今夜12時、誰かが眠る。

「バレてしまいましたか。」

我が家のネコである『たま』がそう喋った。
テレビを見ていた。

普段与えている高齢ネコ用の(不評な)
キャットフードではなく、
戸棚に入れていた高い缶詰を開け
(堂々と)隠れて食べている現場の最中だった。

誰が見ても疑いの余地は無い。
たま自身も白状したところだ。

「あれ? 驚きませんか?」

後頭部を()いて目を背け、
人間臭く取り(つくろ)う。
元号ふたつ前の、昭和の仕草。

たまを飼い始めたのは、
かれこれ10年ほど前になる。

道路脇の低木の影から尻尾を出して
死にかけている三毛猫を拾い、
近所の動物病院へ連れて行った。

せめて最期を看取ろうと思っていたが、
食事はするし、よく寝て思いの外しぶとい。

明日には生命が尽きるものと、
毎日のように覚悟を決めていた。

しかし食欲旺盛(しょくよくおうせい)で、みるみる内に太る
たまを見て、大丈夫だと確信した。

ノミが酷かったのでシャンプーをしたら
弱々しくなり死に損なったので、これが最後と
高い缶詰を買い与えた。

これもガツガツ食うので弱ったフリだった。

朝起きると、テーブルの上で後ろ足で
立っているところを見かけた。

何か虫を見つけたのか
前足を振って(たわむ)れはじめたが、
これもフリだった。

来客用に出しっぱなしになっていた
湿気ったせんべいを隠れて食べていたのだ。

以来、せんべいの咀嚼(そしゃく)音が
時折、誰も居ない居間から響くようになった。

ソファに背もたれ大股を開いて座る
珍しい姿をスマホで撮ろうとしたところ、
カメラレンズに気づいて逃げられた。

たまはカメラが苦手な割に
タブレットのインカメラを気にせず、
ネットで動物の動画を器用に(勝手に)見ている。

それに寝言をよく言う。

ネコの鳴き声でミャオミャオ鳴く程度なら
可愛げもあるのだが、たまは
高いペットフードのCMを夢見て口ずさむ。

隣で寝ている飼い主を洗脳する気なのだろうか。

そんな訳で立って喋る程度のことで、
いまさら驚くわけがないのだ。

三毛のオスという珍しいネコだが
より特徴的なのは、根元から
ふたつに分かれた尻尾である。

名前の由来が『猫又(ねこまた)』なので、
「自分が化けネコだとはバレていない。」
と、今まで思っていたことの方が驚きだった。

たまはネコに化けるのが下手だった。
このオバケには名前がまだ無い。

――悪霊である。
キツネのように獲物を執拗(しつよう)に狙い、
時には野犬のように同類に紛れ、群れをなす。
個であり群であるが、特定の形を持たない。

――神出鬼没である。
縁もゆかりも無いヒトのうわさ話に駆けつけて、
根も葉もない嘘偽りを並び立てて混乱を招く。
根拠を示せば姿をくらますこともあるが、
形振り構わず暴れまわることもある。

――悪鬼である。
ヒトに紛れ他者とは異なる意見を述べ、
またすぐ意見を一変させて場を荒らすのを好む。
舌が2枚あるとされるが、無視を嫌う。

――乱暴である。
火事と喧嘩を好み、声高らかにして拳を振るうが、
オバケでありその声や拳は相手には届かない。
自己への理解が極めて乏しい。

――無能である。
道化を演じることを良しとして、
自らの過ちを決して認めず
相手を責め立て迎合を拒む性質が強い。

――妖怪である。
ヒトの言葉は通じない。

男は好んでこのオバケになった。

なぜなら職場や家庭での鬱憤(うっぷん)を晴らすのに
オバケになるのが適していたからだ。

休日を費やし、睡眠時間を削ってまで
相手をからかい、反応を楽しんだ。

オバケとの二重生活を始めたところで、
職場や家庭での問題は解決しなかった。

寝不足から相手への対応は雑になり、
状況は悪くなる一方であった。

やがて男は職場でもオバケとなった。

オバケには本来名前がない。
幽霊と見間違えた枯尾花は
ススキの穂であり、名前があった。

オバケを演じていた男の名前が、
世間に露見したのは時間の問題であった。

毎日1000件以上もの誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を重ねていたことで、
職場の回線から探知されることとなり
個人が割り出され、男自身が標的となった。

仕事を辞めたものの与えた被害は甚大で、
職場の責任問題へと発展した。

当然ながら家庭にも(るい)が及ぶこととなった。

男はオバケとなり、オバケに紛れて
標的になった自らを弁護した。
無駄なことである。

根も葉もないうわさ話はたちまちあふれ、
示した根拠は悪鬼たちのより良いエサとなった。

どんなに正当な意見を述べて、
相手を戒めようともナシのつぶて。

相手が実態のないオバケであることは、
男自身がその身をもって知っていたことだ。

ヒトの言葉は通じない。

実名での弁明も空しく、
火に油を注ぐばかりで終わった。

かつていた会社は傾き、
同僚たちは仕事を失い、
家庭はたやすく崩壊した。

その責任は全て男にあった。

男は絶望した。

最後に本物のオバケになることを望んだが、
名のある男にそれは叶わぬことであった。
老人が買ったラジオから、
亡くなった孫の声がすると言うのだ。

話を聞くと、その孫娘は
数年前に亡くなったそうだ。

老後の蓄えで最新機種のラジオを買った。

外見はアナログのレトロなデザインの
安物ラジオだが、液晶モニタがあり
無線LANにも対応している。

最新モデルというのが(うた)い文句だ。

ラジオは災害時でも情報が取得でき
役立つので、持っていて損はない。

そんなラジオがノイズ混じりではあるが
舌足らずな喋りの少女の声で、
ラジオの前の相手に話しかける。

――おじいちゃん、今日はどうだった?
――学校たのしかったよ。
――最近わたしがハマってるのはね…。
――それでおこづかいが足りないの。

――最近は雨ばっかだね。
――腰の調子はどう?
――この前はありがとう。
――長生きしてね、おじいちゃん。

孫の声から察するに、
こちらの様子がわかっている風である。

しかしこれらは最近良くある詐欺の手口だ。

遠く離れた家族、疎遠になった子ども、
むかしの友人、亡くなった妻など、
相手に合わせて他人を(よそお)
ネットでお金を振り込ませる。

自宅からのネット振り込みであれば、
銀行窓口で注意されて邪魔されることもない。

携行可能なラジオに隠されたカメラで
相手からこちらの様子が分かり、
振り込みの案内も容易となる。

今回の標的は独居老人であった為に、
事件を未然に防ぐことはできなかった。

ラジオの購入者リストから割り出したこの老人は、
事件として取り扱うことを固く拒んだ。

老人であっても受け答えはしっかりしており、
初めて見る相手の顔や名前も覚えて記憶力も高い。

振り込んだ金額の複雑な計算も
暗算ですらすらと答えるほどで、
認知症の症状があるわけでもなかった。

だがこの老人の身辺を調べてみると、
そもそも結婚をしておらず
当然ながら孫も居なかった。

亡くなった孫の設定を演じる相手と会話し、
お金を振り込む関係を楽しみにしていた。

この時ばかりはそういう老人も居るのだと、
警察は納得するほか無かった。
私と同い年ほどの警察官が、
額に深いシワを刻み、目を細めた。

「いい年してなにをやってんだか。」

警察官の言葉が反省を促しているのか、
それとも単に疑問を口にしただけなのか、
私は自分が何故今に至った理由を考えた。

私は神童と呼ばれていた。

私の出身は未だにツチノコを伝承にしている
娯楽に乏しい田舎の村だった。

ツチノコはネッシーなど
未確認生物が話題になった70年代に、
村おこしの目玉として白羽の矢が立った。

腹の中央が膨れたヘビで
目撃証言以外には大した逸話がない。

食べ過ぎたヘビと呼んでも過言ではない。

ツチノコ探し程度しか娯楽もなかったので、
私は小学低学年の時に高学年で習う漢字を
すらすらと読み、大人たちを驚かせた。

そこが人生の絶頂期だったのかもしれない。
私は天狗になっていた。

それから普通の中学校に入って
成績はクラス内で中の上、
高校では下の上だった。
もうひとつ下だったのかもしれない。

とにかく別の意味で大人たちを驚かせた。

なんとか入れた大学でひとり暮らしを始め、
なんとか卒業して都内でどうにか就職し、
なんとなく自宅と会社を往復する
平々凡々な日々が続いた。

なんとなくで会社を辞めた私は
くたびれ果てて年の暮れに田舎に帰ると、
昔懐かしい小学校のクラスメイトらの顔ぶれを
久々に見て驚きの連続だった。

クラスメイトのほとんどは
当然のように結婚していて、子どもが居て、
起業したり、家業を継いだり、
また会社ではそれなりの役職に就いていた。

気付けば小学校卒業から20年が経っていたのだ。

遠く都内で生活を過ごしていた私は
浦島太郎の気分であった。

神童などと呼ばれていたのも今は昔、
私は劣等感に(さいな)まれながら
黙って酒を(あお)った。

浴びるように酒を飲み、
醜く膨れ上がった腹鼓が、
残酷なまでに歳月を感じさせた。

いつまでも過去の栄光にすがり、
手を抜いては言い訳ばかりが上達し
仕事も後輩に追い抜かれて出世の目処もない。

そんな私はよく酒に溺れた。

酒が原因で大きな失敗をすることもあるが、
酒は私から嫌な気分を忘れさせてくれた。

酒に酔った私は勢いづいて、
昔のように人々を驚かせた。

人々たちはおおいに笑い、
私はおおいに酔って気持ちが良かった。

気が付いたら目の前に立っていたのが
地元の警察官で私の元クラスメイトだった。

再会の喜びに舞い踊った私だが、
警察官は神妙な顔つきでこう言った。

「いい年してなにをやってんだか。」

制服姿で職務中の警察官は
目を細めて、私のだらしない裸を見た。

締まりのない太鼓腹を見下ろした私は、
ツチノコを出して突っ立っていた。

脈絡もなく突然わめき、
カンシャクを起こし、
無関係な他人を責める。

世の中には頭のおかしなヒトが居るものだ。

世には地域や言語に関係なく、
呪いというものが存在する。

(うし)(こく)参りと呼ばれる
他人を不幸に陥れようという、
呪いの方法が日本でも有名である。

丑の刻とは昔の深夜1時~3時頃のことで、
毎晩その時間帯に神社に出向き、
ワラなどで作った人形に
五寸釘で御神木に打ち込む。

7日間続けることで呪いは成就し、
相手を不幸に陥れると信じられていた。
その情熱は大変素晴らしいと思う。

三脚台の五徳(ごとく)を逆さまにして頭に被り、
火を点けたロウソクを五徳の脚に突き立てる。

五徳に刺しても折れにくい
なるべく太いロウソクを使い、
熱で液化した蝋によるやけどや髪への延焼、
火事・火災には十分注意しなければいけない。

ホームセンターなどで五寸釘、下駄、
通販で白装束を用意して白粉(おしろい)を顔に塗っておけば
雰囲気は完璧で、資格も必要無く誰でも可能だ。

呪いをかける相手の名前を叫び、
神社の御神木にワラ人形を釘で打ち込む。

会社の上司や気に食わない同僚など、
身近な相手であれば実行しやすいであろう。

細かな作法の違いは多少あると思われるものの、
効果のほどについては記録されていない。

呪いによって成果を得た不名誉を、
公にするのは良くないのであろう。

現代において実行を試みる者も居るが、
深夜に参拝できない神社も多く
不法侵入に当たる場合もあり推奨しない。

もし深夜の参拝を許可されている場合でも、
御神木に五寸釘を打ち込む行為は
器物損壊罪にあたる恐れもある。

騒音などで苦情が出るかもしれないので、
人里離れた廃神社に出向く手間を考慮すべきだ。

また、呪いの実行を他者に知られれば、
脅迫罪などが適応されるので注意されたい。

ヒトを呪わば穴ふたつ。

呪いを掛けようとした者が、
その呪いが自分に返ってくるというのは
ことざわにも存在する。

蠱毒(こどく)術など呪い自体は
古代中国から存在し、現代においても
その効力は未だに信じられている。

呪いが自分自身に向けられる
奇っ怪な都市伝説まで存在する。

ある言葉を20歳まで覚えていると不幸になる。

呪いそのものが変質しており、
他者の行為に限ったものではなくなったのだ。

『3回見たら死ぬ絵』などもあるが、
ネットで検索すると律儀(りちぎ)というより
親切なことにその絵が3枚表示される。

これはある画家の不気味な絵の
売り文句となったに過ぎず、
実際に見て死んだという報告はない。

ただその画家は不幸な形で亡くなっており、死因は
息子らの無心による強盗殺人であったことは、
呪いを箔付けするものとなってしまった。

科学が発展した現代では、不思議と
呪いそのものはより身近になりつつある。

絵画や写真が稀であった時代はとうに過ぎ、
スマホで個人を撮影するのは日常茶飯事となった。

幕末の時代であれば魂を奪うと言われた写真は、
動画をもその場で視聴できる時代に変わった。

写真はコンビニで印刷も可能となって
店内には至るところに防犯カメラがあり、
町中にもカメラが溢れかえっている。

もはや個人を特定するのは容易であり、
どんな相手でも呪いを掛けられる
うってつけの社会が構築された。

それはいわば呪いの社会の誕生である。

誰かが俺を常に見ていて、
誰でも俺に呪いを掛けられる。

俺は仕事に失敗したことで、
上司に責任を追及されて職を失った。

風邪をひいた。
事故に遭い、怪我をして、入院した。

新しい仕事は見つからない。

この不幸は呪いの証明だ。
きっと誰かが俺を呪ったに違いない。

俺が上司を呪ったように。
やっべー。ジコ、事故、事故った。
やっちまったー。夢であってくれー!
もしかしてアタシの人生これで終わり?

ヒトゴロシで刑務所行きじゃん。
これメシマズフルコースなんですけど。

いや待って。
まだ確認してないからセーフじゃない?
シュレーディンガーとかなんとかいうやつ。

てーかさ、なんで飛び出してくんの?
スマホ見て歩いてんじゃねーし。
死にたいの? 死ぬよ?
待って、死なないで。

ゆっても死体なんて
確認したくないんですけど。
ぜってーグロじゃん。グロ!

シカだってイヤだったのに、
人間とかマジムリ…。
いや、シカだったのかも?

いや、ホント、マジ最悪…。
先月納車したばっかなのに。
ローンどーしよ。あ、保険は?

電柱にもぶつかってめっちゃ凹んでるし。
凹みたいのアタシの方だわ。もーベコベコ。

アタシ現実逃避し過ぎじゃね?
ヤバい。そんぐらいヤバい。
宇宙いちヤバいってゆってもいーわ…。

ケーサツに電話しないといけないんだよね。
あれ? 救急車のが先? てかここどこ?
チョーシ乗ってドライブなんてすんじゃなかった。
場所なんて説明すればいいの?

GDP? 位置情報とかってやつ出せばいいの?
こういう時にくわしーヒトいねーのがマジ困る。
彼氏に電話したらやって全部できっかな?

あっ…ダメだわアイツ。
10万貸しててまだ返してねーし。
アタシ捕まったら喜んで
そのままネコババするやつじゃん。

くっそー、金返さないからって
ずるずる付き合うんじゃなかった。
ぜってー別れてやる。金戻ったら覚えとけよ。

「大丈夫ですか?」

わっ。誰?
めっちゃイケメン。
さっきのシカ? じゃねーし、ヒト?
これアタシひいてなかったってこと?
やるじゃんアタシ。

あっ、違ったわ。救急隊員?
来るのめっちゃ早いじゃん。
まだ連絡してないのに。

アタシなんで寝てるの?
もしもし、生きてる?

あれ? これってもしかして夢?
コチョーとか? 哲学じゃん。

いや、待って。まって。
そんなの無しでしょ。
これアタシどーなっちゃうの?

いや、夢でもなんでもいーから10万返せ!
この家には座敷わらしが居る。

いつの間にやら住み着いたのだ。

わたしはこのことを誰かに話しても、
誰にも信じては貰えなかった。

わたしの居た家は商家で、
当時は世界中で恐慌の真っ只中だった。

例に漏れずわたしの居た家も、
経営難で既に傾きかけていた。

先代が急死して結婚間もない夫婦が、
二人三脚で家業を盛り返そうと
試行錯誤を繰り返していた。

経営の悪化した日々の中、
太鼓腹の耳たぶの大きな男が店に現れた。

新しい物好きな風変わりな男だった。

ただ男は買い物をしたに過ぎなかったが、
その日からわたしはひどく体調を崩した。

私が()せってしばらくすると、
この家に座敷わらしが現れたのだ。

座敷わらしの出現に商家の夫婦は大層喜んだ。

このわらしは両親から
家の宝として大切に扱われることとなる。

わらしに専用の部屋を設け、
家具を揃え、おもちゃを買い与えた。

この家で嫌われ者のわたしとは正反対の対応だ。

座敷わらしの評判に客足は伸び、
店の経営はみるみるうちに回復したが、
わたしはいたたまれなくなり家を離れた。

世の中が好景気にわき始めた空気に馴染めず、
わたしはあちこちを転々と移り住むことになった。

それから何年か経ったか、
わたしはいつの間にか商家に再び戻ってきた。

あのわらしは大人になって結婚式を挙げた。

幸せそうな顔をしたわらしは、
座敷わらしでは無くなっていた。

それから式にはあの耳たぶの福の神も来ていた。

この神と相性の悪い貧乏神のわたしには、
あの商家にもう居場所はなかった。
座長は経営に頭を悩ませていた。

江戸時代のいつ頃かは分からないが、
諸国を巡って見世物小屋を代々開いている。

見世物小屋は親の親、またその親と
何代にも渡り続けており、家族の仕事が
幼い頃から普通のことであると思っていた。

最初におかしいと思ったのは、
少年時代に石を投げつけられた時だった。

子どものイタズラが原因で片目が見えなくなった。
幼かった当時の座長は心にも深い傷を負った。

今では眼帯の似合う色男になって、
座長としてその座を占めている。

しかし見世物小屋の主役は座長ではない。

大勢の人が収容できる天幕を張り、
中に客席を並べて、町には大量のビラを配る。

生まれついての大声でヒトを呼び、
足を止めさせ、期待を抱かせる。

客に金を払わせればもはや座長は用済みだ。

そこからは主役たちの仕事だ。

ガイコツ姿に艶めく島田(まげ)を結い
目を見張る紅色の着物姿をした骨女。

長い首に美しいうなじを見せる女ろくろ首。

額に白い三角の布を付けた白装束の女幽霊。

日本の若い女子高生の格好で、
首の後ろから物を食べるフタクチ。

恐怖を(あお)る彼女たちの後で、
茶釜姿で綱渡りをするタヌキの分福茶釜(ぶんぷくちゃがま)
客席に笑いを誘う。

日本のオバケや妖怪を全面に押し出し、
各々見事なパフォーマンスを見せてくれる。

主役たちは客を怖がらせ、
客は役者たちをみて怖がる。

天幕の中は役者も客も一体となる。

いつもその瞬間を、座長は最大の喜びとしていた。

女妖怪らの職場とも言われることも多いが、
河童や落武者などの定番も在籍し道化を演じる。

河童も落武者も芸風が被り互いに仲は悪いが、
同じ頭の者同士の同族嫌悪に過ぎない。

世界を転々とし、彼らとは家族同然の仲だ。
それに多少の諍いは日常茶飯事だった。

初代の一座は日本からポルトガルへ渡り、
欧州を巡り、北米から南米、オセアニア、
南西アジアを経由して地球を一周した。

親子5代で世界中で知られる
オバケ・妖怪の見世物小屋となった。

幼き頃に過ごした懐かしの欧州に着いたが、
歓迎の気配はなく、見世物小屋に対する
風向きが大きく変わった。

座長の見世物小屋は非難を浴びた。

『文化の盗用である!』

もちろん座長には何かを盗んだ心当たりはない。

アジアの東端からやってきた見世物小屋が、
金髪碧眼が仕切っていることを批判したのだ。

当然座長は釈明し理解を求めたが、
誤解は解けることはなかった。

非難は止むことはなく、今度は
オバケや妖怪に対する搾取であると責められた。

決して奴隷として扱っているわけではない。

座長は小屋の運営費用以外は、
従業員への給与に支払いっていた。

オバケや妖怪であろうと、日本を離れて
路頭に迷わせるわけにはいかない。

非難するヒトたちは、仕事を奪った
オバケや妖怪たちを養うこともない。
家族ではないのだから当然だ。

奴隷を解放するという正義があるのだ。

ヒトは自分たちに都合の良い嘘を信じ、
正義に事実は必要なかった。

理解できない行動は、
座長にとってはバケモノであった。

ビラを配ろうと大声で呼びかけようとも、
集まったヒトから日中は石が投げられる。

座員を退避させながら、
座長は過去を思い出して
恐怖に失った片目が痛んだ。

ヒトの暴走は止むことはなく、
夜中には暴徒によって天幕に火が付けられた。

天幕を見る座長の青い目が、
燃え上がる炎で赤く染まった。
そこは古くから祟り山と呼ばれ、
村外のヒトの入山を禁じている。

入った者はキツネに取り憑かれ、
死に至るとまで言い伝えられていた。

現に今、私の目の前で
ひとりの若者がキツネに憑かれているからだ。

村が管理しているこの山は、
一帯を鉄柵で囲い有刺鉄線と
電柵までもが設けられ、
ヒトならず動物までも侵入を許さない。

昔から半年に一度、村の古参らが集まり
枝打ちや間伐などの山の手入れを行い、
山頂までの参道を整備し、境内の清掃を
朝までかけて行うと教えられてきた。

清掃が終わる朝までは絶対に
山の柵が開放されることはなく、
誰ひとりとして外との連絡は取れない。

大学での仕事を辞めた私は故郷の村に帰り、
この行事に参加させられることになった。

私はまだ40半ばだというのに古参扱いだ。
少子高齢化の波はこの村にも来ている。

清掃の概要は知っていたし、
キツネに取り憑かれるという話も
知っていたが信じていなかった。

清掃の日に山の入り口の鉄柵で見たのは、
無断で山に侵入しキツネに憑かれた若者だった。

若者はキツネに取り憑かれていた。
視点が定まらず、笑い続けている。

これが山の祟りなのかと驚愕する私の横で、
古参たちは呆れた様子で苦笑を浮かべている。

外との連絡は禁じられている為に
この若者の手足をロープで縛り、
担いで参道を登り、祭壇近くの神木に(くく)る。

2体の狛狐に迎えられ、
竹箒で軽く境内の落ち葉を掃く。

清掃はたったこれだけで終了した。

それから持ってきた
2匹の子ウサギを山の中に放つ。

雄と雌のウサギはキツネ様の為に、
供物として用意するものだという。

拝殿どころか本殿もない
神社のような古い建物に入ると、
なぜだか鍋の用意をさせられる。

他の者たちはナイフやナタを持ち、
カゴを背負って山の中に入っていった。
おとぎ話のように柴刈りにでも出たのだろうか。

新顔であり村に出戻りで手持ち無沙汰な私は、
キツネ憑きの若者の様子を見るしかなかった。
木に縛られたまま器用に眠っている。

若者は本当にキツネに憑かれたのだろうか。

清掃の説明を受けないまま時間は過ぎ、
夕方になると山に入った全員が建物に集まった。

狩ってきた大きなウサギをバラし、
採ってきた山菜やキノコを鍋に入れた。

古参らはキノコには詳しいらしく、
エノキタケやシメジやナメコなどの
形や量を褒めて喜ぶ。

私はキノコを見せられて勉強させられた。
半年後にはキノコ採りに駆り出されるのだろう。

幼い頃にやったボーイスカウト活動を
思い出して懐かしんだ。

初めて食べるウサギ肉には、
独特の臭みがあったが
鶏肉のようで美味かった。

皆一様に酒を飲み、鍋に舌鼓をうつ。

すると誰かが笑い始めたので、
私も釣られて笑ってしまった。

村に戻ってひさびさに大声で笑った。
酒のせいか、とても愉快だった。

すると古参の誰かが私を指さして
キツネ憑きだ、と言ったので私はさらに笑った。

笑いが止まらなくなり、苦しくなって
もったいないことに胃の内容物を全て吐いた。

私はこれで笑いが収まり酒は自粛し、
水を飲んで胃を洗って部屋の隅で安静にした。

それでも皆なぜか笑っている。
気付けばそれは異様な光景だ。

そう、これが異様な光景だった。

今までキツネ憑きだと言って、
山にヒトを寄せ付けなかったのは
この騒ぎの為だったのだ。

思い出したのはボーイスカウト活動ではない。
私は以前、大学で似た物を食べたことがあった。

あるキノコに含まれる幻覚成分のシロシビンが、
この清掃に参加した村の者たちを
キツネに取り憑かせたのだ。

私は水を飲んで一息ついて
またその異様な光景を眺めている。

まさかマジックマッシュルームパーティーとは。