サボった日、朝比奈くんから言われたことを思い出す。

『間宮が前日に目眩起こして倒れたって話したとき、部活休むってなっただろ。すぐに帰宅するように促さずに、保健室へ行けって常磐先輩って人が言ってたのが引っかかった』

 そこでまず、朝比奈くんは常盤先輩に対して疑念を抱いていたらしい。
 あのとき、前日に目眩を起こしたことは話したけれど、すぐに保健室に行かなければならないほどの状態ではなかった。


 それならば、家に帰ってゆっくり休んでというのが自然であって、放課後に保健室で休むように促すことに、朝比奈くんには引っかかったそうだ。

 青年期失顔症と知っているのであれば、カウンセリングのために保健室へ促す理由がわかる。そのため、私に常盤先輩に話したのかと聞いたらしい。けれど、私は話していない。

 だから朝比奈くんは、常盤先輩を故意に誘導している候補のひとりとして警戒していたらしい。


「……どうしてこんなことしているんですか」

 去年から増えている青年期失症の発症者。その人たちが三年の常磐星藍と関わりがないかと、朝比奈くんが叶ちゃん先生に聞いたところ、顔色が変わったそうだ。

 生徒の個人情報だからと人は教えてくれなかったそうだけれど、確かに関わりがある人が多かったらしい。


 たとえば、同じクラスの生徒や話しているのを見かけたことがある生徒。
 そして中条さんにも聞いてみると、図書委員で常盤先輩と同じだったことが発覚した。しかも、本のことを薦めたのも、相談事にのってくれていたのも常磐先輩だったらしい。


「朝葉ちゃんは私のこと、恨んでる?」
「……恨んではいません。常盤先輩に話を聞いてもらえて救われていたことは事実なので」

 常盤先輩はいつも優しかった。親身になってくれて、甘やかしてくれて、ほしい言葉をくれる。だからきっと、発症した人たちも常盤先輩を恨んではいないと思う。


「私、ずっと気づけませんでした」

 自分がされて苦しかったことを、常盤先輩もされていたのに私は自分のことばかりで気づけなかったのだ。

 私のように周りからいろんな雑用を押し付けられて、常盤先輩は器用だからなんでもこなせる。みんなそう言っていた。
 私も、自分と常盤先輩は違っていて、上手くやれているのだと勝手に思い込んで、優しさに甘えて、寄りかかってしまっていた。


「自分ばかりが我慢をしているわけじゃなくて、周りも我慢を隠していることだってあるんですよね。……そんなことにすら気づけませんでした」
「……私も朝葉ちゃんと同じ。人に頼られることは嬉しかったけど、次第に重荷になっていったの。そこから少し疲れちゃって、気がついたら誘導するみたいな形になってた」

 故意だと言われてしまうのなら、否定はしないと常盤先輩が目を伏せる。この人もずっと苦しさに耐えて、爆発寸前だったのかもしれない。


「ごめんね、朝葉ちゃん」

 みんな常盤先輩に助けを求めるのに、誰も常盤先輩を助けはしなかったのだと思う。辛さを隠すことが上手くて、周りは決めつけてしまっていた。常磐星藍は優しくて芯が強い。周りのことに親身になってくれる。そう、信じ切っていた。


「私の方こそ、ごめんなさい。ずっと私たちのことで心をすり減らして、耐えてくれていたんですよね」
「……そうね、ちょっと面倒な時もあった。全部投げ出したいときもあった。だけど、朝葉ちゃんみたく辞める決心がつかなくて、ずるずるとここまできたの」

 それは初めて聞く常盤先輩の本音のように思えた。


「……このまま部活は続けるんですか」
「もう三年だから、さすがに最後まで続けるかな」

 私が辞める決心をしたように、常盤先輩も辞めない決心をしているようだった。それなら私からは、これ以上なにも言えない。


「まあでも、朝葉ちゃんがこの件をみんなに話すかは自由だよ。そうされても仕方のないことをしている自覚はある」
「……それ、ずるいですね」
「そうかな?」

 どうみても常盤先輩は余裕そうで、私がみんなに広める気がないことをわかっている顔だ。常磐先輩の読み通り、私は話す気はない。

 広まったとして、常盤先輩が居場所をなくしているのを見ても、清々しい気持ちにはなれない。きっと後味が悪くて、後悔する。


「最初からそういう相手を選んでるんじゃないですか」
「そんなことまでできないよ」
「……案外常盤先輩って腹黒そうです」
「まあ、みんな私に色々な〝相談事〟をしてくれるからね。私にもたくさん切り札はあるの」

 余裕の正体がわかり、背筋が凍る。この人は優しい先輩ではない。相談事という人の弱みを握っているため、相手が激昂したとしても対処法はいくらでもあると言っているのだ。

 おそらくは、私がみんなに広めると言ったところで、青年期失顔症にかかっていることを言いふらすとでも言って脅してくるはずだ。



「だけど、これだけはお願いします。もう人を陥れるようなことはしないでください」

 常盤先輩はすんなりと頷いた。かわされるかと思ったけれど意外だった。

「バレちゃった以上は、仕方ないもの」

 それにこれから最後の大会に向けて忙しいし、受験もあるため人のことには構っていられないと、理由を述べていく。少し疑わしいけれど、実際常盤先輩が犯罪をしていたわけでもなく、罪に問われることはなにひとつない。

 むしろ人の悩みごとを聞いてくれていた人で、彼女を咎めるのは難しい。だけど、これ以上、誘導を防いでおきたい。

「……先輩の周囲で発症したら、叶ちゃん先生がすぐに気づきますよ」
「ああ、やっぱり先生も気づいているのね」


 うまいこと常盤先輩が知りたい情報を開示させられた気がする。やっぱり私は、この人には会話で適いそうにない。


「ごめんね、ありがとう。朝葉ちゃん」

 無邪気な子どものように笑った常盤先輩は、綺麗で大人びた容姿とは正反対でどこか調和がとれていないような存在に見える。

 これで本当に防げるのかはわからないけれど、一応牽制はできたかもしれない。一通り、問題が片付いて、私は朝比奈くんや中条さんが待っている保健室へと走った。