「上杉くん…どうした?」

急に席を立った私を訝しんだ課長に問われる。
今さら何を言っても始まらない。
一言でも口を開いてしまえば、みっともないほどあなたへの未練の言葉を羅列してしまいそうで…

私はただ、今夜の課長の心遣いに感謝の意を述べるだけに(とど)めた。

「帰ります…。ご馳走様でした…」

「ちょっと…」

これでサヨナラさせて。

これ以上あなたの口から何か聞いてしまったら、自制する自信がないの…!
だから私は最後まで事務的な私で接する。

「これからもいい部下でいられるように努力します。ですから課長も今まで通り、でお願い致します…。それと…課長はバカがつくほどの鈍感な人だと思います。仕事は出来るけど、プライベートではもう少しお勉強なさった方がいいのではありませんか?なんなら伊藤さんにでも相談なさったら」

事務的なだけでなく、最後は可愛げのないセリフまで吐いて…。

そしてその後は一度も振り返る事なく…
私は店を出た。

空車のタクシーを見つけ思わず手を上げる。
今夜はこれ以上何をする気も起きないわ…。

運良く止まってくれた一台のタクシーにすぐさま乗り込み、兄のアパートの住所を告げた私はそっと目を閉じた。

涙が次から次へと頬を伝いボトムスの膝を容赦なく濡らす。
閉じられた瞼の奥で課長の笑顔が揺れていた。

課長…あなたの姿が瞼に焼き付いて…
閉じているのに悲しいくらい鮮明に見えてしまうの…。
どうしてもあなたが私の心の中から出て行ってくれない…。

忘れなきゃいけないのに…
思い続ける事があの人を苦しめるとわかっているのに…

何故…
神様はあの人と出会わせ給うたのだろうか?

私という人間は余程罪深くて…
その贖罪の為に、この世で最も堪えがたい苦しみを与え給うたのだろうか?