時環が旅行記を使ったのは、もう九年も前のことだ。痛みと寒さと空腹は恐ろしいくらいにはっきりと覚えているというのに、旅行記の使用する前後のことは曖昧にしか記憶に残っていない。

 使用した当時、体調を崩していたことも一因だろうが、健康であったところでかすかに記憶に残っている感覚から旅行キというものを頭で理解するのは難しい。

 気がついたら過去に戻っていたのだから。まるで一種の催眠にかかったか、夢遊病であったかのように。


「心の準備は?」

「いつでも」


 向かい合って座っていたソファーに今は並んで座っている。時環に関してはどこに飛び込むつもりなのか、体が無意識に前のめりになっている。

 幸哉は片手で旅行祈を掴み、もう片方の手で時環の手を握っていた。一つの旅行祈を必ず複数人で使用する場合はこうすることが正しい使い方だ。でないと、過去を見るのは一人だけとなってしまう。


「それじゃあ、行くよ」


 幸哉は目を瞑ったが、時環は幸哉の手元に釘付けになった。起動方法が知りたかったのだが、どこかを押す気配はない。まるで幸哉の頭の中にスイッチでもあるかのようだ。

 せめて今度こそしっかりと過去へ飛ぶ瞬間を覚えていようと意識を集中した。その意志はいとも簡単に終わった。