アーサーがジャック(偽者の僕)の死亡手続きをしている間、ハンスと僕はオーストリア東部にあるウィーンに向かうこととなった。そのため、アーサーからテオの話を聞いたのは二週間が経過し、合流してからのことだった。

ウィーンに来たのは、アーサーが医者として眼科への転向を目指して眼の研究をするためここにくる必要があったのだ。そして、それにハンスと僕がついて行ったのは、ほとぼりが冷めるまで同居するといいというアーサーの提案によるものだった。

ハンスとアーサー、それからジャックには感謝してもしきれない。だが、僕のやっていることは正しいのか、とふとしたときに不安が襲いかかってくる。

僕にできることは、絵を描くことだけだ。一心不乱に絵を描き続け、一ヶ月が経過した。ハンスは絵を描くことが趣味らしく、僕の隣でよく描いている。つい気になって、彼の絵に口出ししてしまうことがあったが、彼は嫌な顔ひとつせずに「なるほど、そういう風な考えもあるのですね」と受け入れてくれた。それがとても新鮮で、純粋に楽しかったし嬉しくもあった。

ゴーギャンとは大違いだ。彼の絵に口出ししようものなら言い争いになってしまうものだから、絵を楽しく描くことなんて出来やしない。

アーサーは眼の研究をする一方で、僕の回顧展を実現しようと、ポール・デュラン=リュエルをはじめとした絵画を取り扱う美術商(画商)に呼びかけてくれ、国境を越えて様々なところで展示会が行われることとなった。資金集めには、ハンスも手助けをしてくれたらしく、目頭が熱くなった。

それから三ヶ月が経過し、評価されて高額で絵が引き取られるようになった頃、僕はテオのいる家へ戻ってきた。十二月ともなれば風がとても冷たく、布から剥き出しになった顔が少し痛い。

「兄さん!」

「────⁉︎」

家のドアノブに手をかけると同時に背後から僕は抱きしめられた。振り返ればそこにはテオがいた。涙がこみあげてくる。

「会いたかった……テオ。すまない、心配かけたな」

向かい合わせになってテオを抱きしめそう言えば、テオは俯いたまま首を横に振って顔をそろりとあげた。

「事情はアーサーさんから聞いてる」

「なっ⁉︎」
  

アーサーがばらしたのか⁉︎


「兄さん、どうかアーサーさんを責めないでやってくれよ。兄さんは、ぼくが身体が弱いことをアーサーさんに言ったのだろう? 身体の弱い人は心も弱くなっていくから、ぼくが兄さんの死によって自分を責めて弱ってしまわないようにと話して下さったんだよ」

「そうか……」

一瞬でもアーサーに怒りを覚えてしまった自分が恥ずかしくなった。


冷静になってみれば、意味なくそのようなことをする人ではなかったな……。


「兄さん」

「なんだ?」

「兄さんからの"恩返し"しっかり受け取ったよ! 有難う」

そう言って、僕に向けられたテオのはじけるような笑顔を見て、ようやく報われたのだと実感した。

家から少し離れたところで待機していたアーサーとハンスに報酬の自画像絵の他、ひまわりの絵をプレゼントした。


ひまわりの絵に込めた意味は、"純粋な気持ちであなたに尽くそう"だ。


ふたりとはここで別れ、僕はテオとともに暮らすことになった。僕は生涯、亡霊の画家としてテオを支えてゆこうと思う。