九月下旬に開催される学園祭に向けて、蝉たちの鳴き声が勢いを失い、首筋をかすめていく涼風とともに秋の気配が少しずつその勢力範囲を広げたけれど、まるでそれに挑戦状を叩きつけるみたいに私たちの毎日は熱を帯びた。
演劇部の公演を控えた奏と千沙も、オカルト喫茶店を計画しているクラスメートたちも、生徒会、文化部の面々、父母会主催の古本市に至るまで、様々な企画が学業そっちのけで準備され、日に日に形を成していくものだから、私の胸は、自分でもおかしいと思うくらい高鳴った。
このまま当日を迎えたら、成層圏を突き抜けて宇宙空間に達してしまうのではないか、そんな心配をするくらい高揚した。
そうして満を持して始まった学園祭は、あっという間に一日目が過ぎ、気が付くと二日目のお昼に差し掛かっていた。楽しい時間の半分はそこに至るまでの間にある、何処かの誰かが口走ったとおりだった。
ただ、私の頭の中は、残り半日となっても変な熱に罹ったままで、テンドウと二人で購買で買った総菜パンを食べている最中、何を思ったのか、こんなことを口走っていた。
「私、病気のことで運動ができないから図書委員になったんだ。家と学校の往復だけじゃ寂しいと思ったから…すごい決心して立候補したんじゃないんだよ」
午前中、講堂で奏と千沙が出演した演劇部の舞台を観て、大勢の生徒と外部のお客さんが出入りする校内食堂のテーブルで、早めのお昼ご飯を食べている時のことだった。
この後すぐ、三か月掛けて準備した図書委員のプレゼン本番がある。それが過ぎると学園祭の終了時間になって、テンドウと過ごした日々が終わってしまう。
色々なことがクライマックスに差し掛かった状況で、普段なかなか食べられないホームズパンのカツサンドを入手したものだから、気持ちが高ぶって、いつもと違う心境になったんだと思う。
テンドウは、私の話を黙って聞いていた。
きっと、色々なことを思い浮かべたと思う。川越の林田家を訪れて、私が一つ年上なのを琴から聞いて知っているから…コーヒー牛乳のストローを口にくわえたまま静かに、胸に染みこませるように眼を閉じている。やがて眼を開くと、俺も同じだよ、と似たような空気を漂わせて言った。
「本当はサッカー部に入るつもりだったんだけど…中学の成績がメタメタで、せっかく私立に入ったのに親の期待を裏切ってきたから、高校では好きなことをやらせないって言われたんだ」
「…そうだったの?」
「でも、まっすぐ家に帰っても無理やり勉強させられるだけだから。うちの父親と母親、大学で講師をしていて、兄貴も高田馬場にある有名大学に通っているんだ…」
「……」
「家族そろって高学歴の家庭に、落ちこぼれの末っ子の居場所なんてないからな。それで、何でもいいから気を抜ける場所がほしくて図書委員に立候補したんだ」
そう言って苦笑いしながら、テーブルと窓を隔てた中庭に目を向ける。初めて一緒に帰った日、どうしてサッカー部に入らないの?と聞いた私に答えた時と同じ眼差しで。
あの時、曇り空に隠れていた天道翔の輪郭が、ようやく目の前に現れた気がする。屈託のない笑顔の向こう側にある絶望や孤独、虚しさを抱えている俯いた背中が…。
大事なイベントを前にして、何てそぐわない話をしているんだろう。タイミングの悪さに呆れてしまう。
でも私は、首を振ることも顔を上げることもなく、再び息を吸い込んだ。テンドウの話を聞いたら、胸の奥にしまってあるものが込みあがって、口にせずにいられなくなった。
「私もたくさん裏切ってきた。お母さんが交通事故で亡くなって、父と祖母に大事に育てられたのに。病気になって、一年遅れたうえに目標にしていた学校に受からなくて。それでも、これ以上遅れたくないって、我儘言ってここに入学したんだ。すごいお金を使って病気を治してもらったのに、期待に応えられない出来損ないなんだよ…」
そう言いながら、とっておきのカツサンドにかぶりついた。普段ならとても美味しくて感激していただろうけど、やっぱり塩辛い味しかしなかった。
「俺たち、裏切り者同士だったんだ」
冷めた笑みを浮かべてテンドウは言った。
「他に行く所がなかったから、仕方なく図書委員になって、それなりにやってきただけなんだ」
「そうだね。格好よく立候補してクラスのみんなを騙していた。とんでもない食わせ者だ」
「そんな二人が組んで大勢の人の前で発表するんだから、笑っちゃうな」
「うん。何だか申し訳ない」
「いっそのこと、最初に謝っちゃおうか。こんな二人ですみませんって」
そう言って、中庭に向けていた顔をこちらに振り返らせて笑う。カツサンドにしがみついて、かろうじて持ちこたえている私を慰めるのでなく、一緒にため息をついてくれた。
すると、どいう訳か底なし沼に沈もうとしていた体がふわりと浮かんだ。新鮮な空気が私の心をよみがえらせた。
どうしてこうなるのか分からない。テンドウと一緒にいると、いつもありえない行動に振り回され、その度イライラするのだけれど。時々、奇跡が起こったみたいに気持ちが救われる。何の価値もないと思っていた私の時間を何度、とっておきの思い出に変えてくれただろう。
演劇部の公演を控えた奏と千沙も、オカルト喫茶店を計画しているクラスメートたちも、生徒会、文化部の面々、父母会主催の古本市に至るまで、様々な企画が学業そっちのけで準備され、日に日に形を成していくものだから、私の胸は、自分でもおかしいと思うくらい高鳴った。
このまま当日を迎えたら、成層圏を突き抜けて宇宙空間に達してしまうのではないか、そんな心配をするくらい高揚した。
そうして満を持して始まった学園祭は、あっという間に一日目が過ぎ、気が付くと二日目のお昼に差し掛かっていた。楽しい時間の半分はそこに至るまでの間にある、何処かの誰かが口走ったとおりだった。
ただ、私の頭の中は、残り半日となっても変な熱に罹ったままで、テンドウと二人で購買で買った総菜パンを食べている最中、何を思ったのか、こんなことを口走っていた。
「私、病気のことで運動ができないから図書委員になったんだ。家と学校の往復だけじゃ寂しいと思ったから…すごい決心して立候補したんじゃないんだよ」
午前中、講堂で奏と千沙が出演した演劇部の舞台を観て、大勢の生徒と外部のお客さんが出入りする校内食堂のテーブルで、早めのお昼ご飯を食べている時のことだった。
この後すぐ、三か月掛けて準備した図書委員のプレゼン本番がある。それが過ぎると学園祭の終了時間になって、テンドウと過ごした日々が終わってしまう。
色々なことがクライマックスに差し掛かった状況で、普段なかなか食べられないホームズパンのカツサンドを入手したものだから、気持ちが高ぶって、いつもと違う心境になったんだと思う。
テンドウは、私の話を黙って聞いていた。
きっと、色々なことを思い浮かべたと思う。川越の林田家を訪れて、私が一つ年上なのを琴から聞いて知っているから…コーヒー牛乳のストローを口にくわえたまま静かに、胸に染みこませるように眼を閉じている。やがて眼を開くと、俺も同じだよ、と似たような空気を漂わせて言った。
「本当はサッカー部に入るつもりだったんだけど…中学の成績がメタメタで、せっかく私立に入ったのに親の期待を裏切ってきたから、高校では好きなことをやらせないって言われたんだ」
「…そうだったの?」
「でも、まっすぐ家に帰っても無理やり勉強させられるだけだから。うちの父親と母親、大学で講師をしていて、兄貴も高田馬場にある有名大学に通っているんだ…」
「……」
「家族そろって高学歴の家庭に、落ちこぼれの末っ子の居場所なんてないからな。それで、何でもいいから気を抜ける場所がほしくて図書委員に立候補したんだ」
そう言って苦笑いしながら、テーブルと窓を隔てた中庭に目を向ける。初めて一緒に帰った日、どうしてサッカー部に入らないの?と聞いた私に答えた時と同じ眼差しで。
あの時、曇り空に隠れていた天道翔の輪郭が、ようやく目の前に現れた気がする。屈託のない笑顔の向こう側にある絶望や孤独、虚しさを抱えている俯いた背中が…。
大事なイベントを前にして、何てそぐわない話をしているんだろう。タイミングの悪さに呆れてしまう。
でも私は、首を振ることも顔を上げることもなく、再び息を吸い込んだ。テンドウの話を聞いたら、胸の奥にしまってあるものが込みあがって、口にせずにいられなくなった。
「私もたくさん裏切ってきた。お母さんが交通事故で亡くなって、父と祖母に大事に育てられたのに。病気になって、一年遅れたうえに目標にしていた学校に受からなくて。それでも、これ以上遅れたくないって、我儘言ってここに入学したんだ。すごいお金を使って病気を治してもらったのに、期待に応えられない出来損ないなんだよ…」
そう言いながら、とっておきのカツサンドにかぶりついた。普段ならとても美味しくて感激していただろうけど、やっぱり塩辛い味しかしなかった。
「俺たち、裏切り者同士だったんだ」
冷めた笑みを浮かべてテンドウは言った。
「他に行く所がなかったから、仕方なく図書委員になって、それなりにやってきただけなんだ」
「そうだね。格好よく立候補してクラスのみんなを騙していた。とんでもない食わせ者だ」
「そんな二人が組んで大勢の人の前で発表するんだから、笑っちゃうな」
「うん。何だか申し訳ない」
「いっそのこと、最初に謝っちゃおうか。こんな二人ですみませんって」
そう言って、中庭に向けていた顔をこちらに振り返らせて笑う。カツサンドにしがみついて、かろうじて持ちこたえている私を慰めるのでなく、一緒にため息をついてくれた。
すると、どいう訳か底なし沼に沈もうとしていた体がふわりと浮かんだ。新鮮な空気が私の心をよみがえらせた。
どうしてこうなるのか分からない。テンドウと一緒にいると、いつもありえない行動に振り回され、その度イライラするのだけれど。時々、奇跡が起こったみたいに気持ちが救われる。何の価値もないと思っていた私の時間を何度、とっておきの思い出に変えてくれただろう。