四十五話 乙霧の見解


「ただ『呪言』の影響であっても、それを目的にした『呪言』ではなかったと私は考えております」


 貸し与えられた一室に敷かれた布団の上で、上体を起こした乙霧が、甲斐甲斐しく自分を世話し続ける時雨に含めるように話を聞かせていた。時雨の隣では、蟒蛇(うわばみ)が眼を細めて、楽しそうに二人を見比べている。
 

「鉄脚の八犬士が最後に見せた『呪言』は、殺す気で放たれた……そうですね?」


 乙霧が蟒蛇に問う。


「ああ、間違いない。実際二人は心の臓が止まっていた。わざわざ破顔丸が頭を潰していたが、死んでおったのはあの最後の『呪言』とやらの為だな。……あれは痺れたな。フフフ、今思い出してもぞくぞくする」


 蟒蛇の気ちがいじみた発言に、破顔丸を思い出したのか、乙霧の顔が引きつる。


「ご安心ください、乙霧殿! この者は昔からこうです。昔から変人なのです! 『呪言』とやらのせいではございません!」


 乙霧を安心させようと、時雨が語気を強めてそう言う。


「容赦がないなぁ、時雨は」


 なぜか嬉しそうにそう言うと、乙霧に視線を戻す。


「奴の雷の如き力は、銅線を伝っておったようじゃが、その銅線の一番側にいたのが破顔丸じゃ。奴の『呪言』は破顔丸を通過してから、俺たちに届いた。破顔丸が盾にでもなったのかもしれんぞ」

 
 蟒蛇の言葉に乙霧は頷く。


「盾。それは言いえて妙でございます。まさにその通りだったのでございましょう。破顔丸様は皆様よりも先にかの者の『呪言』を受けた。本来なら皆様にいく分までも……。命はとりとめたものの、頭の中に致命傷を負った。そういうことなのでございましょう」


 乙霧は言いながら頷く。それならば、現場を確認した一夜衆の報告と一致する。


「そんなことよりだ……フフフ」


 蟒蛇が身を乗り出し、顔をグッと乙霧によせる。
 予想外の蟒蛇の行動に、乙霧は蛇に睨まれた蛙の如く、身動きひとつできなかった。


「あっ! こら!」


 時雨が慌てて蟒蛇の肩を掴み、身を引かせようとするが、力の差は歴然。蟒蛇はそこからピクリとも動かない。


「いいなぁ、お前の毒。俺も欲しいなぁ。人から正気を奪うなんて素晴らしいではないか」


 瞳を爛々と輝かせる蟒蛇に耐えきれず、乙霧は蟒蛇から眼を逸らす。


「わ、私のは毒などでは―――――」

「いいや、毒さ。……お前、たぶん一夜で秘伝に当たるような薬を試されたんだろう?」


 乙霧の顔色が変わったのを蟒蛇は見逃さない。


「やっぱりな。いいなぁ。俺もいろんな草やら実を試してはみたんだが、いまだにこの身を毒に変えるにはいたっておらん。……いささか気に喰わんが、やはり煎十郎に調合させるか。あやつの力は借りたくないんだがなぁ」


 なにやら考え込み始めた蟒蛇の肩を、乙霧はいまだに引っ張り続けていた時雨に力を貸すように押す。


「そ、それよりも、巨漢の八犬士の腕にはまっていたと思われる棒が無くなっていたというのは、真でございましょうか?」


 これまでに集まった情報により、昨夜城下で蟒蛇が遭遇した八犬士二人のうちの一人、巨漢の八犬士が、両腕にはめ込んだ棒のようなもので、弓矢を引き寄せるということは掴んでいた。ところが、昨夜死んだ巨漢の男を調べると、棒手裏剣を引き寄せたという事実はあったのに、両腕の内側の窪みには、肝心の棒が見つからなかったと、先程蟒蛇から聞いたばかりだ。
 

「ああ。静馬の指示で、風魔衆が城下の巡回がてら捜索しておるが、いまだに見つかったという報せは届いておらぬ。……やはり、大事か?」


 乙霧が頷く。


「男の身体に半珠は……光輝く珠はありましたか?」

「……いや、なかったな」


 乙霧は少しばかり考え込む素振りを見せたが、すぐに言葉を紡ぐ。


「……鉄足は両脚のつけ根。老人は両目。馬に跨った男は股間のつけ根の上下。大口の者は舌と胸。小太郎様のお屋敷を焼いた二人のうち、女は両乳首。男は喉とうなじ」


 乙霧の言葉に時雨が首を捻る。


「なんの話でございますか?」

「八犬士が半珠を埋め込んでいた位置にございます。おそらくは、かつて初代八犬士が手にしていたという八つの珠の割れた姿。そしてそれこそが八犬士の『呪言』の力の源かと……。いまだに姿を見せぬ最後の一人はわかりませんが、正体の知れている者で巨漢だけがそれを体に埋め込んではいなかった。そして、腕にはめ込んでいた筈の棒が無くなった」


 ようやく身を引いた蟒蛇が、眼つきを鋭いものに変える。


「まさか、あの男の『呪言』の力はまだ生きていると?」


 乙霧は難しい顔をして首を横に振る。


「わかりませぬ。男の腕から棒が消えたことが何を意味するのか、いまは皆目見当がつきませぬ。……ただそれが、これまで方法に予測のたてられなかった八犬士の最後の目的に達する方法。それに繋がっている気がしてならないのです」


 そう言って乙霧は、小田原城のある方角に目を向けて、楽しそうに笑った。