三十一話 一夜への婿入り


 小太郎は改めて正面から煎十郎を見つめる。


「煎十郎。そなたの役目を申しつける」

「は、はい」

「お主の知識。他の者でも理解できるように書にいたせ。できる限り早急にだ」


 煎十郎は目を丸くする。当然だろう。いくら煎十郎が非戦闘員であっても、敵と争っているさなかに、書を記せと言うのだ。


「お主の知識や技術、一朝一夕で身につけられるものではないことは重々承知しておる。できる限りでよい。お主の手伝いをさせておる者の中には理解の早い者もおるだろう。その者たちに知識を残して行け」


 戸惑いの表情を隠せない煎十郎であったが、やがておどおどと口を開いた。


「……あの、小太郎様。しばしお待ちください」


 そう言って立ちあがり、足早に広間を出ていった。
 しばらくして、煎十郎が移動の際にいつも背負っている重量のある箱を、いつも通り背負いながら足取り軽く広間へと戻ってきた。
 お待たせいたしましたと、箱をおろし小太郎の正面に座る。箱を開け、中から巻物の束を取り出した。薬や怪我の治療道具だけが入っていると思いきや、こんな物まで入れていたのである。
 積まれた巻物の束を見て、今度は小太郎は目を丸くする。


「これはなんだ」

「もちろん、書にございます」


 煎十郎は先ほどの集まりの時とは打って変わり、堂々とした態度で嬉々として答える。


「こちらは草、花、木の実など植物の効能と煎じ方。この辺りで採れる場所などを記したものです。こっちは獣や魚、海藻などに関してですね。症状に合わせた丸薬の作り方はこれです。療養の仕方などもしたためました。それから、血止めの基本など、怪我の治療に関しましては―――――」

「待て、待て、待て!」


 小太郎に目の前に手をかざされ、煎十郎は渋々口を閉ざした。


「お主、すでに書き溜めておったのか」

「すべてを書き終えているわけではございません。それでも、あと数日も頂ければ、いま知りえていることに関しては書き上げられるかと思います。時間があれば書こうと思いまして、薬箱に入れて持ち歩いておりました。里に置いておりましたら、今頃灰になっていたかもしれません」


 煎十郎が、巻物の一本を愛おしそうに抱きしめる。


「そうか。それを見れば、他の者でもある程度は処置ができるか? お主と同じ丸薬を作れるかも大事だぞ」


 煎十郎は巻物を抱きしめたまま考え込む。


「……時間はかかると思います。薬の材料を集めるのもたいへんです。中には稀少なものもありますから、取りすぎはいけませんし、扱いを間違えれば毒にもなる。丸薬を作るにしても、こつを掴むまではかなり時間がかかりましょう」

「それはわかっておる。無理を承知で聞いておるのだ。お前の他にお前の丸薬づくりに精通した者はおらぬのか」

「ああ、いやそういうことでございましたら、これまで手伝ってくださった方の中に、配合の書さえ見れば、それ通りにできる方が二人ほどいらっしゃいます。ですが、症状から病を判断するのは、やはり最初から学ぶつもりでわたしについていただかないと……。私でよろしければ、私の手伝いで経験を積んでいただきながらご指導させていただきます」

「……それはできん。お前には書を書き終えたら、別にやってもらうことがある。お前でなければ駄目なことじゃ」

「はぁ、わたしでなければいけないとは……どのようなことでございましょうか?」


 答えようとして、小太郎は一瞬躊躇した。脳裏に時雨の顔が浮かんだのだ。
 時雨が眼の前の穏やかな青年に懸想(けそう)していることは、小太郎とて感づいてはいる。だが、昨夜の犬山狂節との戦いで見せた、乙霧の知識と機転、冷徹ともいえる豪胆さ。乙霧は使()()()。同時に敵に回すことの危うさも感じる。たとえ娘を泣かせることになろうとも、今は煎十郎という対価を払い、乙霧を、一夜の力を買うべきだ。


「……うむ。お主には乙霧殿の婿となり、一夜の里にいってもらう」

「は?」


 煎十郎は素っ頓狂な声をあげた。


「乙霧殿が、お主を婿として迎えることを望んでおる。わしは一夜幻之丞殿と約定を交わしたのだ。乙霧殿の知恵を借りる代わりに、乙霧殿の望む者を、乙霧殿の婿として一夜の里にいれると」


 あまりに突然のことに言葉がでない。
 そんな煎十郎に、小太郎は畳みかけるように続ける。


「これは決定事項じゃ。否はない。新たに誰かを修行に行かせるかも知れんが、しばらくは代理の者で何とかする。お前はとにかく、代わりにお前の役目を果たす者の助けになるような書を完成させ、里に置いていくのだ」


 小太郎から強くそう言われると、煎十郎は承知いたしましたと平伏した。否はないと言われたのだ。他の反応などしようもない。
 すぐに仕事に取り掛かるように言われ、巻物を箱にしまい、広間を出て特別にあてがわれた部屋へと向かう。
 なんだか足元が覚束ない。床を踏むことができずに宙をかいているかのようだ。
 部屋に入り、書の続きを書く準備をしても、すぐに始めることはできなかった。
 風魔で育った煎十郎は、頭領である小太郎の指図に従うことにはなんの抵抗もない。医術を学べと言われれば学んだし、里に戻れと言われれば戻った。戻ってからは里で医者として働くのが、小太郎から与えられた役目である。例え自信がなくとも、小太郎に戦えと言われれば、煎十郎も武器を取っただろう。
 でも、今度は小太郎の指示で風魔ではなくなる。そうしたら、自分はどうなってしまうのだろう。漠然とした不安が胸中に湧く。
 指示をくだす相手が小太郎から一夜の頭領に代わるだけで、これまでと変わらない生き方が待っているのだろうか。
 それにしても、なぜ乙霧は自分を選んだのだろうか? 乱波の婿を迎え入れるというならば、風魔には自分よりふさわしいものがたくさんいる。今回組頭に指名された八人などはその代表であろう。破顔丸あたりならば、乙霧が不憫にも思うが、静馬ならばあの途方もない美女相手でも、十分に釣り合いがとれているように思う。


「……ああ、そうか。静馬さんは風魔を継ぐのか……やっぱり時雨殿を娶るのかな……」


 煎十郎は遠い眼をして、天井を見上げた。