結局、二週間経ったところで、彼を一人前の図書委員に育てることは無理だと思った。初めから仕事を覚える気がなく、何もかも私におんぶに抱っこ、頼る気満々の心に何を教えても無駄だと知ってあきらめた。

 心の中で思い描いたイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく。中世ヨーロッパで優雅な暮らしを謳歌していた王朝貴族は、タイムスリップした現代の日本では何の役にも立たず、金魚のふんみたいに高一女子にくっついているだけ。つまり、自分が楽をするために私みたいな子に声を掛け、リンちゃんと呼ぶのだ。そうすれば、面倒な仕事を覚えなくてすむ。のどかな図書委員ライフをエンジョイできるって寸法だ。

 この発見で、頭の中で渦巻いていた変なモヤモヤがきれいに吹き飛んだ。

「天道くん。付き合っている子がいるんだってね」

「うん。A組のミナミ」

「一緒に帰らなくていいの?デートの約束があるなら、無理しなくていいよ」

 昼休みの当番で、またも図書室のカウンターに座っている時、ふと琴から仕入れた情報を思い出して聞いてみた。万が一にも私に向ける気持ちがないと分かれば、もう何のためらいもなかった。

 すると天道くんは、宇宙から飛来したヘビみたいなバーコードリーダーをおもちゃみたいにくるくると回しながら、さばさばしたと口調で言った。

「あいつ、部活が忙しくて。俺とあんまり遊んでくれないんだ」

「何部なの?」

「テニス部。高校に上がってからすごく熱心にやるようになって、少しでも長く練習したいからって、毎日遅くまでやっている」

「すごいね、うまくなりたいんだ…」

「プロになれる訳でもないのに。何であんなに打ち込むんだろう…」

 気が付くと、二人カウンターに並んで頬杖を付き、別々の方向を眺めていた。私は学習コーナーの窓の外、眩しい光の中で葉桜が揺れているテニスコートの方向を。天道くんは、ドミノのように書架が並んだ図書室の薄暗い天井を。

 せっかく彼女の話を持ち出したのに…まるで大好きな子が遠い世界に行ってしまったような寂しさ、空しさが、隣でバーコードリーダーをかざして遊んでいる彼の周りに漂っている。初めて一緒に帰った日に見上げていた空と同じ色が。

 そんなの放っておけばよかったのだ。天道くんとミナミさんの距離が空いてしまっても、こちらには何の関係もない。でも、どうしてだか、私は声を掛けていた。

「天道くん。本当に、サッカー部入らないでよかったの?中学の時、すごく上手かったんでしょ?ちゃんとやれば、もっともっと伸びたのに…」

「……」

「プロを目指すんじゃなくても、もっと上のレベルに行きたいとか、先に進みたいって思わないの?」

 好きなことに打ち込める環境があるなら挑戦したいのではないか。いつ、何が原因でできなくなるか分からないんだから…自分の想いが入ったこともあったが、何よりも彼の周りに漂っている重たい空気を払いたかった。冗談で返してくれてもいい。名前に相応しい空の景色を私の前に広げてみせてほしかった。でも…。

 彼は、容易に人を寄せつけない神秘的な瞳で、手にしたバーコードリーダーを見つめていた。自分の情けない姿を睨むような凍りついた眼差しで、じっとしたまま動かない。

 どうしたの?何故、努力とか挑戦で語られるものに背を向けるの?

 その姿を目にして、こちらまで悲しい気持ちになった。どうしたら笑ってくれるだろう、まるで大切な人と接しているような胸騒ぎを覚えていると、バーコードリーダーがくるりと回って微笑んだ。

「リンちゃん…高校受験して入学したんだよね?」

「…え?」

「この前の確認テストで、学年一位だったよね?」

「十五人の中の一人だけど…」

「俺は二五六位だった。この調子で中間テストを受けたら大変なことになる…」

 目の前で、バーコードリーダーを握りしめた天道くんが、鬼気迫る顔で何かを語ろうとしている。何を持ち掛けられるのか、冷静になれば分かっただろうが、この時の私は、幾つもの衝撃を食らっていて、自分がどんなことに巻き込まれようとしているのか、全く分かってなかった。

 彼が身にまとっていた重苦しい空気が、こちらに振り向いた途端、忽然と消えていた。

 私の確認テストの成績と順位を彼は知っていた。

天道くんと私の学力は、同じ学校に通っていながら天と地ほど離れている。

 そんな事実が頭の中で渦巻いているうち、お願いポーズとともにその言葉が飛んできた。

「だから…俺に勉強教えてくれる?」