いい感じにほろ酔いで、次第に睡魔に乗っ取られてく自分。こてん、と上半身がソファの座面に吸い付いた。
「ハルトさぁん、ダメです~、目がくっつきます~・・・」
「化粧だけでも落とさねーと肌荒れするぞ?」
そう言って隣からいなくなったと思ったら、すぐに戻ってあたしを難なく引っ張り起こす。
「さすがアメニティは充実してるな」
連れて来られたレストルームでスツールに腰掛けさせられ。半分寝ぼけながら、クレンジング美容液がたっぷり染みたコットンでまんべんなく顔中を拭き取られてるんだけども。
脳ミソが幼児化してるのか、されるがまま。持たされた歯ブラシをのそのそ口の中で動かし、何となく着替えまで手伝ってもらったような、もらってないような。
その辺りも夢うつつで、「オヤスミ」ってハルトさんの声と柔軟剤とは違うシーツの匂いに包まれながら。気持ちよく眠りに落ちた。
「・・・ちゃん?きぃちゃん・・・!」
千秋さんの声が目覚ましになるまで、最高の寝心地で。
「きぃちゃん、起きなさい」
耳にっていうより脳に直接ひびいて聞こえた。いつもより低くて、いつもよりはっきりしたトーンで。
「・・・なぁに~、ちあきさぁん・・・?」
自分の部屋のベッドで起こされたと思ってた。シーツの肌触りも違う気はしてたけど、まだ寝ぼけてた。
「着替えて、きぃちゃん。僕と帰るよ」
きがえ・・・?かえる・・・?かえるって・・・どこに~~?
「紀子!」
「ふぁいッ・・・??!」
耳許でした男らしい声に一気に覚醒。ぱっちり目を開ければ、真上から愛しい千秋さんに見下ろされてる。
いつもの笑顔じゃなかった。笑うと目が無くなる可愛い千秋さんとは別人。目が怒ってた。眉間にしわまで寄せて、なんかを堪えてるみたいだった。
「どうしてこんなことしたの?」
コンナコト?
「僕が来なかったら、どうなってたか分からないんだよ?それともあの男が好きになったの?僕より?若くて格好いい彼に惹かれた?」
聞いたこともないような早さで飛び出してくる言葉の弾丸。あの、やんわりのんびりを家に残らず置いてきたのかってくらい。
「きぃちゃんが幸せならいつだって僕は身を引く、きぃちゃんの為なら僕は何だってできる。紀子は誰より幸せにならなきゃ駄目なんだよ?僕じゃ駄目なんだよ僕じゃ・・・!僕じゃ、どうしても紀子より早く死んじゃうんだよ。紀子を独りぼっちになんかしたくない、僕はだから、なのに・・・ッ」
千秋さんの顔が歪んだ。口惜しそうに悲しそうに。そして次の瞬間、息もできない強さで抱き竦められてた。
体温、息遣い、匂い、全部がいきなりのゼロ距離で。ビックリして固まったんだけど、それより何より頭ん中でエコーしてる千秋さんの言葉。
あたしより早く死んじゃうからダメ・・・?独りぼっちにしたくないから?結婚できない理由って・・・そこ?!!
放心状態のあたしに、切羽詰まった千秋さんの声が追い打ちをかけた。
「僕よりもっと若くて、紀子と同じくらい長生きしてくれる人は沢山いる。僕より紀子を愛してくれる人だってきっといる。僕は一生独りだっていい、傍で紀子を見守って生きてくだけでいい、ずっとそう思ってきた。花嫁の父親としてバージンロードを歩くのが僕の役目なんだよ。花婿になっちゃ駄目なんだよ、僕は・・・!」
大きい弾丸、小っちゃい弾丸、撃ち抜かれたあたしは穴ぼこだらけ。それが千秋さんの愛だって思えば思うほど、痛いのか痛くないのかさえ分からない。
お父さんお母さんはずいぶん早くから草葉の陰で娘を見守ってくれてて。血は繋がってないけど家族って呼べるのは千秋さんたった一人。その千秋さんはほんの15年、あたしより先に生まれた。
そう考えたらね、当然お墓に入る順番は決まっちゃうよ?おまけに現代女子は平均寿命も長くて、千秋さんが100歳まで生きても15年くらいは余生があるかもしれない。
千秋さんらしいなぁ、そんな何十年も未来まであたしの心配して。僕が死んだら、って心を痛めて。自分をぜんぶ後回しにして、気持ち殺して、自分じゃない誰かにあたしを任せようとしてたんだ?そっか、・・・そうなんだ。
ほんとにね。こんなに優しくて優しくてあたしを一番愛してくれる人、世界中どこ探しても千秋さんしかいないって、なんで気付かないかなぁ。他の誰かなんて一生見つかるわけないって、カンタンな答えだったのになぁ・・・・・・。
もう。あんまりに千秋さんがマヌケで、愛しくて愛しくて愛しくて。腕を伸ばして勢いよく首っ玉にかじりつく。そのまま力いっぱい引き寄せた。
「紀っ・・・!」
不意打ちでバランスを崩した千秋さんの顔が、横になってるあたしの胸元あたりに沈んだのを。しっかりホールドして離さない。
「千秋さんのバカ」
一周回ってヘタレすぎっ。どこをどうツッコミ入れたらいーのかすら分かんない!
「バカバカバカバカ馬鹿っっ」
渾身の思いを込めて『バカ』を5連発。
「ハルトさんにヤキモチ妬いてる人が、他人任せなんか一生ムリーっっ。よく考えてよ~っ、千秋さんよりあたしを大事にできる男なんかこの世に存在しないってばぁっっ。だいたい家族だってできれば、ほんとの独りぼっちになんないでしょーっ?!」
愛するダンナ様に先立たれても子供とか孫とか。きっと今際の際を看取ってくれる誰かがいるから!
「いい加減あきらめて、あたしの夢を叶えてよーっ。千秋さんのお嫁さんになることしか考えてないんだからねぇぇっっ」
いつの間にか最後のほうは泣き落とし。でも必死だった、千秋さんに分かって欲しくて。もう後がない気がして。
首っ玉にかじりついてた腕に、知らず力が入り過ぎてるのも気付かなかったあたし。呻き声に慌てて降参のポーズで固まる。
「ご、ごめんね千秋さんっっ、大丈夫ッ?!」
「・・・・・・うん。大丈夫」
顔を埋めたまま、あたしに覆い被さった体勢で弱弱しく返った。
千秋さんの重みをこんな風に受け止めるなんて初めて。心地いいのと心臓が落ち着かないのとで、急に戸惑いが大爆発。でも、どいて欲しくない。なんかワケ分かんない感情が昂ってきてる。
「・・・きぃちゃん」
「ハ、ハイッ?」
響く、素っ頓狂にひっくり返った声。
「僕はどうしたらいい・・・?」
千秋さんがどんな顔して言ったのか。見えなくて、胸がぎゅっと締め付けられた。
「もし子供が成長する前に僕になにかあったら・・・?その頃にはもう還暦なんだよ、家族の生活を支えられてる保証だってない。紀子にそんな苦労させるくらいなら僕は」
「苦労なんかじゃないよ千秋さん」
無意識に手を伸ばし、うつ伏せた千秋さんの髪を撫でる。弱音を吐いて縋るみたいな仕草が可愛くて、可愛くて可愛くて。かじりついて食べちゃいたい。
「それってあたしの受け止め方ひとつって思うんだよねぇ。好きな人を想ってするコトならぜーんぶ、『嬉しい』になるんだから!」
言ってるあたしは自然と笑顔を綻ばせ、千秋さんは大人しくされるがまま。
「もし子供ができなくても、先に死んじゃってもねぇ、千秋さんがいっぱいいっぱい愛してくれたら、それだけでご飯おかわりできるんだから、あたし。寂しくないよ?絶対シアワセだよ?千秋さんにしかできないよ?」
「・・・でも」
「でもじゃなーい」
「だって」
「だっても聞かなーい」
「・・・・・・僕は紀子を幸せにできる?」
「しつこい~」
小さく吹き出して。
「・・・万里子さん怒るね、約束破った・・・って。ヒロ兄ちゃんの代わりにバージンロード歩いてって、あんなに頼まれたのに・・・」
「お母さんだったら、娘が世界一好きで好きでしょーがない相手と結婚してほしいに決まってる」
だからね?
「町田千秋さん、これからもずっと一緒にいるためにあたしと結婚する覚悟、しちゃってくださいっ」