「うそ、でしょ? そんなはず……だって、こんなの……っ」

 ある予感が頭に過ぎったけれど、私は認めたくなかった。鏡を見ているのが耐えきれなくなり、女子トイレを飛び出す。行くあてもなく、無我夢中で階段を下る。


「……ぅ、っ」

 その途中で足がもつれて、階段から滑り落ちてしまった。けれど今は痛みよりも、自分の身に起こった衝撃の方が大きい。


 床に転がった鞄の隙間から手鏡が見えて、手を伸ばす。きっと先ほどのは見間違いだ。そうに違いない。

 微かに震える手で鏡の蓋を開くと、目の前には——


「——っ!」

 うそだ。そんなはずない。なにかの間違いだ。
 手のひらから滑り落ちた鏡が、悲鳴のような音を立てて床に砕けた。


 両手で自分の顔を触れると、いつもと変わらない位置に鼻や口が存在している。
 それなのに鏡の破片に映る私の顔は、のっぺらぼうのようにしか見えない。目も鼻も口も、見えない。


「は……っ」

 締め付けられるように喉の奥が痛み、浅い呼吸を繰り返しながら必死に酸素を求める。
 自分の身に起こっている異変が受け入れられない。胃のあたりが焼けつくように痛み、焦燥感と恐怖心に襲われる。


 顔が見えない。……違う。それだけじゃない。

 私が——間宮朝葉がどんな顔をしていたのかが思い出せない。


 足音が聞こえて、体を震わせる。息を飲み、咄嗟に辺りを見回した。

 砕けた鏡の中で立ち尽くしている生徒がいたら不審に思われてしまう。
 いっそのこと逃げてしまいたい。けれど、上履きの底がじゃりっと音を鳴らして、これを片付けなければいけないと理性が働き、足が鉛のように重たくなる。



「——間宮?」

 私を呼ぶ声に大きく肩が跳ね、体内に蓄積された不安や恐れが一気に溢れ出す。
 おずおずと振り向くと、誰かが階段の上に立っている。


 切れ長の目に、への字になっている口。昔の面影を残したまま、いつのまにかクラスで浮いている存在になっている金髪男子がいた。