三十四話 謀
小田原の領内を馬群が走り回っている。その報せが風魔屋敷に届くと、乙霧は囮の可能性が高いので城下町の警戒を強めるように小太郎に進言し、自身は乙霧の指示に従うようにと小太郎に一筆したためてもらったうえで、一夜の忍びに届けさせた道具を乗せた荷車を連絡組の二人に牽かせつつ、馬群を追いかけ移動していた探索方組頭の諸岡我聞と合流した。
「どこを通るかわからん連中に、罠など仕掛けようがないではないか。それよりも、連中の後を追い、休憩に入ったところを急襲する方が確実だ」
我聞の意見を聞いて、乙霧は内心舌を巻いていた。
この言葉を乙霧が聞いたのは、二度目だったからだ。
静馬が我聞ならばこう言うだろうと、笑いながら言っていたことと寸分違わない。我聞は組頭に指名された者達の中では、実力的に若干見劣りがする。そのせいか、策を弄することを嫌い、正面から相手を倒して手柄をあげたがる傾向がある……らしい。
これが知識の差か……森羅万象に関わる知識ならば、一夜で育った乙霧は風魔で育った静馬よりはるかに持っている。だが風魔に関しては、当たり前だが静馬の知識の方がはるかに上。そして彼にはそれを活用する知恵がある。なぜあの一団をまとめているのが静馬ではなく、あの頭の悪そうな破顔丸なのか、乙霧にはわからない。だからこそ、静馬が破顔丸に対して言っていたことが気になっている。
『一昨日まではあそこまで酷くなかった。粗暴で短慮ではあるが、少なくとも頭領になりたがっていたからな。小太郎様の指示には従順だったし、反対意見を聞いたのも、昨日が初めてやもしれん』
だからできる限り破顔丸には近づくなと、静馬は乙霧に忠告したのである。
昨晩静馬の面子を潰すようなことを言い放った乙霧に、まったく思うところはなさそうだ。いまいち何を考えているのかわからぬ男だった。
まあいいと乙霧は頭を切り替える。味方に何を考えているかわからぬ相手がいるのは不安ではあるが、いまは目の前のこの虚栄心の強い男を言いくるめる方が先決だ。
「追いかけるのは北条家のご家来衆におまかせなされ。風魔が追い掛け回すのは彼らの思うつぼ。怪しまれないように、一人二人をご家来衆の案内役として目立たせれば十分にございます」
我門が露骨に嫌そうな顔を見せる。
「ええい、敵が目の前をうろちょろしておるのに、手をこまねいてどうする。敵は討てる時に俺が討つ」
やっぱりそれか。乙霧はため息をつくのすら面倒になるほど呆れた。
阿呆めと、乙霧は胸の中で毒づく。昨日たった一人の八犬士に、目の前で六人を倒されたのを忘れたのか。もっとも、一夜の調べでは、捨て置かれた風魔の死体は全て頭を砕かれていたそうだから、止めを刺したのは八犬士ではないのだろうが……。
彼我の戦力差を懇々と諭してやろうかとも思ったがやめた。時間が惜しい。
乙霧は小太郎にしたためてもらった書状を我聞に見せる。
「口論している時はありませぬ。そこに書かれている通り、私の指示に従っていただきます。……あなたが小太郎様でありましたら、ご自分の指示に従わぬものを評価されるとお思いか」
我聞は黙り込んだ。四代目小太郎は狭量ではないが、頭領の命に従わぬ者がでては他の者に示しがつくまい。結局、我聞は折れた。
「しかし、どこに罠を仕掛けるというのだ。奴らがどこを通るかなどわからんぞ。それこそ城下に隙をみて襲いかかるつもりかもしれん」
「仕掛けるに良き場所の目途はすでにたてております。ついてきてください」
我聞は場所を決めた理由を聞きたがったが、乙霧はあえて無視し、我聞に近づかれないようにそくさくと先頭きって歩き始める。
小太郎のもとに届いた報せによれば、馬群の中で人を乗せていたのは先頭を走る馬ただ一頭。八犬士に壊滅された部隊の生き残りの情報にあった巨馬に跨る八犬士であろう。連射が可能な鉄砲を股間から生やしているという、担がれているとしか思えない『呪言』の使い手。
他に人を乗せている馬がいないとなると、この八犬士は囮とみて間違いないだろう。
おそらく、他の八犬士が騒動にまぎれて小田原に入りこむ算段なのだろう。一番厄介なのはいまだに確認できない最後の八犬士だ。乙霧の予想通り姿を消す呪いだったとしても、厄介なことにかわりはない。
ただ、それだけならば一応の対応策を小太郎に示唆したから、行動範囲の限られる屋内であれば、なんとかできる可能性は低いながらもある。それならば、小田原に残ってその八犬士を待つよりも、先に姿を見せた八犬士をなんとかしたほうが良いと思い、我聞に合流したのだ。
この八犬士の『呪言』は、敵の正面に立つのを避ければよい。しかも話から推測するに、下方に向かって撃つことも困難のようである。援護する仲間がいない間に仕留めてしまうのが安全で確実だ。
罠を仕掛ける場所は、風魔の里からそう離れていない箱根山の谷あいの道を考えている。あとはそこに囮の八犬士を誘導してやればよい。
囮役としては、小田原の兵が追ってこなければ不安になる。おそらく、軽くちょっかいをだしてくる。小田原を警備する風魔衆には、持ち場を離れないようにしてもらい、追いかけるのは北条兵に任せる。我聞の部下を一人、北条兵の案内役としてつけ、残りは要所に配置し、罠を仕掛けた道へと自然に進むように仕向ければよい。風魔衆なら指示の出し方を間違えなければ、上手くこなしてくれるだろう。
囮役が罠にかかった後は、望み通り我聞に手柄をたてさせてやればいい。
我聞も阿呆とはいえ、小太郎に腕を認められるくらいだ、身動きのとれない相手くらいは討ち取れるであろう。
目的地にたどり着き、手柄をたてられると聞いた我聞は、張りきって部下たちに指示をだし、自身も積極的に罠の準備にとりかかった。
本当なら、ここだけではなく、複数の場所に罠を仕掛けたかったが、時間も道具も人も足りないとあっては、ここ一ヶ所にかけるしかない。相手もこちら同様、時間も道具も人も足りないことを考えれば、上手く立ち回れば誘導するのは難しくはない。実際に誘導する実務に関しては、風魔衆の実力を疑ってはいない。一夜の忍びに依頼するより、よっぽど安心していられる。
それにしても、用意してもらった物が無駄にならなくてよかった。罠には、一昨日に一夜に連絡し用意してもらった特殊な土を用いて罠を仕掛ける。かなり稀少なものであるが、一夜は情報だけではなく、物を集めることも得意としている。なんとか狭い道に敷き詰めることができる分くらいは集まった。本当は、迅雷のごとく動くという八犬士対策で頼んでいた物だが、偶然にも我聞たちが倒してしまっている。高い機動力を有する者がもう一人いたことは僥倖であった。
「さて、戦いは本来、一夜の望むものではありませんが、私と煎十郎様の未来のために、贄になっていただきましょうか」
乙霧は、彼女の指示でせっせと水と砂利と土をかき交ぜる風魔衆を、ほくそ笑みながら見ていた。
小田原の領内を馬群が走り回っている。その報せが風魔屋敷に届くと、乙霧は囮の可能性が高いので城下町の警戒を強めるように小太郎に進言し、自身は乙霧の指示に従うようにと小太郎に一筆したためてもらったうえで、一夜の忍びに届けさせた道具を乗せた荷車を連絡組の二人に牽かせつつ、馬群を追いかけ移動していた探索方組頭の諸岡我聞と合流した。
「どこを通るかわからん連中に、罠など仕掛けようがないではないか。それよりも、連中の後を追い、休憩に入ったところを急襲する方が確実だ」
我聞の意見を聞いて、乙霧は内心舌を巻いていた。
この言葉を乙霧が聞いたのは、二度目だったからだ。
静馬が我聞ならばこう言うだろうと、笑いながら言っていたことと寸分違わない。我聞は組頭に指名された者達の中では、実力的に若干見劣りがする。そのせいか、策を弄することを嫌い、正面から相手を倒して手柄をあげたがる傾向がある……らしい。
これが知識の差か……森羅万象に関わる知識ならば、一夜で育った乙霧は風魔で育った静馬よりはるかに持っている。だが風魔に関しては、当たり前だが静馬の知識の方がはるかに上。そして彼にはそれを活用する知恵がある。なぜあの一団をまとめているのが静馬ではなく、あの頭の悪そうな破顔丸なのか、乙霧にはわからない。だからこそ、静馬が破顔丸に対して言っていたことが気になっている。
『一昨日まではあそこまで酷くなかった。粗暴で短慮ではあるが、少なくとも頭領になりたがっていたからな。小太郎様の指示には従順だったし、反対意見を聞いたのも、昨日が初めてやもしれん』
だからできる限り破顔丸には近づくなと、静馬は乙霧に忠告したのである。
昨晩静馬の面子を潰すようなことを言い放った乙霧に、まったく思うところはなさそうだ。いまいち何を考えているのかわからぬ男だった。
まあいいと乙霧は頭を切り替える。味方に何を考えているかわからぬ相手がいるのは不安ではあるが、いまは目の前のこの虚栄心の強い男を言いくるめる方が先決だ。
「追いかけるのは北条家のご家来衆におまかせなされ。風魔が追い掛け回すのは彼らの思うつぼ。怪しまれないように、一人二人をご家来衆の案内役として目立たせれば十分にございます」
我門が露骨に嫌そうな顔を見せる。
「ええい、敵が目の前をうろちょろしておるのに、手をこまねいてどうする。敵は討てる時に俺が討つ」
やっぱりそれか。乙霧はため息をつくのすら面倒になるほど呆れた。
阿呆めと、乙霧は胸の中で毒づく。昨日たった一人の八犬士に、目の前で六人を倒されたのを忘れたのか。もっとも、一夜の調べでは、捨て置かれた風魔の死体は全て頭を砕かれていたそうだから、止めを刺したのは八犬士ではないのだろうが……。
彼我の戦力差を懇々と諭してやろうかとも思ったがやめた。時間が惜しい。
乙霧は小太郎にしたためてもらった書状を我聞に見せる。
「口論している時はありませぬ。そこに書かれている通り、私の指示に従っていただきます。……あなたが小太郎様でありましたら、ご自分の指示に従わぬものを評価されるとお思いか」
我聞は黙り込んだ。四代目小太郎は狭量ではないが、頭領の命に従わぬ者がでては他の者に示しがつくまい。結局、我聞は折れた。
「しかし、どこに罠を仕掛けるというのだ。奴らがどこを通るかなどわからんぞ。それこそ城下に隙をみて襲いかかるつもりかもしれん」
「仕掛けるに良き場所の目途はすでにたてております。ついてきてください」
我聞は場所を決めた理由を聞きたがったが、乙霧はあえて無視し、我聞に近づかれないようにそくさくと先頭きって歩き始める。
小太郎のもとに届いた報せによれば、馬群の中で人を乗せていたのは先頭を走る馬ただ一頭。八犬士に壊滅された部隊の生き残りの情報にあった巨馬に跨る八犬士であろう。連射が可能な鉄砲を股間から生やしているという、担がれているとしか思えない『呪言』の使い手。
他に人を乗せている馬がいないとなると、この八犬士は囮とみて間違いないだろう。
おそらく、他の八犬士が騒動にまぎれて小田原に入りこむ算段なのだろう。一番厄介なのはいまだに確認できない最後の八犬士だ。乙霧の予想通り姿を消す呪いだったとしても、厄介なことにかわりはない。
ただ、それだけならば一応の対応策を小太郎に示唆したから、行動範囲の限られる屋内であれば、なんとかできる可能性は低いながらもある。それならば、小田原に残ってその八犬士を待つよりも、先に姿を見せた八犬士をなんとかしたほうが良いと思い、我聞に合流したのだ。
この八犬士の『呪言』は、敵の正面に立つのを避ければよい。しかも話から推測するに、下方に向かって撃つことも困難のようである。援護する仲間がいない間に仕留めてしまうのが安全で確実だ。
罠を仕掛ける場所は、風魔の里からそう離れていない箱根山の谷あいの道を考えている。あとはそこに囮の八犬士を誘導してやればよい。
囮役としては、小田原の兵が追ってこなければ不安になる。おそらく、軽くちょっかいをだしてくる。小田原を警備する風魔衆には、持ち場を離れないようにしてもらい、追いかけるのは北条兵に任せる。我聞の部下を一人、北条兵の案内役としてつけ、残りは要所に配置し、罠を仕掛けた道へと自然に進むように仕向ければよい。風魔衆なら指示の出し方を間違えなければ、上手くこなしてくれるだろう。
囮役が罠にかかった後は、望み通り我聞に手柄をたてさせてやればいい。
我聞も阿呆とはいえ、小太郎に腕を認められるくらいだ、身動きのとれない相手くらいは討ち取れるであろう。
目的地にたどり着き、手柄をたてられると聞いた我聞は、張りきって部下たちに指示をだし、自身も積極的に罠の準備にとりかかった。
本当なら、ここだけではなく、複数の場所に罠を仕掛けたかったが、時間も道具も人も足りないとあっては、ここ一ヶ所にかけるしかない。相手もこちら同様、時間も道具も人も足りないことを考えれば、上手く立ち回れば誘導するのは難しくはない。実際に誘導する実務に関しては、風魔衆の実力を疑ってはいない。一夜の忍びに依頼するより、よっぽど安心していられる。
それにしても、用意してもらった物が無駄にならなくてよかった。罠には、一昨日に一夜に連絡し用意してもらった特殊な土を用いて罠を仕掛ける。かなり稀少なものであるが、一夜は情報だけではなく、物を集めることも得意としている。なんとか狭い道に敷き詰めることができる分くらいは集まった。本当は、迅雷のごとく動くという八犬士対策で頼んでいた物だが、偶然にも我聞たちが倒してしまっている。高い機動力を有する者がもう一人いたことは僥倖であった。
「さて、戦いは本来、一夜の望むものではありませんが、私と煎十郎様の未来のために、贄になっていただきましょうか」
乙霧は、彼女の指示でせっせと水と砂利と土をかき交ぜる風魔衆を、ほくそ笑みながら見ていた。