それまで噂でも聞いたことがなかったのに、一度耳に入ると、旬のそばや新作のワインが解禁されたみたいに次から次へと同じ情報が入ってくるものだ。
「ねぇ、聞いた?またまた新しい彼女ができたんだって」
次の日、病院で診療を受け、お昼から登校した私は、お弁当を広げた千沙からひそひそ声でその話を持ち出されてため息をついた。
すると、お手製のサンドイッチを口に運ぼうとしていた奏が大げさに頭を抱えて、
「おいおい。何人ヒロインが出てくるんだ。キャスティングが大変じゃないか…」
そう言って、収集のつかなくなった舞台の行方を案じる。
そんなものがどうなろうと知ったことではない。自称第一のヒロインは、王子様に一度も声を掛けられることなく、開幕からずっと舞台の袖で悶々としているのだ。
そう思いながら購買部で入手したチキンカツバーガーを開けようとしたら、もう一度、ひそひそ声が耳に入ってきて、私の手を硬直させた。
「相手はC組の竹下さんらしいんだけど…彼女が告白してOKしたって言うより、里中さんが四六時中付きまとって束縛しようとしたから、天道くんが嫌になったって話だよ」
「テンドウが、ゆずさんを振ったの?」
「そうみたい。朝起きてから夜寝るまで、何十通もメールを送って、返信がないとすぐに電話してくるから、怖くなったんだって」
「本人がそう言ってたの?」
「これは、マキちゃん情報だけど…」
私が、チキンカツバーガーと一緒にすごい迫力で身を乗り出したものだから、千沙は取り調べを受ける容疑者みたいに青い顔で呟いた。
「結局、いつものパターンじゃん。新しい女の子に告られたからそっちにお乗換えして、前の彼女には楽しい思い出をありがとう、でめでたしめでたしって」
まぁ、結果的にはそうだけど…救いの手にしがみつくような口ぶりで、奏の見解に千沙が同意する。二人ともまた一つ、天道翔の輝かしい女性遍歴を拝見した顔になっている。
でも、それだけだろうか。本当にいつものパターンで、みんな笑顔で終わるのだろうか。
ふと、テンドウの隣で彼を見上げていたゆずの姿を思い浮かべる。控えめで、傍目には嬉しいのかつまらないのか分からない。でもよく見ると結んだ口元が緩んでいて、心から満たされていた横顔を。
彼女は、天道翔を手放せるだろうか。すっかりひしゃげてしまったチキンカツバーガーを見つめながら胸を騒がせていた。
そうなってほしくないと思っていたが、やはり恐れていたことが起きた。
里中ゆずが、学校に来なくなった。
それが二三日だったらまだ格好がついた。誰だって恋人と別れるのはつらい。学校に行きたくない気持ちも分かる。
でも、ゆずは、一週間経っても十日経っても学校に来なかった、初めは、具合が悪い、と言って休み、やがて病院に入院した、今年いっぱいは復学できない、と担任の先生から話があったそうだ。
「どうも気持ちの問題らしいよ」
同じクラスにいる琴からその話を聞いて、私は、自分の部屋で棒立ちになった。
「それって…うつ病とか?」
「よく分からないけど、そういう感じの病気だって衣笠先生が言ってた。ねぇ、大丈夫?」
「何が?」
振り返ると、私のベッドに胡坐をかいた琴が、神妙な面持ちでこちらを見上げて言った。
「天道くん。あぁ見えて、けっこうナイーブじゃない?」
「…分かってる」
「スズ姉が声を掛けてあげれば、気持ちが楽になるかもしれない」
普段お気楽で、茶化すようなことばかり言っている妹が、別人のような顔色で私に訴える。彼を助けてあげられるのはカノジョじゃない、お姉ちゃんだよ、と。
言われなくたって、テンドウに声を掛けてみようと思っていた。面と向かって聞くのでなくても、それとなく話して彼の様子を知ることはできる。これまで何度も、そうやってきた。
でも、今度の話は、生徒の間で治まる話ではないのかもしれない。もっと根が深くて、いつも目にしている景色を消し去ってしまうくらい大変な…。
琴の顔を見て、黒い雲が太陽の光を遮り、世界全体が薄暗くなったような気がした。
「ねぇ、聞いた?またまた新しい彼女ができたんだって」
次の日、病院で診療を受け、お昼から登校した私は、お弁当を広げた千沙からひそひそ声でその話を持ち出されてため息をついた。
すると、お手製のサンドイッチを口に運ぼうとしていた奏が大げさに頭を抱えて、
「おいおい。何人ヒロインが出てくるんだ。キャスティングが大変じゃないか…」
そう言って、収集のつかなくなった舞台の行方を案じる。
そんなものがどうなろうと知ったことではない。自称第一のヒロインは、王子様に一度も声を掛けられることなく、開幕からずっと舞台の袖で悶々としているのだ。
そう思いながら購買部で入手したチキンカツバーガーを開けようとしたら、もう一度、ひそひそ声が耳に入ってきて、私の手を硬直させた。
「相手はC組の竹下さんらしいんだけど…彼女が告白してOKしたって言うより、里中さんが四六時中付きまとって束縛しようとしたから、天道くんが嫌になったって話だよ」
「テンドウが、ゆずさんを振ったの?」
「そうみたい。朝起きてから夜寝るまで、何十通もメールを送って、返信がないとすぐに電話してくるから、怖くなったんだって」
「本人がそう言ってたの?」
「これは、マキちゃん情報だけど…」
私が、チキンカツバーガーと一緒にすごい迫力で身を乗り出したものだから、千沙は取り調べを受ける容疑者みたいに青い顔で呟いた。
「結局、いつものパターンじゃん。新しい女の子に告られたからそっちにお乗換えして、前の彼女には楽しい思い出をありがとう、でめでたしめでたしって」
まぁ、結果的にはそうだけど…救いの手にしがみつくような口ぶりで、奏の見解に千沙が同意する。二人ともまた一つ、天道翔の輝かしい女性遍歴を拝見した顔になっている。
でも、それだけだろうか。本当にいつものパターンで、みんな笑顔で終わるのだろうか。
ふと、テンドウの隣で彼を見上げていたゆずの姿を思い浮かべる。控えめで、傍目には嬉しいのかつまらないのか分からない。でもよく見ると結んだ口元が緩んでいて、心から満たされていた横顔を。
彼女は、天道翔を手放せるだろうか。すっかりひしゃげてしまったチキンカツバーガーを見つめながら胸を騒がせていた。
そうなってほしくないと思っていたが、やはり恐れていたことが起きた。
里中ゆずが、学校に来なくなった。
それが二三日だったらまだ格好がついた。誰だって恋人と別れるのはつらい。学校に行きたくない気持ちも分かる。
でも、ゆずは、一週間経っても十日経っても学校に来なかった、初めは、具合が悪い、と言って休み、やがて病院に入院した、今年いっぱいは復学できない、と担任の先生から話があったそうだ。
「どうも気持ちの問題らしいよ」
同じクラスにいる琴からその話を聞いて、私は、自分の部屋で棒立ちになった。
「それって…うつ病とか?」
「よく分からないけど、そういう感じの病気だって衣笠先生が言ってた。ねぇ、大丈夫?」
「何が?」
振り返ると、私のベッドに胡坐をかいた琴が、神妙な面持ちでこちらを見上げて言った。
「天道くん。あぁ見えて、けっこうナイーブじゃない?」
「…分かってる」
「スズ姉が声を掛けてあげれば、気持ちが楽になるかもしれない」
普段お気楽で、茶化すようなことばかり言っている妹が、別人のような顔色で私に訴える。彼を助けてあげられるのはカノジョじゃない、お姉ちゃんだよ、と。
言われなくたって、テンドウに声を掛けてみようと思っていた。面と向かって聞くのでなくても、それとなく話して彼の様子を知ることはできる。これまで何度も、そうやってきた。
でも、今度の話は、生徒の間で治まる話ではないのかもしれない。もっと根が深くて、いつも目にしている景色を消し去ってしまうくらい大変な…。
琴の顔を見て、黒い雲が太陽の光を遮り、世界全体が薄暗くなったような気がした。