「今日はもう終わり?また女の子を連れているんだから。真っすぐ帰らないと駄目よ」
商店街から駅の方向に折れる角で突然、年配の女の人に声を掛けられる。いきなり何事?と顔をキョロキョロさせていると、隣にいた天道くんが、はぁい、と素直に返事をして、大勢のお客さんで賑わっているお団子屋さんに向かって手を挙げる。店員の女性が、お目当てのイケメン俳優と出くわしたようにキラキラした笑顔で手を振っているのを目にして、私は一層肩を竦ませた。
また、こっちも…彼と歩いていると、ベビーカーを押す若いママも、パンプスをコツコツ鳴らしてコンビニに入っていくOLも、クリーニング屋から出てきた猫背のお婆さんも、すれ違う女性が皆、振り返る。これは見過ごせない、とばかりに天道くんの姿を目に焼き付けていく。彼とのありえない日々を妄想して、酔いしれるみたいに私たちを見送った。
初めは気のせいかと思ったけれど、すぐに、あぁ、なるほど、彼はこういう存在なんだ、と納得した。同時に、そんな男子に気安く話しかけられている自分が、とてもみすぼらしく思えた。
明日からでもファッションモデルの仕事を始められそうな彼とチビで地味であか抜けない私…誰がどう見ても彼氏と彼女じゃない。きっと痛々しい姿なんだろうな、そう思って下を向いた。一歩進むごとに心が塞いでいく自分が情けなかった。
どうして、こんな面白みのない私に天道くんは笑いかけるのだろう。こちらが必死に作っている壁を軽々と飛び越えてくるのか。
そうして息を詰めたまま彼の話を受け流していると、
「林田さんは、どっち?」
「へ…?」
「俺、国分寺行きなんだけど…」
いつのまにか私たちは、最寄り駅の自動改札機を抜けて、ホームに降りる階段の前に立っていた。大勢の学生が、ひらひらと手を振ってお別れの挨拶をしていく場所だ。
郊外を走る二つの路線が十字形にクロスしている。二つのホームに敷かれた四つの線路が、別々の方向からやってきた乗客を降ろし、別々の方向に乗せていく。バラバラの環境で育った子が同じ学校に集い、同じ時間を過ごしてそれぞれの家に帰っていく。それが、私たちが使う駅だった。つまり、行く先が違えばここでお別れ、ということだ。
私は、つらい授業から解放された気分で、久しぶりに顔を上げて言った。
「私は…こっちの方」
彼と目を合わせた途端、また恥ずかしくなって、そっと反対側の階段を指さした。
「じゃあ、所沢?」
「…川越。天道くんは?」
「俺は国立」
彼は、私の顔色なんか見えていないように、軽やかな口調でその高級住宅街と言われる街の名を告げた。
さすが、素敵な容姿と名前を持っている子は、相応しい所に住んでいる。それに引き換え私は…所沢には勝っていると思うが、所詮、埼玉県民の吹き溜まりの街だ。江戸時代から栄えていても、中央線の学園都市のブランドには負けてしまう。
妙な所でまた沸々と劣等感を抱いていると、
「さっきの話だけど…」
と天道くんが、昔の芸能人の名前を思い出したみたいな顔で切り出した。
「俺、サッカー部入らないから。図書委員の仕事、一緒にできるよ」
「何で…中学からやっていたんでしょう?」
「きつくてさ。同じ練習を意味もなく続けさせられるから辞めたんだ。他の部にも入らないから、林田さんと一緒に毎日図書室に行ける。心配しなくていいよ」
私を安心させるように、肌触りのいいマフラーみたいな声で言った。
でも…森村奏情報によると、天道くんは中学サッカー部の優秀なミッドフィルダーで、その高い身体能力で、高校に上がってもチームの中心選手になるだろう、と期待されていた。誰もが、高校に行っても続けるだろう、と今でも思っている。
そんな子が、こんな根性なしの理由で入部を断念し、縁もゆかりもない図書委員に立候補したと聞いたら誰だって驚く。私のように変な声を上げてしまうだろう。
「あの…天道くん?」
彼とは深く関わらないと決めていた。自分を守るため、免疫のない相手に踏み込んで変な夢を見ないために。でも、いきなりこんな話を聞かされたら落ち着いて付き合えない。胸の奥で小さな声が叫んでいる…一生懸命続けてきたことを投げ出すなんてもったいない…そう思ったら、変な意識など吹き飛んでしまった。
「それでいいの?サッカー、頑張ってきたんじゃない?もっとやりたいって思わないの?」
「別に…」
天道くんは不意に、神秘的に澄んだ瞳を震わせると、目の前の現実に背を向けたような声で言った。
「格好よさそうだからやっていただけで、プロになろうとか、みんなと精一杯やって思い出にしようなんて、一度も考えたことなかったから」
「本当に?」
「…何かにとりつかれたように頑張るのって嫌いなんだ。だから、林田さんと図書委員できるよ」
すっきりとしない顔色から一転、澄み切った青空を見上げたみたいに私に笑いかけた。
「じゃあね。また明日」
眩しいくらいの笑顔を振りまいて、天道くんが反対側のホームに降りていく。
私は、ぼぅと口を開けたまま手を挙げて見送る。何故、彼は、図書委員に立候補したのだろう…ホームルームの前に奏が言っていたことを思い出しながら。
何か特別な理由があるのだろうか。私が立候補したから手を挙げた、という訳ではないだろう…。
一瞬だけ見せた神秘的な瞳。そこに、窓側の席に相応しくない影が差しているのを感じて、胸を詰まらせた。自分と関わりのない男子と思っていたのに、彼のことだけ考えながらホームに降りていき、そこに待っていた同じ制服の女の子にニヤついた声を掛けられた。
「よぉ、スズ姉」
「…何だ、コト」
「やるねぇ。社会復帰して早々に」
商店街から駅の方向に折れる角で突然、年配の女の人に声を掛けられる。いきなり何事?と顔をキョロキョロさせていると、隣にいた天道くんが、はぁい、と素直に返事をして、大勢のお客さんで賑わっているお団子屋さんに向かって手を挙げる。店員の女性が、お目当てのイケメン俳優と出くわしたようにキラキラした笑顔で手を振っているのを目にして、私は一層肩を竦ませた。
また、こっちも…彼と歩いていると、ベビーカーを押す若いママも、パンプスをコツコツ鳴らしてコンビニに入っていくOLも、クリーニング屋から出てきた猫背のお婆さんも、すれ違う女性が皆、振り返る。これは見過ごせない、とばかりに天道くんの姿を目に焼き付けていく。彼とのありえない日々を妄想して、酔いしれるみたいに私たちを見送った。
初めは気のせいかと思ったけれど、すぐに、あぁ、なるほど、彼はこういう存在なんだ、と納得した。同時に、そんな男子に気安く話しかけられている自分が、とてもみすぼらしく思えた。
明日からでもファッションモデルの仕事を始められそうな彼とチビで地味であか抜けない私…誰がどう見ても彼氏と彼女じゃない。きっと痛々しい姿なんだろうな、そう思って下を向いた。一歩進むごとに心が塞いでいく自分が情けなかった。
どうして、こんな面白みのない私に天道くんは笑いかけるのだろう。こちらが必死に作っている壁を軽々と飛び越えてくるのか。
そうして息を詰めたまま彼の話を受け流していると、
「林田さんは、どっち?」
「へ…?」
「俺、国分寺行きなんだけど…」
いつのまにか私たちは、最寄り駅の自動改札機を抜けて、ホームに降りる階段の前に立っていた。大勢の学生が、ひらひらと手を振ってお別れの挨拶をしていく場所だ。
郊外を走る二つの路線が十字形にクロスしている。二つのホームに敷かれた四つの線路が、別々の方向からやってきた乗客を降ろし、別々の方向に乗せていく。バラバラの環境で育った子が同じ学校に集い、同じ時間を過ごしてそれぞれの家に帰っていく。それが、私たちが使う駅だった。つまり、行く先が違えばここでお別れ、ということだ。
私は、つらい授業から解放された気分で、久しぶりに顔を上げて言った。
「私は…こっちの方」
彼と目を合わせた途端、また恥ずかしくなって、そっと反対側の階段を指さした。
「じゃあ、所沢?」
「…川越。天道くんは?」
「俺は国立」
彼は、私の顔色なんか見えていないように、軽やかな口調でその高級住宅街と言われる街の名を告げた。
さすが、素敵な容姿と名前を持っている子は、相応しい所に住んでいる。それに引き換え私は…所沢には勝っていると思うが、所詮、埼玉県民の吹き溜まりの街だ。江戸時代から栄えていても、中央線の学園都市のブランドには負けてしまう。
妙な所でまた沸々と劣等感を抱いていると、
「さっきの話だけど…」
と天道くんが、昔の芸能人の名前を思い出したみたいな顔で切り出した。
「俺、サッカー部入らないから。図書委員の仕事、一緒にできるよ」
「何で…中学からやっていたんでしょう?」
「きつくてさ。同じ練習を意味もなく続けさせられるから辞めたんだ。他の部にも入らないから、林田さんと一緒に毎日図書室に行ける。心配しなくていいよ」
私を安心させるように、肌触りのいいマフラーみたいな声で言った。
でも…森村奏情報によると、天道くんは中学サッカー部の優秀なミッドフィルダーで、その高い身体能力で、高校に上がってもチームの中心選手になるだろう、と期待されていた。誰もが、高校に行っても続けるだろう、と今でも思っている。
そんな子が、こんな根性なしの理由で入部を断念し、縁もゆかりもない図書委員に立候補したと聞いたら誰だって驚く。私のように変な声を上げてしまうだろう。
「あの…天道くん?」
彼とは深く関わらないと決めていた。自分を守るため、免疫のない相手に踏み込んで変な夢を見ないために。でも、いきなりこんな話を聞かされたら落ち着いて付き合えない。胸の奥で小さな声が叫んでいる…一生懸命続けてきたことを投げ出すなんてもったいない…そう思ったら、変な意識など吹き飛んでしまった。
「それでいいの?サッカー、頑張ってきたんじゃない?もっとやりたいって思わないの?」
「別に…」
天道くんは不意に、神秘的に澄んだ瞳を震わせると、目の前の現実に背を向けたような声で言った。
「格好よさそうだからやっていただけで、プロになろうとか、みんなと精一杯やって思い出にしようなんて、一度も考えたことなかったから」
「本当に?」
「…何かにとりつかれたように頑張るのって嫌いなんだ。だから、林田さんと図書委員できるよ」
すっきりとしない顔色から一転、澄み切った青空を見上げたみたいに私に笑いかけた。
「じゃあね。また明日」
眩しいくらいの笑顔を振りまいて、天道くんが反対側のホームに降りていく。
私は、ぼぅと口を開けたまま手を挙げて見送る。何故、彼は、図書委員に立候補したのだろう…ホームルームの前に奏が言っていたことを思い出しながら。
何か特別な理由があるのだろうか。私が立候補したから手を挙げた、という訳ではないだろう…。
一瞬だけ見せた神秘的な瞳。そこに、窓側の席に相応しくない影が差しているのを感じて、胸を詰まらせた。自分と関わりのない男子と思っていたのに、彼のことだけ考えながらホームに降りていき、そこに待っていた同じ制服の女の子にニヤついた声を掛けられた。
「よぉ、スズ姉」
「…何だ、コト」
「やるねぇ。社会復帰して早々に」