四十四話 小太郎の誤算
時間がないのは敵。されど焦るのはこちら。
昨日より急がせている大勢の職人たちの作業を監督しつつ、やるせない気持ちになるのを小太郎は抑えきれなかった。
乙霧曰く、敵の目的は見当がつけど、その術はいまだわからず。
であるからして、いま職人たちに行わせている作業は、敵の行動を未然に防ぐための対策ではなく、相手が事をなした時の被害を最小限に留めるための準備ということらしい。それも無駄に終わる可能性さえある。
なんとももどかしい話ではあるが、八犬士の残りの三人の居所が掴めぬ以上、警戒を強める以外に防衛策がない。とりあえず八犬士の探索は捨てた。昨日だけで、八人の風魔衆が死んでいるのだ。手広くはできない。敵の最終目標である小田原内の防衛にのみ力を注ぎ、残り三人の八犬士を迎え撃つ。
ままならない八犬士のとの戦であるが、それ以上に小太郎をやるせなくさせているのは、自身の後継問題。
明言したわけではないが、頭の中で候補として扱うことに決めていた者達のうち二人、昨日のうちに命を落としている。
「頭領、作業の進展はいかがでございますか」
自身の組の指揮もとらず、のんびりと小太郎に歩み寄って来た静馬が尋ねる。
小太郎は作業から眼を離さぬまま、質問に質問で返す。
「乙霧の容体は?」
「落ち着いてきたようでござるな。保護した時には、かすり傷以外に外傷はないようでしたし、破顔丸に襲われた恐怖もだいぶ薄れたようにございます。いまはどちらかというと時雨殿の方がいけない。自分が頭領の役目を全うしていなかったが故に、今回の一件が起きたと、自分を責めております。むしろ一緒にいたら、無事では済まなかったと思いますがな」
「……そうか」
時雨に関しても、小太郎は責める気にはならなかった。時雨が体調不良と申告し、乙霧の世話役から離れた原因がわかっているからである。風魔の頭領としては叱責するべきかもしれないが、一人の父親としては謝罪した気持ちがある。
生き残った八犬士探索組の風魔衆から報告のあった破顔丸の乱心。小太郎にとって、風魔の里を襲われたことよりも、般若が氏政の軍に残ったことよりも、はるかに誤算であった。
昨夜破顔丸が乱心し、配下の風魔衆三人を殺したうえ、乙霧を襲うべく姿を消したと報せを受けた時には、目の前が真っ暗になったものである。
確かに戻ってきてからの破顔丸の様子はどことなくおかしいとは感じていた。
もともと気性の荒いところはあったが、理性も充分に持ち合わせている男であったのだ。ただ、一昨日の晩に戻ってきた破顔丸の言動は、いささか思慮にかけていた。しかしそれは、道中で八犬士と争った興奮を引きずっていたり、五代目小太郎になるための意気込みが勝ちすぎているのであろうと放っておいたのである。
それがこんなことになろうとは……。
多少の問題はあれど、破顔丸は兄である般若と共に、次代の風魔の頭領候補として小太郎の頭にあったことは間違いない。
だが、小太郎のもとに駆け込んできた風魔衆の酷い有様を見て疑うこともできず、小太郎は自ら乙霧の保護のために、静馬、蟒蛇、時雨を連れ、戻った風魔衆に案内をさせて現場へと向かったのだ。
「静馬、お主はいつ頃から破顔丸の異変に気づいておった」
「……一昨日、小田原についた頃でしょうか。少し様子がおかしいなと思った程度でしたが」
「……そうか」
「申し訳ござらん。確信まではもてなかったので。乙霧殿に軽く注意を促すに止め申した」
「良い。わしも気が昂っておるのだろうと高を括っておった」
小太郎は、ようやく静馬に眼を向ける。
「静馬、お主はどう見ておる? これも奴らの……」
「……『呪言』の影響でございましょうな」
口ごもった小太郎の言葉を引き継いで、静馬が重々しく頷いた。
時間がないのは敵。されど焦るのはこちら。
昨日より急がせている大勢の職人たちの作業を監督しつつ、やるせない気持ちになるのを小太郎は抑えきれなかった。
乙霧曰く、敵の目的は見当がつけど、その術はいまだわからず。
であるからして、いま職人たちに行わせている作業は、敵の行動を未然に防ぐための対策ではなく、相手が事をなした時の被害を最小限に留めるための準備ということらしい。それも無駄に終わる可能性さえある。
なんとももどかしい話ではあるが、八犬士の残りの三人の居所が掴めぬ以上、警戒を強める以外に防衛策がない。とりあえず八犬士の探索は捨てた。昨日だけで、八人の風魔衆が死んでいるのだ。手広くはできない。敵の最終目標である小田原内の防衛にのみ力を注ぎ、残り三人の八犬士を迎え撃つ。
ままならない八犬士のとの戦であるが、それ以上に小太郎をやるせなくさせているのは、自身の後継問題。
明言したわけではないが、頭の中で候補として扱うことに決めていた者達のうち二人、昨日のうちに命を落としている。
「頭領、作業の進展はいかがでございますか」
自身の組の指揮もとらず、のんびりと小太郎に歩み寄って来た静馬が尋ねる。
小太郎は作業から眼を離さぬまま、質問に質問で返す。
「乙霧の容体は?」
「落ち着いてきたようでござるな。保護した時には、かすり傷以外に外傷はないようでしたし、破顔丸に襲われた恐怖もだいぶ薄れたようにございます。いまはどちらかというと時雨殿の方がいけない。自分が頭領の役目を全うしていなかったが故に、今回の一件が起きたと、自分を責めております。むしろ一緒にいたら、無事では済まなかったと思いますがな」
「……そうか」
時雨に関しても、小太郎は責める気にはならなかった。時雨が体調不良と申告し、乙霧の世話役から離れた原因がわかっているからである。風魔の頭領としては叱責するべきかもしれないが、一人の父親としては謝罪した気持ちがある。
生き残った八犬士探索組の風魔衆から報告のあった破顔丸の乱心。小太郎にとって、風魔の里を襲われたことよりも、般若が氏政の軍に残ったことよりも、はるかに誤算であった。
昨夜破顔丸が乱心し、配下の風魔衆三人を殺したうえ、乙霧を襲うべく姿を消したと報せを受けた時には、目の前が真っ暗になったものである。
確かに戻ってきてからの破顔丸の様子はどことなくおかしいとは感じていた。
もともと気性の荒いところはあったが、理性も充分に持ち合わせている男であったのだ。ただ、一昨日の晩に戻ってきた破顔丸の言動は、いささか思慮にかけていた。しかしそれは、道中で八犬士と争った興奮を引きずっていたり、五代目小太郎になるための意気込みが勝ちすぎているのであろうと放っておいたのである。
それがこんなことになろうとは……。
多少の問題はあれど、破顔丸は兄である般若と共に、次代の風魔の頭領候補として小太郎の頭にあったことは間違いない。
だが、小太郎のもとに駆け込んできた風魔衆の酷い有様を見て疑うこともできず、小太郎は自ら乙霧の保護のために、静馬、蟒蛇、時雨を連れ、戻った風魔衆に案内をさせて現場へと向かったのだ。
「静馬、お主はいつ頃から破顔丸の異変に気づいておった」
「……一昨日、小田原についた頃でしょうか。少し様子がおかしいなと思った程度でしたが」
「……そうか」
「申し訳ござらん。確信まではもてなかったので。乙霧殿に軽く注意を促すに止め申した」
「良い。わしも気が昂っておるのだろうと高を括っておった」
小太郎は、ようやく静馬に眼を向ける。
「静馬、お主はどう見ておる? これも奴らの……」
「……『呪言』の影響でございましょうな」
口ごもった小太郎の言葉を引き継いで、静馬が重々しく頷いた。