それから私の中で、時間の経過というものがピタリと止まった。

毎朝、病院のベッドで目を覚まし、小さな窓から空模様を覗いて、朝食を採って薬を飲んで、午前中の検診を受け、午後になると祖母が訪れ、着替えと洗濯物を交換して、夕食を済ますと病室で一人ぽっちになる…毎日、その繰り返しだ。

 体の具合は、このタイミングを待っていたみたいに悪くなった。病棟内を歩くことはおろか、ベッドで体を起こすことも辛い日が何日も続き、再発した病気が確実に進んでいることを私に知らせた。調子が戻るのは一週間に一日くらいで、今日は散策路を歩いてみたら、と看護師さんに薦められたが、またいつ眩暈に襲われて倒れるかも知れないと思うと恐ろしくて、外に出ることができなかった。

 何日経っても出口が見えない。まるで灯りのない真っ暗な夜道をあてどなく歩くみたいに、どんなに進んでも同じ場所でさまよっている。一歩先に踏み出した途端、底なしの暗闇に堕ちていく、そんな恐怖に怯えながら、一週間、二週間と過ぎていった。


 ところが、世の中には物好きな人がいるものだ。わざわざこんな所に足を運んで、先行きの見えない病人のために貴重な時間を使おうというのだから、その知らせを受け取った時、驚きと呆れと感謝の気持ちがいっぺんに込みあがった。

 まるで春みたいに日差しが眩しい一月最後の土曜日、私の体調がいつになくいい日に奏と千沙が見舞いに来た。二人とも新学期が始まって、私が休学になったこと、病気治療のため入院し、退院まで半年以上掛かると聞いてびっくり仰天し、以降、雨あられのメールを送ってきた。その返信で、これまで黙っていたこちらの事情を打ち明け、何も言わずにいなくなったことをお詫びした。

だから顔を合わせても、もう何も話すことがない。懐かしい話をして終わりだ、と思っていたのだが、

「一つだけ言っていい?リン、あんたひどいね。こんな大切なことを言わずにいなくなるなんて、なめるにもほどがある」

 と開口一番、奏に思い切り怒られた。

「そうだよ。友達なんだから、これからはつらいことがあったら何でも言って。何もできなくても、みんな受け止めるから」

 千沙には腕にしがみつかれ、涙顔で訴えられた。

 確かに、そうだと思った。友達というものを私はなめていた。重たい事情を抱えた自分は、彼女たちのような普通の子に何もかもさらして付き合えない。打ち明けたら気持ちが引いてしまうだろう、そう考えて、無意識のうちに距離を取っていた。

だが、二人はあくまで普通の友達として私と付き合い、事情を聞いても気持ちが引くことはなかった。かえって私の甘ったれた根性を揺さぶり、叩きなおしてくれた。

 おかげで、ずっと飲み込んでいた話を口にすることができた。

「今まで言わなかったけど…私、本当は十七歳なんだ。中三の時も一年休んだから、二人の一個年上になる。今度、また留年するから、戻ったら一学年下になる。お姉さんなのに後輩になるけど、また付き合ってくれる?」

 そう言った途端、また奏に叱られ、千沙に泣きつかれた。二人の姿に私も熱いものが込みあげ、入院して初めて涙を流した。三人揃って気が済むまでわんわん泣いて、駆けつけた看護師さんに怒られてしまった。

 それから取り留めもない話をしてそろそろ帰る感じになったところで、聞きにくいけれど、どうしても確かめておきたいことを口にした。

「あの、天道くんのことなんだけど…停学処分になったって本当?」

 先日、琴から聞いて、色々な意味で胸を騒がせた話だった。里中ゆずの一件で、その相手だった彼に学校からどんな処分があるのか、最悪の結果を考えると夜も眠れなかった。

 果たして、迷子の子供みたいな顔をしている私に、奏が、分かってる、ちゃんと教えてあげるから、という顔で答えてくれた。

「あいつはいるよ。二月になったら戻ってくるって、大船先生が言っていた」

「本当に?それで、済んだんだよね」

「大丈夫。今までだって、何だかんだでピンチを切り抜けてきたんだから。リンが戻る頃には、きっと憎たらしい先輩になっている」

 そうして、何もかも事情を飲み込んだ顔で、ぽん、と私の肩を叩く。

 それを聞いて胸のつかえが一つ取れた。テンドウは学校を辞めてない。これからも王朝貴族オーラを放って、次々と彼女を作っていくだろう。そこに自分がいないないのは残念だったが、彼が無事なことを聞いて、とても救われた気持ちになった。

「じゃあ、約束したからね」

 別れ際、見送りに行ったエレベーターホールで千沙に手を取られ、念押しされた。

「分かった。早く治して、タルトを食べに国分寺に行く」

 病気を治すにはモチベーションが必要だろう、ということになって、復帰した初日に三人で寄り道する約束をした。何があっても繋がっている…私だけでなく、奏にも千沙にも必要なものだったのかもしれない。

 最後にそんなことをしたものだから、胸がいっぱいになり、つい油断してしまった。

「……」

 よかった。二人と友達でいられて…テンドウが学校を辞めないで済んで。

 もう何もいらない。私はとても幸せだ…。

 最後の一瞬まで手を振る二人の姿が、エレベーター扉の向こう側に消える。華やいだお喋りがピタッと途切れ、病院独特の匂いと静けさが再び周りに立ち上がると私は、生気を使い果たしたみたいにペタリと床に座り込んだ。