でも…

課長は素知らぬ振りで通り過ぎる事はしなかった…。

うつむき加減で歩いていた私との距離がいよいよ縮まった時

課長の声が耳に届いた。

「上杉くん…まだ残ってたのか?」

私の存在にちゃんと気付いてくれて、声を掛けてくれる。

「はい…少し、デスク周りを片付けていました…」

「そんな事は明日にしても良かったんだぞ」

優しい言葉…

部下を労う言葉だとわかっているのに、自分に都合良く解釈したくなる…。

でもダメ。
きちんと弁えなければ。

「申し訳ありません…。それと課長…今日はありがとうございました…。お陰で助かりました…。これからはもう心配ないと思います。色々とご心配頂き申し訳ありませんでした。では…また明日…」

言いたい事を全て言ってしまう。
これで全てをリセットして、明日から再び上司と部下の関係だけに徹する為に。

怖くて課長の顔を見られないまま駅に向かって歩き出した私の背中に、突然愛しい人の声が響いた。

「上杉くん…!」

どうして私の名前を呼ぶの?

怖い… 何を言われるのか…。

だから…振り向けない…。

ごめんなさい…。

普段の強気が今は出ないんです…。

私はわざとらしく聞こえない振りで立ち去ろうと少し速足になった。

でも…

所詮気付かぬ振りなど出来る筈がない。

こんな静寂の中で…
課長の声は夜の(とばり)を破るくらい力強かったから…

そして…私の腕を掴んだ課長の手も…

とても力強くて…

簡単には振りほどけないほどで…