「やっぱり…あまり食欲がなさそうだな…」

スパークリングワインの入ったグラスを見つめ続けていて料理を口にしていなかったからか、課長はそんな事を言った。

何も言えないままの私に課長は勝手な推測で続ける。

「まぁ…仕方がないな…。今日はあれだけ怖い思いをしたんだから。食欲なんかないのも当然か…」

課長の言葉に心の中で反論する。

確かに怖かった。あんな風に極限の恐怖にぶち当たる事などなかったのだから。

でも食欲がないのは熊の事が原因なんかじゃないわ。
実は今の今まで熊の事なんて忘れていたくらいだもの。

そうじゃなくて…
あなたの本心が見えないから…

お食事を楽しむどころじゃないのよ。
熊の事が印象的なのは当然だけれど、それ以外に思い当たる事はないの?
あの騒動で、直前の私の告白など記憶の彼方へ飛んで行ってしまったの?

どうもこの人は、はっきり言ってあげないとわからないようね。

「課長…」

「ん?」

「今日の事で心配になってこうして誘って頂いたのは感謝しています。でも…中途半端な優しさは、余計に傷つけるんだって事…わかってます?」

「え?」

「課長が私の上司というお立場で考えていらっしゃるのは理解しています。でも…私の気持ちを知りながらこういう事をされると正直戸惑ってしまいます」

「それは…」

課長の表情が苦悶で歪んで行く…。

本当はそんな顔して欲しいわけじゃないの…。

でもこのまま
課長の気持ちがわからないままお食事したりすると…

きっと気持ちに踏ん切りがつけられない。

だから…

あなたの気持ちを聞きたいだけなの…。