空気を切り替えるように叶ちゃん先生が両手を叩くと、諭すように時計を指差してみんなに声をかけていく。


「ほら、もうこんな時間よ。あなた達は部活へ戻りなさい」
「……はい。朝葉、先に戻ってるね」

 杏里の何気ない言葉に私の身体が硬直した。
 体育館から逃げ出せたように思えたけれど、先にと言われてしまうと戻らなくてはいけないと思考が再び不安へと染められていく。


 バスケ部の二年生たちが出ていくと、叶ちゃん先生がそっと私の頭を撫でた。


「間宮さん、戻らなくていいのよ」
「え……」

 私の心を読んだような発言に驚いてしまう。


「〝先に戻ってる〟って声をかけられたとき、怯えたように見えたから。違うかしら?」

 首を横に振る。叶ちゃん先生のいう通り、私は怯えていたのだと思う。
 また戻らなくてはいけないのかと心が凍りついてしまいそうだった。


「部活は義務ではないわ。もちろん最初は好きで選んだのでしょうけど、必ずしも行かなくてはいけない場所ではないもの。辛いなら、休んだっていいの」
「だけど、それで、みんな怒ってて……」
「それよりも大事なのは、あなたの心よ」

 自分を責めなくていいと言ってもらえているみたいで、鼻の奥がツンと痛む。
 桑野先生も周りの友達も、私の気持ちを考えてくれるような言葉をくれなかった。気遣うような言葉をくれたのは、叶ちゃん先生と朝比奈くんだけだ。



 一呼吸置いてから、叶ちゃん先生が神妙な面持ちで話を切り出した。



「間宮さん、あなた〝青年期失顔症〟ね」

 心臓が大きく跳ねる。先生に知られることには抵抗があったけれど、朝比奈くんから叶ちゃん先生の事情を聞いているため、誤魔化すことはせずに頷いた。

 鏡が割れて倒れた日に発症し、朝比奈くんだけが私が青年期失顔症だと知っていたことを話すと、叶ちゃん先生は納得したように私と朝比奈くんを見やる。


「だからさっき間宮さんたちの会話に割って入ったのね」
「……別にあれは、腹たっただけ」
「そう? あなたにしては珍しく首突っ込むように見えたけど」

 笑みを浮かべている叶ちゃん先生に、朝比奈くんは何か言いたげに顔を顰めている。


「あの、叶ちゃん先生。……親に言わないといけないですか?」
「青年期失顔症のこと?」

 なるべく言いたくない。そんな思いを込めて頷いた私に、叶ちゃん先生が首を横に振った。


「言いたくないのであれば、無理して話す必要はないわ」

 親に告げなくてもいいのだと知り、ホッと胸を撫で下ろす。きっと親に知られたら、大騒ぎをしてカンセリングに通わされて、クラスでも部内でも知れ渡ってしまう。
 それを防げただけでも、精神的な負荷が減っていく。



「ただ、ひとりで抱え込まないでね。私でよければ、いつでも話し相手になるわ」
「……はい」

 朝比奈くんから聞いた話によれば、叶ちゃん先生の弟も青年期失顔症にかかったことがあると言っていた。
 桑野先生に話すよりかは、叶ちゃん先生に相談した方がいいかもしれない。