私は教室に入ろうと扉に手をかけると、「井浦」と後ろから声をかけられた。
見ると、袴田くんがどこか苛立った表情をして立っていた。こんな表情、喧嘩している時くらいしか見かけないだろう。
廊下で誰も見ていないことを確認すると、彼の隣に並んで人目を気にしながら問う。
「どうかしたの?」
『お前、もう吉川と関わるな』
「は……?」
『余計なことは聞くな。その方が身のためだ』
いつもの低い声は、どこか怒りが込められていた。目つきもどこか鋭くて、考えていることがすべて見られている気がした。
「……なんで吉川さん? あの件だったらあの子は被害者でしょ」
『なんでもいいだろ。お前まで巻き込まれたら……』
「巻き込むって何? 私が関係しているなら、理由を聞く権利あるよね?」
周りの目を気にしている余裕はなかった。
苛立っている彼に挑発的な口の利き方をして、反感を買うのもわかっている。
「あの子はいい子だよ。自分が辛かったことを、誰かに同じ思いをさせないように手を差し伸べてくれたんだよ? 何をしたっていうの?」
『井浦、落ち着け』
「何でもかんでも暴力で解決してきたアンタたちに、優しさで人を救ったことなんてないでしょ!」
『井浦!』
初めて彼の怒鳴り声を聞いた。
私には音量が上がったくらいだったけど、周りにいた生徒や先生は耳を塞いでその場に立ち崩れた。まるで超音波が出ているようで、何人かが唸って蹲っている。
「袴田くん! いくらなんでもやりすぎ……」
『うるせぇ! お前なんかもう知らねぇ!』
「っ……なにそれ」
今まで人の体借りて好き勝手喧嘩したくせに。感謝もなければ取り憑く頻度も減らない。
超音波なんて知るか。
私は彼の制服の胸倉を掴んで怒鳴った。
「別にいいよ! 袴田くんなんかに心配される筋合いないから!」
胸倉を掴んだまま向こうへ押すと、袴田くんがよろけた。
それがどうした。一生そこでへばっとけ。
私は勢いよく扉を開けて教室に入る。
誰もが私を見て怯えた顔をしていた。
「……どう、したの?」
嫌な予感がよぎる。クラスメイトの一人が震える手で私の机を指さした。
教室の一番後ろ、窓際から二番目の私の席に、「地獄に落ちろ」と大きく書かれ、一輪の菊の花が入った小さなペットボトルが置かれていた。