西の屋敷の中庭にたどり着く。
 このまま中庭から屋敷に入ることもできるが、今日は伯母に挨拶をしに来たのだから、礼儀を重んじて正面玄関から屋敷に入ろう。そう思って方向転換した矢先、大きな魔力の流れを感じ、俺とハクは素早く反応する。

『守り』
『ガウッ!(氷結!)』

 ハクは氷で防御を張り、辺り全体を霧で包む。その上から俺が守りの防御を重ねる。頭上から、氷の刃が降り注ぎ、中庭に次々と突き刺さる。

「ハク、ディアとエマを頼む」
「ガウ!〈わかった!〉」
「ジークベルト様、お気をつけて」

『収納』から黒い剣を取り出すと、殺気がする方向に構え、走りだす。もちろん『倍速』と『守り』を自分に使用することも忘れない。
 正面から人影が現れたと同時に、キンと剣と剣がぶつかり合う音が響く。「ぐっ」と腹に力を入れ、受け流すが重い。ザ―ッとうしろに下がり次の攻撃に構える。
 ここまでお転婆だとは聞いてないよ。先触れは出してたよね。
 挨拶に来たことを少々後悔するが、次の攻撃がくることもなく、霧が徐々に晴れていき、赤い髪を高く結った女性が、困った表情をして剣を鞘に収めていた。

「強者の気配がしたので、すまない」

 女性は深く頭を垂れた。反省しているようだ。
 この人が、ルイーゼ・フォン・クルマン、俺の伯母だ。
 騎士団の軍服に似た装いだが、赤い刺繍が上着全体に施され品がある。
 伯爵夫人とは、到底思えない格好だけど、とても似合ってはいる。

「ルイーゼ様!」

 非難めいた声が聞こえ「まずいっ」と、素早く俺のうしろに隠れるが背丈が合っていないので、バレバレです。
 侍女長のアンナが、ハクとディアーナ、エマを引き連れて現れる。

「隠れても無駄です。あれほどお伝えしたではありませんか。屋敷内での戦闘行為は禁止であると。ルイーゼ様は、伯爵夫人なのですよ。わかっているのですか」
「しかしアンナ、強者の気配がした。魔獣を確認すれば危険だと判断するだろう」

 伯母が俺の背後で正当性を主張するが、アンナがそれを一掃する。

「ヴィリバルト様が、屋敷内全体に強固な『守り』の魔道具を設置されているとお伝えしましたよね。国中の魔術師が総出で攻撃しても耐えられる仕様だと、ご心配はご無用ですと何度もお伝えしましたよね。またハク様の存在も事前にお伝えしましたよね」
「いやしかし、とてもかわいい皆の癒しだと聞いていたのだ」
「ガウッ?〈なに?〉」

 警戒を解いたハクが首を傾ける。
 うん。かわいい。思わずモフモフしたいぐらいにはかわいいし、癒しだ。

「そうですよ。この姿を見てもそうおっしゃいますか」
「うっ、それは……」

 現実を突きつけられた伯母は反論ができず、黙ってしまう。

「このことはクルマン伯爵にしっかりとご報告させていただきます」
「アンナ! それだけは勘弁してくれ。フェルに知れれば、当分コルセット付きのドレスで過ごさないといけなくなる」

 悲壮な声でアンナに訴える伯母に、にこやかな顔をしたアンナがとどめを刺した。

「いいことではありませんか。ルイーゼ様、あなた様は伯爵家へ嫁いだのですよ。伯爵夫人としてクルマン様を支えなければなりません。私の教育不足だったようですね。滞在中、再教育を行います。覚悟なさってください。逃げ出すことは許しません」

「そんなっ!」と、絶望した声を出す伯母。

「本日からと言いたいところですが、私も鬼ではありません。せっかくジークベルト様がご挨拶に来られたのです。積もる話もありましょう。お茶をご用意いたしますので、室内でお話しください」

 アンナは伯母の態度を気にすることもなく淡々と話をする。
 俺の背後で「わかった」と落胆した声が聞こえた。

「その前に中庭をもとに戻してくださいね」
『整地』

 アンナの指示に、伯母が従い土魔法で、氷の刃が刺さってボコボコになった中庭を整えた。広範囲の魔法施行と剣技に、我が国初の女騎士になっただけはあると評価して、伯母の実力を認識する。
 そろそろ俺のうしろから隠れずに出てきてほしい。伯母はアンナのことがよほど怖いらしい。
 父上や叔父が唯一頭の上がらない伯母。その伯母が恐れるアンナ。アンナ最強説が頭をよぎる。
 たぶん単純に伯母の弱点がアンナなのかもしれない。
 そもそもアンナが叔父の屋敷にいること自体珍しいのだ。きっと叔父が手配したのだろう。


 室内に入ると、すでにお茶やお菓子の用意がテーブルの上にされていた。
 上座に伯母が、その正面に俺、その両隣にディアーナとエマがそれぞれ席に着く。
 もちろんエマは強制的に座らせた。
「うっうう。私、侍女なのですよー」と、泣き言が聞こえたが無視した。
 ハクは俺たちから少し離れた室内の場所に用意された丸いクッションの上にくつろいだ。

「改めまして伯母様、ジークベルトです」
「ルイーゼ・フォン・クルマンだ。先ほどは突然攻撃をして失礼した。お嬢様方もハク殿も驚いただろう。誠に申し訳ない」

 俺の挨拶を受け、伯母は立ち上がると頭を下げた。
 その所作は、美しく、綺麗な礼儀が、気品を際立てる。
 侍女たちが『麗しの騎士』との二つ名で呼んでいたのもうなずける。

「伯母様、頭を上げてください。もう済んだことです」
「しかし私は本気だった。ジークベルトが強くなければ大怪我をさせていた。すまない」
「誰も怪我をせず、穏便に済みました。もうよしましょう」

「だが……」と、納得しそうにない伯母に俺は告げる。

「伯母様は、明日からアンナの再教育を受けるという罰があるではないですか」
「そうだったな。しかし、やはりけじめは必要だ。今後なにか困ることがあれば協力しよう。お嬢様方もハク殿もだ」

 伯母が一瞬苦渋の表情をするも、すぐに表情を戻し俺たちに提案した。
 それに俺は了承を伝え、全員に同意させる。

「わかりました。みんなもそれでいいね」
「「はい!」」
「ガゥ!〈いいぞ!〉」

 その様子に伯母は小さく息を吐き、ほっとした表情をして再び席に腰を掛けた。
 アンナが用意したお茶に手をつけ、三度息を吐く。
 殺気立った相手が子供だったことを相当気にしていたのだろう。

「ジークベルト様、ご挨拶をしてもよろしいでしょうか」

 ディアーナが空気を読み、俺に尋ねる。

「うん。ディア、後回しにしてごめんね」

「いえ」と俺に微笑むと、伯母に向けて挨拶をする。

「クルマン伯爵夫人、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。わたくし、エスタニア王国第三王女ディアーナ・フォン・エスタニアと申します。先日ジークベルト様と正式に婚約いたしました。今後はジークベルト様を支えるよう努力いたします。どうぞよろしくお願いいたします」
「貴殿が……やはり噂はあてにならないな」

 どのような噂があるのか、後でヘルプ機能に確認しておこう。

「侍女のエマです。このような状態でのご無礼をお許しください」

 エマは皆と一緒に腰掛けていることを詫びた。

「気にするな。側室候補と聞いている」
「伯母様、それは違いますよ」

 伯母の危ない発言をすぐに俺は訂正した。
 すると伯母がと不思議そうに首を傾ける。

「そのように大事にしているのにか。男たちの考えはわからないな」
「クルマン伯爵夫人、ジークベルト様は照れているだけですわ」

 否定する俺の様子を見て、ディアーナが的はずれなことを言う。

「やはりそうか。ディアーナ王女、私のことはルイーゼと呼んでくれ。敬称はどうも慣れなくてな」
「わかりました。ルイーゼ様、わたくしも敬称は必要ございません。婚約ではございますが、すでにわたくしはアーベル家の者です」
「そうか。ディアーナ殿、ジークベルトを支えてやってくれ」
「はい。もちろんです。エマと共に生涯お仕えいたします」
「それは心強い! 安心した」

 伯母とディアーナは互いに顔を見合わせ、微笑み合う。
 会話の内容は置いといて、ふたりの会話が弾んでなによりだ。
 ディアーナがいまだに側室をあきらめていないこともわかったし、まぁエマも「私がジークベルト様の側室だなんて、恐れ多いです」と言っていたので、側室候補の話は時間が経てば流れるだろう。

「ガゥー〈紹介して〉」と、ハクが俺の膝に両足を置き鳴いた。
 丸いクッションにいたハクが挨拶と聞いて俺のそばに寄っていたのだ。
「ごめんね、ハク」とフワフワの頭をなでる。

「伯母様、ブラックキャットの変異種で、僕の相棒のハクです」
「ガゥ!〈ハクだ!〉」
「変異種だったのか、どうりで強い。氷魔法が使えるのだな」

 伯母が興味深そうにハクを見て、俺に尋ねた。

「はい。僕と共にヴィリー叔父さんに指導していただいています」
「ヴィリバルトにか。ほほぅ」

 俺が叔父の名前を出した瞬間、伯母のまとっている空気が豹変し、黒い瞳が妖しげに光る。
 えっ!? 叔父、伯母になにをしたのですか。めっちゃ地雷ですやん。

「次の指導はいつなのだ?」
「あっ明後日ですね」
「そうか。ぜひとも私も参加したいな」
「僕には判断ができません。ご教授いただいている立場ですので」
「それもそうだな。アンナ!」

 伯母が呼ぶと、扉の前に待機していたアンナが伯母のそばに寄る。

「はい。ルイーゼ様いかがなさいましたか」
「次のジークベルトの魔法の修練。私も参加したい。手配してくれ」
「しょうがないですね。今回だけですよ。私がヴィリバルト様にお伝えしておきましょう」
「助かる」

 アンナがあっさりと伯母の参加を許可した。
 えっ、再教育は? えっ、絶対空気おかしくなるよね。その中で魔法の訓練を俺がするの?
 あっ、もう確定事項なんですね。
 まじか、叔父よ、伯母となにがあったか知らないが、巻き込まないでほしい。
 どう考えても板挟みな情景が思い浮かび、頬が引きつる。
 後でアンナに、叔父と伯母のことを聞いて、対策を取ろう。
 するとハクが「ガルゥ?〈ルイーゼも一緒に修練するの?〉」と、期待した目で俺に聞いてきた。

「そうだよ。伯母様も次の修練に参加してくれるんだよ。ハクと同じ氷魔法の使い手だから、いろいろと教えてもらえるね」
「ガウッ!〈ルイーゼ、よろしく!〉」
「あぁ、よろしくな」

 ハクの純粋な瞳に、伯母は毒気が抜けた顔をして返事をする。
 そうだ、俺にはハクがいた。これは大丈夫かもしれない。光が見えた。

「では、わたくしたちも見学してよろしいですか。もしくは参加させてください」
「ディアーナ殿も参加か。エマ殿はどうする?」
「私は適正がありませんので、見学でお願いします」
「そうか。アンナ」
「はい。ヴィリバルト様にお伝えしておきましょう」
「ありがとうございます。実は風魔法のレベルがなかなか上がらず困っていたのです」

 あっさりとディアーナの参加も決まる。
 あれ? もしかして俺が思っているほど深刻なものじゃない。
 伯母が申し訳なさそうに、ディアーナに伝える。

「風魔法か。すまない。私は専門外だな」
「いえ、お強い方にご教授いただくだけでも、勉強になります」
「向上心が高いことはいいことだ」

 伯母が感心したようにうなずく。

「ありがとうございます。あのルイーゼ様」

 ディアーナが言い難にくそうな雰囲気を出し、伯母の注目を集める。

「なんだ?」
「ルイーゼ様は大恋愛の末、クルマン伯爵に嫁いだと伺いました。よろしければそのお話聞かせてくださいませんか」
「大恋愛と言うほどの話でもないが……」
「それでもお願いします!」
「あぁ、わかった」

 ディアーナの勢いに負けた伯母は返事をすると、クルマン伯爵との馴れ初めを話しだした。
 アンナがそっと伯母たちのそばを離れると、そのやり取りをうなずきながらニコニコと笑顔で見届けていた。