次の日、降り積もった雪が、通学路から校門の前、中庭に生々しく残っている学校に行って、休学届を出した。

 校長先生と担任の大船先生に、病気が再発したこと、年明けから入院生活に入ることを報告すると、待っているから、しっかり治して戻ってきなさい、と言われ、初めて胸が熱くなった。

 もう慣れている、自分は平気だ、と思っていたけれど…。

私は、この学校とみんなにさよならして、またあの世界に閉じ込められる。そう考えたら急に名残惜しくなり、祖母に断って、一人で学校の中をあちこち回った。教室や図書室はもちろん、見慣れた献立表が並んだ学生食堂やホームズパンが店を開けていた購買部、渡り廊下に並んだ自動販売機や附属中学生が使う外階段。そこに立つだけで様々な光景が浮かんでくるものを前にして、胸に刻み付けるように、深く深く息を吸った。

 大丈夫、ここで過ごしたことは決して忘れない…そう思って、校門を後にした。


 お正月が過ぎて、新学期が始まる前の日、私は、都内の御茶ノ水という駅の前にある病院に入院した。

 二年前、病気が発症して入院したのと同じ建物の同じ階の個室。足元に神田川が流れ、公開空地と散策路には街路樹がふんだんに植えられていて、東京のど真ん中にしてはなかなかの環境だ。きっと、快適な闘病ライフを送れるだろう。

 などと駅に降りた時、考えてみたが、いざ入院生活が始まるとそんなことになる筈もなく、毎日が検査と投薬治療、それに病室で安静に過ごすことの繰返しで、何処にも楽しいことが転がっていない。いや、おおよそこんな日々が続くのだろう、と過去の経験から知っていたから、驚いたり、戸惑うことはなかった。

 でも、一つだけ…。

ほんの一年足らずだったけど、とびきり楽しくて、たくさんの出来事があった、思い出すだけで眩しい高校生活を経験したのが誤算だった。外の世界を何も知らずに入院していればよかったのに、一たびそこに足を踏み入れ、普通の女子高生をしてしまったらもう駄目だった。

 つまらない。楽しいことが一つもない。何も起きないまま一日が過ぎていく。

 一体、何処で間違ったんだろう。どうして、私だけこんな目に遭うの?

 心の中で問いかけても、誰も答えてくれない。

 私一人を取り残して、窓の外の時間がどんどん進んで行く。

 ベッドの中から、いつまでも雲の行方を見つめていた。