脈絡もなく突然わめき、
カンシャクを起こし、
無関係な他人を責める。
世の中には頭のおかしなヒトが居るものだ。
世には地域や言語に関係なく、
呪いというものが存在する。
丑の刻参りと呼ばれる
他人を不幸に陥れようという、
呪いの方法が日本でも有名である。
丑の刻とは昔の深夜1時~3時頃のことで、
毎晩その時間帯に神社に出向き、
ワラなどで作った人形に
五寸釘で御神木に打ち込む。
7日間続けることで呪いは成就し、
相手を不幸に陥れると信じられていた。
その情熱は大変素晴らしいと思う。
三脚台の五徳を逆さまにして頭に被り、
火を点けたロウソクを五徳の脚に突き立てる。
五徳に刺しても折れにくい
なるべく太いロウソクを使い、
熱で液化した蝋によるやけどや髪への延焼、
火事・火災には十分注意しなければいけない。
ホームセンターなどで五寸釘、下駄、
通販で白装束を用意して白粉を顔に塗っておけば
雰囲気は完璧で、資格も必要無く誰でも可能だ。
呪いをかける相手の名前を叫び、
神社の御神木にワラ人形を釘で打ち込む。
会社の上司や気に食わない同僚など、
身近な相手であれば実行しやすいであろう。
細かな作法の違いは多少あると思われるものの、
効果のほどについては記録されていない。
呪いによって成果を得た不名誉を、
公にするのは良くないのであろう。
現代において実行を試みる者も居るが、
深夜に参拝できない神社も多く
不法侵入に当たる場合もあり推奨しない。
もし深夜の参拝を許可されている場合でも、
御神木に五寸釘を打ち込む行為は
器物損壊罪にあたる恐れもある。
騒音などで苦情が出るかもしれないので、
人里離れた廃神社に出向く手間を考慮すべきだ。
また、呪いの実行を他者に知られれば、
脅迫罪などが適応されるので注意されたい。
ヒトを呪わば穴ふたつ。
呪いを掛けようとした者が、
その呪いが自分に返ってくるというのは
ことざわにも存在する。
蠱毒術など呪い自体は
古代中国から存在し、現代においても
その効力は未だに信じられている。
呪いが自分自身に向けられる
奇っ怪な都市伝説まで存在する。
ある言葉を20歳まで覚えていると不幸になる。
呪いそのものが変質しており、
他者の行為に限ったものではなくなったのだ。
『3回見たら死ぬ絵』などもあるが、
ネットで検索すると律儀というより
親切なことにその絵が3枚表示される。
これはある画家の不気味な絵の
売り文句となったに過ぎず、
実際に見て死んだという報告はない。
ただその画家は不幸な形で亡くなっており、死因は
息子らの無心による強盗殺人であったことは、
呪いを箔付けするものとなってしまった。
科学が発展した現代では、不思議と
呪いそのものはより身近になりつつある。
絵画や写真が稀であった時代はとうに過ぎ、
スマホで個人を撮影するのは日常茶飯事となった。
幕末の時代であれば魂を奪うと言われた写真は、
動画をもその場で視聴できる時代に変わった。
写真はコンビニで印刷も可能となって
店内には至るところに防犯カメラがあり、
町中にもカメラが溢れかえっている。
もはや個人を特定するのは容易であり、
どんな相手でも呪いを掛けられる
うってつけの社会が構築された。
それはいわば呪いの社会の誕生である。
誰かが俺を常に見ていて、
誰でも俺に呪いを掛けられる。
俺は仕事に失敗したことで、
上司に責任を追及されて職を失った。
風邪をひいた。
事故に遭い、怪我をして、入院した。
新しい仕事は見つからない。
この不幸は呪いの証明だ。
きっと誰かが俺を呪ったに違いない。
俺が上司を呪ったように。
カンシャクを起こし、
無関係な他人を責める。
世の中には頭のおかしなヒトが居るものだ。
世には地域や言語に関係なく、
呪いというものが存在する。
丑の刻参りと呼ばれる
他人を不幸に陥れようという、
呪いの方法が日本でも有名である。
丑の刻とは昔の深夜1時~3時頃のことで、
毎晩その時間帯に神社に出向き、
ワラなどで作った人形に
五寸釘で御神木に打ち込む。
7日間続けることで呪いは成就し、
相手を不幸に陥れると信じられていた。
その情熱は大変素晴らしいと思う。
三脚台の五徳を逆さまにして頭に被り、
火を点けたロウソクを五徳の脚に突き立てる。
五徳に刺しても折れにくい
なるべく太いロウソクを使い、
熱で液化した蝋によるやけどや髪への延焼、
火事・火災には十分注意しなければいけない。
ホームセンターなどで五寸釘、下駄、
通販で白装束を用意して白粉を顔に塗っておけば
雰囲気は完璧で、資格も必要無く誰でも可能だ。
呪いをかける相手の名前を叫び、
神社の御神木にワラ人形を釘で打ち込む。
会社の上司や気に食わない同僚など、
身近な相手であれば実行しやすいであろう。
細かな作法の違いは多少あると思われるものの、
効果のほどについては記録されていない。
呪いによって成果を得た不名誉を、
公にするのは良くないのであろう。
現代において実行を試みる者も居るが、
深夜に参拝できない神社も多く
不法侵入に当たる場合もあり推奨しない。
もし深夜の参拝を許可されている場合でも、
御神木に五寸釘を打ち込む行為は
器物損壊罪にあたる恐れもある。
騒音などで苦情が出るかもしれないので、
人里離れた廃神社に出向く手間を考慮すべきだ。
また、呪いの実行を他者に知られれば、
脅迫罪などが適応されるので注意されたい。
ヒトを呪わば穴ふたつ。
呪いを掛けようとした者が、
その呪いが自分に返ってくるというのは
ことざわにも存在する。
蠱毒術など呪い自体は
古代中国から存在し、現代においても
その効力は未だに信じられている。
呪いが自分自身に向けられる
奇っ怪な都市伝説まで存在する。
ある言葉を20歳まで覚えていると不幸になる。
呪いそのものが変質しており、
他者の行為に限ったものではなくなったのだ。
『3回見たら死ぬ絵』などもあるが、
ネットで検索すると律儀というより
親切なことにその絵が3枚表示される。
これはある画家の不気味な絵の
売り文句となったに過ぎず、
実際に見て死んだという報告はない。
ただその画家は不幸な形で亡くなっており、死因は
息子らの無心による強盗殺人であったことは、
呪いを箔付けするものとなってしまった。
科学が発展した現代では、不思議と
呪いそのものはより身近になりつつある。
絵画や写真が稀であった時代はとうに過ぎ、
スマホで個人を撮影するのは日常茶飯事となった。
幕末の時代であれば魂を奪うと言われた写真は、
動画をもその場で視聴できる時代に変わった。
写真はコンビニで印刷も可能となって
店内には至るところに防犯カメラがあり、
町中にもカメラが溢れかえっている。
もはや個人を特定するのは容易であり、
どんな相手でも呪いを掛けられる
うってつけの社会が構築された。
それはいわば呪いの社会の誕生である。
誰かが俺を常に見ていて、
誰でも俺に呪いを掛けられる。
俺は仕事に失敗したことで、
上司に責任を追及されて職を失った。
風邪をひいた。
事故に遭い、怪我をして、入院した。
新しい仕事は見つからない。
この不幸は呪いの証明だ。
きっと誰かが俺を呪ったに違いない。
俺が上司を呪ったように。