『今週の土日出かけるよ〜、用意しといてね。』
『あ、もう切符買ったから。』
『行かないなら切符代払ってもらうから。』
その夜僕はその日一番のため息を、枕の上で吐いた。
いつもより2時間も早いせいか、玄関を出ると、少し肌寒く感じた。
いつもより、一桁多い額の切符を買い、いつもと違う方向の電車に乗る。
車窓には絵の題材になりそうな景色が広がっているが、それを撮ろうという気にはならない。
これも全て例のメールのせいだ。
そもそも乗り気ではないし、あの彼女のことだ。嫌な予感しかしない。
そんな中、
目的地の東京駅に到着したというアナウンスが、僕の思考を断ち切った。
改札を出たところで、携帯が震えた。
『9時に丸ノ内北口に集合ね。』
時間を確認すると、(8:55)。
あと5分しかない。
出て来たのが、丸ノ内中央口だから
右方向に、足を進める。
少し息を荒げながら、北口に着くと、そこには少し頬を膨らませた。彼女がいた。
『遅ーい。』
時間を確認する。(9:01)。
たった1分だ。
予想以上の暴君ぶりに少し驚くが、
『君がギリギリにメールしてくるからこうなるんだよ。』
と主張する。
すると君は、小さいため息を吐いてから、
『はい、君の切符。』
僕はそれを受け取る。……、見間違いだろうか。行先表示は大阪となっている。
『冗談だよな?』
『…、…』
どうやら問答無用らしい。
『ほら、出発5分後だから急ぐよ!』
仕方なく僕は、もう一度改札に向かった。
新幹線に揺られて静岡を過ぎた頃、ずっと気になっている事を聞いてみる。
『どうして大阪なの?』
『いやー関西といえば、大阪でしょ?』
『どうして、関西なの?』
さらに聞いてみた。
『私はたこ焼きが食べたいのです!』
…はぐらかされた。
まぁ、言いたくないのなら仕方がない。
僕は、口をつぐんだ。
『あれ、もう聞いてこないの?』
『なんで?』
彼女が聞いてくる。
『君が言いたくなさそうに見えたから。』
と僕は答える。
『案外優しいんだね。』
『根暗なくせに。』
なんだか、少し悪く言われたような気がしたので、
『最後の一言は余計だろ。』
と反論しておく。
『その前の一言は良いんだ〜』
と彼女。
そんな他愛もない話をしていると、
至って普通の女の子とその両親が席を探して近づき、通り過ぎていった。
その時、彼女の顔が曇ったような気がした。
少しして、新大阪駅到着のアナウンスが流れて、僕たちは席をたった。
新大阪駅で在来線に乗り換え、大阪駅に向かう。改札を出て、少し歩いたところで、僕は彼女に聞く。
『どこに行くの?』
『う〜ん。』『ごめん、今何時?』
携帯で時間を確認し、答える。
『12時13分』
『それなら、お好み焼き食べよう!』
と彼女。
『たこ焼きじゃないんだ。』
と、冷静に指摘すると、
『あ、じゃあたこ焼きも食べに行く!』
との声が帰ってきた。
普段からそんなに食べない僕は、この返答を、
予想できなかった事を後悔した。
『なら、近くのお好み焼き屋調べるよ?』
と聞くと、
『ダメだよ。こういうのは行き当たりばったりが良いって相場が決まってるの!』
と彼女。
せっかくの休日を奪われたうえに、ギクシャクするのは嫌なので、とりあえず、
『分かったよ。』
と返しておくと、
『分かればよろしい。』
という声とともに、
彼女が僕を見下ろしてくる。
身長は明らかに僕の方が高いので、正確には、
(僕を見下ろそうとした。)
が正しいのだが、それを口にすると、
彼女の気を損ねるのが目に見えているので、
やめておく。
また少し歩いていると、突然彼女が立ち止まり、横に伸びた脇道の奥を見た。そこには、赤い暖簾に白い文字で“お好み焼き“、と書いてあった。店の壁に"鉄板鉄福"と書いてあるのを横目に見ながら、僕と彼女は暖簾をくぐった。
店頭で注文を済ませ、席で料理を待っていると、
『お冷やです。』
と、店員が水を持って来た。
店主と苗字が一緒だから、娘さんだろうか。
『何頼んだの?』
と彼女に聞くと、
『このオススメのやつ!』
という、ほぼ予想通りの返答が返って来た。
『君は何を頼んだの?』
『僕は、豚玉ってやつかな。』
と答えると、
『普通だね。』
と彼女。
何を根拠に普通としたのかは分からないが、
とりあえず、先程の(関西といえば)のような感じなのだろう。
『お待たせしました。』
『豚玉と牛筋豚玉の卵乗せになります。』
僕のこれとは比べ物にならない大きさにうろたえる僕を横目に、彼女の目がキラリと光った…
気がした。
『母さんおかえりー!』
厨房の奥から、さっきの店員の声が聞こえてきた。
『親子で切り盛りしているのかな?』
彼女に聞くと、
『そうだね…』
とだけ帰ってきた。
さっきとは違って声が少し暗い気がする。
気のせいなのだろうか…
昼食を食べ終えた彼女が
『そろそろ行こっか。』
と僕に言うので、
僕は、
『お会計お願いします。』
と言って席を立つ。
店員に料金を払い、僕らは店を出た。
店を出て、
歩き始めると同時に彼女に聞く。
『次はどこに行くの?』
『買い物に行こう!』
と彼女。
『どうだろうね。』
『何が?』
『行き当たりばったりの君のことだ。』
『気付いたらたこ焼き屋の前にいるかもしれない。』
『ひどい言われようだね…』
正直、お好み焼き屋に着いたのも、偶然以外の何者でもない。
『何を買うつもりなの?』
と彼女に聞くと、少し考えてから、
『とりあえず服!』
との返答が返って来た。
なんだか、またはぐらかされたような気がする。
その後、
結局僕らは、数店の店を回り、いくつか雑貨と書籍を買った。
最後の店を出た時は既に、空は暗くなってしまっていた。
『あのさ、もうさすがに駅に向かわないと間に合わなくなるんじゃないかな。』
すると彼女は当然のように、
『何言ってるの?』『今日は帰らないよ?』
と、言ってきた。
僕は思わず頭を抱えたくなるが、
『僕は帰りたいんだけど…』
と、せめてもの抵抗をしておいた。
『なら、代金払ってね。』
と彼女が言ってくる。
『ちなみにどのくらいなの?』
『往復の交通費と宿泊費で、
合計〔きっかり12万円〕だね。』
どれだけ、高級ホテルに泊まれば、
そんな額になるのか分からないが、そんな額払えるわけがないので、仕方なく降伏する。
『分かったよ。』
と彼女に返すと、
『分かればよろしい』
と暴君ぶりを発揮しようとするが
相変わらず物理的な問題で、見下ろせてはいない。
僕たちはその後、今日泊まるホテルに向かった。
いかにも高級そうなロビーに入ると、すぐに、彼女が
『鍵もらってくる。』
とだけ僕に言い、フロントに駆けて行く。
彼女は高校生の私服にコンビニ袋という明らかに場違いな服装だったにも関わらず、すんなりと鍵をもらって来た。彼女とエレベーターに乗り最上階に向かい、部屋の鍵を使い、中に入る。
そこには、高校生2人にはもったいないくらいの
光景が広がっていた。
とりあえず近くにあったソファーに腰を下ろすと彼女もそれに続…かずに、ベッドに腰掛ける。
『まさか君とこんなにも早く一夜をともにする日が来るとはね〜。』
『ほぼ強制だと思うし、どうせこの後部屋別れるんだから、共に一夜は過ごさないよ?』
『少し荷物まとめたいから、僕の部屋の鍵渡してもらえる?』
少しの沈黙が流れる。
『まさかとは思うけど、一部屋しか借りてない、とか言わないよね?』
『いや、あのね、一昨日借りようとしたら、
一部屋しか空いてないらしくて…だから今日は相部屋…だよ?』
『…あのさ、君は嫌じゃないの?』
『私は大丈夫!』
『なら…いいや…』
結局ぼくは折れた…
『夕食どうするの?』
『この時間だから、コンビニで何か買って来るよ。』
『何か食べたいものある?』
『分かってると思うけど夕食としてだからね?』
『鮭はらみ弁当』
彼女にしてはまともな回答が返ってきた。
『他には?』
『アイスクリームとソフトクリームと、チョコミント!』
うん。やっぱり全然まともじゃなかった。
『比率おかしくないかな。』
『大丈夫だよ。』
何が大丈夫なのか分からないけれど、
とりあえずコンビニに向かうことにした。
昼間は気づかなかったが、よく見ると、絵に使えそうなビルや風景が所々あった。
そもそも写真を撮ることを忘れていたのか、
無意識のうちに彼女との休日を楽しもうとしていたのかは分からないが、おもむろに携帯のカメラ画面を開き、シャッターを切っていった。
コンビニで目当てのものを探していると、携帯が震えた。
彼女からのメールだろうか。
『ごめん。夕食とった後、そのまま君と話したいから、スナック菓子いくつか買ってきて!』
とのことなので、手に取った鮭はらみ弁当をカゴに置き、菓子コーナーに進む。
いくつか定番と呼ばれるものを買い、コンビニを後にした。
『遅ーい!』
ホテルの部屋に戻ると、暴君モードの彼女が待っていた。
さすがに、写真を撮って遅れた、とはいえないので、
『コンビニが意外に遠かったんだ。』
と言っておく。
『君は何を買ったの?』
『僕は、カットサラダと牛タンと、昆布のおにぎり。』
と、返しながら、おにぎりを手に取る。
『あのさ、一つ聞いていい?』
『いいよー』
『なんで、君のご両親は、僕との旅行を許してくれたの?』
『両親には言ってないよ?』
『え、じゃあ今頃君の家では大騒ぎなんじゃないの?』
『あー、私の親2人とも海外出張に行っててさ、今、家にいないから。』
僕は、諭すように彼女に言う。
『今からでも電話して言うべきだ。』
『大丈夫だよ!』
『本当に?』
『大丈夫。』
いつになく真面目な彼女の口調に僕は押し負けた。
夕食を食べ終えた僕は。スナック菓子を手に取って開け、彼女に言う。
『何を話すの?』
『う〜ん。』『なんでもいいよ?』
『クラスの事とか、好きな人とか、とにかくなんでも。』
と言うことなので、とりあえず首肯しておく。
『分かった』
『なら、交互に聞いていく感じでいい?』
『分かった。じゃあ私からね?』
『うん。』
『そうだねぇ。』
『じゃあ、なんで絵を描いてるの?』
『いきなり結構な質問だね。』
『あ、ごめん。』
『質問変える?』
『いや、いいよ。』
『隠すことでもないしね。』
『僕は、中学の頃、友達に誘われて美術部に入ってたんだ。』
『だけど、人間関係につまずいて、そんなに学校に行かなくなったんだ。』
『でも、家にいると退屈で、ある日家の近くを散歩している時に川を見つけたんだ。』
『そこから、少しずつだけど書き進めて、今の絵になる。』
『深いね…』
『そうかな。』
『なんか、ごめんね。』
『別に気にしてないからいいよ。』
『分かった。』
『じゃあ、次は君の番だね。』
『どうして君は、いつも前向きなの?』
『ポジティブな方が、笑顔でいられるかなって思ってるだけ。』
『その方が元気も出るしね。』
『確かに。』
『じゃあ次私ね?』
『あぁ、いいよ。』
『クラスの中で好きな人は誰なの?』
『どうだろう。』『しいて言うなら、自分の席の右斜め前の人かな。』
『あー、佐々倉さんね?』
『どうして好きなの?』
『なんか、大人しそうで、気が合いそうだなと思ったから。』
『確か、今、あの子フリーのはずだから、チャンスだね!』
『僕、しいて言うなら、って言ったと思うんだけど。』
『ごめん。』『今もう11時だし、お菓子もなくなってきたから、この質問で最後にしよう。』
『分かった。』
彼女も疲れているのだろう。素直に同意してくれた。
『じゃあさ、どうして君は、周りの僕より親しい友人じゃなくて、この旅行に僕を誘ったの?』
『………君になら話してもいいかなって思ったからかな。』
『何を?』
『ごめん。今は言えない。』
『分かった。言いたくないなら言わなくていいよ。』
『こんな質問して悪かった。』
『いいよ。気にしないで。』
そのあとは、お互いにシャワーを浴びて、
ベッドに入った。
翌朝、僕はひんやりとした肌寒さで目を覚ました。
時計を見ると午前5時を少し回ったところで、空はまだ少し薄暗い。彼女の方を見てみると、まだ寝息をたてながら眠っている。
二度寝するにも時間がないので、とりあえずまた、昨日のコンビニに朝食を買いに行くことにした。彼女の携帯に、朝食を買ってくる旨の連絡と、一応、ローテーブルの上に置き手紙をしておく。
身支度をして外に出る。
都会の朝は少し肌寒く、そして薄暗く、それでいて、少しだけ神秘的な気がした。
コンビニで朝食と飲み物を買い、ホテルに戻ると、彼女はまだ寝ていた。
なんだかこの旅で、彼女との距離が一気に近くなった気がする。
ふと窓の外を見ると、昨晩、夜景を撮っていない事をとても後悔するほどの景色が広がっていた。大きな川に左右分断された大阪の町は、僕には未知感という面で、東京以上に大きく見えた。
少しの間眺めていると、
『おはよう。』
という声が聞こえて、彼女が起きてきた。
『おはよう。』
『よく眠ってたね。』
『君は何時に起きたの?』
『5時くらいだったと思う。』
『今何時?』
携帯を確認する。
『6時30分だね。』
彼女に一つ聞いておく。
『今日はどこに行くの?』
『まだ秘密。』
『決めてない訳じゃないんだよね?』
『そうだね。』
『正直、昨日よりも今日がメインだからね。』
『そうなんだ。』
『朝食買ってきておいた。』
『何があるの?』
『サンドウィッチかおにぎりが二つかな。』
『どれにする?』
『じゃあ、サンドウィッチ。』
『分かった。』
と言い、袋から取り出して彼女に渡す。
僕もおにぎりを取り出し、簡単に朝食を済ませた。
『チェックアウトは、何時なの?』
携帯に連絡が来ていないか確認しながら彼女に聞く。
『10時だって。』
『そこのパンフレットに書いてあった。』
『分かった。』
『何時に出るの?』
『8時には出たいかな。』
『なら、少しゆっくりしても大丈夫だね。』
『そうだね。』
僕らはそのあと少し雑談をして、
ホテルを後にした。
『どこに行くの?』
『とりあえず大阪駅だね。』
朝の大阪駅は、日曜日ということもあるのだろうが、予想していたほど、混雑はしていなかった。
『どこまで行くの?』
『神戸の板宿っていうところ。』
『目的は言いたくないんだよね?』
『うん。でも、ある。』
その言葉には、彼女の意思のようなものを感じた気がした。
新快速に乗り三宮駅で乗り換え、板宿駅に向かう。
電車の中での彼女は、少し緊張していたように見えた。
そしてそれは、まるで戦場に行く兵士のようだった。
そして今、僕は確信している。
彼女の中にある核心を、僕は覗き見ようとしている事を。
板宿駅は地下にあった。
電車を降り、階段を上り、改札を通って、また階段を上ると、商店街に接した脇道に出た。
彼女が言う。
『じゃあ、行こっか。』
『あぁ。』
僕が肯定を示すと、彼女は迷う事なく歩き出した。ただ、その足取りは、まるで何かを辿っているようだった。
その後、僕は彼女と一言も交わさないまま、ただ、彼女について行った。
商店街を抜け、住宅街に入り、橋を渡り、市役所の前を通り過ぎ坂道を上る。
その足取りはもう、辿っていると言うよりは、
慣れている、と言う方が合っているかもしれなかった。
まだ彼女は止まらない。
四つ目のコンビニを通り過ぎても、大きな池の前を通り過ぎても。
ようやく彼女が立ち止まったのは、
住宅街の中にある、1つの古い空き家の前だった。
『この家がどうかしたの?』
彼女に聞く。
彼女は少しだけだが、確かに頷きこう言った。
『私ね、この家に住んでたの。』
『そうなんだ。』
あえて、その先は聞かないでおく。
少しの間、沈黙が流れた。
少し経って、彼女がまた口を開きかけた瞬間、後ろから声がした。
『あれ?』
『楓ちゃんかい?』
後ろを振り向くと、優しそうなおばあさんが立っていた。
『どうしたの?』
『……』
彼女は黙ったままだ。
どうしたのかと横を向くと、
彼女は、、泣いていた。
するとおばあさんは、僕たちに言った。
『いいわ。』
『上がって行きなさい。』
彼女がおばあさんについて行く。
『君も来なさい。』
と言われ、僕も中に入った。
僕たちは客間に通された。
おばあさんが僕に言った。
『楓ちゃんからは、どこまで聞いてるのかしら?』
『向かいの家に住んでいた、としか聞いていません。』
そう答えると、おばあさんは少し頷き、
今度は彼女に対して聞く。
『どうする?』
『自分で話すかい?』
『うん。』
『自分で話す。』
『そうかい。』
『でも、ゆっくりでいいからね。』
おばあさんはそう言った。
その後、お菓子を取ってくるから、
と言い、家の奥へ消えて行った。
彼女は、まだ俯いたままだ。
少しして、
彼女は少しずつ、話し始めた。
『私ね。』
『うん。』
『親に捨てられたの。』
その言葉を聞いた時、いくつかの違和感が解けて消えた気がした。
新幹線に乗っている時、お好み焼き屋で昼食をとっている時。
普段は明るい彼女だが、その陰でいろいろ悩んでいたのだ。
ゆっくりと頷きその先を促すと、
彼女は途切れ途切れに話してくれた。
『私が小学校二年生の時に、親が離婚して、
私は母さんの方に引き取られたの。』
『ただ、母さんはもともと仕事をしてなかったし、夜もほとんど帰って来なかったから、
小学校3年生の時に、逃げられちゃった。』
『だからね?今は私、一人暮らしなんだ。』
相槌を打ち、
『いくつか聞いてもいいかな?』
と、彼女に問いかける。
『いいよ。』
彼女の肯定を確かめたうえで、聞いた。
『どうして、僕なの?』
『どうして僕を誘ったの?』
『誘う人なら、他にいたはずだ。』
『僕より適した人が、きっといるはずだ。』
そう聞くと、彼女は少し俯き、黙ってしまった。
『私ね、高校に入学してすぐに引き取り先が決まったんだ。』
『だから、遅くても高校二年生になるまでには、引っ越すんだ。』
『決まった時は、少しだけほっとしたけど、そんなに嬉しくもなかった。』
『正直に言えば、どうでもよかった。』
『でも、教室で絵を描いている君を見た時、
よく分からないけど、君になら私の過去を話してもいいのかなって思った。』
『多分、自分の"今"の姿を絵にすることで、自分の過去を描き変えたいって思ってたんだと思う。』
『じゃあ、絵を描いてれば、誰でもよかったってこと?』
『最初はそう思ってた。』
『でも、毎日話すようになってから、もうすぐここを離れるんだと思うと、なぜか、それを拒む自分がいた。』
『だから、この旅に誘ったんだ。』
『でも、僕は風景画しか描いたことないから、
上手く描ける保証はできないよ?』
『そこについては期待してないから大丈夫かな。』
『絵が上手いかどうかじゃなくて、どうしてか分からないけれど、君じゃないとダメな気がするの。』
『でさ、私の絵を描いてくれますか?』
『いいよ。』
『今更断るつもりもないしね。』
『ありがとう。』
彼女はそう言うと、何かを決断したように強く頷いた。
そしておばあさんに礼を言い僕らは家を出た。
『どこで描くの?』
『もちろんこの家。』
彼女はさぞ当たり前かのように、そう言うとズカズカと、彼女の家(元)に入っていく。置いていかれないように自分も付いて行く。
家の中は、所々傷んではいたが幸いにも荒らされたりはしていなかった。
『どの部屋で描くの?』
彼女に聞くと、
『もちろん自分の部屋。』
と、返ってきた。
『もちろんなんだ。』
『もちろんだね。』
そんな事を話していると、前を行く彼女が一つの扉の前で立ち止まった。
そして、扉を開けて中に入る。
中には、色んなものがそのまま残されていた。
『結構残ってるんだね?』
彼女に聞くと、
『母さんに家から追い出されて、そのまま、児童相談所に引き取られたから、荷物はそのままなんだ。』
僕は、その部屋を見渡す。
壁には、2010年の6月を示すカレンダーが掛かっていた。
彼女も、それに気づいて、
『懐かしい。』
と言い、
『これをバックに描いて欲しい。』
と言った。
僕は頷いた後、机の椅子を持ってきてスケッチブックを取り出し、黒鉛筆を取り出す。