『ねぇ、何描いてるの?』
『別に、ただの風景画だよ。』
『どこの?』
『家の近くの川。』
『どうして?』
よく、こうもそんなに話したことも無い人に、質問できるのか、という疑問を払いのけ、
『単なる気まぐれだよ。』
と、僕は答えた。こんなやりとりを、もうほぼ毎朝している気がする。何が楽しくてこんな事をしているのか、僕には見当もつかないが…
放課後、例の川の河岸に行き、何枚か写真を撮り、帰宅した。
朝、目を開ける。体を起こし、カーテンの紐を結ぶ。そして、雨が降っていることに気付く。
洗面台へ向かい、朝食を食べる為に、食卓に座り、テレビをつける。ニュースキャスターの、
(今日は、全国的に雨になりそうなので、傘を持ち歩くと良いでしょう。)という声を聞き、僕はなんとなくため息を吐いた。今日は絵の題材の写真を撮りに行きたかったのだが、この調子だと行けないだろう。
次の題材を考えながら、いつものようにバスに揺られ、教室に入り、いつもの席につく。
偶然にも今日は、今描いている絵を仕上げる日だ。手を止め、少し絵を眺めていると、待ってましたとばかりに、
『完成したの?』
『次は、何を描くの?』
という声が頭の上から降ってくる。
『だから、単なる気まぐれだよ。』
と、僕は出来るだけ素っ気なく返す。
そして、
『でも、当分は絵は描かない。』
と付け加える。案の定、
『どうして?』
と彼女が聞いてくる。
『明日から考査期間だから、題材の写真を撮りに行けないんだよ。』
と僕は返す。そして、
これで少しくらいは彼女も僕に近づかなくなるだろうと思い、少し安心する。次の瞬間、彼女から思いがけない言葉が紡がれた。
『じゃあさ、"私"を描いてよ。』
一瞬何を言われたか分からなかった…
『ごめん。もう一回言ってくれる?』
つい、そう聞き返してしまった。すると彼女は
少しだけ大きな声で言ったつもり、だったらしい。
『だから、題材が無いなら"私"を描いてよ!』
水原の声が教室に響いた。クラスでの彼女は、
いわゆる人気者。周囲の目が一斉に僕らの方を向いた。仕方なく僕は、
『分かったよ…』
と返した。いや、返すしかなかった…
久しぶりに雨が降ったあの日の放課後、僕はクラスのほぼ全員からの質問を流し終えた安心感と、疲労感で机に突っ伏していた。
午後5時のチャイムを聞いて、教室の電気を消し、靴を取り出し生徒玄関の脇で伸びをする。
ホームルームが終わって一時間ほど経過しているのと、考査期間中で部活が無いせいか、
生徒の姿はまばらだ。
バス停までの道のりの途中、信号待ちをしていると、斜め後ろから聞き慣れてしまった声が聞こえた。
『おつかれ〜。』
『何で君はそんなに元気なの?君も僕と同じように質問攻めされてたのに。』
『元気だけが取り柄ですから!』
彼女が無邪気に笑う。
こんな性格だったらどれだけ楽だろうかと
考えていると、また彼女が突拍子もない事を言い出す。
『ねぇ、連絡先教えてもらってもいい?』
『別にいいけど、返信するかどうかは気分次第だよ?』
『大丈ー夫!』
『分かったよ。』
と軽く答えて、僕は連絡先を
交換した。
その夜、ベッドに布団を敷いて、枕置き、身体を預けた瞬間、メールが届いた。
『今週の土日出かけるよ〜、用意しといてね。』
『あ、もう切符買ったから。』
『行かないなら切符代払ってもらうから。』
その夜僕はその日一番のため息を、枕の上で吐いた。
いつもより2時間も早いせいか、玄関を出ると、少し肌寒く感じた。
いつもより、一桁多い額の切符を買い、いつもと違う方向の電車に乗る。
車窓には絵の題材になりそうな景色が広がっているが、それを撮ろうという気にはならない。
これも全て例のメールのせいだ。
そもそも乗り気ではないし、あの彼女のことだ。嫌な予感しかしない。
そんな中、
目的地の東京駅に到着したというアナウンスが、僕の思考を断ち切った。
改札を出たところで、携帯が震えた。
『9時に丸ノ内北口に集合ね。』
時間を確認すると、(8:55)。
あと5分しかない。
出て来たのが、丸ノ内中央口だから
右方向に、足を進める。
少し息を荒げながら、北口に着くと、そこには少し頬を膨らませた。彼女がいた。
『遅ーい。』
時間を確認する。(9:01)。
たった1分だ。
予想以上の暴君ぶりに少し驚くが、
『君がギリギリにメールしてくるからこうなるんだよ。』
と主張する。
すると君は、小さいため息を吐いてから、
『はい、君の切符。』
僕はそれを受け取る。……、見間違いだろうか。行先表示は大阪となっている。
『冗談だよな?』
『…、…』
どうやら問答無用らしい。
『ほら、出発5分後だから急ぐよ!』
仕方なく僕は、もう一度改札に向かった。
新幹線に揺られて静岡を過ぎた頃、ずっと気になっている事を聞いてみる。
『どうして大阪なの?』
『いやー関西といえば、大阪でしょ?』
『どうして、関西なの?』
さらに聞いてみた。
『私はたこ焼きが食べたいのです!』
…はぐらかされた。
まぁ、言いたくないのなら仕方がない。
僕は、口をつぐんだ。
『あれ、もう聞いてこないの?』
『なんで?』
彼女が聞いてくる。
『君が言いたくなさそうに見えたから。』
と僕は答える。
『案外優しいんだね。』
『根暗なくせに。』
なんだか、少し悪く言われたような気がしたので、
『最後の一言は余計だろ。』
と反論しておく。
『その前の一言は良いんだ〜』
と彼女。
そんな他愛もない話をしていると、
至って普通の女の子とその両親が席を探して近づき、通り過ぎていった。
その時、彼女の顔が曇ったような気がした。
少しして、新大阪駅到着のアナウンスが流れて、僕たちは席をたった。
新大阪駅で在来線に乗り換え、大阪駅に向かう。改札を出て、少し歩いたところで、僕は彼女に聞く。
『どこに行くの?』
『う〜ん。』『ごめん、今何時?』
携帯で時間を確認し、答える。
『12時13分』
『それなら、お好み焼き食べよう!』
と彼女。
『たこ焼きじゃないんだ。』
と、冷静に指摘すると、
『あ、じゃあたこ焼きも食べに行く!』
との声が帰ってきた。
普段からそんなに食べない僕は、この返答を、
予想できなかった事を後悔した。
『なら、近くのお好み焼き屋調べるよ?』
と聞くと、
『ダメだよ。こういうのは行き当たりばったりが良いって相場が決まってるの!』
と彼女。
せっかくの休日を奪われたうえに、ギクシャクするのは嫌なので、とりあえず、
『分かったよ。』
と返しておくと、
『分かればよろしい。』
という声とともに、
彼女が僕を見下ろしてくる。
身長は明らかに僕の方が高いので、正確には、
(僕を見下ろそうとした。)
が正しいのだが、それを口にすると、
彼女の気を損ねるのが目に見えているので、
やめておく。
また少し歩いていると、突然彼女が立ち止まり、横に伸びた脇道の奥を見た。そこには、赤い暖簾に白い文字で“お好み焼き“、と書いてあった。店の壁に"鉄板鉄福"と書いてあるのを横目に見ながら、僕と彼女は暖簾をくぐった。
店頭で注文を済ませ、席で料理を待っていると、
『お冷やです。』
と、店員が水を持って来た。
店主と苗字が一緒だから、娘さんだろうか。
『何頼んだの?』
と彼女に聞くと、
『このオススメのやつ!』
という、ほぼ予想通りの返答が返って来た。
『君は何を頼んだの?』
『僕は、豚玉ってやつかな。』
と答えると、
『普通だね。』
と彼女。
何を根拠に普通としたのかは分からないが、
とりあえず、先程の(関西といえば)のような感じなのだろう。
『お待たせしました。』
『豚玉と牛筋豚玉の卵乗せになります。』
僕のこれとは比べ物にならない大きさにうろたえる僕を横目に、彼女の目がキラリと光った…
気がした。
『母さんおかえりー!』
厨房の奥から、さっきの店員の声が聞こえてきた。
『親子で切り盛りしているのかな?』
彼女に聞くと、
『そうだね…』
とだけ帰ってきた。
さっきとは違って声が少し暗い気がする。
気のせいなのだろうか…
昼食を食べ終えた彼女が
『そろそろ行こっか。』
と僕に言うので、
僕は、
『お会計お願いします。』
と言って席を立つ。
店員に料金を払い、僕らは店を出た。