悲しみや苦しみを感じる事が出来なくなれば、僕はこんなに辛い毎日を過ごさなくてもすむものなのだろうか。けれど同時にそれは嬉しさや喜びも捨ててしまう事に繋がるのだろうか。それならば僕はもう少し、人間の感情を捨てないでみよう。幸せになりたいと願う事は誰にでも平等に与えられている権利なのだから。

僕が朝、目を覚ますのは、まだ家族の皆が寝静まっている時間だ。母にキンキンした声で怒鳴られながら起こされるのは怖かったし、そもそも最近母は僕が学校に遅れない様に起こす事なんかしない。例えば今日、学校を休んで部屋で寝ていても何にも言わないだろう。子供に関心がないのだ。父はと言えば、浮気相手に夢中で家にいる事は大概ない。たまに夜、顔を合わせる事があるが、「勉強やっているか?」とか「学校はどうだ?」とか当たり障りのない話をするだけである。

僕はそれを一人で我慢する。

そうして、早起きした朝は決まって何故僕が生きているのか考えてみる。僕は母のお腹の中から必死にこの世に産まれてきた。小さかった僕にミルクを与えてくれたのは母だったし、ミルク代を稼いできてくれたのは父だ。それに学校に通わせて貰っているのも事実である。だから僕は両親に反抗なんかできない。

でもたまに何ともいえない寂しさに襲われる。