「すごい。よく調べたね、こんなに詳しく…」

「時間があったから。三枚目に、主人公とヒロインのポイントになるセリフをまとめてみたけど」

「…あぁ、ここに書いてあるの全部、何処で言ったか分かるよ」

 学校から駅までの道すがら、彼はずっと、例の物語の魅力を熱く語った。胸にじんときた場面とか、心憎い展開とか、それだけで本のプレゼンになってしまうくらい事細かに。

 そして、ホームの待合室で私がまとめてきた資料を目にすると、思ったとおり、好きな芸能人のお宝ファンブックを手にしたみたいに感激し、せっかく買ったパンを隣の椅子に放って読み始めた。私がピザトーストの包みを開けても、気にすることなく唸っていた。

 この物語は、小学生の時に別れた主人公とヒロインが大学で再会し、互いに魅かれあって再び結びついていくストーリーだ。ただし、主人公は相手が幼馴染の子だと知らずに付き合い、それを知っているヒロインが自分の素性を打ち明けないまま話が進んでいく。情報が一方通行になっている所がポイントで、読者は何も知らない主人公の視点で、ヒロインの素性をあれこれ想像していく仕掛けになっている。

 確かに面白いストーリーだ。登場人物にも共感できる。ただ、そこまで夢中になるほどのものだろうか。このヒロイン、ちょっと思い詰めすぎじゃない?そう思っていたから、彼の反応は全く予想外だった。もういいよ、分かったから打ち合わせを始めない?そういう流れに持っていきたくて、ホットドックの包みを開けながら言った。

「ねぇ…せっかく買ったのに食べないの?」

「食べるよ…あぁ、今日はよかった。今まで読んだ中で一番面白い本だったから、早く話したいって思っていたんだ」

「…私とこういう話がしたかったの?」

 じゃあ、どうやって進めようか、と聞くつもりが、しみじみと語る顔を目にしたらつい余計なことを口にしていた。

 彼は、長い年月を掛けて探していた宝物を見つけたみたいに、一点の曇りもない瞳で微笑んだ。

「もちろん。リンと一緒に読んだんだから、他の子とじゃ話せないだろう?」

 当たり前じゃないか…柔らかな声が、私に向けて真っすぐに掛けられる。

「……」

 あれほど掴めなかった彼の素顔が、手を伸ばせば届くところにある。相変わらず王朝貴族の香りを漂わせているが、まぎれもなく天道翔という男の子が。

 ホットドックのケチャップの香りが鼻を突く。ホームに滑り込んできた電車の窓が日差しを反射して、眩い光を待合室の中に投げてくる。

 まるで何かの魔法にかかったみたいに、私も、彼に向けて真っすぐに答えていた。

「私も、テンドウにしかこの資料を見せられない、他の子に言っても分かってもらえないから。テンドウじゃないと駄目なんだ」

 何てことを言っているんだろう、といつもの自分が慌てていた。けれど、普段隠れているもう一人の自分が、逃げることなく彼を見つめて微笑んでいた。

「じゃあ俺たち、オタク同士で盛り上がっているんだ」

「本当だ。絶対、変な二人って思われているよ」

「まずいな。怪しい図書委員コンビだ」

 丁度、ガラス窓の向こうで扉を開けた電車を見ながら、二人でケラケラと笑う。笑いながら、「テンドウ」と呼び捨てにした自分に驚いていた。それを何事もなく受け止めてくれた彼に胸を温めた。

この感情は何というんだろう。私は、何を手に入れたのだろう。そんなことを考えながら、また彼の名を口にしたくて、空に向かって少しだけしゃくれた顎の輪郭をひたすら見上げて話していた。

「じゃあテンドウは、ヒロインの子がいなくなった後に、二人が幼馴染同士だったって気づいたの?あそこまで分からなかったんだ?」

「怪しいとは思ってたよ。子供の頃の話をした時とか…リンだって、すっかり騙されたって言ってなかった?」

「だって、先にヒロインの話をされても、こっちは主人公の生い立ちを知らないんだから、分かる筈ないじゃない?」

「まぁね。初めて読んだ人が気づかないように、うまく書いてあるから」

「映画なら、ちゃんと映像が出るんだろうけど…」

「あぁ、そうだ。忘れていた」

「何?」

「俺たち、映画を観てないじゃないか」

「ちょっと待って。それ必要…かな?」

「もちろんだよ。せっかく映像があるんだから、観ておいた方がいいに決まっている。だとしたら早くしないと…何なら、一緒に観ようか?」

「…へ?」

 その言葉を聞いた瞬間、流れていた時間が正常に止まった。

 二人で読んだ小説の映画を一緒に観る。テンドウと同じ画面を見て、泣いて笑って、エンドロールを流しながら感想を言い合う。もしそれができたらどんなに楽しいだろう…。

だが、私の頭の中で色とりどりの花が咲いたのは、ほんの一瞬だった。

考えてみてほしい。映画を観るといっても、確か一年前に公開が終了しているから、レンタルDVDを借りてテレビ画面に映すしかない。じゃあ何処のテレビで…学校、という訳にいかないから、自ずとどちらかの家、ということになる。

「初めに言っておくけど、うちは無理だよ…家庭の事情で」

 テンドウは間髪を入れずそう言って、国立の家の門を閉ざした。すると、残るは川越の林田家しかなかったが、

「じゃあ…」

 そうではなくて、レンタル版をダウロードして携帯で観るという手もあるんじゃない?とわが家への男子の訪問を何としても阻止したい私は言いかけたが…。

ふと頭の中に、見慣れた景色が降りてきて言葉を飲み込んだ。学校の行き帰りに、ドトールやミスドのカウンター席で、顔を寄せて小さな画面に見入っているカップルの姿…脳裏にギラギラと焼き付いている彼氏と彼女の光景にテンドウと自分の顔を入れたら一瞬で酸素が足りなくなり、やむなく、苦し紛れに申し出ていた。

「…うちに来る?そちらがよければの話だけど」