里中ゆずが入院したのは自殺未遂が原因だった。自宅で大量の薬を飲んで倒れていたところを家族に発見されたらしい。

 その話が伝わったのは、期末テスト最終日。誰もがほっと息を吐いて、終業式、クリスマス、年末年始、これからやってくる楽しいイベントを頭の中で巡らせている最中だった。

「ちょっと、手に負える話じゃなくなってきたかも…」

「うん…」

「大丈夫かな」

 さすがに演劇ネタを封印した奏が、沈痛な面持ちで窓側の席を覗く。まるで発火する前に火が消えてしまった花火みたいに、一人ぽっちで携帯をいじっている大きな人影を。

 もはやそこに至った理由を誰も聞かないし、触れようともしなかった。そうしてしまったら、天道翔をいっそう追い詰めると分かっているから。次々と新しい女の子と付き合い、その度に前の彼女とお別れしてきた、何もかも彼の行動が引き起こしたことだと分かっているから。

 みんな、当然の結果だと思っているから声を上げないし、彼に手を差し伸べることもない。このまま何の変化もなく結末に向かっていくと思われた。

私と奏の間で口を閉ざしていた千沙が、おずおずと顔を上げたのはその時だった。

「…何で、今になって入院した理由が分かるの?あの子が学校に来なくなってからずいぶん時間が経っているのに」

 いつも周りの空気をうかがっている子が、大きな瞳を見開いて問いかけてくる。

 すると、すっきりしない顔で頬杖をついていた奏が口を開いた。

「それは、大人の世界の事情が原因かも…」

「どういうこと?」

「担任の先生がお見舞いに行っているからね。ゆずの親から、娘が学校の男子と付き合って、別れたからこうなったんじゃないかって話があったんじゃない?でも、原因がはっきりしないまま発表したら大騒ぎになるから、とりあえずそのままにしておいたんだけど…ゆずの家からしたら、うやむやにされたみたいでたまんないよね。学校が動かないなら、こっちから公表して責任を取らせようと思ったのかもしれない」

「だから、今になってD組のクラスメートにメールしたの?じゃあ天道くんは、ゆずさんが自殺未遂したことを最近知ったってこと?」

「あの様子じゃそうだね」

 そう言ってもう一度、窓側の席を振り返る。釣られて千沙も、私も、テンドウのシルエットを外の光の中に見つける。

 そうしてどれだけの興味と関心が彼に注がれただろう。教室の中で、学校の至る所で、十六年しか生きていない純粋で壊れやすい心が、どれほどの重圧を受けているのだろう。

 ゆずの家と学校との間にどんなやり取りがあったのか知らない。どちらにも守りたいものがあって、少しでもいい方法を捜した結果が、このタイミングで生徒の間に広まってしまった、というのが事実なのだろう。

 それについて、ここがおかしい、あれが間違っている、とは言えない。里中ゆずは、天道翔に振られたから自殺しようとした、その現実を変えようがないから。

 ただ、それをゆずの側は、学校や生徒に伝えることで自分たちが欲しいものを得ることができた。失うものがあっても、相手側から手にしたものもあった筈だ。

でも、天道翔の側は…突然、逃げようのない状況に追い込まれ、とてつもない重圧にさらされても何一つ得るものがない。それは、加害者だから当然、の一言で済むだろうか。男子と女子が付き合って別れた、元をただせば対等の関係だったのに、一つのきっかけで弁解の余地がない立場に追い込まれた。そこに一点の言い訳を挟む余地もないのだろうか。

「…やっぱり、おかしいよ」

 私の胸の内が伝わったのか、千沙が思いつめた様子で声をもらした。

「つらいのは分かるけど、彼氏と別れただけで死のうとするなんて…付き合ったら別れることもあるんだから。みんな、それが分かって恋愛しているんだから、自分だけ特別だなんて考えるのは間違っている。甘ったれてるよ」

 そこにいないゆずに向かって、毅然と声を上げていた。黙っていたら自分たちの大切な何かが失われしてしまう、それは堪らないとばかりに。

 すると奏が、ずっと求めていた声を聞いたみたいに顔を上げた。

「千沙の言うとおりかもしれない。そんな気持ちになったのは気の毒だけど。だからって、一方的に被害者になるのはずるいかも」

「そうだよ。苦しいのは天道くんだって同じなんだから」

「ねぇ。その辺の所、伝えた方がよくない?」

 まるで、探していた行く先を見つけたみたいに提案する。呼応して千沙が、そうだね、行こう、と腰を上げると、もう大勢が決してしまった。

 それから三人で窓側の席に繰り出し、テンドウの大きな体を囲んで自分たちの意思を伝えた。まず奏が先頭を切って口を開き、千沙がさらに踏み込んで言い足す。私は二人の傍らに立って、力なく頷いていた。

 テンドウは、驚いた様子で奏たちの話を聞いていた。まさか、このメンバーから声を掛けられるなんて思ってもみなかったのだろう。

 思いがけないことはさらに続いた。私たちの話を聞いた周りの子たちが次々と賛同し、テンドウを勇気づける声を上げていったのだ。

お前が苦しむのは筋違いだ、自殺未遂した方にも非はある、可哀そうって思われたくてやったのかも、だとしたら最低だな…。

みんなこの機会を待っていたみたいに、胸に抱えていたものを吐き出した。テンドウの気持ちを少しでも救いたくて、大切なものを失いたくなくて。

 こんな場面に出くわした彼は、暗闇の中で一筋の光を見つけたみたいに微笑んだ。

「ありがとう、みんな。大丈夫だから、心配しないで…」

 何度もそう言って、クラスメートから掛けられる温かい言葉に感謝した。どんなつらい立場にあっても、自分には寄り添ってくれる友達がいる。彼らは決して裏切らない、と胸を震わした。奏や千沙、窓側の席に集まった子たちに、そう見えたに違ない。

 でも、そうだろうか。テンドウは本当に勇気づけられて、心を温かくしたのだろうか。

 たくさんの頭の向こうに見え隠れしている笑顔を覗きながら、私は何故か、まるで反対のことを考えていた。穏やかな口元を目にするほど、胸が騒いで仕方なかった。