮して言う。

「あっあの、ジークベルト様、それではハク様に申し訳ないというか。私でも、なんとかひとりで倒せるようにがんばりますので」
「死ぬよ。エマ、君のステータスは説明したよね。甘く見ていたら死ぬよ。ここは下級ダンジョンだけど推奨は冒険者ランクC。君ひとりで格上の魔物と戦闘できるわけない。ここはハクに任せるんだ」

 俺がいつになく厳しい態度を示したことで、エマの表情が引き締まった。

「はっはい。すみません。ハク様お願いします」
「ガウッ!〈まかせて!〉」

 ハクがLv6に到達したため、本来の目的であるエマのレベル上げをする。
 エマのステータスは、尋常じゃないほど低かった。早急に対応する必要があるため、パーティーを組むための条件などと悠長に述べている場合では なかったのだ。
 横着してエマのステータスを確認していなかった俺にも問題はある。もう後悔はしたくない。


 ***********************
 エマ・グレンジャー 女 12才
 種族:人間(エルフクォーター)
 職業:侍女見習い

 Lv:1
 HP:8/8
 MP:1/1
 魔力:2
 攻撃:3
 防御:6
 敏捷:1
 運:7

 技能スキル:料理Lv3、家事Lv2、作法Lv1

 加護:精霊の祝福(封印中)
 ***********************


 このステータスでよくダンジョン踏破についてきたと思う。
 俺の鑑定眼の情報でエルフのクォーターであることもわかった。本人は認識がないようだ。
 非常に残念なことにエマは、魔力がない。精霊の祝福があるにもかかわらず、精霊と魔契約できるだけの魔力がない残念なエルフなのだ。

 二年前にディアーナに拾われたエマだが、それまでは山奥に母親とふたりでひっそりと住んでいた。母親が亡くなり、たまたま訪れた王都でディアーナと会い、そのまま侍女見習いとして仕え始めたそうだ。
 いや、本当に今までよく生きてこられたと感心するステータスだ。


 ***


 エマのステータスに衝撃を受けた俺は、すぐにエマのレベルを効率よく上げるため、コアンの下級ダンジョンを選択した。
 子供じゃないのだから、白の森でホワイトラビットを追うような、のんきな狩りはできない。
 それにハクやディアーナ、そして俺の戦闘経験を増やす必要もある。経験がものをいうことを踏破で実感した。
 しかも、叔父の伯爵の叙爵後、アーベル家は多忙を極めていた。
 そのおかげで俺たち子供たちへの監視が甘くなっていたことを俺は見逃さなかった。
 絶好の機会に、ディアーナたちを引き連れ、普段通り修練場に向かうと迷わず『移動魔法』でコアンの町へ移動した。
 転移した瞬間、ディアーナは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻し「『移動魔法』やはり使えたのですね」と冷静にひとりで納得していた。対するエマは「えっ、えーー? 修練場にいたはずですが、ここはどこです?」と、かなりのパニックに陥っていた。
 そんなふたりをよそに、俺はすぐ指示をして歩きだした。

「説明は後で、すぐにダンジョンに入るよ」
「はい」
「ガウ!〈わかった!〉」
「あっ、ジークベルト様、姫様、ハク様、置いていかないでくださいっ」

 事前に認識阻害の魔法をかけていたので、周囲から不審な目で見られることもなく階層スポットに入る。
 そこから十七階層の洞窟に転移した。
『地図』スキルを発動させる。近くに人がいないことを確認し、半径一キロ以内に接近した場合、アラートが鳴るよう設定する。

「ガルゥ!〈早く狩りに行こう!〉」
「ハク、待って。先にディアたちに説明しないといけないから」
「ガウ!〈わかった!〉」

 ダンジョンに興奮して急かすハクを止める。ハクはご機嫌な様子で俺のそばに寄り、尻尾を俺の足に絡ませた。どうやら催促しているようだ。
 そんなハクの頭をなでてから、ディアーナとエマの態度に注視する。
 ディアーナは、洞窟内を注意深く見回し「前回の場所とは違うようですね」と、周りの状況を把握していた。エマは、その横で唖然と突っ立っていた。
 これは性格の差かもしれないが、致命傷となる。この部分も改善しなければならない。
 あと二ヶ月、いや抜け出せる機会はそうそうない。そう考えると時間が足りない。
 ネガティブに考えてはダメだ。今できるところまでやろう。最善を尽くすんだと気合を入れる。

「僕が出した条件だけど、反故にしてごめんね」
「いいえ、なにか事情があるのですね」

 俺が話を切り出すと、ディアーナが姿勢を正して反応する。エマも緊張した面持ちで俺を見る。

「近々エスタニア王国で武道大会があるよね」
「はい」
「それにディアは同行するね。名目は僕の婚約者となったことの報告だ」
「はい」
「先日の反乱の根が深いのは、わかるね」
「はい」
「ディアは表向き、王位継承権は第四位だ。父上は『降嫁すると決まった時点で、王女の王位継承権は消滅する』と言っていた。『降嫁すると決まった時点』とは、いつの段階を示すのだろう。婚約をした時点? 結婚をした時点? 多くの人は結婚をした時点であると考える」
「それは……」

 ディアーナが目を見開き、言葉を詰まらせる。
 それを目視した俺は、確信めいたことを告げる。

「たしかにアーベル家は他国であり、婚約した時点で婚約破棄される可能性はないに等しい。だけど王位継承権が消滅したと考えない人もいるんだ」

 一瞬でディアーナの顔色が変わった。俺が言いたいことを悟ったようだ。

「また狙われるのでしょうか?」
「わからない。だけど用心に越したことはない」
「はい。では今回の同行は、私共のレベル上げでしょうか」
「うん。ディアもレベル上げが必要だけど、早急に対応しないといけないのは、エマだよ」

 突然話を振られたエマは「わっ私ですか!?」と、狼狽する。そんなエマに、俺は真剣な表情で尋ねる。

「エマ、君のステータスは絶望的に低い。というか、いまだLv1だよね」
「Lv1ですが、絶望的なんて大袈裟に言いすぎですよ」
「エマ、あなたLv1なの?」
「はい。姫様、なにかおかしいでしょうか?」

 ディアーナの態度から、なにかを察したエマがその様子をうかがいながら尋ねるが、彼女がそれに答えることはなかった。
 エマの肯定に絶句していたのだ。
 俺はそれに気づくと、ディアーナの代わりにエマの質問に答えた。

「エマの年齢でLv1なんて、ほぼいないんだよ。最低でもLv5はある」
「そうなんですか? 今まで不便を感じたことはありませんが?」
「そこが不思議なんだよね。ステータス値はあくまで数値化されているだけで、基礎体力は比例してないのかもしれない。だけど、エマの数値だけを考えれば、あしで足手まといになる。エスタニア王国に行くまでに、最低でもLv10にするんだ。これは、ハク、ディアもだ」
「「はい」」
「ガウ〈わかった〉」

 全員が神妙にうなずく。事の大きさをわかっているようだ。
 安心した俺は、各自のレベルとステータスを書いた紙を『収納』から出して各々に見せた。

「現在の各自のレベルはこれだよ」


 ***********************
 ジークベルト・フォン・アーベル
 Lv:12
 HP:230/230
 MP:1310/1310
 魔力:1310
 攻撃:230
 防御:230
 敏捷:230
 運:420
 ***********************


 ***********************
 ハク
 Lv:6
 HP:275/275
 MP:235/235
 魔力:255
 攻撃:215
 防御:185
 俊敏:290
 運:125
 ***********************


 ***********************
 ディアーナ・フォン・エスタニア
 Lv:5
 HP:34/34
 MP:39/39
 魔力:42
 攻撃:28
 防御:30
 敏捷:26
 運:10
 ***********************


 ***********************
 エマ・グレンジャー
 Lv:1
 HP:8/8
 MP:1/1
 魔力:2
 攻撃:3
 防御:6
 敏捷:1
 運:7
 ***********************


 ステータスを見たエマが「ほぉわぁー」と、歓声をあげる。

「ジークベルト様やハク様のステータスは、すごく高いですね。お強いのも納得です」
「エマ、あなたのステータス……っ」

 エマの横で小刻みに震えながら言葉をつなぐディアーナ。

「今までどうしていたの。わたくし、無理をさせていたのかしら? 主人として失格だわ!」
「姫様? 無理などしてませんよ。主人失格なんて、姫様は最高のご主人様ですよ。あっ今はジークベルト様もですけどね」

 ディアーナの嘆きに、その意味を理解していないエマが慌てて否定するも、彼女にその声は届いていない。
 ディアーナのあからさまな動揺は、しかたがないことだ。
 エマの年齢から考えても、このステータスはありえないのだ。
 基礎体力がステータス値に比例していないとしてもこの数値では、悪病にかかり命を落とすこともあるはずだ。
 レベル上げは、戦闘経験値、魔物を倒すほかにも方法がある。一般の人が戦闘をすることは難しいが、日々生活をしている中で人は体力をつけ、行動する。それが蓄積され、成長と共に若干だがレベルが上がるのだ。
 エマにはその蓄積がない。原因は『精霊の祝福』だ。
 気になってヘルプ機能で調べた。


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 エルフクォーター……。
 まさか身近にいたとは、気づけず不覚。

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 ヘルプ機能? 何か言った?


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 いいえ、なんでもございません。失礼しました。
 エマ・グレンジャーが、なぜLv1なのか、原因は『精霊の祝福』です。
 精霊の祝福は、精霊と魔契約するのが大前提のものです。
 魔契約をすれば恩恵がもらえますが、しなければ弊害があります。

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 その弊害が、経験値が蓄積されないってことなのか。だけどエルフは、誕生時に精霊の祝福があるはずだ。
 だとすれば、魔契約するのに相当時間を要することになる。


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 エルフは種族特性で、初期ステータス値が人間より高いのです。
 特に魔力は、魔契約できるだけの値があります。
 以前にも申し上げましたが、たまに魔契約できないほど魔力がないエルフもいます。

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 あぁ、残念エルフね。
 といことは、エマの種族は人間だから、人の初期ステータスで魔契約できず、経験値の蓄積もできないってことだね。
 さんざんな結果だ。
 しかも、HPや防御以外の数値が極端に低すぎる。こればかりは個人の才能なので、どうしようもないが、歯がゆすぎる。
 ヘルプ機能、精霊の祝福の封印中は、なにか影響があるのか。


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 影響と申し上げていいのか、封印中のスキル・加護は、『鑑定』時に他者には見えません。
 封印は、先天性・後天性があり、エマ・グレンジャーの『精霊の祝福』が封印されたのは、後者です。
 母親が封印したようです。

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 俺にそれが見えるのは、転生特典でもらった特別な『鑑定眼』があるからだろう。
 母親が封印した経緯は、おそらくトラブルに巻き込ませないためだと予想がつく。
 しかし、エマ本人は精霊の祝福があることを知らない。知っていたなら、魔契約を望むだろう。
 なぜ母親が本人に教えなかったのか、疑問は残る。もしかしたら、エマの魔力値の低さに絶望したのかもしれない。今のエマの魔力値では、魔契約できる精霊がいないのだ。
 精霊との魔契約は、ランクが低い精霊でも魔力値が最低30はいる。
 精霊のランクが上がれば、必要な魔力値も当然上がる。
 ただし例外がある。『精霊の祝福』を与えた精霊はどのランクであろうと、魔力値が30で魔契約ができる。
 エマの場合、魔力値の初期値が2のため、レベルアップ毎に増える値は1~2である。最低でもLv15、最高でLv29で魔契約に望めるのだ。
 できれば精霊の祝福を与えた精霊と魔契約させてあげたいが、いつどこで精霊の祝福を受けたのか不明だ。


 ***********************

『精霊村』で情報を確認することができます。

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 うん。ヘルプ機能、ごめん。
 まだ『精霊の森』には行かないよ。
 そもそも今のエマでは、魔契約できないしね。


 ***********************

 くっ…。またしても機会ではなかった。

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「今度こそこれで最期です。ヤァッ!」


 瀕死状態のオークにエマが、何度目かのとどめを刺す。
 簡単なお仕事のはずが、なぜかオークはドロップ品にならない。HP1から動きがないのだ。
 オークはEランクの魔物だ。ホワイトラビットはFランク、1ランクの差がこれほどまでも大きいとは予想外すぎる。
 攻撃力3は伊達ではなかった。
 そうだ、ここは武器に頼ろう!
 俺は『収納』からミスリル製の短剣を出して、戦闘中のエマに声をかけ、それを渡す。

「エマ、短剣を交換しよう。これで刺すんだ」
「ヤァッ! えっ? あっ、はっはい。わかりました」

 急な俺の指示にエマは戸惑った表情で動きを止めるが、素直に短剣を交換する。
 するとエマの顔つきが変わる。その短剣が別格だと気づいたようだ。

「これで、倒せるよ」
「はいっ! 頑張ります!」
「エマ、頑張って!」
「ガウッ!〈がんばれ!〉」

 温かく見守っていたディアとハクがエマを激励する。
 はにかんだ顔をしたエマが、瀕死状態のオークと対峙する。
 勢いをつけ、オークに短剣を刺す。
「グサッ」と今までに聞いたことのない音がオークの体から聞こえ、オークの肉がドロップされた。

「やっ、やり……レッ、レベルが上がりました!」
「よかったわね、エマ!」
「はい。姫様! うれしいです!」
「ガゥ!〈よかったな!〉」
「よくやったね! この調子でレベルを上げていこう!」
「はいっ! ハク様、ジークベルト様、ありがとうございます!」

 すごく喜んでいるエマに水を差すことはしたくないが、ステータスの上昇がほとんどなかった。


 ***********************
 エマ・グレンジャー
 Lv:1 → 2
 HP:8/8 → 13/13
 MP:1/1 → 2/2
 魔力:2 → 3
 攻撃:3 → 4
 防御:6 → 8
 敏捷:1 → 2
 運:7 → 7
 ***********************


 一番数値が高いHPで5上昇したが、あとは1~2である。
 これはLv10で、どうにかならないかもしれない。
 とっ 、とりあえず、今はやれるだけのことをしよう。
 吉報はオーク一匹で、ホワイトラビット四匹以上の経験値を得たことだ。
 となると、オーク三匹を倒せば、Lv3になる計算だ。これは思ったより早くレベル上げできそうだ。
 早速、次の獲物を探すために『地図』を起動させると、オーク五匹の反応がある。

「ハク、正面右側200m先にオーク五匹を確認。できれば全部瀕死状態にしてほしい。できるかい?」
「ガウッ!〈がんばる!〉」

 返事と同時に走りだすハクを見送る。ハクは、ほっておいても大丈夫だ。

「エマ、次もオークだ。三匹倒せばレベルが上がるはずだ。ディアも今回は参加してほしい。おそらくレベルは上がらないけど経験値は稼げる。エマが四匹、ディアは一匹を頼む」
「「はい」」
「では行こう。ハクが先行してオークを瀕死状態にしてくれているはずだ」

 俺たちがハクに追いついたところで『地図』に、反応があった。ランクDのキラーバット二匹が、少し先で現れたようだ。
 詳細を確認すると、近くにある小部屋でも、大量の魔物の反応がある。
 とてもおいしい状況に、頭の中で計算をしてハクに声をかけた。

「ハク、ありがとう。この先にキラーバット二匹いるんだけど、倒してくるかい?」
「ガゥ?〈いいの?〉」
「うん。お願いしていいかい」
「ガゥ!〈わかった!〉」

 尻尾を激しく振り、うれしそうに走り去るハクを見送りながら、我儘な主人で『ごめんね』と、心で謝罪する。
 小部屋での戦闘で、ハクのテンションはさらに上がるだろう。
 よし! フォローは完璧だ。
 俺の目の前には、瀕死状態のオーク五匹が整列して倒れている。もちろんHP1の状態だ。
 倒れているオークの上から、エマがミスリルの短剣を刺す。一撃でオークはドロップ品に変わる。
 その様子にエマが素っ頓狂な声をあげ、歓喜する。

「ふぇっ? 一撃ですっ!!」
「すごいわエマ! レベルが上がった効果ね!」

 喜んでいる二人を後目に、攻撃値1しか上がってないんだよ。
 ミスリルの短剣の攻撃力のおかげであるとは口が裂けても言えない。
 エマは続けて、残りのオーク三匹を倒し、ディアも一匹倒した。ハクもキラーバット二匹を倒したようだ。反応がなくなっている。
 予想通りエマのレベルは上がり、ステータス値の増加は相変わらず低いが、順調ではある。
 この調子でレベルを上げ、エマは平均並みのステータス値を目指そう。


 ***********************
 エマ・グレンジャー
 Lv:2 → 3
 HP:13/13 → 18/18
 MP:2/2 → 3/3
 魔力:3 → 4
 攻撃:4 → 6
 防御:8 → 11
 敏捷:2 → 3
 運:7 → 7
 ***********************


 攻撃値が2上昇! 防御が3上昇! しかも防御は二桁だ!
 よしよしよーし!
 この調子で、Lv4を目指そう!
 今日は小部屋まで足を運び、階層スポットに戻ることにする。
 修練の時間と、侍女たちの見回り時間を逆算すれば、妥当な判断だ。

「ハクに合流したら、少し先にある小部屋へ向かうよ。そこには大量の魔物がいるので、ぼくとハクで倒すよ。できればディア達に魔物を残すよう努力はするね」
「はい」
「私は今日Lv3になりましたので、充分です。もう満足です!」
「そうだね。よく頑張ったよ」

 嬉しそうに報告するエマに、ステータスの事実を伝えるのはよしておこうと心に決める。
『ステータス表示』で確認はできるが、おそらくエマはありのままの数値を受け入れ、喜ぶだろう。
 あの様子から既にステータスを確認しているかもしれない。
 まぁ、他と比べることができないから、ステータスの低さはわからないだろう。
 ん? しまった!
 俺各自にステータスの紙を見せたのだった。
 回収はしたが……、エマは……気にしてない。うん、大丈夫そうだ。
 そうこうしている内に、ハクと合流し、小部屋の前まで辿り着く。

「ジークベルト様、ハク様、ご武運を! 私共はここでお待ちしております」
「うん。小部屋以外に魔物の反応はないけど、気は抜かないでね」
「「はい」」
「うん。ハク行こう!」
「ガゥ!〈行く!〉」

 小部屋の扉を開け『疾風』で飛んでいる魔物の羽を落とす。
 ハクは前足で次々と落ちてくる魔物を切り裂く。ドロップ品がドンドンと落ちていく。
 スライムの塊に目を向けるが、ハクが『氷結』でスライムを凍らす。そのファインプレーにその手があったかと感心する。
 ラッキーなことに、羽の落ちたキラーバットが三匹凍っている。これはディア達に倒してもらおう。
 そこから俺とハクの無双が始まる。
 時間をかければ、ひとりでも倒せる魔物だが、いかんせん数が多い。
 その数、二百二十八匹。
 これはおいしくいただきましょう。
 その結果、ハクがLv8になり、なんと俺もLv13になった。ランクDのキラーバットが大量発生していたのが、幸運だった。
 あれ?
『地図』の表記が、小部屋からキラーバットの巣に変わっている。
 ダンジョン内の魔物の復活って、だいたい一週間ほどだから、それを見越して定期的に訪問しよう。
『地図』に、日付と印をつけて、アラームで忘れないように設定する。
 最後に残した凍っている魔物を倒すため、小部屋の扉を開けて、ふたりを呼び込んだ。

「「お疲れさまでした」」
「ガウッ!〈がんばった!〉」
「うん。今からはふたりの出番だよ。ランクFのスライムが十五匹、ランクDのキラーバットが七匹ある。先にディアのレベルを上げよう」
「はい。がんばります!」
「姫様なら一撃です!」

 俺の指示に、ディアーナが魔物のそばに寄る。そして勢いよく短剣を突き刺すと、キラーバットが一撃でドロップ品に変わる。
 さすがディア。的確に急所を狙って、確実に仕留めている。

「さすが姫様!」
「ジークベルト様、レベルが上がりませんでした」
「気にしなくても大丈夫だよ。あと六匹もいるんだ。必ずレベルが上がるから、がんばろうね」
「はい」

 その後、四匹目がドロップ品に変わったところで、ディアーナの表情に変化があった。
 彼女はとてもうれしそうに笑ったのだ。
 その様子に、そばで見守っていた俺もうれしくなる。

「レベルが上がりました!」
「よかったね」
「ガゥ!〈よかったな!〉」
「姫様、さすがです!」

 各々が声をかけ、しばらく喜びを分かち合った。
 さてここからが、本日最後の戦闘だ。俺の声にも気合いが入る。

「さぁ最後はエマだよ。すべての魔物を倒すんだ」
「はい! では早速キラーバットから……。あれ? あれれ? うまく刺さらない?」

 なぜだエマ! なぜ刺さらない!
 キラーバットはランクDのため、エマの攻撃値では倒せないが、ミスリルの短剣の攻撃力を合わせれば倒せるはずだ。
 まさかっ……。

「エマ、スライムを先に倒そう」
「はい! あれ? やはりうまく刺さりませんっ!」

 念のためスライムが倒せるか試そうとしたところ、やはり俺の予想は当たっていた。

「エマ、目の前にいるのは魔物ではない」
「えっ? なにを言ってるのですか? 魔物ですよ」
「魔物ではない。凍った野菜だ」
「ジークベルト様、頭がおかしくなったのですか!?」

 その発言に、俺のこめかみがピクッと動く。
 そして満面の笑みでエマに近づくと、その両頬を挟み、顔を近づけて言いくるめる。

「いいかいエマ。君には短剣を扱う技術が足りていないんだ。だから魔物を野菜だと思い込んで刃物を扱うんだ。わかるね。俺は頭がおかしくなったのではなく、アドバイスをしているんだ」
「はいぃっ」
「よろしい。先にスライムを倒してごらん」
「はいっ! スライムは野菜、凍った野菜、凍った野菜──」

 エマは、半狂乱したようにつぶやきながら、スライムを刺した。ザグッといい音がして、スライムが真っぷたつになり、ドロップ品へと変わっていく。
 思った通りの結果に、俺は満足そうに大きくうなずく。
 エマは、短剣を扱う技術が不足している。短剣を包丁代わりに使用することで、料理技術が高いエマがそれに対応したのだ。
 これで当分なんとかなるだろう。
 短剣の技術の向上は……テオ兄さんにでも相談してみるかな。

「ジークベルト様、やりました!」
「うん。残り全部、その要領で倒してごらん」
「はいっ! がんばります!」

 ザクッザクッと、リズミカルな音が続く。
 エマの討伐の様子を確認しながら、ディアーナが俺のそばに寄ってくる。

「ジークベルト様、今回の件、大変申し訳ございません。エマがまさかのLv1だったとは。わたくしの監督不行き届きです」
「いや、今回のことはしかたないことなんだ。自然とレベル上げができないほかの要因があったから。エマ自身それを知らないしね」
「ほかの要因ですか?」
「うん。今は言えないけど、時期がきたら話すよ。だからディアが気にすることはないよ」
「わかりました。だけど、やはり謝罪は必要かと思いましたので、お手数をおかけいたします」
「ディアは律儀だね。そこがいいところだけどね」

 俺は目の前にあるディアーナの金色の髪をなでる。
 獣耳がないことは残念ではある。今度お願いして、姿隠蔽解いてもらおう。婚約者だから許されるよね。許される範囲だよね。
 俺の葛藤をよそに、手は正直でディアーナのサラサラの髪を堪能していると「ジークベルト様、あのっ、そろそろエマの討伐が終わります」と、頬を真っ赤にして彼女が俺を見上げる。
 めちゃくちゃかわいい。はぁ、天使がいる。俺の婚約者、天使だった。
 名残惜しく髪から手を放し「また触らしてね」とお願いする。
「はいっ」と、さらに頬を赤くさせたディアーナのかわいさに悶絶する。
 さてさてお仕事をしよう。
『微風』を使用して、辺り一面のドロップ品を一気に『収納』へ回収する。
 そこへ魔物の討伐を終えたエマが帰ってきた。

「ジークベルト様、姫様、すべての討伐が終わりました。私Lv4になりました!」
「うん。今日は全員レベルが上がってよかったよ。じゃあそろそろ屋敷に戻ろう。抜け出しているからね、ばれないように帰宅しよう」
「「はい」」
「ガゥ〈わかった〉」

 こうして俺たちのダンジョン一日目のレベル上げは、無事に終了した。


 俺は屋敷内である人物の帰宅を今か今かと待っていた。
 ディアーナたちはマリー姉様とお茶会中だ。俺も誘われたが適当な理由をつけて断った。
 女性の話は長いし、気を使う。幼児の時はただ座っているだけでいろいろと情報を得られたが、今は必ずといってもいいほど、意見を求められるし、言葉選びを間違えると集中砲火だ。
 普段優しい姉様や侍女たちの冷めた目は、実に心にくるものがある。
 その現場を思い出し、背筋が一瞬震えるが、ハクのなめらかな毛をなで心を落ち着かせる。
 動物には癒しの効果があると前世の書籍で読んだ記憶がよみがえる。
 動物と接することで、心を癒すなんとかホルモンが分泌されるのだ。
 ハクは動物ではなく聖獣だし、異世界の人間の構造に果たして同じ成分のホルモンがあるかは不明だけど、このモフモフは最高だ。
 ハクの背中に顔をうずめる。

「はぁーー落ち着く」

 癒されているところで、階下が慌ただしくなった。
 俺はハクの背中から顔を上げ、私室の廊下を出る。
 すぐにテオ兄さんの姿を見つけ、駈駆け出したい気持ちを抑えながら挨拶をした。

「テオ兄さん、おかえりなさい」
「ただいま、ジーク。その顔は、なにかお願いがあるんだね」
「さすがテオ兄さん! 話が早いです」と、俺の声色が一段階上がる。
「うん。長年の付き合いだからわかるよ。僕の部屋に行こうか。ハクもおいで」
「ガゥ?〈いいの?〉」
「うん、もちろんだよ。ジークがいない間は僕にベッタリだっただろう。遠慮しなくても、僕の部屋には自由に入っても大丈夫だよ」
「ガゥー〈ありがとう、テオバルト〉」
「テオ兄さん、改めてあの時は、ありがとうございました」
「ジーク。もう何度目の感謝だい。感謝の気持ちは十分もらったよ。だから気にしなくていいんだ。さぁ行こう」

 これ以上の言葉は不要だと、テオ兄さんは手を前に出し制すると、自分の部屋へ歩きだす。
 そのスマートさに、男の俺でもほれぼれするし、マンジェスタ王国の王女様が、夢中になるのもしかたがないと思う。
 これで本人は、まったくもって無自覚なんだ。すごいよね、本当。
 テオ兄さんと関われば、女性は必ず恋に落ちると確信が持てる。ただ親密な関係になるまでに、テオ兄さん特有の存在感の薄さが影響して、発展しないのだろう。
 難儀だよなぁ。兄さんを正しく評価して、支えてくれる人が、この先現れることを願う。

「ガウ?〈行かないの?〉」

 ハクの呼びかけに、俺は思考を戻すと、その頼りがいのある背を追った。

「なるほど、エマの短剣技術を上げたいと」
「はい。僕ではもう限界で、短剣の扱いに優れているテオ兄さんに協力いただきたいのです」
「うーん、それはいいけど……修練場での指導だけでは、短期間でそうそうの上達は難しいよね。エマはその、なんというか、筋金入りのお間抜けさんだよね。武道大会での留守番に含むことは難しいか。ディアーナ様の侍女見習いだしね。たしかにジークの懸念事項はないとは断言できないし、最低身を守る術は必要だね。そういえばアンナの体術指導は……うん、ごめん。聞いた僕が悪かったよ」

 アンナの体術指導の言葉が出ると、俺は目に見えて落胆する。
 あのアンナに『指導教育を再勉強するため、お暇が欲しい』と、追いつめたのだ。この申し出に、そこにいた全員が驚き、アンナをなんとか説得した。
 そしてエマの体術指導は、当分延期となった。
 アンナの心を折ったエマをなぜテオ兄さんに頼むのか。それにはテオ兄さんの短剣技術の高さと、面倒見のよさが関係している。
 エマがこの先何年も地道にがんばれば習得できそうな戦闘スキルが、唯一短剣だったからだ。
 テオ兄さんも、少なからずエマの噂は耳にしているようだ。
 だけど、指導は引き受けてくれるようで安心する。
 ただ、修練場での指導に難色を示している。
 そりゃー、実戦での指導が一番身につくけど、その提案は俺からできない。
 しばらく考え込んでいたテオ兄さんが、大きくうなずく。

「よし。父様に相談しよう」
「えっ?」
「数年前に発見された『アン・フェンガーの迷宮』は、ジークたちが踏破したコアンの下級ダンジョンより、初心者向けの迷宮なんだ。そこの踏破を目指そう。戦闘経験も稼げるし、レベル上げも考えれば一石二鳥だね。早速父様に許可をいただいて、アン・フェンガーの迷宮へ挑もう」
「父上の許可は下りるでしょうか」
「大丈夫。あてはあるから心配不要だよ。ジーク!」

 自信満々にテオ兄さんが宣言する。
 その姿に、すべてを託すしかない俺は頼もしいと思うが、話の展開が早すぎて、いささか頭が混乱していた。
 あれ? これって、俺にとって一番都合のいいことになっている。
 エマの短剣指導、迷宮の踏破、レベル上げ、父上の説得、全部テオ兄さんが主動だよね。
 これは、俺が、楽をできるパターン。
 テオ兄さん、ありがとう!
 降って湧いた幸運を、じっくりと噛みしめるのだった。


 ***


「アン・フェンガーの迷宮に挑むと」
「はい。僕もジークも適正は十分ありますし、ジークの懸念はもっともです。すべてを網羅できると自負するのはいささか傲慢だと考えます。いざとなれば身を守る技術は必要ですし、守る対象を見誤らないためにも必要かと判断しました。父様がご心配されるのでしたら、護衛に冒険者を雇いましょう。もしよければ腕のいいBランクの冒険者をひとり紹介できます。彼は信頼できる人物です。父様さえよければ、武道大会での護衛も頼んではいかがでしょうか」
「その冒険者の名は」
「ニコライ・フォン・バーデンです」
「バーデン家のせがれだな」
「ご存じでしたか」
「あぁ、バーデン家は先々代の当主が騙され没落したが、先代はとても優秀な人だった。お家再興半ばにして病に倒れたのだ。惜しい人物を亡くしたと一時噂になったぐらいだ。そして最近噂になっている『金の獅子』とは、ニコライ・フォン・バーデンであろう」
「はい。彼とは討伐を共にしたことがあり、その技術の高さは筋金入りです」
「わかった。一度屋敷に連れてきなさい。その際に信頼に値する人物かどうか を見極める。彼と契約できたならアン・フェンガーの迷宮への挑戦を許そう」
「ありがとうございます」

 テオ兄さんが頭を下げる。俺もそれに追従した。
 俺が口を挟む間もなくトントン拍子に話が進んだ。
 ほぼ間違いなく迷宮挑戦が決まった。
 俺もテオ兄さんも、ニコライが信頼に値する人物であると確信しているし、本人は隠しているが、ぶっきらぼうな態度の反面、とても面倒見がいいのだ。
 どんな条件であっても俺たちとの契約を断ることはない。
 テオ兄さんが、俺に向かってにっこりと微笑む。
 うっわーー、貴公子がいる。ここに貴公子がいる!
 一瞬、叔父と重なって見えたのは、秘密にしておこう。



 アーベル家に金髪の長身が訪れた。
 この日、屋敷内にいたのは、屋敷の主であるギルベルト、ヴィリバルト、アルベルト、マリアンネだった。
 テオバルトは魔術学校、ジークベルトとディアーナたちは、修練場もといコアンの下級ダンジョンにいた。
 当事者たちが不在の中、それは極秘に進められた。
 執事ハンスが、その人物を応接室に案内すると、ギルベルトが立ち上がる。

「バーデン殿、よく来てくれた」
「悪いが、家名で呼ぶのはやめてくれ」
「失礼。では、ニコライ殿とお呼びしよう。私はギルベルト・フォン・アーベルだ。隣にいるのが弟のヴィリバルト、そして息子のアルベルトだ。ふたりの同席も許していただこう」
「ニコライ・フォン・バーデンだ。ふたりの同席はかまわないが、俺は礼儀なども知らないただの冒険者だ。丁寧な言葉遣いもできない。この場での不敬は許してもらうぞ」

 ニコライの挨拶に、ギルベルトは好感を持つ。
 言葉はぶっきらぼうだが、己の態度に対し許可をもらう姿勢は、相手を尊重している証拠だ。
 ヴィリバルトも好感を持ったようで、口角が少し上がっていた。
 テオバルトが、高く評価し、懐いただけはある。

「あぁ、普段通りでかまわない」

 ギルベルトはそう言って、ソファに腰を掛ける。対面にいるニコライも静かに腰を下ろした。

「早速だがニコライ殿とは、専属契約を結びたいと考えている」
「Bランクになりたての冒険者にか?」

 ニコライの疑問に、ヴィリバルトが口を開く。

「君のことは少しばかり調べさせてもらったよ」
「赤の魔術師、直々にとは結構なことで」
「前々から君には興味があったんだ」
「へぇーそれで。お眼鏡にかなったか」
「あぁ、実に興味深い研究対象だ。ぜひ君を『深奥』に送りたいね。そして行動を監視し、その能力がどこまで」
「ヴィリバルト」

 ギルベルトが、ヴィリバルトの言葉を遮る。

「すみません、兄さん。ついね。見込みのある若者を見ると、つい癖が出てしまうんですよ」
「ニコライ殿、愚弟が失礼した。まず父親として、テオバルト、ジークベルトと共に行動をしてくれて感謝する。特にテオバルトとは、長年にわたり活動を共にしているだろう。テオバルトは優秀だが、本人にその自覚がない。ニコライ殿と討伐することで自信をつけ、最近は意見を述べるまで成長した。今回の話もテオバルトが発案者だ。息子の成長ほど親としてうれしいことはない」
「ははは。テオ、バレてるぞ。だが感謝されることなどない。テオが俺の手助けをしてくれているだけだ。特に最近は、ジークベルトが参加したことで魔物討伐の効率が上がり、実入りがいい。率先して高価なドロップ品を回してくれるからな。俺は金がいる。テオやジークベルトには、俺のほうが感謝しているぐらいだ」
「その資金が必要な妹さんの病のことで提案がある」
「セラの病で提案だとっ」

 ギルベルトの発言に、ニコライは狼狽した声を出し、その表情を険しくした。
 ヴィリバルトの調査通り、ニコライの妹セラは、難病『風船病』を患っているようだ。
 風船病、体のあらゆる箇所が膨らむという。
 時に顔の一部や、腕や足、腹であったりと、対処をしなければ、体が膨らみ続け破裂する。皮膚や肉が裂け、骨まであらわになる。
 その痛みは想像を超え、ショック死する者も多い。余命が短いのもこの病気の特徴だ。
 現在治療方法は、ないとされている。
 唯一の対処法が『魔草』を煎じて飲むことで緩和されるが、それは破裂を抑える対処で、完治するわけではない。
 また魔草は、大変貴重で非常に高価であり、入手困難とされ一般にほぼ流通していない。
 ニコライはそれを確保するため、闇市で相場の五倍の金を積み『魔草』を手にしている。
 ギルベルトは、ヴィリバルトと目を合わせる。ヴィリバルトが小さくうなずくのを見て、ニコライに提案する。

「一度、ヴィリバルトに見てもらうのはどうだろう」
「赤の魔術師は、医療までできるのか」
「私は医者ではないが、見る能力はある。『鑑定眼』で君の妹の病気を判定しよう。本当に医者の診断通りであるか。また『鑑定眼』は、その病について明確な情報をえることができる。そう、例えば完治する方法などもね。不治の病でない限りは答えは出るよ」

 ヴィリバルトから出た『完治』との言葉に、ニコライは息をのむ。
 そして眉間にしわを深く寄せると「本当に可能なのか」と、再び尋ねた。

「疑い深いね、悪いことではないが、今の時点では悪手だよ。そうだね、ではこうしよう。今まで、テオやジークがお世話になった。そのお礼に『鑑定眼』を使用しよう。これは君や妹さんにとって絶好の機会だ。迷う必要などない。妹さんを助けたいのだろう」
「助けてぇ、だがセラの病は、難病認定された『風船病』だ。いくら赤の魔術師でも解決できねぇことはある」
「言っただろう。私は不治の病ではない限り答えは出せると。難病認定の『風船病』ね。対処法は魔草だったね。君がいくらがんばっても魔草では追いつかない時期がくる。かわいそうに兄のくだらないプライドで、妹さんは『死』を待つだけだ」

「なっ」

 ニコライは激昂して腰にあるはずの剣を握ろうとするが空を切る。
 応接室に入る前に執事に渡したことを思い出し、大きく舌打ちをする。
 ニコライの苛立ちが、伝わってくる。

 冷静になれよ。いまの俺は赤の魔術師にいいように踊らされている。
 あいつは俺を怒らせ判断力を鈍らせたいだけだ。
 考えろ……。アーベル家は、俺を専属にしたいと申し出ているんだ。
 なにか意図があるはずだ。読み違えるな。
 セラの病気を『鑑定眼』で見る提案は、後々厄介だと考えての手段だ。それで完治できたら俺たちもアーベル家にとってもいいことなのだろう。
 でもなぜ今なんだ。
 本当に信用してもいいのか。
 極端に人との接触を嫌がっているセラに会わせ、何も結果がでなかったら……。
 またセラが傷つくだけだ。
 くそっ、考えがまとまんねぇ!

 なにかを考えて黙り込んでしまったニコライに、今まで静観していたアルベルトが、言葉を発した。

「ニコライ殿、私は妹や弟たちが、何物にも代えがたい唯一無二の大切な存在です。特に末弟ジークベルトに危害を加える者がいれば、迷わず排除します。それが長年の友人であったとしても即断するでしょう。ニコライ殿も同じではないですか」

 アルベルトの突然の問いかけにニコライは戸惑った視線を向けるが、アルベルトはそれを無視して続ける。

「私がニコライ殿の立場なら、どのような方法でも藁にでもすがる思いで試します。この機会を逃すなんて馬鹿なまねはしない。冷静に考えてみてください。叔父は最高峰の魔術師です。その叔父が不治の病でない限り助かると断言しています。妹さんは助かる。私共を信じて、提案を受け入れてください」
「あぁーわかったよ。『鑑定眼』で見てくれっ」

 アルベルトの真摯な態度に、ニコライが折れた。
 そうだった。こいつらは、テオとジークベルトの家族だった。
 裏があるんじゃねぇかと、深く悩んだ俺が馬鹿みてぇじゃねぇか──。
 ニコライはアルベルトを見る。 
 テオと同じ赤髪だが瞳の色が違う。背格好は一見細身だが、ほどよく筋肉がついており凄腕だ。
 俺より相当強い。
 ただ纏う雰囲気がテオやジークベルトのそれと同じだ。
 結局はあまちゃん一家……いや約一人違うのがいるけどな。

「受け入れてくれてよかったよ。アルは助かると言ったが、こればかりは見てみないとわからない。だけど、どのような結果であっても、妹さんはアーベル家が尽力すると保証しよう」
「頼む。ただ施しを受けるだけってのは、俺には合わねぇ」

 ヴィリバルトの話を聞いて、ニコライは頭を下げた。
 そしてギルベルトに視線を合わせ、そう伝える。

「それで先ほどの話だが、貴殿と専属契約を結びたい」
「一般的な専属契約とは違うってことだな。中身と時期は」
「まず貴殿には今後も冒険者として活躍してもらう。我々が必要な時に、アーベル家の仕事に専任してもらうことになる。最初の仕事は、テオバルトとジークベルトとの護衛だ。一緒にアン・フェンガーの迷宮を踏破していただく。またその後、エスタニア王国で開催される武道大会でのジークベルトの護衛についていただく。その後は未定だが、貴殿が戦闘できる間、半永久での契約だ。細々とした条件は後ほど、契約書に記載があるので確認してほしい」
「アーベル家に飼われるってことか」
「その認識でかまわない」
「わかった。契約を結ぼう」
「条件を見る前だがいいのか」

 その決断の速さにギルベルトは、思わず声を出していた。
 するとニコライが、不敵な笑みを浮かべる。

「はっ、よく言うぜ。肯定以外の言葉を出してみろ。そこの赤の魔術師が黙っていねぇぜ。ただし、俺の主人はあなただ。よろしく頼む。ギルベルト様」

 ニコライはソファから立ち上がると、胸に手をあて深く一礼した。



「さて兄さん、彼と契約書を交わす前に、妹さんに会いに行きましょう」
「待てっ、今妹は顔の腫れがひどい。魔草を数日連続して飲めば、ある程度腫れが引く。それまでは外には出せない」

 ヴィリバルトの発言をニコライが慌てた様子で止める。
 その慌てように、ヴィリバルトは首をかしげると、諭すように話しだした。

「君が心配している顔の腫れについてだが、私は顔を見ないでも『鑑定眼』を使用できる。顔を隠す服を用意しよう。屋敷までは『移動魔法』を使うので、誰かに見られる心配はない」
「……そうだなっ。早く原因がわかったほうが、セラのためになる。頼む」
「我々より、女性同士のほうがいいだろう。ヴィリバルト、マリアンネを呼んでくれ」
「了解。『報告』」

 ギルベルトの指示にヴィリバルトが魔法を使うと、魔力が応接室の外に流れていく。
 ヴィリバルトがニコライに質問する。

「さて、マリーが来るまでに確認したいんだけど、君は今、第三市内の一般区に部屋を借りているね」
「調査済みかよ。あぁそうだ。バーデン家の屋敷は魔草の費用のために売り払った。だから今は借家に妹とふたりでいる」
「年配の夫婦も一緒ではないのかい?」
「彼らは元バーデン家の家人だ。俺たちが屋敷を手放した際、ほかの使用人たちは他家へ再雇用の手配をしたが、彼らだけは断固として他家への雇用を嫌がった。結果、俺たちの隣に部屋を借りて、厚意で妹を見てくれている」
「では、君の家族はその家人も含め、三名だね」
「そうだなぁ。彼らはもう家族だ」
「調査通りでよかったよ。用意していたものが無駄になるところだった。あぁ君は専属の条件をまだ確認していないから知らないとは思うけど、家族も含め、アーベル家に住んでもらうよ」
「はぁーーっ?」
「なにを驚いているんだい? 君はアーベル家の半永久的な専属になるんだ。住まいも移してもらうよ。ちなみに住む場所はここではなく、私の屋敷だけどね」

 ニコライの「なぜ、お前の屋敷なんだ」と反抗する声に「トントン」とノックする音が重なった。
 その扉が静かに開くと、茶色の髪を束ねたマリアンネが、大きな黒い瞳を瞬かせ、一瞬戸惑った表情を見せながらも入室する。
 部屋をサッと見回すと、ギルベルトのほう方へ歩きだした。
 ピンッと背筋が伸び歩く姿は上品だが、かなり気の強そうな女だとニコライは思った。

「お父様、お呼びとのことですが」
「マリアンネ、急に呼び出してすまない」
「大丈夫です」
「早速だが、ヴィリバルトと一緒に、ニコライ殿の妹さんに会いに行ってほしい。そして身支度を整えて屋敷に連れてきてほしいのだ」
「わかりました。身支度を整えるにしても失礼があってはいけません。どれぐらいのお年の方でしょうか」
「十一歳のはずだよ。あとマリー、彼女は長い間床に臥せており、現状病気が悪化しているようだ。『移動魔法』を使用するけど、顔まで覆えるようなフード付きのローブを用意してあげてほしい」

 ヴィリバルトの珍しい気遣いに、マリアンネはその大きな目を瞬かせる。

「わかりました。どちらに滞在なさるのでしょうか」
「病気が完治するまでは、こちらで滞在してもらう。完治後は、ヴィリバルトの屋敷に住むことになる」
「ヴィリー叔父様の婚約者候補ですか?」
「ふざけるなっ」

 ニコライの怒声が、応接室に響き渡る。
 俺の大切な妹が一瞬でも赤の魔術師の婚約者候補だと勘違いされただけでも不愉快だ。
 セラは……ないとは思うが、万が一、赤の魔術師に好意を抱いても絶対に、俺は反対だ。

「マリー、いくら私でも許容範囲ってものがあるよ」
「申し訳ございません」
「あっ、そうだ。紹介するね。彼はニコライ・フォン・バーデン。ジークたちの専属護衛として雇うことになった。彼とは長い付き合いになる」
「ジークの専属護衛ですか?」

 マリアンネが、ニコライに品定めするような視線を向ける。
 そのぶしつけな視線にニコライは眉をひそめるが、感情を抑えて挨拶をした。

「これから世話になる。ニコライ・フォン・バーデンだ」
「私はマリアンネ・フォン・アーベルです。あなた、貴族なの。それにしては品がないわ」
「もう貴族じゃねぇよ、没落済みだ。あんたはもう少ししとやかさを学んだほうがいいんじゃねぇか」
「まぁ失礼な方ね。ヴィリー叔父様、ジークの教育によくない影響を与えそうです。私は反対ですわ」
「マリアンネ、彼はジークたちの護衛になってもらう。これはアーベル家での決定事項だ」
「わかりました。お父様。私はこの屋敷の管理を任されています。屋敷内でなにかあれば報告してください。あなたはジークの護衛になるとのことですが、ジークと接する時は上品にお願いします」
「悪いがそれはもう無理だ」
「マリアンネ、彼はテオバルトの友人でもある。ジークベルトとはすでに面識はある」
「なんてことなの。最近、一人称が、僕ではなく俺と話す時があるんです。あれはこの人の影響のせいね! 私のかわいいジークが──」

 そう言って、マリアンネは自分の世界に入ってしまった。こうなると、ギルベルトかジークベルトの声しか聞こえなくなる。
 とても厄介な状態だが、本人が折り合いをつけて現実に戻ってくるまで、今回は時間がかからないとギルベルトは判断し、ここは放置することにした。

「悪いね、妹は極度のブラコンなんだ。悪気があるわけではないんだ」
「いや、前にテオから聞いていたが、聞くと見るでは大違いだなぁ」
「あれでもだいぶマシなんだ」
「あれでマシなのか。ジークベルトは苦労してるな」
「はははっ、そうだね。兄としてはなんとかしてあげたいが、こればっかりは無理だ」

 アルベルトは、乾いた笑いをして、あきらかに落胆する。
 ニコライは身を乗り出すと、落胆したアルベルトの肩を叩き「お互い、がんばろうぜ」と、励ました。
 長男同志の小さな友情が、芽生えたのだった。



 アーベル家の客間に、三人の女性が入っていく。
 ひとりはアーベル家の長女マリアンネ、そのうしろにフードを目深にかぶった女性、その横には年配の女性が付き添っている。

「セラさん、こちらへどうぞ」
「マリアンネ様、ありがとうございます」
「セラお嬢様、足元に気をつけてください」
「大丈夫よハンナ、ありがとう」

 バーデン家の元侍女長ハンナの手を借りて、セラが部屋の中に足を踏み入れた。
 その部屋は、セラの好みのど真ん中で、かつてのバーデン家の自分の部屋を思い出させるような調度品であった。白で統一された中に、細部まで凝ったデザインの家具が配置され、明るく上品な雰囲気に気持ちが上がる。
 思わず「素敵な部屋」と口に出していた。
 その声が聞こえたのだろう。マリアンネがうれしそうに微笑む。
 とてもいい方だわ。私の顔を見ても表情ひとつ崩さず、逆に気遣われてしまった。
 高貴な方なのに身支度の手伝いまでしてもらい、あげくの果てには、髪結いまで。フードをかぶるだけと断ったのに「髪は女の命よ」と、高価なオイルをふんだんに使い、綺麗にまとめて流行の髪型に仕上げてくださった。
 ドレスも私の病を配慮して、一見、地味に見える配色とデザインだが、見る角度によりスタイルをよく見せ、落ち着いた配色が大人の女性を感じさせる。質のよさは一級品で、肌触りに違和感もない。
 この方のセンスのよさだわ。こんなお姉様がいたら素敵だわ。
 今日は驚きの連続。
 初めての『移動魔法』には驚いたし、噂の『赤の貴公子』を目の前で拝見できたことは、一生の記念になる。
 そしてなにより、この病を完治できるかもしれない。

「またお前を傷つけるかもしれない。癪だが最高峰の魔術師がお前の体を見てくれる。アーベル家の全面的サポートの中での治療だ。みすみすこの機会を逃したくはない。少しでも可能性があるなら、セラ、この話を受けてほしい」

 お兄様のその説明を受けて、私はすぐに承諾した。
 私はお兄様の足枷。病を克服して、お兄様を自由にしてあげたい。
 今までの恩を返せるなら、なんだってやってみせる。たとえそれが過酷な試練となっても、もう逃げたりしない。
 そう、極端に人との接触を避けていた私がそう思ったの。
 それになぜかしらもう大丈夫、私は助かると思ったの。だけど、助けてくれるのはここにいる人たちではないとも思った。
 我ながら不思議な直感だわ。
 ベッドに腰を掛けたセラは、フードをはずした。
 顔の右側は腫れ、皮膚が膨らみすぎて右目を覆い隠している。体のいたるところに小さな気泡のようなものができていた。
 これが予備軍であり、対処しなければ膨らみ破裂する。
 今日の分の『魔草』は、屋敷を訪れる前に煎じて飲み終わっている。少しでも良い状態で人に会いたいと願った結果である。

「お兄様たちは、後ほどこちらへ来られるんですね」
「えぇ、今はお父様に報告に行っているところです。治療が終わるまでセラさんのお部屋はここになります。必要なものがあれば言ってくださいね。後から侍女たちを紹介しますね」
「お兄様のお部屋はここから近いのでしょうか」
「バーデン殿の部屋は隣になります。あの内扉が隣の部屋につながっているので、わざわざ廊下を出ることなく会えますよ。ハンナさん夫婦の部屋も用意していますから安心してくださいね」
「私ども使用人にまで、お心遣いくださりありがとうございます。ですが、私どもの部屋は結構でございます。セラお嬢様が治療中の間は通いますので、ご心配無用です」
「いいえハンナさん、バーデン殿からお話があると思いますが、今のお住まいは引き払っていただきます。今後はアーベル家で過ごしていただくことになります」
「それはどういうことでしょうか」
「私の口から説明しても納得なさらないでしょう。バーデン殿にご確認ください」

 マリアンネは淡々とそう説明すると、ベッドから離れていった。
 ハンナは訝しげに離れたマリアンネを目で追っていたが、セラの不安気な表情に気づきやめた。
 ハンナ自身、今までマリアンネにした対応が不敬であることは重々承知していた。
 バーデン家の評判を落としている自覚もあるが、夫であるヤンがいない状況で、ハンナができる最大限は、セナを守ることだ。
 ニコライ様の言葉を信じたい。だが万が一騙されることがあってはご主人様に顔向けできない。
 バーデン家は騙されて没落したのだ。
 目の前にいるアーベル家の長女マリアンネが、良人であることは、セラの身支度でのきめ細かい配慮と、お嬢様の好みで統一されたこの部屋でわかる。
 だが、なにか不測の事態となった時、ニコライ様ではなくセラ様を一番に守る。
 ヤンと決めた、たった一つの約束だ。
 ニコライ様は病気治療のため屋敷を売り払い、今まで務た家人に退職金と次の職場の斡旋までし、最後まで手厚い対応をされた。
 そのご配慮に感激し成長を喜んだ。お給金などもう必要ない。今後、市井で過ごすご兄妹のお世話を続ける。ご主人様に拾って頂いた命、お子様たちに捧げようと決意した瞬間でもある。
 そして、ニコライ様が大事にされているセラ様を一番に考えることにしたのだ。


 ***


「──ニコライ様にお伺いいたします」

 ハンナの言葉にマリアンネは、そっと息を吐く。
 ハンナの疑心を払拭させるには、ハンナが信頼する人からの納得いく説明が必要なんだと、先ほどからのやり取りでマリアンネは感じていた。
 セラを迎えに行った際も、ハンナの説得に苦労した。
 ハンナは、元バーデン家の侍女長だった人物だ。主の危険を感じたのだろう。
 セラの部屋の前で、ハンナは立ちはだかり「セラ様は臥せっておいでです。今日のところはお引き取りくださいませ」との一方通行で、ニコライさえ、セラに会わせようとはしなかった。
 ニコライの説得で、どうにかセラとは対面できたが、部屋の中に入ることを許されたのはマリアンネのみだった。
 身支度のため、侍女たちを伴ったがそれは許されなかった。

「身支度であれば私一人でもできます」

 ハンナが頑なに拒否したからである。
 マリアンネは表情に出さないが、使用人が主の意向に背く姿はとても新鮮であり衝撃だった。
 アンナやハンスは、ギルベルトを叱ったり、お小言や注意することもあるけれど、主の意向に背くことはない。どのような理不尽な命令であっても否とは言わない。
 ギルベルトの命令は絶対だ。
 これはあきらかに主の重きがニコライではなくセラにあるようだ。
 その後もニコライが「セラの治療のためだ」と伝えたが、セラがアーベル家に伺うことに難色を示したのもハンナだ。

「治療のためになぜアーベル家にセラお嬢様が伺う必要があるのですか」と詰め寄り、ヴィリバルトが「では、ハンナさんもご一緒にどうぞ」と提案しなければ、ここでまたひと悶着あったに違いない。
 当の本人のセラは、兄の説明に納得して素直に受け入れていた。
 このかたくななまでの対応になにか理由があるのかともマリアンネは思ったが、今は深く考える必要はないと切り離した。
 だがハンナにもアーベル家の『教育』を受けてもらう。
 ヴィリバルトが、すでにアーベル家の屋敷に住む許可を出している人物である。きっとアーベル家の『教育』をクリアできる者なのであろう。
 その結果、主君が、アーベル家とバーデン家のふたりの主人になることもヴィリバルトの中では、想定内なのだろう。もちろん最優先はアーベル家であることに疑いはない。
 扉のノックの音がしたため、マリアンネはセラに目配せし、フードをかぶったことを確認してから返事をする。アンナが部屋に入ってきた。

「ギルベルト様よりご伝言です。女性の部屋へ大勢の男性が伺うのは失礼だろうとの配慮で、隣のニコライ様の部屋で待機するとのことです」
「お父様らしいわね。わかりました。セラさん、申し訳ないけど隣の部屋へ移動してくれないかしら」
「わかりました。ハンナお願い」
「はい。お嬢様」

 セラがハンナに補助されながら、内扉へ近づくそのうしろ姿を確認し、マリアンネはアンナに合図する。
 アンナは一度うなずき、その場を後にした。



 セラを鑑定したヴィリバルトは、結果を見て驚いていた。

「『魔力飽和』だ」
「魔力飽和ですか?」

 セラがフードの奥から聞き慣れない言葉に疑問符をのせる。
『魔力飽和』とはなんだろう。『風船病』より悪い病気なのだろうか。
 でもなぜかセラに不安はないのだ。
 今日の私は楽観的ねと、フードの中で静かに笑う。
 その声にハッとしたヴィリバルトは、うしろにいるギルベルトたちに向けて宣言する。

「彼女の病は、魔力飽和です」
「ヴィリバルト、完治方法はあるのか」
「完治といいますか、方法はあります。ですが、私にはできません」

 一瞬の歓喜と落胆が部屋の中に訪れ、その空気を破るようにニコライがヴィリバルトに迫った。

「どうすればいいんだ? 教えてくれ!」

 必死な形相でヴィリバルトに詰め寄るニコライの姿を、セラが慌てて止める。

「お兄様、落ち着いてください。ヴィリバルト様、私の病気は『風船病』ではないのですね」
「風船病と症状が酷似しているが、魔力飽和で間違いない」
「完治する方法があるのですね」
「ある。だけど長期戦になるね。魔力飽和は、体内の魔力が外に放出できず、体内にたまり、あらゆる不調を起こす病だね。MP値は回復すれば、過剰分は自然と外に放出するんだよ。君の場合その放出量がとても低いため、体内に魔力が蓄積されている。『魔草』は、煎じて飲むことで魔力を吸収する効果があるようだ」
「体の膨らみは、私の器の受容力以上の魔力が体内にあふれているせいなんですね」
「そうだね。今できる対策として、早急に君のレベルを上げるよ。MP値が上がることで飽和状態を緩和できるからね。君はLv1だね。Lv2に上がるだけでもだいぶ緩和されるはずだよ」
「Lv1だと。失礼だがセラ殿は十一歳で間違いないか」
「はい。間違いありません」

 その肯定に、ギルベルトの眉間にしわが寄り「ヴィリバルト」と、説明を求める。

「おそらく魔力飽和が、成長を阻害させていたのでしょう。ニコライ、彼女は戦闘経験はないね」
「ない。すまないセラ。お前の体調を考慮して親父はレベル上げをしなかった。自然と上がるぶんだけでいいと、まさか成長阻害で、レベル1のままだったとは……すまない」
「お兄様お気になさらないで。セラはお兄様に感謝はあれど、謝罪いただくことはひとつもありません」

 セラが手を伸ばしニコライの手を包み込む。その手をグッと引いたニコライはセラを抱きしめた。その肩は震えていた。
 ふたりの様子を扉の横で待機して見ていたハンナは、あふれ出る涙を止められず、唇を噛みしめて声を出さないよう必死に抑えていた。
 その光景をアーベル家の人々は、静かに見届けた。


 ***


「今から彼女を伴って、いや兄さん、屋敷内に魔物を連れ帰る許可をください。瀕死状態の魔物を連れてきます。ここで彼女に仕留めてもらい、早急にレベルを上げましょう」
「許可しよう」
「ニコライ、君も同行を頼む」
「もちろんだ」
「アルベルトは、彼女のフォローを頼む。魔物を捕まえれば屋敷に移動させる」
「わかりました。移動する場所はどこでしょうか。事前に囲いをし、万が一に備えます」
「彼女の状態を考えれば、屋敷内がいいが……兄さん、汚れてもいい部屋はありますか」
「地下室はどうだ。お前がよく研究所として使用していた場所だ」
「あそこなら、少々汚れても今さらだね。ただ彼女をあの部屋に入れるのは……」
「私なら大丈夫です。病気が少しでも緩和されるなら、なんでもいたします」
「では決まりだね。マリー、動きやすい服を手配してくれないかい」
「わかりました。すぐにご用意いたします」
「ヴィリバルト、セラ殿のレベル上げは、解決の糸口にしかならない。魔力飽和は今後も続くだろう。どう対処するんだ」

 ギルベルトの指摘に、その場にいた全員がハッとする。
 ヴィリバルトは、心の中で『さすが兄さん』と兄の鋭さに拍手を送り、さてここをどう切り返すかと考える。解決方法を今ここで暴露するのは得策ではない。
 まぁここは素直に伝えて、肝心な部分を濁すのが一番いいね。
 ヴィリバルトが一瞬見せた不敵な笑みを、ギルベルトは見逃さなかった。
 あれはまた、なにかを隠している顔だ。

「ジークです。ジークベルトが『魔力飽和』を緩和できる魔法が使えます」
「本当かっ!?」

 興奮したニコライがヴィリバルトとの距離を詰める。

「問題ないよ。ただしこのことは私からジークに伝える。誰も他言せず、見守ってほしい。兄さんもいいですね」

 ヴィリバルトとギルベルトの視線が交差する。
 しばらくして、先に視線をはずしたのは、ギルベルトだった。
 やはり隠し事か、魔力飽和を緩和する魔法になにかあるのだろう。
 その魔法名をヴィリバルトは、口に出していない。
 ジークベルトの魔属性は、ヴィリバルトがすべて所持している。そのヴィリバルトが使用できず、ジークベルトが使用できる魔法があるのか。
 無属性は、ユニークの宝庫だが、ジークベルトが生み出した魔法で、ヴィリバルトが使えない……はずはない。
 ヴィリバルト、お前、話すつもりないだろう。
 ヴィリバルトの性格を熟知しているギルベルトは、ここで盛大なため息をつきたいが、そこをグッと耐えた。
 弟の隠し事がつらい。



 金髪の長身ニコライが、不機嫌そうに近づくと、前方に指をさし訴える。

「おいっチビ。あれはなんだ。戦闘もくそもねぇじゃねぇか」
「本人は至って真面目なんです。決してやる気をなくすことは言わないでください」
「しかしなぁ、指導しているテオがかなりまいっているぞ、ありゃー持たねぇよ」
「だっ大丈夫です。テオ兄さんは不屈の精神を持っています。こっ、こんなことぐらいで投げ出したりは決してしないはずです」
「おいおい、お前もやべぇーなと思ってるじゃねぇかっ」
「ではニコライ様が代わりに指導していただけますか」
「どうして、そこで俺に振る」
「これでもだいぶマシになったんです。僕が戦闘の指導をできるにも限界があります。魔法なら多少自身はありますが、短剣は論外です」
「お前っ、短剣スキル所持しているだろう。その時の経験をだなぁ……。そうかお前っ、天才肌だったな……くそっ、だから才能がある奴はこれだからっ。ちッ。そもそも鍛える必要あるのかっ。あれは才能うんぬんのレベルではないぞ」

 ニコライは、しばらく自問自答をすると、俺に向けて正論を言い放った。
 それを受けた俺は、平然と事実を答える。

「それは説明しましたよ。ニコライ様も迷宮でのレベル上げに同意してくれましたよね。それに父上とも契約しましたよね」
「ちッ、早まったな。ずいぶんおいしい仕事だと思ったが、こんな裏があったとは」
「契約破棄はできませんからね。すればアーベル家を敵に回すと思ってください」
「次は脅しかよ。ちッ、俺は契約の護衛以外は手助けしねぇからなっ」
「はい。それで十分です」

 俺が満面の笑みで返答すると、ニコライはフンッと踵を返し、俺のそばから離れていった。
 ニコライの視線の先には、何度もスライムの上に転びながら対峙しているエマと、短剣の指導をするテオ兄さんがいる。
 その横でハクとディアーナが懸命に応援している。
 たしかにテオ兄さんの顔から表情が抜け落ちている。
 これは想像よりもはるかにまずい。
 さてどうしよう──。

 俺たちは現在、数年前に発見されたアン・フェンガーの迷宮にいる。
 迷宮はダンジョンと違い、最下層にボスはいない。その代わり最下層に到達すると『到達ボーナス』がもらえる。
 その中身はさまざまだが、迷宮の難易度が高ければ高いほど、いい品がもらえるらしい。
 噂では『スキル玉』や『ステータス玉』といった品もあるようだ。
 今回の表面上の目的は、踏破。
 本来の目的は、エマの強化だ。
 コアン下級ダンジョンでのレベル上げは、順調そのものだ。
 武道大会まで残り一ヶ月、目標であるLv10に全員が到達した。
 エマのステータスは相変わらずの低数値だが、よくがんばったと思う。
 ただ、技術面はなかなか上がらず、ハクの『氷結』に頼ってばかりだ。
 ディアーナは『疾風』が使用できるようになり、短剣の扱いもうまく、もう少しすれば短剣スキルを所持できるのではないかと、俺の勘が伝えている。

 戦闘を終えた後、テオ兄さんが一心不乱にハクをモフっていた。
 これは相当こたえている。ハクを派遣して正解だった。
 ハクは気持ちいいのか、尻尾をパタンパタンと、リズミカルに動かしている。
 ほかの皆は小休憩を終え、次の戦闘への準備を始めている。
 あとはテオ兄さんの復活待ちだ。
 当初の予定では五階層まで一気に下りるはずだったが、いまだ二階層。想像以上のエマのポンコツぶりに、テオ兄さんの精神が悲鳴をあげ、たびたび小休憩を挟んでいる。
 まぁ、精神がまいるのもわかる。
 例えば、スライムに短剣で攻撃を仕掛けるも、その直前で転ぶと、なぜかスライムの真上にダイブする。そのままスライムにもてあそばれ、助けようとしたテオ兄さんを巻き込み、あられもない姿にさせてしまった。
 それを繰り返すこと、五回。この短時間にだ。
 ほかにもいろいろあったが、たぶん一番こたえたのが直前の戦闘だったと思う。
 エマの行動パターンを把握したテオ兄さんは、攻撃方法を変えるよう指示。短剣を投げるという絶対に選んではいけない攻撃手段を選択した。
 この時点でテオ兄さんの判断能力は、だいぶ低下していたんだと思う。
 エマが投げた短剣は、なぜかスライムとは反対方向に飛んでいく。根気よくテオ兄さんは指導するが、短剣は一度もスライムに命中することはなかった。
 いや、とどめを刺したのは、エマの短剣だ。
 意図せずスポッと手から離れた短剣は、スライムの核に命中し、ドロップ品に変わったのだ。
 テオ兄さんはその様子を見て、唖然としていた。
 そこにニコライが現れ、テオ兄さんを慰めていた。
 その姿を見て俺は、エマの面倒を見させて本当に申し訳ないと思った。でも、俺がすがることのできる相手は、もうテオ兄さんしかいないのだ。許してほしい。
 当事者のエマは、動く魔物の討伐に大興奮していた。
 瀕死状態や氷結状態の魔物を刺すだけだったから、とても新鮮なのだろう。
 エマ、本当にレベルを上げていてよかったね。じゃないと瞬殺だよ。

 もう少しテオ兄さんには、癒しの時間が必要だと悟った俺は、新作の『クレープ』を出して時間を稼ぐことにする。
 もちろんクレープは大好評である。

「セラ様も、ご一緒できればよかったですね」

 口の端に生クリームをつけながら、クレープを賞賛していたエマが、ふと思い出したかのように切り出した。

「セラは基礎体力をつければ、動けるようになるが、時間がかかる。悪いなっ」

 ニコライがうれしそうに、エマに答えると、話題の中心がセラの話となった。

 セラは、先日よりアーベル家本屋敷で、治療のため滞在している。
 専属契約の条件の中にセラの治療がある。理由はニコライが仕事に集中するためだそうだ。
 病床生活が長いセラは、体に筋力がなく、歩くにも補助が必要な状態だ。
 その治療だが、俺が極秘に『吸収』と『低下』をしている。
 あの日、コアンの下級ダンジョンから帰宅した後、叔父ヴィリバルトに呼び出されたのだった──。


 ***


「久しぶりだね、ジーク」
「授与式以来ですね」
「そうか、授与式で会っているんだ。ダンジョン踏破で毎日一緒だったから、一日顔を見ないだけでも、ずっと会ってないような気になる。もう感覚が麻痺しているね」
「そうですね」

 俺が同意するようにうなずけば、叔父の目が獲物を捕らえるような鋭さに変わっていた。
 背筋に嫌な汗が流れる。

「それで今日は、折り入ってお願いがあるんだ」

 ゴクっと思わず咽喉を鳴らしてしまう。

「そんなに緊張しなくても簡単なことだよ。ニコライの妹セラの治療に『吸収』と『低下』が必要でね。それをジークに使用してほしいんだ」
「その魔法は、呪属性ですよね。残念ながら僕には適性がありません」
「そうだね。適性はないけど、使用はできるよね」
「……っ」

 核心を突かれ、俺は言葉をなくす。
 やはりバレている。
 どうする。どうするべきだ。落ち着け。

「エスタニア王国の騎士を助ける際、適性のない『癒し』を使用したね。今は理由を問わない」

 やはりあの時、気づかれていたようだ。叔父が見逃すはずがない。
 全属性をなんらかの方法で、俺が使用できるとの結論に至ったのだろう。
 とりあえず俺は、それに乗るしかないようだ。

「今は問わないんですね。わかりました。試してみます。『吸収』と『低下』は、本でしか確認したことがありません。実用までに時間がかかる可能性があります」
「できれば明日には、彼女に使用してほしい」
「努力します」

 叔父の真剣な表情に、病が相当悪化しているのだと察した。
 俺の魔法で治療ができるなら、助けてあげたい。
 ただ呪魔法は一度試しただけで、それ以降まったく使用していない。
 明日までになんとか『吸収』と『低下』を使えるようにがんばろう。

「治療内容は、極秘だから安心していいよ。ジークが、秘密を打ち明けてくれるまで待つよ。兄さんにも内緒だ。まぁ、ほぼほぼ症例がない魔力飽和だから、治療方法を調査するにもできないんだけどね」
「魔力飽和ですか」
「そう魔力飽和だよ。最初は体のいろんなところに小さな気泡ができるんだ──」と、叔父が魔力飽和の説明を始めた。
「本好きのジークも知らない症例だろ。それに知ってるかい。魔力飽和の最近の症例は約二百五十年前のもので、病にかかったのが、勇者と共に召喚された異世界人だったってことだ。バーデン家の血筋をたどれば、もしかするともしかするかもね」

 叔父が興味深そうに話す。その声は弾んでおり、次の研究対象としてニコライが選ばれたのだと察する。
 超紳士な叔父が、妹セラを研究対象にするはずはない。女性や子供にはとても優しいのだ。
 その場でニコライに合掌する。
 耐えろニコライ。きっとひと皮むけ、能力が格段に上がるはずだ。



 セラにとって昨日は興奮した一日だった。
 治療の一環として行われた魔物討伐。
 地下室に充満する血のにおいと瀕死状態の魔物の様は、淑女であれば卒倒するが、セラは自身の皮膚の破裂を幾度か経験しているため、ほぼ動揺しなかった。
 それよりも魔物を倒すという、命を奪う行為に嫌悪感を抱くかとも思ったが、すんなりととどめを刺せた。
 案外、冒険者に向いているのかもしれないと、未来を想像できる心情の変化に驚いた。

「うふふ、お兄様と同じ冒険者になって魔物を倒す。楽しそうだわ」

 レベルが上がり、体調がすこぶるよくなった。
 右頬の腫れも若干引いた気がするし、全身を包んでいた倦怠感も和らいだ。
 長期戦になるが、完治できる病であると『赤の貴公子』は言いきった。
 今日から魔法での治療も始まるとのことだ。
 だが治療内容は、極秘。
 ニコライには内緒で、昨晩『誓約魔書』にサインした。

「勝手に行動したこと、お兄様に怒られるかしら。でもリスクを背負うのはあたり前だわ」

 セラは自分の行動が正しいと、言い聞かせるようにつぶやく。
 タイミングよく扉のノックの音が聞こえた。
 サッとフードをかぶり、ソファに深く座りなおして返事をした。

「はい、どうぞ」

 扉の向こうから銀髪の少年が現れ、セラの心が奪われる。
 なんて綺麗な方なの。きらめく銀髪に吸い込まれそうな紫の瞳、まとっている雰囲気は優しく澄んでいて、まるで物語の王子様みたい。
 この方が、お兄様の話題によく登場するテオバルト様の弟ジークベルト様。

「セラさんだね?」

 間近で聞こえた声に、セラの肩がわずかに上がる。
 セラが思いを馳せている間に、ジークベルトがソファまで来ていたようだ。

「はじめまして、ジークベルト・フォン・アーベルです。今日はあなたの治療に来ました」
「はっ、はじめまして、ジークベルト様。私はセラ・フォン・バーデンです。はい! 聞いております」
「ひとつお願いがあります。今から使用する魔法は他言無用でお願いします。これはセラさんと僕だけの秘密で、ニコライ様にも誰にも話さないでください」
「わかりました」

 セラの返事にジークベルトが、ほっとした顔をした。


 ***


「では早速治療を始めたいと思います。できれば、セラさんの体の一部を触って魔法を使用したいのですが」
「かかっ、からだを、さっ、さ、さ、さわるぅーー!?」
「落ち着いてください。誤解を与える言い方をしました。セラさんの体内にある魔力を僕が『吸収』するので、できれば手などを握らせていただければ、効率よく『吸収』できるのです。すみません。まだこの魔法を使い慣れてなくて、接触がなければ、かなり非効率で時間がかかります。ご負担をかけないためにも、治療と割りきっていただければと」
「治療のためですね。わかりました。よろしくお願いします」

 セラはそう言って手袋をはずし、おずおずと手を出す。
 その手には小さな気泡が複数できていた。
 これが叔父の言っていた気泡か、見た目は小さなニキビのようだ。
 セラは、現在Lv5でMP158/38である。
 MPの回復は、レベルにより個人差はあるが、MP1で五分程度だ。魔力飽和は、そのMP値を超える状態である。
 普通は体内で生み出された魔力が、上限を超えると自然と体外に放出される。
 セラはその放出が著しく低いのだ。そのため、体内に魔力が蓄積され、体調が悪化し気泡ができ、膨らんでいく。
 気泡ができる状態は、MP値が10を超える時である。
 叔父が見た時は、MP163/8だった。
 レベルが上がることで、MP値が増加する。それに合わせ体内で生み出される魔力、体外放出される魔力も増える。すると自然と魔力飽和状態がなくなるとのことだ。
 レベルが上がるまでの間、俺がセラに『吸収』と『低下』を施して、MP回復能力を低下させる。
 特に『低下』することで、MP1の回復時間が一時間となる。丸二日ほどは『吸収』する必要はなくなるが、残念なことに『低下』の持続は、現在一日なのだ。
 これは俺が、呪魔法のスキルを所持できていないからである。
 ただMP値を超える時間は、回復時間と異なるため、猶予はある。
 そのぶんセラにも努力してもらう。
 幸いなことにセラは、魔属性の光に適性があった。光魔法でMPを使用してもらうのだ。

「ごめんなさい。気味が悪いでしょう」
「いえ、謝っていただく必要などありません。がんばっている手ですよ」

 俺は沈んだ声でそう言う彼女の手をそっと両手で包み込むと、フードに視線を合わせ微笑み「では始めますね『吸収』」と声をかけて治療を始める。
 魔力が流れてくるのがわかる。
 うわぁー、この人の魔力、すごく気持ちいい。やべぇー。
 昨日ハクで『吸収』を練習した時とは、だいぶ違う。
 ハクの魔力は温かく、ジワジワと流れる感じだった。
 セラの魔力はふわっとやわらかい。そして癖になるくらい気持ちいい。
 人によって魔力の質が違うようだ。
「んっ、うぅんっ」と、セラの口から艶かしい声が聞こえる。
「えっ」と、思わず両手を放してしまった。
 気まずい空気が流れる。
 セラはフードを目深にかぶっていて表情は見えないが、艶かしい声に本人も戸惑っているようだ。

「すっ、すみません。声が出てしまって……続けてください」
「あっ、はい、続けますね」

 俺は再び手を掴み『吸収』の魔法を使用する。すると握っているセラの手がピクッと動き、空いていたもう片方の手を素早くフードの奥に押し込める。
「んーーんっっ」と、手で押さえても漏れ出る声がひどくエロい。
 これあきらかに……と、精神が大人の俺は察する。
 ただ治療を止めることはできないし、ここは見て見ぬふりをするのが、お互いのためだと判断する。そしてフードから視線を逸らし、煩悩を排除するため、最近あった嫌な出来事を思い出す。
 その間も、俺には癖になるくらい気持ちいい魔力が流れ、すぐそばでは艶かしい声が聞こえた。
 この地獄をMP1になる寸前まで耐えた。
 俺、がんばった。そして子供でよかったと思う。


 その後ヘルプ機能から補足が入る。


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 ご主人様とセラ・フォン・バーデンは、互いの魔力の相性がいいのでしょう。
 特に魔力を吸収されるセラ・フォン・バーデンは、相当な快感を得るようです。

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 俺、ニコライに殺されるかも……。