ぬらりひょんは無職であった。
かつて妖怪の総大将と呼ばれた翁は、
その役職を失い現在は就職活動さえもしていない。
もとより自由気ままで堕落した生活を送る
妖怪たちに、指導を行うような時代でもない。
現代の妖怪たちの需要を考えれば当然である。
飢饉と略奪、ヘルメットと火炎瓶が飛び交う
混沌の時代はとうに過ぎた。
今日もタブレットで妖怪新聞の配信を見て、
ぬらりひょんは古い考えを改めさせられている。
冷たいタブレットに触れる度に、
温かみのあった紙とインクを懐かしむ。
記事はどれも物騒な事件ばかりだ。
アカナメは住居不法侵入で捕まり、
がしゃドクロはソシャゲにハマり自己破産した。
犬神はバーチャルタレントとして人気を博たが、
得意の蠱毒術で界隈に混乱を招き
ネットの業火でその身を焼いて居場所を失った。
多様性を求められる生き方が重要視され、
女性の権利運動が盛んとなると
ぬらりひょんはさらに息詰まる思いがした。
生意気盛りの猫娘に苦言を呈するものならば
やれセクハラだのパワハラだのと訴えを起こし、
口裂け女からは刃物で襲われたこともある。
これこそパワハラではなかろうか。
「昔は良かった。」などと口走ろうものならば
居候先の雪女に、「また始まった…。」と
冷たいため息と共に老人のやんちゃ自慢と揶揄され
終いには老害と罵られるなど散々いびられた。
これも家庭内暴力の一種であったが、
肩身の狭いぬらりひょんはもはや黙って
耐えるほか自分に居場所はなかった。
家の中で老体を気遣ってくれるのは、
からかっていたヒトの婿殿だけだった。
雪女はヒトと褥を共にした妖怪だ。
時代の移り変わりをその身で痛感する。
今日もくたびれ潰れた万年床にもぐり、
床まで伸ばした堕落ヒモを引いて消灯する。
ぬらりひょんは百鬼夜行を懐かしんで眠る。
オバケというものは居もしない。
現代ではそう考えるヒトは少なくはない。
そんなヒトの家に押し掛けてやろう、と
軽挙妄動を起こすオバケも居ないでもないが。
とりわけ科学者は迷信ごとを好まない。
あるところに科学漬けの研究者が居た。
国家の中枢で研究に明け暮れ
帰れない日々が続いたが、
妻子があり充実な生活を送っていた。
とても好奇心旺盛な研究者で
オバケが出たとあればカメラを携え、
作業そっちのけで研究室を飛び出して
科学的に原因究明する変人ともされた。
この研究者の影響で作業が中断する為に、
研究所内でオバケは禁句となった程である。
プロジェクト終了に伴い研究所を辞めた後は、
研究者は大学で教鞭を執ることとなった。
永久機関や似非科学といった
迷信めいた研究をする学生に、
研究者改め教授は科学者の信念に基づき
これらを叱責する厳しさを見せた。
しかしながら研究所時代の、
風変わりな性格はすぐに変わらなかった。
東に心霊スポットあれば学生を率いて出向き、
西に似非科学の企業があれば強く抗議する、
騒々しい教授と世間に知られることとなった。
ある日、教授の妻が亡くなった。
長い闘病生活の末のことである。
痩せ衰えた妻を看取ると
医学に疎い自らを責める日々が続き、
周囲の人間も意気消沈する教授の心配をした。
やがて憔悴した教授の元に妻が現れた。
「ちゃんとご飯を食べなさい。」とか、
「運動不足は早死にの元よ。」と叱るのである。
死んだ妻に叱られて教授は目を覚ました。
夢枕に立つ妻はオバケであったが、
教授は科学でこれを証明しようなどとはせず
言われた通りに食事と運動をして、
普段と変わらぬ生活を送るようになった。
それから妻のオバケと
いつかまた会う日を楽しみにした。
明るい髪を後頭部で捻った
青い瞳をした異本イオンは、
生徒会室の会長席で
右往左往して挙動不審となっていた。
「どうしたんですか?」
黒髪の丸い頭に、厚いメガネをした愛蛇果奈が
彼女の様子を気にして声を掛けた。
「ねぇ、カナ。アタシのボールペン知らない?」
「イオンちゃんの胸ポケットに入れてるのが
まさにそれでは?」
「え? あっ! …った?」
生徒会室入り口のハンガーラックに掛けていた、
自らのブレザーの胸ポケットに挿した
ボールペンを見つけて驚いた。
こんな場所に挿した心当たりが無いので、
イオンは首を捻ってボールペンを取る。
「なんでこんなところに。
これアタシの? なんか…。」
透明なボールペンをまじまじと見ると、
インク芯の量が増えてる気がしてならない。
換え芯を用意していたので
もっとインクは少なかった気がするが、
ボールペンの紛失といい自分の失態を
さらけ出すのをはばかって口をつぐんだ。
「妖怪の仕業ですね。妖怪ペン隠し。」
「何の妖怪なの、それ。」
「他にもスマホ隠し、リモコン隠し、
イヤホン片方隠し、妖怪何もしてないのに
パソコンの調子がおかしくなった、
などがあります。」
「最後のは妖怪がしたのか
してないのかわかんないわね。
現代的過ぎる名前ばかりじゃないの。」
「絶滅に瀕する妖怪の復権に一役買うべく、
あらゆる現象を妖怪の仕業にすれば良いと
ウチの先生がおっしゃっていましたので。」
「それどこのダメ教師なの。」
反面教師の御高説にイオンは席に着いて、
再び作業を進めることにした。
会長であるイオンは学内で
ハロウィンのイベントが近いので、
出展要望書の最終確認をしている。
書記のカナは会長の仕事が終わるまでの
付き添いで、手持ち無沙汰にしていた。
「そもそも灯台下暗しって
便利なことわざがあるじゃない。」
「責任の擦り付け先があれば
便利なことこの上ないですからね。
スマホに依存したせいで作業が進まない。
テレビを見たせい、音楽に耽ったせい、
古いパソコンを新しくしたい。」
「最後の妖怪じゃなくて願望が混じってる。」
「風呂場の垢を舐めて食べるアカナメや、
イエス・ノー枕をひっくり返す枕返し、
妖怪サドル盗みとか、妖怪上履き泥棒とか。」
「枕返しについて何も言うことはないけど、
後ろふたつは犯罪者ね。」
「すねこすりという、
ヒトを転ばす妖怪も居ます。」
「へぇ、そんなの居るんだ。」
「夜間になると現れるイヌの形をした妖怪で、
タヌキの仕業という説もあるそうですが、
これならば同じく転ばせる特技の
まぐそも妖怪になりうるのではと思うのです。」
「は? なに? まぐそ?」
「はい。馬ふんです。」
「ちょっとカナが何言ってるのかわかんない。」
「サルカニ合戦ってご存知ですよね。」
「サルに対するカニの弔い合戦よね?」
――カニの持っているおにぎりを
柿の種と交換して腹を満たしたサルですが、
カニの物となった柿の実が成ると
サルは欲張って柿の木をひとり占めした。
サルが投げて寄越した青い未熟な柿で
カニは怪我を負い死んでしまう。
遺されたカニの子どもたちの為に
正義感に燃える第三者が徒党を組み、
栗は焼身体当たり、蜂は針で刺し、
馬糞は転倒させ、臼で潰す過激な暴力の末、
害獣のサルを殺害する痛快復讐劇です。
「痛快?」
カナの昔話の説明に、イオンは首を捻る。
栗の焼身体当たりというところにも疑問が残った。
現代社会の視点が気がかりである。
「生徒会長の座を得たイオンちゃんは
さながらサルと呼んで差し支えありません。」
「なんでそんなひどいこと言うの…。」
「錬金術で有名な人造人間、ホムンクルスの
材料のひとつもまぐそとされています。
馬糞は生命の苗床やもしれません。」
「こじつけっ!」
「人生どんなことがあるか分かりません。
イヌも歩けば棒に当たると
ことわざにもあります。」
「サルも木から落ちるでいいじゃない。」
「そういう説もありますね。
調子に乗っていたサルも本来ならば
捕食対象のカニ風情に足元をすくわれ、
悲惨な末路を辿りました。
そんな時こそ妖怪まぐそのせいにすれば
心穏やかになるはずです。イオンちゃん。」
「もうっ、アタシをサル扱いしないで。」
サルが馬糞によって滑らされるよりも、
バナナの皮で自らの失態で滑った方が
よほどサルの尊厳は保てるのでは、と
イオンは自分の立場で考えたのだった。
作業を終えて帰りの支度に
イオンはブレザーを羽織った。
「悪いね、カナ。
一緒に帰ろうって言ったのに
長いこと待たせちゃって。」
「そんなことありませんよ。
イオンちゃんを上手いこと騙せて
楽しかったです。」
カナが手持ちのボールペンを、
イオンの上着の胸ポケットに挿した。
ペンケースにしまったはずのボールペンだが、
手にしたのはインク量が枯渇寸前の物だった。
「これアタシんだ!」
イオンと同じボールペンをカナが隠し持って、
本人に気づかれぬ内にすり替えたのだ。
目の前に立って口角を上げる『妖怪ペン隠し』
もとい馬糞の存在に、昔話のサルのように
イオンはまんまと尻もちをつかされた。
自分の間抜けさをこらえて力強く目を閉じた。
トイレの花子さんはグレた。
グレるという単語は現代にそぐわないが、
オバケの存在自体が時代遅れと言えた。
とにかく彼女は時代錯誤の非行に走った。
自分が忘れ去られていることに
やり場のない憤りを覚え、
方法も方向性もないままグレた。
いつの頃か忘れたが、都会では
ヤマンバギャルなるもの流行っていたので、
それを真似て日焼けサロンに通った。
さらに薄白い顔を土色のファンデで塗り、
目の周りをジャイアントパンダとは逆に
真っ白にしてアイラインは真っ黒に強調した。
ついでに真っ黒だったおかっぱ頭は、
金銀が色あせたウィッグを被る。
襟元を開けたブラウスにリボンのネクタイと、
紺地に赤色格子の入ったプリーツスカートに
サイズの大きなルーズソックスで装ったのも
指摘するまでもなくこれまた時代遅れであった。
普段は白色のブラウスと赤色のスカートで
おかっぱ頭が時代遅れと悟った本人にとっては、
どんな服装であってもそれは新鮮に感じた。
しかしヤマンバギャルは
彼女の性質に合わなかった。
ヤマンバギャルはとにかく汚かった。
メイクを落とすのを避けて何日もお風呂に入らず、
ルーズソックスは真っ黒に汚れてしまう。
彼女も元はトイレの神様として
祀られており、病魔を招く汚れは
本人にとって耐え難く3日で断念した。
アイデンティティの喪失であるのは
これまた指摘するまでもないことだが、
彼女はやはりグレていた。
ヤマンバギャルが彼女の忌避していた、
時代遅れであることに気づいた。
ヤマンバといえば同じオバケ由来の名に
わずかながらシンパシーを感じていたものの、
やはり老婆のオバケ、若者向けではないことに
気づくのは、それでもしばらく後のことである。
無駄に終わった日サロ通いを辞め、
自分に合ったメイクを心がけ、
白ギャルを目指して遅まきながら
SNSデビューを果たした。
髪型もおかっぱ頭をアレンジして
両サイドの耳元部分を短くし、
姫カットなるものに挑戦する。
都市伝説時代に獲得した名前や
年齢などの設定を利用して、
SNS上に投稿した内容は自撮りと、
トイレの清掃に関する啓発であった。
自らがトイレの神という本質を思い出し、
原点に帰り、人々から信心を取り戻そうと
画策したのである。
時代を感じさせる淡々とした語り口で、
タイルにこびりついた黒カビを丹念に清掃する
彼女の動画は奇特な人のツボを突いた。
同時に自撮り写真には反感をおぼえる者も多く、
スラングが大量に書き込まれたコメント欄は
便所の落書き同然に荒れて彼女の心も荒れた。
神様であることを自負してコメントに対し
懇切丁寧な返事を心がけていた彼女だが、
やがて相手と同レベルの応酬を始めてしまった。
無視を決め込むかトイレと同じく
鍵を掛ければすむ事であったが、
SNSに慣れていない彼女にその選択はなかった。
「汚いコメントありがとう。
汚くって尿石と見間違えちゃった~。」
「トイレでちゃんとうんち出来てえらいえらい!」
「おじさんお掃除もちゃんとできないなんて、
ヒトとして情けないと思わないの~?」
相手を煽るようなコメントの返信は
日に日にエスカレートするのであった。
相手への敬意はとうに失い、
挑発を繰り返す発言へと変わった。
神である自覚を、尊び奉られる目的を忘れ、
道を外れて彼女はグレた。
しかしながらSNSの住民たちはハエの如くたかり、
彼女をメスガキ呼ばわりしては
便所の落書き同然のコメントを送り、
彼女からの返信を求めた。
SNSにて彼女の求めていたはずの信仰が
不本意な形で成り立ち始めていたことは、
当事者でさえ預かり知らぬものとなった。
普段の自撮りやトイレの清掃に関する
啓発動画の投稿はだんだんと減り、
コメントの返信は増え続けて
1日の許容を超えた。
休みなくスマホをいじり、
彼女はトイレに引きこもった。
姫路在住のお菊は悩み多き乙女であった。
お菊は遥か昔、男によって殺害された。
怨霊となり、復讐を果たしてもなお、
お菊の妄念が晴れることはなかった。
何故ならお菊は創作から生まれた怨霊であった。
ヒトが望むのであれば、姿かたちを問わず現れる。
ある時は妾であった。
正式な妻ではなく、相手から金銭や
生活の庇護を受けるヒモ。
現代の言葉で言い換えれば愛人。
パパ活ではない。
正妻であった時もあるけれど、
もう数百年も前のことで記憶はあやふやだ。
殺害された理由も相手も様々だ。
何度も殺され、何度も化けて出た。
若殿暗殺の企てを耳にしたので殺された。
時には惚れられた男に脅された挙げ句殺された。
管理する10枚の皿の内の1枚を失くしたとか、
アワビ貝の5杯の盃を失くしたとか、
壊したとか、その責任を押し付けられて殺された。
とにかくもう男はこりごりだった。
金輪際働かないと心に決めた。
ひどい時は姿を虫にされたこともある。
暗く深い穴である井戸で殺されて化けるには、
体がヘビのように長いものが都合が良いらしい。
それにしても『お菊虫』という名は許し難い。
井戸の『穴』に『菊』に『虫』とあっては、
まるでぎょう虫のようではないか。
虫のモデルは羽の模様が美しい
アゲハチョウであったそうだが、
井戸に湧いたサナギというオチには絶句した。
他にもひどいことはある。
四谷在住のお岩と間違えられることだ。
兵庫(姫路)と東京(四谷)は、
西と東とでは全く違う。
四谷は新宿区にあって都会であるのも、
お菊が劣等感に苛まれる理由のひとつだ。
姫路が田舎というわけではないが、
それでも地理的な劣等感は拭い去れない。
お岩は顔にも性格にも難があり、
結婚も出来ずに行き遅れていた醜女だ。
お菊は自分を殺した相手を恨みはしたが、
お岩は自分を殺した相手と関係者を皆殺しにした。
死に方もお菊は井戸に落とされたが、
お岩は毒殺の末に川に流された。
とはいえお菊とお岩、
ふたりは仲が悪いわけではない。
同じく男に殺された創作の怨霊同士で、
現代では仲良く交流を続けている。
死後文通から始まり、
現代ではネット環境のお陰で
俗世に染まりきっていた。
そしてお菊と同じく
お岩もまた、悩み多き乙女であった。
ふたりは揃って二次元のキャラクターに恋し、
お菊はお岩と共に中の人が歌って踊る
東京のミュージカルも鑑賞した。
――今この瞬間、死んでもいい。
お岩が地理的に推しに近いのが
心底羨ましく、妬ましかった。
推しの怨霊に生まれ変わりたい。
推しの子どもに生まれ変わりたい。
推しの周りを飛ぶ蝶になりたい。
DVDを見ながらお菊は悩み、胸中で呟いた。
しかし悩みはそれだけではない。
お岩から借りた、10巻あったDVDを
お菊は1枚無くしてしまった。
お岩の推しの回が収録されたDVDを。
こればかりはお菊は死んで
お詫びのしようもなかった。
昔むかし、とある国に王様が居ました。
王様は自ら兵を率いて民を護り、
飢えて貧しかった国を豊かにしました。
武芸の才ある王様であり、
国民にも愛される王様でした。
民たちはその功績を称えて、
全知全能の王と称えられました。
食べ物に不自由ない平和な国は、
王様によって永遠の繁栄を
約束されたものと誰もが思えました。
しかし王様は病に倒れました。
すると多くの妃と多くの王子、
その子どもたちが次の玉座を巡り、
身内どうしのケンカが始まりました。
病に倒れた王様を心配し、
交流のあった友好国からは
多くの使者が見舞いに訪れました。
国一番の美味な食材を持ち寄って、
いち早い病の回復を祈りました。
また使者たちは医師を連れ
症状から病を調べましたが、
原因はだれにも分かりませんでした。
国王を失えば今度は身内ばかりではなく、
国同士が戦争を始めかねません。
誰もが悩んでいるところに、
やせ細ったひとりの老人が現れました。
遥か遠くの高い山に住み、
霧を食べて生きると噂される賢者様でした。
賢者様は国を憂う王様の為に、
とても美しい3つの薬を用意したのです。
サファイアのように青い煌めきを放つ薬。
琥珀のように透明な金の光沢を持つ薬。
ルビーのように蠱惑的な赤い薬。
この薬すべてを順に飲めば、
病はたちどころに消え去り
王様の望む体が手に入ると言うのです。
薬の説明は王様にとって
大変に難しいものでしたが、
一国の主が質問を返すことを恥じらいました。
なにせ王様は全知全能の王様なのですから。
賢者様はそれを理解して、
簡単な説明を残していきました。
――青い薬は魂を守る薬です。
王様は青い薬を飲みました。
それはとても苦い薬でしたが、
なんだかすごく気分が良くなりました。
――黄色の薬は痛みを失くす薬です。
王様は黄色の薬を飲みました。
それはとても臭い薬でしたが、
病に苦しむことがなくなりました。
家臣たちは王様の回復に喜びました。
王様は最後の薬を飲むのをためらいました。
苦い薬も臭い薬も嫌になり、
それに元気になった王様には
もう薬は必要ないと思ったからです。
王様は賢者様から貰った、
蠱惑的な赤い薬を残しました。
――赤い薬は肉体を捨てる薬でした。
賢者様が持ってこられた薬であっても、
それはとても怪しい薬でした。
王様が体調を取り戻すと
家族のケンカは無くなり、
国は再び元の活気を取り戻しました。
王様が自分の体調に異変に気づいたのは
すぐ後のことです。
王様はどんなに寝ても眠たくなり、
何かを食べていても寝てしまいました。
それから王様の体から、
これまで嗅いだことのない
不思議なにおいがするのです。
とても甘い香りでした。
王様は賢者様からの薬が気がかりになりました。
やがてしばらくたったある日、
王様の足の指先が取れ落ちてしまいました。
不思議と痛みはありませんでしたが、
体の異変は日ごとに増すばかりでした。
再び病に倒れた王様は、家臣に命じて
赤い薬を自分の口に運ばせました。
王様は自分で薬が飲めません。
なぜなら足の指だけではなく、
手足を全て失ってしまったからです。
耳さえも落ちてしまい、
王様の耳には誰の声も何も届きません。
家臣が赤い薬を目の前にかざすと、
視力さえも失った王様は
うなずいて薬を飲みました。
するとたちどころに手足は元に戻り、
耳も生え、視力は回復して、
遠くの賢者様も見えるようになりました。
赤い薬はすばらしい薬でした。
賢者様は王様の姿を見て、言いつけを守らずに
順番に全ての薬を飲まなかったことを察しました。
なぜなら赤い薬は古く病んだ体を捨て、
新しい体を得る為のものだったからです。
赤い薬から体を守る青い薬も、
痛みを和らげるための黄色の薬もない。
病で弱りきった王様の体に、
強力な赤い薬を与えてはいけませんでした。
賢者様を目の前にして、
王様は手足を失ったままの
自分の体を見下ろしました。
赤く燃え上がる国を見下ろしました。