「脅しの意味がようやくわかった。貴方みたいな人、ムカつく」
「それはお互い様なんで。俺もアンタみたいなやつ、ムカつく」

 青年期失顔症を発症した生徒たちは誰のことも恨んではにないと叶乃が言っていた。

 実際あの後、間宮と中条にも常盤先輩のことをどう思っているのかと聞いたら、そもそもの原因は自分が抱えていたため、常磐先輩が関わっていなくともいずれ発症していたから恨んでいないそうだ。


 言葉巧みに誘導していただけで、罪には問われない。裁かれないとわかっていて、掌の上で転がして傍観していたのが常磐先輩だ。


 この人の行いは、俺としては見過ごせない。おそらくの話にしておけば卒業するまでに、発症者が更に増える。



「それで、私になにをさせたいの」

 立ち上がり、フェンスに背中を預けた常盤先輩は猫をかぶるのはやめたらしい。開き直ったようすで、手の甲で髪を払って話の続きを求めてくる。


「アンタのこと、とことん巻き込もうと思います」
「……なにそれ? いったいなにに巻き込む気? これでも私、受験生なんだからやめてよね」

 脅されている身のくせに文句を言って、面倒くさそうにしてくる彼女が先ほどまでの常磐星藍と同一人物のようには思えない。

 人って怖いもんだな。……いや、女って怖いというのが正しいのか。


「間宮と中条が作った部活に入ってください」
「意味がわからないし、私はもう卒業なんだけど」

 常盤先輩のいう通り、今は七月で来年の三月にはこの人は卒業だ。


「受験の邪魔にならないようにします」

 この人のことだから、受験生だと言いつつも成績は良さそうで内心上げには抜かりなさそうだ。

 間宮曰く、三年は秋の大会で引退らしいし、部が休みの日も把握済みだ。毎回は無理でも、手伝わせることくらいなら可能だろう。


「そもそも、部活ってすぐにできるものではないよね?」
「もちろんすぐに部活は立ち上げることはできないので、非公認の部活です」
「……なにをするつもり?」

 味覚のことを暴いてからは、表情がころころと変化する。今は顔を引きつらせて、警戒している。


「青年期失顔症の悩みを持つ人の話を匿名で聞く部です」
「は?」
「あー……名前なんっすけど、中条の提案で〝青失部〟になりました」
「なにそれ、だっさ」

 それは俺も同意だ。くそださいと実際に中条にも言ったけれど、もう決めたから変更はしないと言われた。

 まあ、互いに匿名でやりとりをする予定だから、正体はバレないため、まだマシなのかもしれない。



「それ、私を入れてメリットなんてあるの?」
「勘違いしてないっすか?」

 こんな劇薬みたいな人間を部に入れて、メリットなんてあるわけがない。


「アンタが卒業するまで、また余計な種を撒かないか監視するためなんで」

 俺がこの部にはいるのも、そのためだ。


「……ああ、なるほどね。だから〝脅し〟」

 納得したかと思えば、今度は呆れたように笑い出す。


「本当、馬鹿」


 それは誰に対して言ったのか、わからない。部を立ち上げた中条や俺に言ったようにも聞こえたけれど、こういう巻き込まれる結末を迎えた自分自身に言ったようにも聞こえた。

 本性が見えても、わかりづらくてやっぱり苦手だ。


「それにしても、部活ねぇ……本気で理解し会えるなんて思ってるの?」
「……あいつらは、多分思ってるかもな」
「箱の中のカブトムシ」
「哲学っすか。アンタ好きそうですよね」

 面倒くさそうな性格が出来上がった要素のひとつのようにも感じて、乾いた笑いを漏らす。


「あら? 朝比奈くんが知ってるなんて驚いた」
「すっげぇ俺のこと馬鹿にしてんな」

 箱の中のカブトムシは、ヴィトゲンシュタインの痛みを探求する思考実験だ。常盤先輩が言いたいのは、人の痛みなど他者には理解できないと言いたいのだろう。