「いいんだ、逃げられなくても」
お互いに首を傾けたまま、目は逸らさずにいた。
拓磨は瞬きをひとつして、はじめて『逃げ』と口にした。
散歩でもかくれんぼでもなく、拓磨は逃げたかったのだ。
勝手にここまで連れてきた身としては、それをようやく拓磨の口からきけただけで、結ばっていたものが一本解ける。
「おれの代で、市町村合併を目指してる」
「それって……隣町のってこと?」
「隣町とあと、一山向こうで孤立してる町もあるだろ。そこも、どうにかなんねえかなって。そのどうにかの部分も曖昧なうちは、父さんの前では言えないけど」
「ねえ、それをお父さんに任せるのは、だめなの」
「何度も反対してるから、今も何も変わってないんだろ」
諦めたようにいう割には、表情はかたくないし、険しくもない。
自分ならやれる、という気迫さえ見て取れる。
「普通に学校に行って、仁美や他のみんなと過ごす、そういう時間がほしかった。今更取り戻せないってわかってるけど、片鱗に触れたくて。たまに同級生の家の前を通る道を歩いてたんだ」
「え……えっ……?」
「だから、抜け出すのは今日が初めてじゃない。こんなに大事になったのは初めてだけど」
「ま、待って待って。なに? もしかして、わたしが家に連れてきたから……」
「まあ、そうなるなあ」
サッと青くなるわたしの顔を見て、拓磨はけらりと笑った。
笑っている場合か、と慌てて身を起こそうとすると、やさしく羽交い締めにされる。
「ちょ、町会長さんに電話してくる」
「いやいや、勘弁してくれ。今何時だと思ってる」
「夜中に探し回ってる人がいるんだから時間なんて関係ないでしょ! 離して、ほんとうに」
細身なくせに、力だけはやたらと強い。
きつく縛ったり掴んだりはしないのに、なぜか布団に縫い付けられる。
「困るなあ。何でも頼みをきいてやるから、今はおれのいうことをきいてくれよ」
「じゃあ、じゃあ……」
一刻も早く、という頼みを受け入れてもらえないのなら、なにかそれに代わる策をと考えるのに、混乱した頭では浮かぶそれらは掴む間もなく飽和していく。