「お客様、困りますよ。はい」

 男の声で、おぼろな意識が覚醒する。
 何もない白い空間に、高級スーツを着こなす上品な紳士がいた。抽選場にいたあの男だ。

「ここは?」
「生と死の狭間です。はい」
「生と死……?」

 男の言葉に唖然とはするが、この状況に妙に納得している。

 あぁーー。とうとう死んだか……。
 うんうん。俺、頑張った。短い人生だったが、俺の体質からすれば、頑張ったほうだとは思う。
 やり残したことはあるけれど、未練はない……はずだ。いや未練などはない! 我が人生に悔いなし!

 ざっくりと心の決着をつけたところで、男に視線を戻す。

 抽選場にいた男だよな? なぜここにいる?
 んっ? なぜここが生と死の狭間だと知っているんだ。
 そもそもこの男は何者だ? 死神か? それとも……。
 さきほどまでの出来事を思い出す。




***




 ハローワークからの帰り、鞄をひったくられた。
 俺にとっては、まぁ日常的なひとこまだ。普段なら動揺もなく「数千円損したな……」で、諦めがつくことだが、盗られた鞄は妹からの誕生日プレゼントだった。
 鞄だけはなんとしても取り戻さなければ!
 内心舌打ちしながら、なりふり構わず大声をだし犯人を追いかけた。

「捕まえてくれっ! ひったくりだ!」

 俺の声に驚いた犯人が一瞬後ろを振り向くが、目深に帽子をかぶり、顔の確認ができない。
 しかも、逃走している道は人がまばらで、女性や子供、お年寄りばかりだ。
 いつものことだが運がなさすぎる。

「まてーっ!」

 全速力で犯人との間を詰めるが、ひったくり犯だけあって足が速い。
 息も上がりはじめた矢先、犯人が細い路地に入っていく。まかれるかと必死に追いかけるが、細く入り組んだ道が邪魔をする。犯人の姿がだんだんと小さくなり角を曲がった。

「くそーーっ……ハァ……ハァッハァ…………」

 十数秒遅れて曲がった先は大きな広場だった。
 犯人の姿がない。逃げられた……。くそっ。
 脱力感とともに大きな後悔が襲う。『大事な物は家から出さない』これ俺の教訓だ。
 ただ今日は「鞄なんだから外で使ってよ」との妹の苦言に負け、家から持ち出した。肌身離さず細心の注意を払っていたつもりだった。
 鞄を盗まれる直前、年配の女性が目の前で躓いた。慌てて後ろから支え、女性は倒れることもなく怪我もなかった。
 女性にすごく感謝され、良い気分で俺は道を歩きだした。そうここで油断した。鞄への警戒を一瞬ゆるめてしまったのだ。
 後悔しても、もう遅い。あの時には戻れないのだから。
 膝に手をあて心と呼吸を整えていると、人影が近づいてきた。顔を上げると、高級スーツを着こなす上品な紳士がいた。

「お客様よろしければ一回どうぞ。はい」

 手の先には『人生ガラポン抽選会』といういかにも怪しげな会場があり、ご丁寧に閑古鳥が鳴いていた。
 それ以前にこの広場には、俺と紳士しかいない。はっとして紳士に尋ねる。

「帽子をかぶって走ってきた人はどの方向に行きましたか?」
「お客様以外見ておりません。はい」
「そんなっ、馬鹿なっ!」

 紳士の言葉に思わず、声を荒らげた。
 姿は小さくなっていたが、確かにこの角を曲がったのだ。

「この角から出てきませんでしたか?」

 俺は必死な形相で、指で角を示すが、紳士は頭を横に振る。

「残念ですが、お客様以外この広場に現れた方はいません。はい」

 一瞬、紳士の言葉に違和感を覚えるが、紳士が矢継ぎ早に続ける。

「さぁお客様、どうぞこちらへお越しください。はい」
「いや、抽選券もお金もないですから……」

 やんわりと断りをいれるが、紳士はいささか強引に俺を『人生ガラポン抽選会』の会場へ押し込み「遠慮なさらずにどうぞ。はい」と、ガラポンの前へ立たせた。
 嫌な予感しかしないんだが、背後からの圧力に負け、半ばあきらめた状況で、ガラポンを回す。

 ガラッガラガラガラーーーーポンッ。受け皿に金の玉が落ちた。

「おめでとうございます! 特賞! 異世界転生券となります! はい!」

 カランカランと鐘の音を鳴らしながら、紳士の声がひときわ高くなった。

「イセカイテンセイ?」
「はい。異世界転生券でございます。はい」

 なんだそれ? イセカイってあの異世界か? とういうことは、テンセイは転生か?
「フッ」鼻で笑ってしまった。馬鹿馬鹿しい。

「お客様いかがなさいましたか。はい。どっ、どこにいかれるのですかーー」

 若干戸惑う男を後目に、足早にその場を後にする。
 とんだ詐欺師だ。なにが『異世界転生券』だ。馬鹿にするにもほどがある。
 最近の流行か、ライトノベルだったか? 信じこませ、何かしらの理由をつけ高額な商品を購入させるてはずか。
 色んな詐欺があるものだな。俺は騙されないけどね。
 それよりも鞄だ。絶望的な状況に大きなため息がでる。

「はぁー……」

 おそらく妹は笑って許してくれる。それが俺には一番キツイ。
 俺の家族は、この不幸体質を当たり前のこととして受け入れてくれている。
 俺が同じ立場なら、少し距離をおくと思う。
 不幸が伝染するなんて言葉は信じないが、俺の不幸体質は異常すぎるからだ。
 あまり思い返したくない、数々の場面が頭を過ぎる。

「あぁーー!!」

 嫌な思い出を打ち消すように声を出した瞬間、大きな地響きとともに地面が割れ落ち、意識を失った。



***




 そして冒頭に戻る。
 足元の地面が割れ、逃げる間もなく落ちたんだった。
 慌てて身体を確認するが、どこにも損傷がない。
 かなり深く落ちた気がしたが、そうでもなかったの……か?
 いや、ここは生と死の狭間だ。意識だけがあり、肉体と切り離されている可能性が高い。落ちてかすり傷もない状況がそれを表している。
 まだ死んでない可能性があるのか? 昏睡状態か?

「いえいえ、お客様は死にましたよ。はい」と、男がタイミングよく言葉を発する。

「運悪く地面が割れ全身強打の即死です。はい」

 全身強打の即死……。
 落ちた瞬間の記憶は鮮明だが、幸か不幸か痛みの記憶がない。
 納得はできるが、なぜこの男が俺の死因を知っている。そもそもこの男は何者なんだ?

「私は生死案内人です。はい」
「生死? ……案内人?」
「はい。決められたルートに魂を送り、生を全うした魂を回収するのが私の務めです。今のお客様は霊魂の状態でございます。本来なら具象化せず、発光したものとなりますが、今回はイレギュラーでございまして、今生の姿でこの場に存在しております。またお客様の心の声は私には聞こえております。はい」

 だよなーー。さっきから絶妙な間で返すから、もしかして心の声聞こえている? とか思ったりもしていたが、まじかっ!
 しかも魂回収して送るって、言葉通り生死の案内人なのか。なるほど。
 でっ、本来は具象化するはずがない魂が、イレギュラーで存在する事情があるってことですね。生死案内人さん。

 生死案内人は、深く頭を垂れる。

「大変申し訳ございません。お客様は今生の転生時に過去の不運と他者の不運を背負ったまま転生いたしました。事務のミスで、他の転生者の不運を少々ばかりプラスして、通常の不運値の四十倍加算されて転生されたのです。はい」
「はぁああーーーー?! 不運値四十倍って! えっ?! まじかっ! えっ、えっ、えー! 倍とかじゃなくて? いやいやいやいやいやいや、少々どころじゃないっしょ! 桁数あきらかにおかしいんですが。四十倍って即死っしょ!」
「はい。しかしながらお客様は幸運値も高く、通常なら転生して即死の不運値でしたが、つい先ほどまで生を全うされたのです。はい」

 生死案内人の言葉に唖然とする。
 四十倍の不運値をカバーする程の幸運値って、それって幸運値なのか?
 あれもこれもそれもどれも、過去の不幸な出来事が走馬灯の如く駆けめぐる。
 交通事故に食中毒、他諸々……幸運値じゃなくて悪運値じゃねぇかっ!

「これでも大変苦労いたしました。すぐに魂を回収して、正常値での再転生ルートでの修正が、厄介な高幸運値のため、魂の回収ができず、何度も地上を訪れ、人生軌道修正を行いました。はい」
「いやいや厄介って思っていても、当事者前に口にしちゃダメっしょ」
「申し訳ございません。つい本音がでてまいりまして。はい」
「本音ですか……そうですか」
「はい。本音でございます。はい」

 生死案内人の潔さに、高まった気持ちが冷めていく。
 確かにその高幸運値、本人の俺でさえ厄介だと思うわ。うん。これ以上詰め寄れないわ。
 冷静さを取り戻し、頭を切り替え、気になった部分の質問をする。

「人生軌道修正とは?」
「はい。不運で生じた事実を半強制的に修正変更したのでございます。最近ですと痴漢冤罪です。人生軌道修正をしなければ、冤罪が証明されず、迷惑防止条例違反で捕まっておりました。はい」
「一度は捕まりましたから。奇跡的に動画を撮っていた人がいて、誤認逮捕であったと証明されたけれど、会社は実質解雇。『君の普段からの行動に非があるから、痴漢冤罪なんてことになるんだ』と罵ったクソ上司との縁が切れて清々しましたけどね」

 痴漢冤罪と分かり、周りが同情的な中、あのクソ上司のあの発言。
 それ以前から、俺に相当な嫌がらせをしていたが、痴漢の件で勢いづき、リストラ候補に名を挙げて実行した。
 その前に退職願を顔面に投げつけてやったけど。
 会社は中小の中小、給料も福利厚生もそこそこよく、同僚も先輩も後輩も悪くはなかった。
 ただ直上司運だけが、なぜかなかったんだよ俺。部署異動毎に一癖二癖ある上司に当たり、最終あれだろ。
 これもあの不運値が関係しているのかね。はぁー。

「さようでございます。直上司の部分のみ不幸値がかなり影響していたようですね。はい。その他は幸運値がカバーされ、そこそことなったようでございます。ちなみに会社解雇についても修正はされております。痴漢は事実でございますが、冤罪にした被害者女性の家族がお客様を不憫に思われ、某企業への再就職が決まっておりました。はい」

 あの事件後、ダメもとで受けたあの企業か。死んでから再就職先が決まったと聞いても微妙だが、コネ入社の部分を差し引いても、ほんの少し嬉しかったりもする。
 今まで疑問だったことも解決した。不幸な出来事のあと、必ず好転した。
 あれは生死案内人のフォローだったのか。不思議だったんだ。不幸体質は認識していたが、大きな事件ほど悪い方向には向かわず、むしろ良い方向に向かい、結果ついてなかったな。程度で毎度終わった。
 ん? 感謝するべきなのか……?

「お客様、思考中に大変申し訳ございませんが、私の話を進めさせていただいてよろしいでしょうか。はい」
「わるい、続けてくれ」
「ありがとうございます。話の続きですが、お客様は本日の魂の回収と転生のリストに名がございました。しかしながら転生先の記載がございませんでした。このようなことは、私が生死案内人となり初めてのケースでございます。どのような対処をすればいいのか迷っていたところ『ガラポン』が登場しました。はい」
「はぁ?」
「人生軌道修正用の最終抽選仕様のガラポンでございます。はい」
「えっ……」
「生前のお客様に引いていただく必要がございましたので、少々無理をしましてあの空間を作製しました。はい」

 あの空間? あの広場か。あぁそうかと、あの違和感に合点がいく。
 生死案内人はあの時『現れた方はいません』と言った。
 あの場所は作られた空間だったのか。そりゃー、犯人いないわ……。

「申し訳ございません。魂の回収時間が迫っていたため、半ば強制的にあの空間を繋いだのです。はい」
「なぜ謝る?」
「私が空間を繋がなければ、お客様は犯人を捕まえておりました。あの角は袋小路でございますから。はい」
「そうか……死ぬ前に鞄を取り戻せたのか」
「はい。申し訳ございません」
「まぁ、過ぎたことを言っても仕方ないしな。で、あのガラポンの結果が異世界転生券だったよな?」
「さようでございます。『特賞の異世界転生券』でございます。はい」
「特賞をやけに押しますね」
「それはもちろんでございます。まず魂は本来記憶が消えてから転生いたします。しかしながらお客様は今生時に異世界転生券を獲得しましたので、即転生が可能です。すなわち、前世の記憶が残ったまま異世界への転生をします。ただしお客様の前世の名は記憶から消去しております。はい」

 生死案内人の言葉通り、自分の名前を思い出そうとするが、思い出せない。なぜか名前がないことに違和感を覚えない。不思議なことにないのだと素直に受け止められる。

「名の消去は色々と理由がございますが、長くなりますので割愛させていただきます。はい」
「違和感ないから別にいいが……」
「ありがとうございます。では説明を続けます。お客様が転生する世界は今生の世界とは異なり、魔法とスキルがございます。はい」

 魔法がありスキルもある世界か……。魅力はあるが、できるならあの家族がいる『地球の日本』に転生したい。

「異世界でないと転生できないのか?」
「はい『異世界転生券』でございますので申し訳ございません。はい」
「ちなみに拒否権は……ないんだよな?」
「そうですね。記憶を所持せず、通常ルートで転生されたとしても同じ異世界へ転生することとなります。はい」
「拒否権なしか……だとしたら記憶はあったほうがいいよな?」
「もちろんでございます。今生の知識が生かせます。はい」
「知識が生かせる世界なのか?」
「転生先の世界は、中世ヨーロッパ風な世界観であり、多種族が存在しております。もちろんお客様は人族として転生します。はい」
「中世ヨーロッパ……」

 若干不安を感じる。風呂とかトイレとか、その他諸々……。潔癖までとはいかないが便利な日本育ちだから、適応するまでかなり大変なのではなかろうか。

「お客様が想像しているほど、不便ではございません。そこは上手く魔法が活用されておりますので。はい」
「なるほど!」
「お客様にはただ異世界へ転生していただくわけではございません。特賞特典で少々能力値を上乗せする成長促進スキル、そのものの価値を判断、評価する鑑定眼スキルを付与し、全属性の魔法を適合、異世界特典で言語のスキルを付与しております。はい」

 おぉ! ここで特賞特典きました! 成長促進と鑑定眼、かなり使えそうだ。
 しかも魔法が使えて全属性適合ってすごくないか。

「また生前ご迷惑をお掛けしたお詫びとして、転生祝福の加護を与えております。はい」

 迷惑料で加護をいただきました。ありがとうございます。

「私からの説明は以上でございます。お客様があの空間から立ち去られた時は大変困りましたが、無事説明ができて一安心でございます。はい」

 突如、ピピピピピピピピ…………と電子音が響き渡る。

「時間がきたようです。それではお客様よき転生を! はい!」
「はっ?!」

 急すぎるだろっ! まだ聞きたいことが……。
 最後の言葉は声にならず、強制的に意識が落ちた。





 目覚めると、誰かに抱かれているようだった。
 視界がぼやけて、状況把握ができないが、人肌を感じる。
 真上から女性の声が聞こえた。

「リア様、元気な男の子ですよ」

 重心が急に不安定となり、暖かく心地よい優しさに包まれる。

「やっと会えたわね、私の坊や」

 頬を数回撫で、額に柔らかいものが落ちる。
 リアとは、今生の俺の母のようだ。その腕の中は、懐かしい匂いが鼻孔をくすぐり、心地よい安堵感と満足感に浸る。
 一生ここにいたいと、願ってしまう。俺、幸せだ。もう転生とかどうでもいいや……。
 思考が停止し、うつらうつらし始め、しばらく幸せな世界の中をまどろむ。
 身体が宙に浮く感覚に、ハッと意識が浮上する。この幸せな世界から遠のいていく。
 いやだ! 思わず抗議の声を上げた。

「ぁ……ぁ……あぅ!」

 自分が発した声でない声に驚いて、眠気も吹っ飛んだ。
 赤ん坊のため、声帯が上手く使えない。言語スキルが、付与されていても、発声面の技術が備わっていないため、言葉が発生できないのだ。
 当たり前か……。俺、赤ん坊なんだ。記憶を持ったまま、まじで転生したよ。
 生死案内人の説明、実は半信半疑だった。あの場面で疑う余地はなかったけど、都合がよすぎたのだ。
 実際に経験すれば、無駄話せず、色々と詰めておけばとの後悔もあるが、どちらにしろ時間切れで、強制退場だった。
 心残りは、前世の家族に別れを伝えられなかったことだ。
 事故死だから、その機会はないけれど、生死案内人に、手紙などを託せたかもしれない。
 俺が、突然死んで迷惑をかけただろうな。感謝しかないが、名前が消えた影響か、家族との思い出も、気持ちも、だんだんと希薄になっている。
 おそらくこれは、転生したからだ。
 新しい人生に、前世の記憶はあるが、感情が伴わないのだ。もう記憶ではなく記録だ。自分を構成する性格や精神年齢は、そのままだ。不思議な感覚だけれど、違和感はない。俺であることには、変わりないのだ。

 さて、気持ちを切り替えて、現状を把握しよう。
 転生先が、成人男性なんて上手い話はなく、現状の俺は、生まれたての男児だ。
 うん? ちょっと待て?! うわぁー。……気づいてしまった。
 誰しも経験し、生きるためには必要なことだが、母乳やオムツの経験は、記憶から抹消できないものかと思う。
 はっははは……。そこだけ切り離すことは、難しいよね。
 まさか転生のアドバンテージが、最初に悩む要因になるとは、精神年齢が高い分、受け止めるのに時間が掛かりそうだ。

 現実を直視する間に、母リアとの対面は終了となったようで、一定リズムの振動に、どこかに運ばれていると感じた。
 視力が発達していないので、視界がぼんやりとしか見えない。
 この状態だと、何も情報が収集できないな。新生児の間は、行動に移せないか……。
 あっ、そうだ! 生死案内人から付与されたスキルを活用しよう。
 特典で貰ったスキルは、言語、成長促進、鑑定眼だ。
 言語は、自動的に使用されている。母と女性の会話を理解できているので、問題はないようだ。
 成長促進は、後々活躍するスキルだが、今望んでいるものではない。
 鑑定眼。これだ! 早速使って………。
 スキルの使用方法を聞いていないぞ!
 言語と成長促進は、自動スキルだ。鑑定眼は、どう考えても手動スキルだ。もし自動なら、そこら中を自動鑑定して、過剰な情報量で、俺がプチパニックを起こしているはずだ。手動となれば、普通はあれしかない。無理だとは思うが、お約束の方法を試してみる。

「ぁ……ぅぁ」

 ですよね。やはり言葉を発することはできない。
 だとすれば、心で念じるしか方法はないが、おそらく対象を認識して念じればいいと思う。
 都合が良いことに、俺は運ばれていて、視界いっぱいに、一人の女性を認識できる。
 この絶好の機会を逃すことはしない。視界いっぱいの女性を意識して、心の中で『鑑定眼』と念じた。
 突如、頭の中にステータスが表示された。


 ***********************
 アンナ・テレマン 女 45才
 種族:人間
 職業:侍女長
 Lv:15
 HP:70/70
 MP:40/40
 魔力:35
 攻撃:38
 防御:53
 俊敏:58
 運:39
 魔属性:水

 戦闘スキル:体術Lv6
 魔法スキル:水魔法Lv3
 技能スキル:家事Lv7、料理Lv4、作法Lv6、執事Lv5
 **********************


 おぉー。成功した!
 ステータスは、ゲームの世界と同じ仕様だ。
 HPとMPはわかる。他の内容も大体理解できるな。スキルも知識内にあるものだ。
 よかった。理解できる範囲での鑑定結果に、心底安堵する。
 残念なことに、俺の知識は、某有名ゲームを簡単に攻略したぐらいしかないのだ。
 こんなことなら、前世の妹が、推薦していた転生もののラノベシリーズ、後回しにせず、読破すればよかった。後悔先に立たず。
 知識がないものは、どうしようもない。今できることをしよう。何事もポジティブにだ。
 せっかくアンナの情報があるのだ。そこから考えてみよう。
 アンナの年齢と経験を加味すれば、Lvとスキルの取得率は、一般的に高いか低いか、どちらなんだろう。
 まずこの世界の基準がいるな。
 手始めに、周囲の人の情報を取得して、統計をとることから始めよう。幸い記憶力は、人並み以上に良いので、困らないはずだ。
 前世の俺なら、手っ取り早く、本で知識を取得することを選択するが、読むことすら不可能だ。
 あっははは。行き詰まり感ハンパねぇーー。けれど、楽しみは多いぞ!

「アンナ!」

 前方からの甲高い声に反応して、アンナはその場で立ち止まる。
 パタパタとした足音が間近まで近づき止まると、アンナが、落ち着いた口調で窘めた。

「マリアンネ様、淑女はいかなる場所でも優雅に、廊下を走ってはなりません。上品にかつスマートに歩くのです」
「ごめんなさい。つい、ついね。アンナたちの姿を見つけたら、駆け出してしまったの。次からは気をつけるわ。だから、今回は大目に見て、お願いよ」
「日常生活が、所作にでることをお忘れなく」
「はい。わかったわ。普段から気をつけるわ。ねぇ、それよりも、私たちの弟を見せてちょうだい」
「まったく、仕方がありませんね」
「ありがとう。アンナ。大好きよ。うわぁ、この子が、私たちの弟なのね。うふふ、可愛い。お母様と同じ銀髪で紫瞳! お兄様たちが見たら溺愛するわね」
「はい。そうですね。リア様に大変似ておいでで、旦那様も大変お喜びでした」
「お母様は、ご無事?」
「はい。とても元気にされております」
「そう! それはよかったわ!」

 頭上での少女とアンナの会話に耳を澄まし、第三者からの外見報告に唖然とする。
 転生先が、中世ヨーロッパ風な世界観だと、生死案内人の説明にもあったので、外見も洋風だろうと、予想はしていた。その中でも銀髪で紫瞳は、珍しいのではないかと思う。
 なんとなくだが、母リアは、外見も内面も、ズバ抜けて美しい人だと思う。
 あの抱擁感の持ち主が、不細工だとは想像し難いし、俺の勘では、極上の美人のはずだ。
 父とは対面していないので、容姿の判断もつかないが、アンナの職業から、おそらく貴族ではないかと、判断できる。
 貴族のイメージで浮かぶのは、お金と権力と端整であることだ。ごく一部にあれはいるが、ほぼ美形のはずだ。
 今ある情報と、前世の知識から想像するに、俺の容姿は…………。
 あまり嬉しくないな。贅沢だと我儘だと罵ってくれてもいい。ブ男より、美男のほうがいいに決まっている。
 偏見があるかもしれないが、銀髪、紫瞳って、美少女なら許容範囲だが、男でその外見は痛い人に見える。
 俺の知識が偏っているのかな。いや、そんなことはないはずだ。
「ぁ……あぅっ」と、思わず声がでた。

「あら、どうしたのかしら?」
「マリアンネ様に、ご挨拶をされているのではないでしょうか」
「まぁ! うふふ、私があなたのお姉さんよ」

 的外れの二人の会話に抗議をしたい。
 おっ! 視界に影が二つ認識できる。
 俺が、声を出したことにより、少女マリアンネとの距離が、更に近づいたようだ。
 今なら鑑定眼が、成功する可能性が高い。
 少女の影を意識して『鑑定眼』と念じると、突然視界が暗転した。



***




 気がつくと、フワフワとした暖かい物の上に寝かされていた。
 ベッドかな? 周りの気配を窺うが、誰もいないようだ。
 前後の記憶が曖昧だ。
 えーっと、鑑定眼を実行して、意識が落ちた……?
 赤ん坊の体力を考えれば、疲れて寝てしまったのかもしれない。
 それにしては、突然すぎるような気もするが、そこを掘り下げても、答えはでない。精神年齢が高い赤ん坊なんて、前代未聞だもんなぁ。
 それより、少女の鑑定は、失敗したのか?
 んーー……。理論的に考えれば、成功するはずだったんだが、情報を確認した記憶がないことから、失敗したのだろう。
 鑑定眼は名の通り、眼で対象物を認識して実行するものだと考えている。だけど、俺は赤ん坊で、視力が発達しておらず、対象物を捉えることができない。複数人いる状況では、対象を特定できずに失敗するか、その場全員の情報が取得できると、予想した。結果、失敗したことになる。
 んーーーー。わからないなぁ……。
 確かに二つの影を認識したが、マリアンネを意識して、鑑定眼を実行した。
 アンナと同じく、個人を特定したので、失敗するはずはないのだが、この理論に自信があったんだけどなぁ。やはり視力が発達していないことが、致命的だったのかと思う。
 そうなると、次は俺自身だ。能力の把握は不可欠だ。
 自身に向けて『鑑定眼』と念じる。


 ***********************
 ジークベルト・フォン・アーベル 男 0才
 種族:人間
 職業:侯爵家四男
 Lv:1
 HP:8/10
 MP:50/100
 魔力:100
 攻撃:10
 防御:10
 敏捷:10
 運:200
 魔属性:全属性

 身体スキル:毒耐性Lv5・麻痺耐性Lv4・状態異常耐性Lv3・闇耐性Lv3・呪耐性Lv7
 上級スキル:鑑定眼Lv-
 固有スキル:言語完全理解Lv-・成長促進Lv-
 加護:転生祝福
 称号:幸運者

 スキルポイント:1000
 **********************


 さてさて、色々と突っ込みたいステータス内容だ。
 時間はたっぷりあるので、ゆっくりじっくり確認しますかね。
 俺の今世の名前は『ジークベルト・フォン・アーベル』元日本人からすると、横文字にかなりの違和感があるが、まぁこれもいずれ慣れるだろう。
 侯爵家の四男か。俺の知識に間違いがなければ、侯爵の地位はかなり高いはずだ。
 マリアンネが『姉』と名乗っていたから、今把握できるだけで、五人兄姉だ。
 身の回りの物の感触からして、不自由なく養えるほどの裕福さとみた。

 次はステータス値の確認。
 魔力とMPが非常に高いのは、特賞効果の全属性適合のためだと想定。
 運値は、称号の幸運者の影響を受けているのだろう。
 その他は、アンナと比較しても低いから平均的なのだろうか?
 いや、Lv1だと考えれば、この数値は高い。
 初期値ボーナスが、あるかもしれないなぁ。まぁ、いっか。いまそれを気にしても何もできないもんなぁ。そこはおいおいでいいや。
 HPは、体力が消耗して下がっているようだ。
 自然と下がるのか、攻撃されないと数値に変化がないと勘違いしていた。
 完全なるゲーム脳だ。ここはゲームではなく、現実世界だと、頭では理解しているつもりだったが、スキルやステータスなどのファンタジー要素に、どうも浮きだっている。
 気持ちを引き締めなおさないと。ん? MPが半分なのはなぜだ。
 考えられる原因は、鑑定眼だが………。
 んん? なんだこれ?


 **********************

 鑑定眼:鑑定の上位スキル。鑑定Lv10で取得可能。MP消費50。

 **********************


 突然、頭に甲高い音が鳴り響き、鑑定眼の詳細が表示される。
 びっくりした! ほぼ身動きがとれない身体だが、一瞬ケツが浮いたぞ。
 はい。鑑定眼の超便利機能発見! 知りたい情報を選択すると詳細な内容がわかるようだ。
 この情報から、鑑定眼のMP消費は50であることが判明。MP消費量が多いか少ないかは、下位スキルの鑑定を使用して比べてみよう。
 下位スキル使えるよね?


 **********************

 上位スキルの取得可能条件である、下位スキルは使用可能。

 **********************


「ピコ」との電子音とともに、下位スキルの情報が表示される。
 おぉーー! ヘルプ機能発見!
 鑑定眼、かなりの便利スキルだ。情報収集の救世主ともいえる。
 これで、動けない赤ん坊の間も、時間を有効活用できるし、有難い機能だ。
 鑑定眼を二回使用すると、ちょうどMP0になる。毎日二回が使用限度かな。いや、MP回復も考えれば、三回は使えるな。ところでMP0になるとどうなるんだ。


 **********************

 MP:精神力、魔法・スキル使用時に必要となる。0になると気絶する。

 **********************


 はっははは。さっき気絶していたのか……。
 鑑定失敗とかの問題ではなかった。これは気をつけて、鑑定眼を使用しないといけない。度々気絶していたら、身体が保たない。

 さぁ、気を取り直して次にいこう。
 多数のスキルが付与されているが、これも特賞特典なのか?


 **********************

 特賞特典は、鑑定眼Lv-・成長促進Lv-・全属性。

 **********************

 身体スキルは、母胎内での成長時に取得。

 **********************


 ヘルプ機能、ありがとうございます。
 それにしても、毒・麻痺・闇・呪・状態異常の身体スキル。関わりたくない厄介なものばかりだ。
 母上、俺を身籠っている間、何をされていたんですかね?
 あぁー、思い出した! 貴族は耐性をつけるために毒を服用することがあり、妊娠中にも服用して、胎児にも耐性をつける習慣があったと、昔の文献で読んだことがある。
 所持して悪いスキルではないし、むしろ備えあれば憂いなしだ。まぁ後々必要となることは避けたいけどね。

 次は一気に確認します。


 **********************

 成長促進:LvUP毎に基本値MAXUP+10を付与。極稀に100を付与。

 **********************

 言語完全理解:全言語の読.書.聞.話を完全に理解できる。

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 転生祝福:転生者特典! スキルポイントの振り分けができ、スキルを取得できる。

 **********************

 幸運者:最強運を持つ者に与えられる称号。

 **********************


 突っ込みどころ満載なんですが……。
 まず成長促進だが、生死案内人の説明では、少々能力値を上乗せするスキルとの話だったが、基本値MAXUPって! もうこれだけでチートじゃないか! そもそも、LvUP時の基本値ってどれぐらいなんだ。


 **********************

 LvUP毎に付与される基本値は0-10であり、各個人の才能値に準ずる。ただし、運値に関しては、才能値は関連せず、その時々で上下する。そのため非常に上がりにくく、初期値の者も少なくはない。

 **********************


 才能がある人の二倍成長するってことだよな。
 Lv10なら、Lv20の人と同じステータス値ってことでいいのか。いや、違うな。基本値が毎回MAXUPすることはないんじゃないか。
 そうなると、Lvが高くなればなるほど、常人離れする。
 特に初期値100のMPと魔力……。すげぇーー嫌な予感がする。極稀の100が付与される気がヒシヒシする。
 うん。今は考えないでおこう。LvUPは当分先だからその時に考えればいいや……。
 決して考えることを放棄したわけではない。いまは情報が少な過ぎるので、判断ができないだけだ。LvUPまでに、きっと策はある。あるはずだ。

 言語完全理解も下手したら、いや下手しなくてもチートスキルだ。
 例えば未解読の古文書も、楽々読めるし書けるんだ。この世界の言語がどれぐらいあるか分からないが、俺は勉強する必要もなく会話ができる。

 うわぁー。人生堕落しそう。

 前世の俺は、読書が趣味と言えるぐらい好きだった。本は知識欲が満たされるし、故人たちの行動を学べる。読んだ後の満足感と思考時間がまた堪らない。
 俺もうこのスキルだけで満足です。

 異世界特典が神すぎる!

 気持ちがかなり高揚するが、現実は赤ん坊の俺が本を読む機会などそうそうないとの結論に至る。
 人参をぶら下げられて、食べられない状況って……。

 次は加護の転生祝福。
 貰った時は、おまけ程度にしか考えていなかったが、スキル取得ができるとは、かなり使える加護だ。
 これそもそも加護なのか? スキルのような気もするが、そもそもスキルって何だろう?


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 スキルとは、ある一定以上の習得で付与される。スキルの有無で、その分野における能力が格段に違う。

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 なるほど。スキル取得までの壁は高いのか。
 俺のスキルで一番高いのは、呪耐性Lv7だが、Lv-は?


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 スキルLvには段階があり、以下となる。

 Lv1 初級
 Lv2 初中級
 Lv3 中級
 Lv4 中上級
 Lv5 上級
 Lv6 最上級
 Lv7 達人級
 Lv8 名人級
 Lv9 超人級
 Lv10 伝説級
 Lv- 神級

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 安定のヘルプ機能。助かります。
 はい、特賞特典すべて神級でしたーー。
 チートスキルのはずだ。
 驚きは、呪耐性Lv7の達人級だ。
 有り難いが、母上どんな修練をしたんですかね。聞きたいような、聞きたくないような。

 話を戻そう。
 ある一定以上の習得が必要なスキル取得をスキルポイントで、簡単に取得できるのだ。
 そのスキルポイントの取得方法は、楽ではないはずだ。


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 スキルポイントの取得は、LvUP時、戦闘経験値より取得可能。

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 ですよねー。当分ポイント取得は難しそうだな。
 となると、今あるスキルポイントを大事にしないとね。
 スキルの取得は、熟慮しなければならない。これも当分後回しだな。

 最後の幸運者はどう考えても、前世関連だよな。


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 幸運者は、ジークベルト・フォン・アーベル(あなたの)の初期設定! ラッキー!

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 ヘルプ機能?! 壊れたのか? 壊れたんだな!


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 ヘルプ機能は正常です。

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 自動回答しやがった。
 俺の初期設定ってことは、前世での悪運はこの称号が原因ってことか?
 いやまさか転生すれば、毎回リセットされる……よね?
 魂の記憶は消えるって言っていたしね。称号だけが消えないなんてないよな。


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 称号の幸運者だけは未来永劫消えません。(注:ただし悪徳を積み重ねた場合特例で削除されます)

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 再びの自動回答。
 ちょっと待てぇー。意志があるのかヘルプ機能!

 …………
 …………
 …………
 …………
 …………
 …………
 …………

 そこ無回答かーっい! 待って損したわ!
 自動回答ツールでも備え付けられているのか?


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 正解です!

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 絶対意志あるだろ!






「リア、体調はどうだ」

 この渋い声は、俺の父、ギルベルト・フォン・アーベル。
 父のステータスは既に『鑑定』で確認済みである。


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 ギルベルト・フォン・アーベル 男 37才
 種族:人間
 職業:侯爵、第一騎士団副団長
 Lv:57
 HP:493/493
 MP:135/135
 魔力:145
 攻撃:392
 防御:403
 敏捷:412
 運:102
 魔属性:火・土・炎・雷
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 侯爵であり、第一騎士団副団長でもある。
 実力は折り紙つき、将来の総帥候補で、近々団長に昇進することが決まっている。
 この情報は、ヘルプ機能からである。
 ヘルプ機能の意志? あれは目下調査中です。まぁ調査という名の放棄ですけどねー。
 それよりも『鑑定』でヘルプ機能が使えたのには驚いた。『鑑定眼』の機能だと思っていたよ。


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 特例です。

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 だそうです。
 もう突っ込まない。無駄な努力はしない。

 鑑定の消費MPは5、鑑定眼の消費MP50と比べると、かなり使い勝手がいい。
 このMP差は情報量。鑑定はある程度の情報。鑑定眼はすべての情報と詳細な内容となる。
 ちなみに俺の鑑定のスキルLvは、鑑定Lv10に相当する。上位スキル所持のため、下位スキルは取得可能条件Lvが使えるようだ。
 調子に乗り、視界に入ったもの全てを鑑定した結果、情報がパンクした。
 記憶に自信があっても、これほどの情報量は、さすがに無理だ。
 さてどうするかと思案していたら、ヘルプ機能から救いの手が差し伸べられる。
 鑑定したものは、履歴に保存されるとのことだ。
 はぁーと、思わず感嘆する。死角なしのスキルだと感心していると、これも特例とのことだった。やっぱりね。
 結論としては、鑑定Lv10の情報が確認でき、消費MPも少なく、特例でヘルプ機能が使える鑑定を普段利用することにした。

「ギル、とてもいいわ」

 うふふっと、可愛らしい声が、頭上で響く。
 申告が遅れましたが、俺は幸せの国の中にいます。赤ん坊生活で精神を削られている俺の唯一の癒し時間だが、毎回毎回謀ったように、子煩悩で愛妻家でもある父ギルベルトが訪れる。
 邪魔だとは少しも思ってませんよ。えぇ、本心ですとも。ただこの正確さには驚きますけどね。
 多忙な執務の合間に、抜けて来るようで、執事ハンスに「やはりここでしたか」と、強制連行されるのは日常。

「ジークも元気そうだな」

 父上、今朝もお会いしましたよ。
 アンナが止めているにもかかわらず、俺を抱き上げ、無言で上下に振り、怒られていましたね。
 おそらく、高い高いをしたんだと思いますが、まだ首すわってませんから! 頭がもげて死ぬかと思いました。反省してますか? してますよね?! 身動きができれば即逃亡してますからね!
 ゴツゴツした手が、遠慮がちに頬を撫でる。
 まぁ悪くはない。欲を言えば、その繊細さを今朝だして欲しかった。
 父上は、慎重派らしいが、母上や俺に関しては、たちまち我を忘れるようだ。

 頭上で二つの影が重なる。
 視界見えてません。邪魔もしません。ただ、このダダ漏れの甘い空気は勘弁してほしい。
 夫婦仲が良いのは、もちろんいいことだ。
 念のため、もう一度言う。
 夫婦仲が良いのは、いいことだ。
 だが! だが! だがぁー! 俺のいないところでやってくれーー!
 俺の心の叫びを無視して、両親はとても仲睦まじく、甘々の雰囲気のまま、他愛もない話をする。これも普段通りである。
 そして俺は、両親の会話に耳を傾けるような、無粋な真似はしない。まぁ眠気に勝てないので、物理的にできないんだけどね。
 例の如くうつらうつらし始める。両親の会話は子守り歌で、幸せの国の心地良さが、さらに強固な眠りを誘う。
 気づくと九割八分が、ベッドの上だ。マジ完敗です。

「ジークも安定してきたし、鑑定はどうするの?」
「ゲルトの件で鑑定師は信用できない。ヴィリバルトに頼んでいる」
「そう。ヴィリーなら安心ね」
「あぁ。ヴィリバルトはディライア王国を訪問中だ。帰国後の鑑定となる。早くて一ヶ月後だな」
「サンドラ様のご出産がもうすぐだものね」
「出産後の経過連絡の任務と鑑定も請負っているようだ」
「鑑定眼持ちは大変ね……」
「リアが気にすることではないさ」

 幸せの国に滞在中ですが、今の会話は聞き逃しませんでした。
 完落ち寸前のところで、戻ってきました。
 はい、俺頑張った。