橋の上で独りになった時環は少女の言葉を思い出す。

 実の親であった人からの虐待は今でも頭の中に残っている。今の親から愛情を貰い、あの毎日が再び戻ってくることはないと分かっていても、思い出さない日はないに等しい。この先も忘れられそうにない。


 少女の姉も忘れられなくて、でも忘れたくて、精一杯のあがきとしてノートを捨てたのだろう。確実に捨てられる手段を選ばなかったのは、あの深緑色のノートが同時に大切なものであるからか。ならば石壁の上に落ちたのも、偶然ではなくわざと。

 どちらにせよ無駄なあがきだと時環は呆れた。どの道忘れられず、跡形の傷は大人になっても消えやしないのだから。得るものがあるとすれば後悔くらいだろう。それならせめて、意識的に形に残さないと消えてしまう思い出を、忘れないように大事にして支えにしたらいいのに。


 それを捨てるとは。


 何かに取り憑かれたかのように、時環の身体は自然と身を乗り出していた。
 足は柱を越え、今にも崩れ落ちそうな石壁の凹凸にどうにか体重を支えられる。手は近くにある木の枝を掴んだ。


「もう……少し……っ」


 あと一歩。伸ばしているのは足ではなく手である。

 足を踏み出せば重力に従って身体が地へと落ち行くだけだ。注意を払っていたものの、体重がかかる足は凹凸に比べて大き過ぎた。


「やばっ」


 ズルリと滑り落ち、心臓が跳ね上がる。