「私てっきり、リンちゃんだと思っていたのに。他の子と付き合うなんて納得できないよ」
いかにも承服しかねるという顔をして、千沙が口を突き出した。
「私もさぁ…今度ばかりは、あいつも見る目があるって感心していた。ほら、とびきり従順な犬みたいになついてたじゃない。なのに…」
奏が落胆のため息をつきながら、窓側の席で笑い転げている天道くんを眺めて言った。
なんて友達思いの子たちだろう。私を案じて、傷ついた心に寄り添ってくれるのだ…でも、二人とも入口で大きな勘違いをして話している。富士山頂を目指しながら、高尾山に足を踏み入れているのだからどうしようもない。
こんな状況下で私はどうしていたかと言うと、
「気にしないで。本当に、天道くんとは何でもなかったんだから…」
頭の中でありえない展開を浮かべている二人に一応、ささやかな抵抗を試みた。せっかく厄介事が一つ片付いたのに、蒸し返されたらたまらないと思って奏と千沙の肩を必死に叩いた。
ところが、というか案の定、私の訴えは届かなかった。
「大丈夫、これで終わりじゃない。またきっとチャンスがやってくるから、それまで気持ちを切らさずにがんばろう」
私の手を取った千沙が、驚くほど前向きな物言いで励ますと、
「でもでも…演劇部的に言うなら、これは次の展開の伏線かもしれないよ。ここで距離を取っておいて、ある日、二人が急接近するんだ」
舞台監督の顔をした奏が、手にしたシャープペンをオーケストラの指揮棒のように振ってニンマリとする。
天道翔に新しい彼女ができた、という話は、高校生の毎日をそこまで揺さぶった。
私としては全然驚くことじゃない。毎度のことなんでしょう、と言いたかったが、彼女、彼らにとっては、アイドルグループのセンターが交代した、カンヌ映画祭で日本映画がパルムドールを受賞した、くらいの大事件らしい。
本当にそんな騒ぐことなのだろうか…。
周りの反応に逆に興味が湧いて、ある日、図書室当番が終わってから天道くんの後を付けてみた。校門の前で待ち合わせた二人が、最寄り駅に向かって仲良く手を繋いで歩いていく。誰がどう見ても幸せで、恥ずかしくなってしまう後ろ姿を、惨めな脇役になったつもりで観察した。
そこで思ったのは、やはり北川凪さんは素敵な女の子だ、ということだった。
あんなに綺麗で、男子はもちろん女子の心も魅了してしまう優雅な雰囲気を持っているのに、天道くんを見つめて、本当に嬉しそうに微笑むのだ。手を繋いでいるのを意識して、頬を赤らめているのだ。そうした反応を素直に表している自分が好き、と一瞬だけ覗いた表情が言っていた。
私もこんな風になれたらいいのに、とまたも敗北感を覚えてしまった。
好きな男の子と一緒にいるというのは、そういうことなのか。こうまで女の子を変えてしまうのだろうか…。
届きそうで届かない世界がそこにあると知って、私は、いつまでも二人の姿を見つめていた。
最寄り駅の改札口を抜けると、帰る方向が違う天道くんと凪さんは、別々の階段を降りていかなければならない。何処かに寄り道しないとなれば、ここが さよならの場所だ。
繫いだ手をなかなか放すことができない、国分寺行きと西武新宿行きの電車を何本もやり過ごしている。そんな姿に見とれた私は、なかなか川越方面に行く電車に乗れなかった。
「何、嫉妬の炎を燃やしているの?」
「…うぐ」
「愚図愚図しているから取られちゃうんだ。この世界は速いもの勝ちなんだから」
例によってホームで待ち伏せしていた琴に、それからこっぴどく説教された。どうやら、指をくわえて覗いていた姉の醜態を見ていたらしい。私の踏み込みの甘さ、勝負所を逃すのほほんとした性格に心底イラついて、まだまだ勝負はこれから、今に見ていろ、と悪代官みたいに息巻いていた。
周りがどんなに騒ごうと関係ない。天道くんとは、これまで何もなかったのだから。凪さんという彼女がいる以上、もう何も言われることはないし、一瞬だけ変な気持ちが湧くこともない。やっと落ち着いて毎日を送ることができる。
いかにも承服しかねるという顔をして、千沙が口を突き出した。
「私もさぁ…今度ばかりは、あいつも見る目があるって感心していた。ほら、とびきり従順な犬みたいになついてたじゃない。なのに…」
奏が落胆のため息をつきながら、窓側の席で笑い転げている天道くんを眺めて言った。
なんて友達思いの子たちだろう。私を案じて、傷ついた心に寄り添ってくれるのだ…でも、二人とも入口で大きな勘違いをして話している。富士山頂を目指しながら、高尾山に足を踏み入れているのだからどうしようもない。
こんな状況下で私はどうしていたかと言うと、
「気にしないで。本当に、天道くんとは何でもなかったんだから…」
頭の中でありえない展開を浮かべている二人に一応、ささやかな抵抗を試みた。せっかく厄介事が一つ片付いたのに、蒸し返されたらたまらないと思って奏と千沙の肩を必死に叩いた。
ところが、というか案の定、私の訴えは届かなかった。
「大丈夫、これで終わりじゃない。またきっとチャンスがやってくるから、それまで気持ちを切らさずにがんばろう」
私の手を取った千沙が、驚くほど前向きな物言いで励ますと、
「でもでも…演劇部的に言うなら、これは次の展開の伏線かもしれないよ。ここで距離を取っておいて、ある日、二人が急接近するんだ」
舞台監督の顔をした奏が、手にしたシャープペンをオーケストラの指揮棒のように振ってニンマリとする。
天道翔に新しい彼女ができた、という話は、高校生の毎日をそこまで揺さぶった。
私としては全然驚くことじゃない。毎度のことなんでしょう、と言いたかったが、彼女、彼らにとっては、アイドルグループのセンターが交代した、カンヌ映画祭で日本映画がパルムドールを受賞した、くらいの大事件らしい。
本当にそんな騒ぐことなのだろうか…。
周りの反応に逆に興味が湧いて、ある日、図書室当番が終わってから天道くんの後を付けてみた。校門の前で待ち合わせた二人が、最寄り駅に向かって仲良く手を繋いで歩いていく。誰がどう見ても幸せで、恥ずかしくなってしまう後ろ姿を、惨めな脇役になったつもりで観察した。
そこで思ったのは、やはり北川凪さんは素敵な女の子だ、ということだった。
あんなに綺麗で、男子はもちろん女子の心も魅了してしまう優雅な雰囲気を持っているのに、天道くんを見つめて、本当に嬉しそうに微笑むのだ。手を繋いでいるのを意識して、頬を赤らめているのだ。そうした反応を素直に表している自分が好き、と一瞬だけ覗いた表情が言っていた。
私もこんな風になれたらいいのに、とまたも敗北感を覚えてしまった。
好きな男の子と一緒にいるというのは、そういうことなのか。こうまで女の子を変えてしまうのだろうか…。
届きそうで届かない世界がそこにあると知って、私は、いつまでも二人の姿を見つめていた。
最寄り駅の改札口を抜けると、帰る方向が違う天道くんと凪さんは、別々の階段を降りていかなければならない。何処かに寄り道しないとなれば、ここが さよならの場所だ。
繫いだ手をなかなか放すことができない、国分寺行きと西武新宿行きの電車を何本もやり過ごしている。そんな姿に見とれた私は、なかなか川越方面に行く電車に乗れなかった。
「何、嫉妬の炎を燃やしているの?」
「…うぐ」
「愚図愚図しているから取られちゃうんだ。この世界は速いもの勝ちなんだから」
例によってホームで待ち伏せしていた琴に、それからこっぴどく説教された。どうやら、指をくわえて覗いていた姉の醜態を見ていたらしい。私の踏み込みの甘さ、勝負所を逃すのほほんとした性格に心底イラついて、まだまだ勝負はこれから、今に見ていろ、と悪代官みたいに息巻いていた。
周りがどんなに騒ごうと関係ない。天道くんとは、これまで何もなかったのだから。凪さんという彼女がいる以上、もう何も言われることはないし、一瞬だけ変な気持ちが湧くこともない。やっと落ち着いて毎日を送ることができる。