十四話 風魔の里


 低い身分とは言っても、私たちよりずっと幸せに暮らしをている。
 夕日を浴びて、黄金色に輝く稲穂の周りで作業をしている者たちを見て、自分たちの境遇との違いに、お信磨(しま)は泣きたくなった。
 大きく呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。泣くのはまだ早い。涙を流すのはこのあと。風魔に捕らわれてから……。
 農作業に従事していた男が、お信磨のことに気がついた。男は目を細め、おもむろに口笛を吹いた。すると他の場所からも口笛が聞こえてきた。
 ああと、お信磨は納得した。あの口笛は、里に見知らぬものが入ってきたことを伝えるものなのだろう。
 お信磨は、里の中心へと歩む自分に、いたるところから視線を向けられているのを感じた。その視線はお信磨が進めば進むほど殺気の色が濃くなる。
 さすがは風魔の里といったところか。
 先に様子を探ったお(あや)の話によれば、現在風魔の里は、その規模に対して人が少ないそうだ。里に残っている者の割合としては、女、子供、老人といった非戦闘員と思われる者が多かったらしい。理由までは掴めなかった。さすがに他国にまで名を知られる乱波集団の里だけあって、非戦闘員でも勘の鋭い者が多く、姿を消しているはずのお礼の存在を探すようなそぶりを見せる者もいて、話を盗み聞きできるほどそばまで近づくことができなかったそうだ。
 ただ今の風魔の里にどんな事情があろうと、自分のやることに変更はない。二人の兄のためにも、自分は自分に与えられた役割を必ずやり遂げてみせる。
 お信磨が里の中央、広場のようになっている場所にでたところで空気が変わった。これまで、遠くに感じていた複数の殺気が、一気に距離を詰めてくる。お信磨は完全に囲まれていた。
 これまでまったく姿を見なかった屈強そうな男達。


「きさま、どこにいくつもりだ。とまれ。ここより先は行き止まりだ」

「ふふふ、御冗談を。私はこの先に用があるのです。風魔小太郎様のお屋敷に……」
 

 お信磨がにんまりと笑う。
 お信磨の声を聞いて何人かが目を見張った。


「きさま、女か!」

「ここを風魔の里と知っておるとは……」

「何者だ」


 男たちは戸惑いを見せながらも、お信磨との距離を油断なくつめる。


「私は里見八犬士がひとり、犬飼家のお信磨」


 お信磨が名乗るやいなや、男たちが一斉に網を投げつける。黒色の網がお信磨の頭から降りかかった。
 お信磨はまったく抵抗しない。抵抗して無駄な汗をかきたくなかったのだ。汗をかくなら建物の中が良い。
 風魔の男達は、まだ小太郎から詳しい説明を受けていない。ただ、風魔の総力をあげて里見八犬士と名乗る者たちを討ちとらねばならんと聞かされているだけだった。彼らは小太郎が里に戻り、次の指示をだすまで里で待機することとなったが、まさか相手の方から里にやって来るとは、微塵も思っていなかった。


「どうする? 殺るか?」


 一人がお信磨から目を離さぬまま言った。


「いや。八犬士と言うからには八人おるのではないか? こやつ以外に里に入ったという連絡はきておらん」

「ひとまず捕えておくにこしたことはあるまい。八犬士討伐は我ら風魔の役目。小太郎様を待つにしろ、残りの者たちのことを吐かせるにしろな」


 よしと、男たちはでっぷりと太ったお信麻の体を苦労して縄でしばり、小太郎の屋敷内の納屋へとお信磨を連行した。縄を梁にかけ、数人がかりでお信磨を吊し上げる。


「それにしても、これが女か」

「醜いのう」

「まさに化け物よ」


 けたけたと笑う男たちを、お信磨は暗い眼で見下ろしていた。
 この男たちが、半年前までのお信磨の姿を知ったらなんというだろうか。少なくとも、このように笑いものにはしなかったろう。
 半年前まで、お信磨は母親似のとても美しい娘だった。八犬家の子供は割と容姿の整った者が多い。それゆえ、逆らえぬことをよいことに、見張りの者達の慰み物として扱われた娘もいた。そのような環境であったから、八犬家の歴史の中でも飛び抜けて美しい娘であったお信磨には、一族が揃って心配したものであるが、手先の器用だったお礼が、自分も含めた顔立ちの整った子供たちに対して、こねた泥を顔に張りつけることで、醜い顔であるように誤解させたり、お信磨と同等に美しかった彼女の母が、見張りたちの欲望を引き受けたのもあって、彼女はきれいな身のまま、これまで成長することができた。
 だが、その美しさをお信磨は自ら捨てた。優しき異母兄の将来のため、頼もしき異父兄の夢のために。


「頭領はいつ帰ってくるのだ」


 お信磨の耳がピクリと動いた


「さあな。武蔵に行くと言っておったが、武蔵も広いからな。まあ、今日のうちには戻るのではないか」


 いない……風魔の頭領風魔小太郎は不在。しかも遠出。
 驚きが顔にでそうになるのをお信磨はかろうじて抑える。
 まさか、異父兄生野の読みが外れるとは思ってもみなかった。
 生野の読み通り、風魔に八犬士の対応が任されたのは間違いない。ただ生野のさらなる読みでは、小太郎は八犬士対応の為に、いま氏政の軍勢に従軍している一族も呼び戻し、すぐさま評定をするに違いないとの見解であった。お信磨を含む他の七犬士は、その話に大いに納得したものだ。
 まったくこの一大事に、風魔小太郎はどこをほっつき歩いているのだろうか……。


「ならば、それまでにこやつの口を割らしておったほうが、なにかと都合がよかろう」


 男たちは頷きあい、壁に立てかけてあった棒を各々手にとった。


「おい、女。そなたの仲間はどこにおる」

「八人でなにをするつもりであった。本当はもっと仲間がいるのであろう」

「吐けばよし。捕えておくだけにしておいてやろう。だが、吐かぬのならば……」
 

 風魔衆のひとりが、手にした棒で、お信磨のでっぷりと太った体を力一杯殴りつけた。お信磨の体が揺れ、納屋全体が軋むような音をたてる。


「おい、まさか崩れたりせんだろうな?」

「まさかそれはないと思うが……」

「まったく何を食えばそこまで太るのだ」
 

 呆れながらも、もう一度殴った。それでもお信磨は呻き声ひとつあげない。そこで男たちは交代で殴りだした。二回りほどしたところで、ようやくお信磨が口をひらいた。 


「それ以上殴られると泣いてしまう。粗相もしてしまうかもしれん。それにここは暑い。風通しをよくしてくれねば、汗が吹き出してしまいますよ」


 お信磨の危機感を感じさせない物言いに、男の一人が腹をたてた。


「ふざけたことを。泣きたくないのならばさっさと吐け。吐かぬのならば、涙でも汗でも小便でも勝手に流せ」


 そう言って殴りつける。


「それではお言葉に甘えて……我、信へと辿る道、我が命をもって菩提《ぼだい》とならん!」


 お信磨の布で隠れた両乳房のあたりから、光が漏れだす。
 途端にお信磨の眼から大粒の涙がこぼれる。いや、涙ばかりではない。お信磨の全身からは汗が、股間からは大量の小便が噴きだし、まるで豪雨のような音をたてて地面を打った。
 驚いた男たちが身をひくと同時に、お信磨の吊るされた体が下にずれた。それに気がついた者が、あっと声をあげる間もなく、お信磨は縄に衣服だけを残し、裸で地面に落ちた。