「やる」


 テーブルに視線を移すと、透明な袋に包まれた茶色のおまんじゅうが一つ置かれている。おまんじゅうの皮に焼印されているのは〝藤水堂〟の文字。


「これ……」
「お前が藤水堂のあんこが好きとか言うから、食いたくなって買ってきた」
「貰っていいの?」
「ここのあんこ好きなんだろ」

 おまんじゅうを、そっと両手で包む。朝比奈くんが藤水堂に買いに行く姿を思い浮かべると、自然と笑みがこぼれてくる。


「朝比奈くん……ありがとう」

 溢れ出てきた涙がぽたり、ぽたりとおまんじゅうの袋の上に落ちていく。


「……俺のせいで、部活サボったって思われてんだろ。悪かった」
「違う……っ、そうじゃないよ」


 あのときの私の心を救ってくれたのは、朝比奈くんだった。駄菓子屋へ行ったあの時間は私の中で救いのような楽しい時間だった。


「私……朝比奈くんにたくさん助けられてる。だから、ありがとう」
「泣きすぎ。すげぇ顔」
「酷い」
「とりあえず拭け」

 箱のままティッシュを差し出してくれる朝比奈くんは、不器用だけど優しい。今まで苦手だと思っていたけれど、もっと早く彼のことを知ればよかった。
 私は今まで、外面ばかり気にして生きてきた。

 誰にどう思われるか、自分がどんなポジションなのか、そんなことばかりに気を取られて、自分で自分の首を締めていたのかもしれない。


 ティッシュで涙を拭ってから、おまんじゅうの包みを開く。
 半分に割ると黒糖の味がついた薄い皮の中で、こしあんがぎゅっと詰まっている。


 ひとくち食べると、あっさりとした上品な甘さが口内に広がった。
 おいしくて、再び泣きそうになる。


「叶ちゃん先生」

 顧問でも担任でもない叶ちゃん先生にこんなことを話しても困らせるだけかもしれない。
 けれど、叶ちゃん先生は黙って私を見つめながら、次の言葉を待ってくれている。


「……っ、私、もう……部活辞めたいよ」

 親にも桑野先生にも、休みたいとしか言えなかった。
 だけど、本当は部活をやめてしまいたかったのだ。

 バスケ自体が好きでも、団体競技だ。周りとの相性が悪ければ、次第に苦痛になる。



「それに怖くてたまらないの。自分の顔が見えないって、こんなに怖いんだ」
「間宮さん」


 名前を呼ばれて、肩を震わせる。
 なにを言われるのかと身構えていると、叶ちゃん先生は申し訳なさそうな表情で頭を下げた。



「気づかなくてごめんなさい」
「え……?」
「鏡を割って倒れたときが、あなたのSOSだったのに」


 私のSOS。今思うとそうだったのかもしれない。
 故意に鏡を割って倒れたわけではないけれど、きっと無意識に精神的に救いを求めていた。



「部活のこと、桑野先生に話しにくいでしょう?」
「あの、休みたいってことは言ったんですけど、だめで……」
「ああ……なるほどね」

 桑野先生のことを思い出しているのか、視線を斜め上に向けたまま叶ちゃん先生が苦い顔になる。


「それなら私の方から、間宮さんに休みを与えてほしいって話しておくわ」
「え、でもっ」

 無関係だった叶ちゃん先生を巻き込んでしまうことになる。
 躊躇っていると、額に突如痛みが走った。


「いっ!」
「気にしすぎ。こういうときは頼っておけよ」

 どうやら朝比奈くんが私にデコピンをしたらしい。ひりひりとする痛みに耐えるように手で額をさする。


「少し考えて、間宮さんがやっぱり辞めたいと思うなら退部届を提出すればいいと思うの」
「……はい。ありがとうございます」

 私の返答に叶ちゃん先生は任せてと頷いてくれた。


「ちょっとくらいは気楽に生きろよ」
「って、またやるのやめてよ!」

 朝比奈くんは満足げに再びデコピンをしてこようとしたので、咄嗟に頭を後ろに倒して避ける。


「うわ、でこ赤くなってる」
「誰のせい!?」

 額は地味に痛いけれど、冷静になれた気がする。少し部から距離を置いて、ゆっくり考える時間がほしい。


「仲がいいのね」
「はぁ? どこが」
「違います!」

 反論する私たちを見て、叶ちゃん先生が楽しげに笑った。