咲果を家の前まで送って帰宅した頃には、時刻は十時近くになっていた。ぱぱっとシャワーを浴びた僕は、冷蔵庫の中の牛乳をマグカップになみなみと注いで部屋へと上がった。ベッドにごろんと横になって、スマホをいじる。
 ようやく慣れ親しんできた部屋の匂いと、ぎしりとベッドへ沈む自分の身体。そこでようやく、想像以上に体が疲れていることに気付いた。ぐーっとその場で伸びをして、それからゴロンと横を向く。

 今日はなんだかすごい一日だった。咲果とふたり電車で出かけて、懐かしい場所に一緒に行って、きちんと自分の過去と向き合って、最後はたくさんの人の前で路上ライブをした。

 歌っている咲果、本当にいい顔をしていたな。今まで一緒に過ごしてきた中で、一番キラキラとして見えた。歌うために生まれてきた、なんて表現すれば大げさだと笑われるかもしれないけれど、僕は本気で彼女のことをそんな風に思うんだ。

 そうして一日の出来事を記憶と共になぞっていると、電車の中で膨れ面をした赤い顔がぱっと浮かび、僕は思わず飛び起きた。
 どうにか落ち着かせたはずの心臓がこんなちょっとしたきっかけひとつで全力疾走するのだから、このままじゃ僕の心臓はいつか壊れてしまうんじゃないかと半ば本気で思ってしまう。それでも、そんな人は聞いたことがないからきっと大丈夫なのだろう。ふう、とわざと大きく深呼吸をした僕は、もう一度、ぽすりと身体を後ろに倒した。

 咲果は今頃何をしているんだろう。門限は大丈夫だったのだろうか。怒られたりせず、僕と同じようにこれから眠るところならばいい。
 こういうとき、相手がスマホを持っていないというのはとても不便だ。用がなくても連絡をしたい。ただなんとなく、いつでも繋がる安心感みたいなものを僕たちは求めているのだ。

『まだ起きてる?』

 一か八か、咲果のパソコンに向かってメッセージを飛ばしてみる。しかし待てどもそこに既読の文字はつかない。もし起きていたとしても、彼女がパソコンを開いていなければこの言葉は届かないのだ。

 物足りなさを感じた僕は、なにげなくSNSを開く。今日の吉祥寺は僕の思い出巡りの旅になってしまったから、次はちゃんと咲果が喜びそうなところに連れていってあげよう。そうして検索のウィンドウに〝吉祥寺〟という文字を入れたのだ。

「……これ、僕たちのことか?」

 画面上に現れる、吉祥寺のいろんな情報。その中に僕は、こんな投稿を見つけた。

『吉祥寺で二人組のストリートミュージシャンを発見。普段こういうのに立ち止まったりしないけど、気付いたら一時間たっぷりと聞き入ってしまった』
『高校生のカップルデュオだったのかな? 見た目はかわいいのに、音楽のクオリティが高すぎて圧倒されちゃった。次はいつやるのかなぁ』
『今日の吉祥寺で路上ライブしていた若い男女のアーティストの詳細知ってる人いませんか? 手がかりがなさすぎて……』

 そこに並んでいたのは、十中八九僕らのことを言っているのであろうという言葉たち。遠目から撮影された写真付きの投稿まであった。

 ぞわぞわとした震えが足元から全身に広がっていく。武者震い、というやつだ。その全ての投稿に〝いいね〟を押したい気持ちをどうにかこらえる。
 本当ならばそれぞれに〝いいね〟を千回押したい。だけどまずは咲果にこの事実を伝えることが何よりも先だ。

 僕と咲果を知らない人たちが、僕らの音楽を受け取ってくれた。認めてくれて、それを良いって感じてくれた。

 カシャッカシャッと何度もスクリーンショットを撮って、一向に既読とならない咲果のメッセージボックスへとその画像を送っていく。
 もしかしたら、このままどこかの芸能事務所とかの目に留まる可能性だってゼロではないんじゃないだろうか。今は一般人だってインターネットを使って有名になることができる時代だ。オリコンチャート上位を独占しているバンドだって、元々は動画サイトに曲をアップしていたのがきっかけで有名になったと聞いたことがある。つまり、僕たちにだってその可能性は大いにあるということだ。

 ──僕が作る曲を、咲果が歌う。たくさんの人の心を奮わせる。

 僕の中でその光景が、キラリと大きく輝いた。