三十七話 太助、最後の戦い


 足を岩から引き抜こうと奮戦する太助の背後で、急峻な崖をこともなげに駆け下りた風魔衆が四人、それぞれの獲物を引き抜き油断なくかまえる。
 太助の連射砲の威力を目の当たりにしたためか、太助が背後を振り返れないというのに、六(けん)(約10m)程も距離をとっている。


「まったく、驚かせおって。飛び道具はやめだ。この我聞(がもん)が直接首を掻っ切ってくれる!」


 この組を率いる諸岡我聞が、小振りの曲刀を片手に大声を張り上げるが、いかんせん、距離がありすぎる。太助を、八犬士を恐れているのが火を見るよりも明らかであった。腕がたつとはいっても、虚栄心に溢れた半人前。安兵衛と太助。二人の『呪言』は我聞の心にしっかりと恐怖心を植え込んでいる。


「やれるもんならやってみな!」


 太助の声にはまだゆとりがある。


「くっ! 正面にしか撃てんくせに生意気な!」


 我聞がそういって距離を詰めようとした瞬間、太助と目が合った。
 太助が天に向けて連射砲を撃った時以上に体を反らしたのだ。岩と化した泥より生えし足二本と、頭の頂点の三点で身体を支えると、銃砲身が上半身に引っ張られるようにしてグルんと向きを変え、太助のまだ辛うじて盛りあがっている腹を土台にして、我聞達にその黒光りした銃口をみせつける。


「ひっ!」


我聞の口から悲鳴が零れ出る。連射砲のとんでもない威力を、すでに二度も見せつけられているのだ。あんなものに狙われては命がいくつあっても足りない。


「散れ! こやつの呪いは一方向にしか撃てん!」


 我聞が率先して、銃口を避けるように横に飛ぶ。他の風魔衆も慌ててそれにならう。
 太助の『呪言』は、本来身動きのとりずらい集団の中心に向けて撃つのが効率的である。その重さから、呪いで強化した筋肉をもってしても、相手の動きに合わせて柔軟に銃砲身を動かすような真似は出来ないのだ。三日前の北条の別働隊との戦闘のおり、伏せた相手にまったく照準を合わせられなかったのがその証拠だ。萩の力を借りてさえ、左右のどちらかに向きをかえるのがせいぜいであった。しかも、こんな無理な体勢では撃った反動でその度に銃砲身がぶれる。とてもではないが正確な射撃などできようはずもない。そう、できないのだ射撃は……。


「撃たねえよ。……我、義を貫く為、我が命をもって()となさん!」


 ここにきての『呪言』の重ねがけ。二つの半珠の輝きが増し、鉄の銃砲身が、連射を可能にしていた銃口の部分もろとも二つに割れ、岩と化した泥の上に乾いた音をたてて落ちる。
 そして姿を現したのは、赤く輝く、太く長い一本の鍛え上げられし筋肉。その先端には眼を凝らしてようやく見える線のように細い鯉口。


「おうりゃぁぁぁぁ!」


 太助が吠えると同時に、赤き筋肉が天に向かって突き上げられ、鯉口より薄く研ぎ澄まされた水が、連射砲の弾として打ち出された時よりもはるかに勢いよく噴き出す。その姿はまるで刀。陽の光を受け輝く一本の水の刀。
 その刀を、太助の鍛え上げられた筋肉が、地面に水平に、太助を中心に円を描くように振るった。 
 刃物のように薄く研ぎ澄まされ、勢いよく射出された水は、金剛石さえも……斬る。
 臆病さゆえか、真っ先に危険を感じた我聞は、その場に立ち止まり、腰を落して脚に力をいれると、体の横に曲刀をたてて構え、その刃で水を受けた。
 甲高い音が響き、曲刀が紐のように斬れる。されど水の刃は勢いを失うことなく、我聞の体を何事もないかのように通過する。暫しの沈黙。我聞の顔に驚きの表情を浮かぶ。その表情のまま、我聞の(へそ)から上が、下半身をその場に残し後方に倒れた。他の風魔衆も同様に、水の刃を躱せず、声をあげることもなく、体を二つにされて地面に転がる。
 体勢的に上を見あげやすかった太助は、崖の上にまだ一人残っているのを見つけた。
 太助は気力を振り絞り、まだ出続けている水の刃を崖に向かって振う。風魔衆が駆け下りてきた斜面に傷が走り、崖の上部がずり落ちる。
 ずり落ちる地面に乗っていた人物が、あっと声をあげ、飛び退くこともできずにそのまま地面と一緒に落ちてきた。落ちた地面が、がけ下で砕け散る一瞬前、人影が飛ぶ。
 だが、人影は跳んだ勢いを殺せず、動けない太助の足元まで転がってくる。
 太助が上体を起こし、刀身を失った筋肉を転がって来た者に叩きつけた。
 

「ううっ」


 聞こえたのは女の呻き声。
 筋肉の脇から、顔が見えた。
『呪言』の力をその身に宿す前のお信磨を彷彿とさせるほどの、美しい女。


「お前も風魔か」


 女は答えない。答えないことが肯定の証しであろう。そもそも無関係の女があんな所にいるはずもない。
 殺す。女だろうと、どんなに美しかろうと。風魔は殺す。
 太助は生き残り、萩を逃がさなければならないのだ。水は失ったが、この筋肉の力をもってすれば、こんな細い女の一人や二人、叩き潰すことなど造作もない。


(そうだ造作も……な……抱きたい)


 太助は突然降ってわいた自分の思考に驚き、強く頭を振った。
 なにを考えているのだ。こんな時に。俺には萩がいる。この女は敵だ。
 ……だが、この女はとても良い匂いがする。
 そう思った瞬間太助の筋肉が持ち上がった。女が持ち上げたのではない。この女の細腕で持ち上げられる代物ではない。かといって太助が自らの意思で持ち上げた訳でもない。
 陰茎だ。太助の筋肉の中に芯のように存在している埋もれた陰茎。
 これがこの女の匂いに反応した。
 女が筋肉を肩で押し上げるようにして立ち上がった。
 太助の筋肉が、太助の細くなった身体に密着し、顎を押し上げる。


「私を抱きたいですか」


 女が太助の耳元で囁く。太助の頭が痺れた。女の言葉が頭の中で何度も何度も繰り返される。すでに自分が人間の女と交わることができないことも忘れ、この女を抱きたいという願望だけで、頭の中が埋め尽くされる。


「……抱く。抱くぞ。俺はお前を絶対に抱く!」


 女が笑った。その笑みに込められた意味を考える理性を、太助はすでに失っていた。


「私にお任せくださいませ」


 女が太助の筋肉に人差し指を当てた。


「さあ、貴方様の子種をそそいでくださいまし」


 女が指を、筋肉の上で艶めかしく動かした。


「おほう!」


 直接触れられた訳でもないのに陰茎を突き抜ける快感の波。
 太助の筋肉が打ち震え、鯉口より白き刃が飛び出し、太助の顎下から頭の頂点までを刺し貫く。
 皮肉にも、己が命を未来へと紡ぐ為のものが、太助の未来を摘み取る。
 女が太助から身を離した。 
 白き刃がどろりと形をなくし、太助の血と混ざり合い、足元を固められ、倒れることすら許されぬ太助の身体に、桜色の牡丹の花を咲かせた。
 倒れたままの萩が切なそうな鳴き声をあげる。
 その声を聞きつけた女は、風魔衆が落した忍刀の一本を拾い上げる。


「子も宿せぬ相手に懸想する気持ちは、まったくわかりませんが……せめて一緒に送ってあげましょう」


 男を魅了する笑みを顔に貼り付けたまま、女は萩に向かって、ゆっくりと歩きだした。