俺は伊藤くんに気取られぬよう、細心の注意を払って尋ねた。

「すまん。運転中だったり商談中だったりして、携帯を確認するのをすっかり忘れていた」

「きっとメッセージが残ってますよ」

「そうだな」

なんでもない事のように言ってのけたが心中穏やかではなかった。
綾子が別れようと言った俺に連絡してくることは、あの夜から一度としてなかったからだ。
綾子はきっと俺と顔を合わせたくないのだろう。
直帰してしまえば顔を合わせる必要などないのだから。

だがそれだっていつもいつもという訳にはいかない。
公用車を戻さなければならないし、たとえ車だけ返却したとしても自分宛の電話が会社にかかってきているかもしれないのだ。
それを確認する意味でも営業職員は一旦社に戻るのが原則だ。
よほど特別な用件でもない限りその原則は守られているのが現状で、彼女だけ逸脱していい訳がない。

これは…
彼女の恋人としてではなく、職場の上司として忠告しておかなければならないだろう。