二十七話 八犬士の死の先


 八風(やつかぜ)が持ち帰った安兵衛の首を埋め終えた生野は、隣で大人しく座っている八風の頭を撫でながら、思案にふけっていた。これからどう動くべきか。
 安兵衛の心臓はいつとまるかわからない状態ではあったが、できれば切り札を小田原城で使ってもらいたかった。
 少しでも義弘の心証をよくしたいと、安兵衛に物資を運ばせたのは失敗だったかもしれない。『呪言』の力は無敵ではない。それどころか欠点だらけだ。 自身で考案し、実用化までこぎつけたのだ。その事は誰よりもわかっている。使いどころを間違えれば、一族の未来に、文字通り命をかけてくれた彼らを、無駄死にさせてしまう。
 昨日は雨が降っていた。雨では安兵衛の力を存分に発揮することはできない。安兵衛はきっと、雨が降っているときに敵に遭遇してしまったのだろう。
 八風は頭が良く、八犬士の皆に懐いている。昨夜突然姿を消したのは、安兵衛の臭いをかげつけたからなのだろう。さすがに言葉が話せるわけではないから、安兵衛の首を持っていたのが誰で、安兵衛が誰にどのようにして殺されたのかはわからない。おそらくは風魔なのだろうとは思う。里から出ていた者たちが、里に戻ろうとしていた時に運悪く遭遇した。そんなところだろうか……。


「戻ったよ」


 お礼が浮かない顔で歩み寄って来る。


「……安兵衛、そこに埋めたのかい」


 お礼が土の盛りあがった箇所を見て言った。


「墓にはするんじゃないよ。参る者のいない墓なんざ、あるだけ無駄だよ。あたしらに墓はいらない。わかってるね」


 頷いた生野の隣に並んで、盛りあがった土を見つめる。


「……狂節の爺さん、駄目だったみたいだ」


 これには生野も少なからず驚いた。狂節の『呪言』は、八犬士の中でも、まさに呪いと呼ぶにふさわしいものだ。死の病をまき散らす蚊だけでも禍々(まがまが)しいが、もう一つの虫は、地獄から持ち出してきたかのような呪いである。
 人に限らず、動物の体には目に見えないほど小さな虫がたくさん住んでいる。生野がその虫の存在を見つけたのは偶然だった。半珠を調べているときに、その先に偶然鼠の死骸があった。その死骸の表面が、半珠のひとつを通して見ると、拡大されて見え、そこにその虫達はいた。その虫は宿にしている生き物が死ぬと一気に数を増やし、その生き物が他の生き物に喰われたりすることで、他の生き物に宿をかえる。特に害のある虫ではない。のちの世に残すために子孫を増やし、宿をかえる。その本能だけの虫。
 生野は半珠の呪いでその虫に力を与えられないかと思い立ち、鼠で実験を繰り返し、ついにそれに成功した。
 力を得た虫は自分たちで死骸を動かし、宿になる生き物を捕まえ乗り移り、さらにその生物を自分たちで埋め尽くすことで殺し、またそれを操り、宿を増やし仲間を増やす。
 狂節の目に埋め込んだ半珠は、虫を強くするとともに、身につけている間はその虫に殺されないようにする力もある。ひとたび半珠が外れれば、狂節は動く屍となり、生き物に襲いかかるはずであった。虫が動かすので、生きているときに比べれば行動は遅いし、不自然な動きになるが、斬ろうが突こうが、死骸は宿にすぎないので意味はない。
 目に見ない無数の虫の集合体を殺す方法はただ一つ……。


「小田原の手前にさ。これみたく、掘り返した土をもとに戻したような箇所があった。周りには火を使ったあともね。穴に落として燃やして埋めたんじゃないかね。初見でずいぶんと冷静に対処したもんだよ」


 生野は顎に手をあて考え込んだ。敵ながら的確な判断である。人は自分の想像を超えることに遭遇すれば、冷静に行動することは困難だ。風魔衆というのは、『彼』から聞いていた以上に奇想天外な出来事に慣れているということなのか。


「それに病の方もさ、もう落ち着いているようだったよ。噂にはなっていたから、一時的に効果があったのは確かだけど……」


 お礼の声は普段の威勢の良さを失い、弱弱しいものであった。いつもと様子の違うお礼に、心配そうに八風が大きな身体をすり寄せる。お礼はしゃがみこんで八風を抱きしめた。
 正直なところ、病が沈静化していたことに関しては、生野に驚きはなかった。あの病は放っておけば死に至るし、対処を間違えればどこまでも拡がっていくが、風魔には『彼』が戻ってきているはずだ。一昨日の里の襲撃では『彼』の姿を見なかった。おそらく小田原で病の対応をしていたのだろう。『彼』ならばあの病に対して処置を誤ることはあるまい。
 できれば『彼』を殺したくはないが、自分たちの前に立ちはだかれば、斬る覚悟はしている。いまの生野にとって、一族の将来以上に大切なものはないのだから……。
 生野は小刻みに震えていたお礼の肩に手を置いた。お礼がはじかれたように顔をあげる。お礼の目に、涙はない。彼女の身体からはすでに多くの水分が失われている。それこそ生きているのが不思議なくらいに。
 だが、その落ちくぼんだ両目は、血が通った人間であることを証明するように、赤くなっていた。
 お礼は立ち上がり、やつれきった顔を枯れ木のような手で挟み込むようにして叩いた。


「すまない。あたしらしくもないね。二人の死を無駄にしないためにも、落ち込んでいる場合じゃない。行こう。向こうで皆があんたの指示を待ってるよ」


 歩こうとしたお礼を生野が抱き寄せた。以前一度だけ抱いたことのある彼女の体は、以前の女らしい柔らかく暖かだったときの名残りはない。肌は冷たく乾いていて、力をこめれば、簡単にへし折れそうなほど痛々しいものになってしまった。自分がお礼をこんな風にしてしまったと思うと悲しかったが、自分と共に歩むためにここまでしてくれたことが嬉しく、たまらなく愛おしい。
 お礼の顎を軽くあげ唇を重ねる。
 目を白黒させて、されるがままになっていたお礼が、急に生野を突き飛ばした。


「ば、馬鹿かお前は。こんな時に」


 生野から顔を背け、大股で歩きだす。


「皆が待っていると言ったじゃないか。ぐずぐずするんじゃないよ」


 元気を取り戻し、立ち去るお礼の後ろを、八風が尾をちぎれんばかりに振りつつ、ついて行く。
 生野は眩しそうにその背中を見つめ、先ほどお礼がやったように顔を叩くと二人の後を追って歩き出した。