「お客様、困りますよ。はい」

 男の声で、おぼろな意識が覚醒する。
 何もない白い空間に、高級スーツを着こなす上品な紳士がいた。抽選場にいたあの男だ。

「ここは?」
「生と死の狭間です。はい」
「生と死……?」

 男の言葉に唖然とはするが、この状況に妙に納得している。

 あぁーー。とうとう死んだか……。
 うんうん。俺、頑張った。短い人生だったが、俺の体質からすれば、頑張ったほうだとは思う。
 やり残したことはあるけれど、未練はない……はずだ。いや未練などはない! 我が人生に悔いなし!

 ざっくりと心の決着をつけたところで、男に視線を戻す。

 抽選場にいた男だよな? なぜここにいる?
 んっ? なぜここが生と死の狭間だと知っているんだ。
 そもそもこの男は何者だ? 死神か? それとも……。
 さきほどまでの出来事を思い出す。




***




 ハローワークからの帰り、鞄をひったくられた。
 俺にとっては、まぁ日常的なひとこまだ。普段なら動揺もなく「数千円損したな……」で、諦めがつくことだが、盗られた鞄は妹からの誕生日プレゼントだった。
 鞄だけはなんとしても取り戻さなければ!
 内心舌打ちしながら、なりふり構わず大声をだし犯人を追いかけた。

「捕まえてくれっ! ひったくりだ!」

 俺の声に驚いた犯人が一瞬後ろを振り向くが、目深に帽子をかぶり、顔の確認ができない。
 しかも、逃走している道は人がまばらで、女性や子供、お年寄りばかりだ。
 いつものことだが運がなさすぎる。

「まてーっ!」

 全速力で犯人との間を詰めるが、ひったくり犯だけあって足が速い。
 息も上がりはじめた矢先、犯人が細い路地に入っていく。まかれるかと必死に追いかけるが、細く入り組んだ道が邪魔をする。犯人の姿がだんだんと小さくなり角を曲がった。

「くそーーっ……ハァ……ハァッハァ…………」

 十数秒遅れて曲がった先は大きな広場だった。
 犯人の姿がない。逃げられた……。くそっ。
 脱力感とともに大きな後悔が襲う。『大事な物は家から出さない』これ俺の教訓だ。
 ただ今日は「鞄なんだから外で使ってよ」との妹の苦言に負け、家から持ち出した。肌身離さず細心の注意を払っていたつもりだった。
 鞄を盗まれる直前、年配の女性が目の前で躓いた。慌てて後ろから支え、女性は倒れることもなく怪我もなかった。
 女性にすごく感謝され、良い気分で俺は道を歩きだした。そうここで油断した。鞄への警戒を一瞬ゆるめてしまったのだ。
 後悔しても、もう遅い。あの時には戻れないのだから。
 膝に手をあて心と呼吸を整えていると、人影が近づいてきた。顔を上げると、高級スーツを着こなす上品な紳士がいた。

「お客様よろしければ一回どうぞ。はい」

 手の先には『人生ガラポン抽選会』といういかにも怪しげな会場があり、ご丁寧に閑古鳥が鳴いていた。
 それ以前にこの広場には、俺と紳士しかいない。はっとして紳士に尋ねる。

「帽子をかぶって走ってきた人はどの方向に行きましたか?」
「お客様以外見ておりません。はい」
「そんなっ、馬鹿なっ!」

 紳士の言葉に思わず、声を荒らげた。
 姿は小さくなっていたが、確かにこの角を曲がったのだ。

「この角から出てきませんでしたか?」

 俺は必死な形相で、指で角を示すが、紳士は頭を横に振る。

「残念ですが、お客様以外この広場に現れた方はいません。はい」

 一瞬、紳士の言葉に違和感を覚えるが、紳士が矢継ぎ早に続ける。

「さぁお客様、どうぞこちらへお越しください。はい」
「いや、抽選券もお金もないですから……」

 やんわりと断りをいれるが、紳士はいささか強引に俺を『人生ガラポン抽選会』の会場へ押し込み「遠慮なさらずにどうぞ。はい」と、ガラポンの前へ立たせた。
 嫌な予感しかしないんだが、背後からの圧力に負け、半ばあきらめた状況で、ガラポンを回す。

 ガラッガラガラガラーーーーポンッ。受け皿に金の玉が落ちた。

「おめでとうございます! 特賞! 異世界転生券となります! はい!」

 カランカランと鐘の音を鳴らしながら、紳士の声がひときわ高くなった。

「イセカイテンセイ?」
「はい。異世界転生券でございます。はい」

 なんだそれ? イセカイってあの異世界か? とういうことは、テンセイは転生か?
「フッ」鼻で笑ってしまった。馬鹿馬鹿しい。

「お客様いかがなさいましたか。はい。どっ、どこにいかれるのですかーー」

 若干戸惑う男を後目に、足早にその場を後にする。
 とんだ詐欺師だ。なにが『異世界転生券』だ。馬鹿にするにもほどがある。
 最近の流行か、ライトノベルだったか? 信じこませ、何かしらの理由をつけ高額な商品を購入させるてはずか。
 色んな詐欺があるものだな。俺は騙されないけどね。
 それよりも鞄だ。絶望的な状況に大きなため息がでる。

「はぁー……」

 おそらく妹は笑って許してくれる。それが俺には一番キツイ。
 俺の家族は、この不幸体質を当たり前のこととして受け入れてくれている。
 俺が同じ立場なら、少し距離をおくと思う。
 不幸が伝染するなんて言葉は信じないが、俺の不幸体質は異常すぎるからだ。
 あまり思い返したくない、数々の場面が頭を過ぎる。

「あぁーー!!」

 嫌な思い出を打ち消すように声を出した瞬間、大きな地響きとともに地面が割れ落ち、意識を失った。