二十五話 戻りし精鋭達
小太郎が小田原城内の風魔屋敷へ向かっていると、屋敷のある方向へと高速で駆けて行く集団がいた。
風魔衆だ。皆、氏政の軍に従軍させた風魔衆きっての強者達。
ようやく戻った。
これで八犬士との戦をさらに有利に運ぶことができる。
「破顔丸、静馬。戻ったか」
集団に駆け寄りながら、先頭を走る二人の名を呼ぶ。
集団が小太郎を見とめ立ち止まり、全員が片膝をつく。
「おお、お頭。こちらにいらしたか。破顔丸、ただいま戻りました!」
力強く返事をする破顔丸に対し、静馬はただ頭を下げるのみ。
二人の後ろに続いていた者達は口々に小太郎に挨拶をしていく。
「うむ。皆、ご苦労であった。しかし、指示した数より少ないのではないか。それに般若はどうした? 里におるのか?」
破顔丸は気まずそうに下をむく。小太郎の問いに答えたのは静馬だ。
「小太郎様。申し訳ございません。ご指示通り、二十五名をこちらで選び、馳せ参じようとしたのでござりまするが、実はこちらに戻る途中、八犬士の一人と思われる若者と遭遇いたしまして」
小太郎は目を見張った。
その様子に破顔丸が強気を取り戻したのか、静馬から話の続きを奪い取る。
「どうやら我らが戻るのを事前に知っておったようですな。待ち伏せをうけ、情けなくも未熟な者たちが次々と……しかし、間違いなくそやつは討ち取りました。証しはここに」
破顔丸が手にしていた布包みをほどき、地面に犬江安兵衛の生首を転がした。
「こやつが八犬士の一人か」
「いかにも」
小太郎は足元に転がって来た生首をいやそうに見やる。
「……首から下はどうした?」
「は?」
「……いや、なんでもない。気にするな」
「は、はぁ」
なにせ先程まで首がなくとも動く八犬士と相対したばかりである、ひとりひとり『呪言』の力は違うようではあるから、心配はないのだろうが、こうして話している間にも、どこからか小田原に迫っている首なし八犬士がいる気がしてならない。
小太郎は嫌な想像を振り払うように首を強く振り、破顔丸たちに視線を戻す。
「ここでは目立つ。続きは屋敷で聞こう」
「はっ」
破顔丸も他の者と揃って返事をしたが、首を見た小太郎の反応が望むものとは違い、面白くなさそうに転がした首に手を伸ばした。
ところが、破顔丸が生首を掴むより早く、横から飛び出してきた白い大きな犬が首をかっさらっていく。
「あっ!」
破顔丸が慌てて背中の金棒に手を伸ばすが、犬は脇道にさっと逃げ込み破顔丸の視界から消えた。
「放っておけ」
追いかけようとした破顔丸を、小太郎の冷たい声が静止する。
「我らの役目は首を集めることではない。やつらの数が減ったのならばそれでよい。行くぞ」
小太郎たちが歩き出してもなお、破顔丸は犬の消えた脇道を睨んでいたが、やがて忌々しげに唾を吐き捨てると、小太郎たちのあとを追った。
小太郎は風魔屋敷に戻ると、奥座敷へと直行し、皆を座らせ早速報告を聞く。
全員を代表して報告するのは、やはり破顔丸である。
「敵は先ほどの首の者だけでございましたな。しかしながら、報せの通り面妖な術を使う者でございまして……。一人襲っては逃げ、また一人襲っては逃げを繰り返し……しかも未熟者を見抜く目に長けた輩で、ようやく拙者が討ち取った時には、六人がやられ申した」
小太郎は胡散臭げに破顔丸を見る。
なにせ、全員子供の頃より知っているのだ。性格ぐらいは把握している。破顔丸は腕はたつが、いささか自身の力を誇張したがるところがある。本来であれば報告役に向いている男ではないのだが、力を尊ぶ意識が根強い風魔衆では破顔丸の若者達から向けられる信頼は、小太郎の意志に反して強い。本人がやりたがれば、ここに集まった者たちの中に口出しをする者はいない。
「般若はどうした。そやつが、まことに相手の腕を測ることができ、弱い者から襲ったというならば、お前たちを襲う前に奴を襲うことはあるまい」
小太郎の言葉に破顔丸は苦々しげに答える。
「……兄者は氏政様のもとに残った」
「なぜだ」
「兄者自身が残ると言い出したのだ! おそらく戦で手柄でもたてて氏政様に直接取り入ろうとでも考えたのだろうよ!」
破顔丸はまくしたてるように早口で非難ともとれることを口にする。
般若は彼の実兄であり、頭領である小太郎を除けば風魔衆一の実力者。五代目小太郎にもっとも近いと言われる男であり、破顔丸の行動にでさえ好き勝手に口出しできる唯一の存在。ようするに破顔丸にとって、目の上のたんこぶである。
小太郎が氏政の軍に従軍した風魔衆に送った指示は、小田原に害をなす八犬士を始末するために、人を屠る技に長けた者二十五名を里に戻すようにといったものである。
名指しで指示しなかったのは、こちらで選別している時間的な余裕がなかったからだが、最低限必要な者は戻るであろうといういささか甘い考えもあった。
小太郎が戻ることを確実視していたのは十人。破顔丸と静馬も含まれている。戻った十九人の中に足りないのは二人。風魔最強の般若、そして風魔最速を誇る空座《からざ》。
吠えたきり押し黙ってしまった破顔丸に代わり、静馬が口を開いた。
「小太郎様、その件に関しては私も同意いたしました」
小太郎は目線で静馬に続きを促す。
「得体の知れぬ八犬士に対し、風魔の精鋭をあてるという小太郎様のご意向、もっともとは思います。おそらく氏康様直々のご命令でもあるのでございましょう。しかしながら申し上げます。これからの北条をしょって立つのは現当主氏政様にございます。それゆえ小太郎様も氏政様に我らをおつけになった。
……だというのに、氏康様の命であるからと、すでに北条家にも名が売れている般若を引きあげさせたとなれば、氏政様の風魔への心証悪くなること間違いございませぬ。それはこれからの風魔に、暗雲を立ち込めさせる要因となりましょう」
むぅと小太郎は唸る。静馬の言うことはもっともである。氏康の圧倒的な威圧感の前に冷静さを欠いていたと思い知らされる。
「わかった、もうそのことは問わぬ。話を八犬士に戻すが、今しがたこちらでも八犬士のひとりを討ち取った」
おおと破顔丸達から声があがる。
「残る八犬士は六人。なんとしてでも始末せねばならん。お主たちの働きによっては、特別に褒美を与えることも考えておる。お主たちがこれまで鍛えてきた技。存分に発揮せよ」
十九人が揃って平伏した。
小太郎は、皆に今日はもう休むようにと申しつける。
全員が立ちあがり広間を出て行く。
「静馬、お前は残れ。少々聞きたいことがある」
小太郎がそう静馬に声をかけると、破顔丸が不服そうに顔をしかめたが、声にだしてはなにも言わず、広間をでていった。
小太郎が小田原城内の風魔屋敷へ向かっていると、屋敷のある方向へと高速で駆けて行く集団がいた。
風魔衆だ。皆、氏政の軍に従軍させた風魔衆きっての強者達。
ようやく戻った。
これで八犬士との戦をさらに有利に運ぶことができる。
「破顔丸、静馬。戻ったか」
集団に駆け寄りながら、先頭を走る二人の名を呼ぶ。
集団が小太郎を見とめ立ち止まり、全員が片膝をつく。
「おお、お頭。こちらにいらしたか。破顔丸、ただいま戻りました!」
力強く返事をする破顔丸に対し、静馬はただ頭を下げるのみ。
二人の後ろに続いていた者達は口々に小太郎に挨拶をしていく。
「うむ。皆、ご苦労であった。しかし、指示した数より少ないのではないか。それに般若はどうした? 里におるのか?」
破顔丸は気まずそうに下をむく。小太郎の問いに答えたのは静馬だ。
「小太郎様。申し訳ございません。ご指示通り、二十五名をこちらで選び、馳せ参じようとしたのでござりまするが、実はこちらに戻る途中、八犬士の一人と思われる若者と遭遇いたしまして」
小太郎は目を見張った。
その様子に破顔丸が強気を取り戻したのか、静馬から話の続きを奪い取る。
「どうやら我らが戻るのを事前に知っておったようですな。待ち伏せをうけ、情けなくも未熟な者たちが次々と……しかし、間違いなくそやつは討ち取りました。証しはここに」
破顔丸が手にしていた布包みをほどき、地面に犬江安兵衛の生首を転がした。
「こやつが八犬士の一人か」
「いかにも」
小太郎は足元に転がって来た生首をいやそうに見やる。
「……首から下はどうした?」
「は?」
「……いや、なんでもない。気にするな」
「は、はぁ」
なにせ先程まで首がなくとも動く八犬士と相対したばかりである、ひとりひとり『呪言』の力は違うようではあるから、心配はないのだろうが、こうして話している間にも、どこからか小田原に迫っている首なし八犬士がいる気がしてならない。
小太郎は嫌な想像を振り払うように首を強く振り、破顔丸たちに視線を戻す。
「ここでは目立つ。続きは屋敷で聞こう」
「はっ」
破顔丸も他の者と揃って返事をしたが、首を見た小太郎の反応が望むものとは違い、面白くなさそうに転がした首に手を伸ばした。
ところが、破顔丸が生首を掴むより早く、横から飛び出してきた白い大きな犬が首をかっさらっていく。
「あっ!」
破顔丸が慌てて背中の金棒に手を伸ばすが、犬は脇道にさっと逃げ込み破顔丸の視界から消えた。
「放っておけ」
追いかけようとした破顔丸を、小太郎の冷たい声が静止する。
「我らの役目は首を集めることではない。やつらの数が減ったのならばそれでよい。行くぞ」
小太郎たちが歩き出してもなお、破顔丸は犬の消えた脇道を睨んでいたが、やがて忌々しげに唾を吐き捨てると、小太郎たちのあとを追った。
小太郎は風魔屋敷に戻ると、奥座敷へと直行し、皆を座らせ早速報告を聞く。
全員を代表して報告するのは、やはり破顔丸である。
「敵は先ほどの首の者だけでございましたな。しかしながら、報せの通り面妖な術を使う者でございまして……。一人襲っては逃げ、また一人襲っては逃げを繰り返し……しかも未熟者を見抜く目に長けた輩で、ようやく拙者が討ち取った時には、六人がやられ申した」
小太郎は胡散臭げに破顔丸を見る。
なにせ、全員子供の頃より知っているのだ。性格ぐらいは把握している。破顔丸は腕はたつが、いささか自身の力を誇張したがるところがある。本来であれば報告役に向いている男ではないのだが、力を尊ぶ意識が根強い風魔衆では破顔丸の若者達から向けられる信頼は、小太郎の意志に反して強い。本人がやりたがれば、ここに集まった者たちの中に口出しをする者はいない。
「般若はどうした。そやつが、まことに相手の腕を測ることができ、弱い者から襲ったというならば、お前たちを襲う前に奴を襲うことはあるまい」
小太郎の言葉に破顔丸は苦々しげに答える。
「……兄者は氏政様のもとに残った」
「なぜだ」
「兄者自身が残ると言い出したのだ! おそらく戦で手柄でもたてて氏政様に直接取り入ろうとでも考えたのだろうよ!」
破顔丸はまくしたてるように早口で非難ともとれることを口にする。
般若は彼の実兄であり、頭領である小太郎を除けば風魔衆一の実力者。五代目小太郎にもっとも近いと言われる男であり、破顔丸の行動にでさえ好き勝手に口出しできる唯一の存在。ようするに破顔丸にとって、目の上のたんこぶである。
小太郎が氏政の軍に従軍した風魔衆に送った指示は、小田原に害をなす八犬士を始末するために、人を屠る技に長けた者二十五名を里に戻すようにといったものである。
名指しで指示しなかったのは、こちらで選別している時間的な余裕がなかったからだが、最低限必要な者は戻るであろうといういささか甘い考えもあった。
小太郎が戻ることを確実視していたのは十人。破顔丸と静馬も含まれている。戻った十九人の中に足りないのは二人。風魔最強の般若、そして風魔最速を誇る空座《からざ》。
吠えたきり押し黙ってしまった破顔丸に代わり、静馬が口を開いた。
「小太郎様、その件に関しては私も同意いたしました」
小太郎は目線で静馬に続きを促す。
「得体の知れぬ八犬士に対し、風魔の精鋭をあてるという小太郎様のご意向、もっともとは思います。おそらく氏康様直々のご命令でもあるのでございましょう。しかしながら申し上げます。これからの北条をしょって立つのは現当主氏政様にございます。それゆえ小太郎様も氏政様に我らをおつけになった。
……だというのに、氏康様の命であるからと、すでに北条家にも名が売れている般若を引きあげさせたとなれば、氏政様の風魔への心証悪くなること間違いございませぬ。それはこれからの風魔に、暗雲を立ち込めさせる要因となりましょう」
むぅと小太郎は唸る。静馬の言うことはもっともである。氏康の圧倒的な威圧感の前に冷静さを欠いていたと思い知らされる。
「わかった、もうそのことは問わぬ。話を八犬士に戻すが、今しがたこちらでも八犬士のひとりを討ち取った」
おおと破顔丸達から声があがる。
「残る八犬士は六人。なんとしてでも始末せねばならん。お主たちの働きによっては、特別に褒美を与えることも考えておる。お主たちがこれまで鍛えてきた技。存分に発揮せよ」
十九人が揃って平伏した。
小太郎は、皆に今日はもう休むようにと申しつける。
全員が立ちあがり広間を出て行く。
「静馬、お前は残れ。少々聞きたいことがある」
小太郎がそう静馬に声をかけると、破顔丸が不服そうに顔をしかめたが、声にだしてはなにも言わず、広間をでていった。