二十六話 乙霧の婿


 静馬以外が広間から出ていくと、小太郎は静馬に座るよう促す。
 静馬が小太郎と正対して座ると、小太郎は待ちきれんとばかりに話しを切りだす。


「詳細をきこう」


 静馬は苦笑するも、言葉には逆らわず、破顔丸が動けなくなっただけで息のあった者たちの止めを刺したことだけを伏せ、犬江安兵衛との遭遇戦の内容の全てを小太郎に報告する。


「……あの空座が相討ちか」


 空座の修練により身につけた脚力を知っているが故に、その空座と同等の速さで走ってみせたという八犬士の『呪言』は、小太郎にとっては信じがたいものであった。たとえ信を置いている静馬の報告であっても、あの首なしで動く八犬士を見ていなければ、信じ切れなかったやもしれぬ。
 しかし、続く静馬の言葉はさらに信じがたいものであった。


「拙者の見立てでは、かの鉄脚の八犬士。全力をだせていなかったように思えます。全力を出されていれば、空座でも追いつけず、被害はもっと大きくなっていたかもしれませぬ。鉄脚の表面に小さな稲光がいくつも放たれておりましたが、本来それは鉄脚の中に送られる稲光であったように思うのです。
 半分は勘でございますが、鉄脚の表面が雨で濡れていたことが原因ではないかと。おそらくあの男の『呪言』とやらは雨に流れやすい代物であったのでしょうな」


 小太郎は嫌なものを見る様な目つきで静馬を見る。頭の良さは煎十郎に勝るのだが、こちらにわからぬことを平然と口にする。あの乙霧と同類の得体のしれなさがあるのだ、この男には。とはいえ、今はこの化け物じみた男が頼りになることは間違いない。ともすれば、もうあの乙霧に頼らぬとも、この戦を勝利に導ける芽がでてくるかもしれない。


「静馬。お前には先に話しておく」


 小太郎は犬山狂節を討ち取った経緯も含め、これまでのなりゆきを静馬に話して聞かせる。
 静馬は顔色ひとつ変えることなく小太郎の話を聞く。最後にただ一言「面白い」と呟くばかりであった。


「お前であれば、あの娘に頼らずとも八犬士への対応策思いつくであろう」

「無理ですな」


 小太郎の願望のこもった一言を、静馬はにべもなく一刀両断に斬って捨てる。


「なぜじゃ?」

「知恵を支える知識量が圧倒的に違いますな。拙者も一夜の噂は少しばかり耳にしておりますが、海の向こうからも貪欲に情報をかき集めて来るような一族で育った者と、この小さな国で閉鎖的に暮らし、力づくで他者から奪うことを生業とする里で育った者とを、比較される方がどうかと」


 風魔衆自体を否定するような静馬の言葉に、小太郎もさすがに表情を険しくする。


「さようか。知恵が追いつかぬと言うならば、お主が風魔の為にすることは一つじゃ」

「八犬士を斬ることですかな?」

「それは他の者でもできる。お主、一夜の婿にいけい」

「は?」


 乙霧という娘に好きに選ばせる訳ではないのかと、不思議そうにする静馬をよそに、小太郎は怒りを滲ませた表情のまま、庭に面した障子を開け、誰の姿も見えぬ庭に向かって声をかける。


「今日はご苦労であったな。幻之丞殿の言われた通り、見事な頭の冴えであった」


 木陰からその言葉に誘われるように乙霧が姿を見せた。


「うふふ、小太郎様こそ、使命を果たすために犠牲をいとわぬそのお心。感服いたしました」


 目の前で犠牲になった三人を思い出し、小太郎は顔をしかめた。


「好きで犠牲にしたわけではないわ」


 すでに風魔は少なくない被害を出している。小太郎屋敷を全焼しただけでなく、死者の数も、先ほどの静馬達の報告を合わせれば二桁を超えた。八犬士を倒せたとしても被害が大きくなりすぎれば、乱波としてたちゆかなくなる。一人前の乱波を育てるのは難しい。時間もかかる。簡単に失ってよいものではない。煎十郎に医術を学ばせたのも、少しでも里の者の生存率を高める為だ。
 それでも必要とあれば、容赦なく切り捨てねばならない。情に流されず必要なことをする。それが風魔衆の頭領たる風魔小太郎の役目。


「予定よりも数が減ったが、先ほど戻った者達は、ここにいる静馬も含め、我が里の中でも、特に腕に覚えのある者たちだ。八犬士にもひけはとらぬ」


 聞いているのかいないのか、乙霧は夜空を眩しそうに目を細め、見上げている。


「お主の婿は、この静馬とする」

「お断りいたします」


 乙霧は間髪入れずに返答をした。遠慮のない物言いに小太郎はまたかと叫びたくなる。
 静馬といいこの乙霧といい、風魔の頭領たる自分をいったい何だと思っているのか。
振られた当人は、なにが楽しいのかニヤニヤと笑っている。小太郎からすれば静馬は男子の面子を潰されたようなものだ。乙霧を怒鳴りつけることくらいはしたらどうかと思うのだが、いかんせん子供の時分から知ってはいても、この男だけは底が知れぬ。
 とはいえ今の問題は乙霧である。



「煎十郎はいかん。あやつの代わりになる者はおらん」


 それは知と武にも優れた静馬と比較してでもである。それだけ煎十郎の修めた医術は貴重なのだ。
 小太郎の発言を聞いても、乙霧は遠慮をするどころか、口に手を当ててくすくすと笑いだす。


「ご冗談を」

「冗談などではない! なんのためにわしが煎十郎を里の外に修行に行かせたと思っておるか!」


 乙霧は小太郎の眼を真正面から捉えた。小太郎の背筋に冷たいものが走る。


「小太郎様が必要とされていらっしゃいますのは、煎十郎様の知識と技術でございましょう。私は違います。煎十郎様自身が必要なのです。私の夫として」


 小太郎はわずかに生じた怖気《おじけ》を振り払おうと声を荒げる。


「それこそ、煎十郎である必要がなかろう! お前ほどの器量ならば、相手が誰であろうが、一夜衆の望む外見の子供が生まれるであろが!」

「一夜が求める子は、ただ外見のよい子ではありませぬ。人を魅了する子。生まれながらにして華のある子。わたしと煎十郎様との間にはそういう子が産まれます」
 

 小太郎は眉間を押さえた。


「ほう。産みもしないうちから、なぜそんなことがわかるのかな」


 尋ねたのは小太郎ではなく静馬だ。彼は好奇心が抑えられないのか、目を爛々と輝かせ乙霧に尋ねる。
 乙霧は、その質問に自身の下腹部に手をあてて答えた。


「ここがそうだと申しております。煎十郎様を迎え入れよと、あの方の子種を頂戴せよと」


 小太郎は眉をしかめて訝しみ、静馬は更なる興味に眼を輝かせる。


「わたしも、同じことを母や里のねえさんたちに聞かされた時には疑いました。里の中で夫婦になっている人たちもいるのに、わたしのここは、これまで語りかけてくることはございませんでした。ですが、ここに来てその話が本当であったことを知りました」


 乙霧はうっとりとした顔で、また夜空を見上げた。


「……駄目だ。なんと言おうと煎十郎はいかん。静馬で駄目なら他の者にせよ」

「無理です」


 乙霧はまたしてもあっさりと言葉をかえす。


「煎十郎様は、風魔とわたしでしたら、最後には必ず私を選びます。いますぐ連れて行かないのは、小太郎様と幻之丞様との間にお約束があるからにすぎません」


 小太郎は忌々しげに乙霧をにらみつける。この自信はどこからくるというのか……。


「乙霧殿と言ったか……。たいした自信だが、煎十郎はああ見えて手強いぞ」


 時雨殿もいるしなとの言葉は、小太郎の手前避けたが、静馬はあの二人がお互いを憎からず想いあっていることを知っている。
 乙霧は確かに美しい。彼女に夫にと望まれれば、誰一人悪い気はしないだろう。ただ実際に夫になるかどうかは別だ。お互いの感情だけで夫婦になる者など、この世の中では稀であろう。
 煎十郎は里の外で生きた時間が長いとはいえ。幼いころに風魔の生き方、考え方を叩きこまれた男だ。頭領である小太郎の命令には逆らわない。煎十郎は気の弱いところがあるから、余計に逆らえないだろう。例え時雨と恋仲であったとしても、小太郎が首を縦に振らぬ限りは、煎十郎にはなにもできまい。
 ところがである。煎十郎は自分には逆らわない。小太郎の中にもその自信があるのに、いま乙霧に煎十郎は自分とともに来ると言われた時、なぜか、ああ、そうなるのだろうなと小太郎は納得してしまった。
 駄目だと小太郎は自身を叱責する。このような弱気ではと。
 この娘は役に立つ。小太郎が風魔の智者として最も信頼する静馬が敵わぬと言ったのだ。この娘の持つ知恵と知識は今の風魔には必要だ。だからこそ考えねばならぬ。眼の前のモノノケのような娘に、煎十郎を、風魔の宝となりえる男を、婿に持っていかれぬように。
 そのためには、静馬の力が必要だ。本人が否定しようとも。風魔衆の中でこの娘の知恵に抗いうるのは静馬のみ。
 小太郎が視線を静馬に戻すと、静馬とはっきりと眼があった。静馬の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
 まるで、小太郎の考えていることなど、全てお見通しだと言わんばかりに。